――Avec AvecさんとSeihoさんはもともと音楽好きの家で育っていると思いますが、小さい頃、2人にとって音楽はどんな存在でしたか。Seiho 音楽って中学ぐらいになると友達とのコミュニケーション・ツールになると思うんですけど、僕は親とのコミュニケーションのツールでしかなかったんですよ。高校に入るまでは、友達と音楽の話をする機会は全然なくて。
Avec Avec 僕も一緒ですね。僕の場合はひとりで親が持っている音楽をこっそり聴いているような感じだったんで、一人で楽しむことが多かったです。
――プレイリストを作ったりするのは、小さい頃から好きでしたか?Avec Avec めちゃくちゃ好きでした。テープでマイベストを200とか、300とか作っていて、それが自分の趣味だったんです。当時電車に乗って隣町の塾に通っていたんですけど、その時に自分が聴くためのマイベストを自分で作っていたんですよ。
Seiho 僕は小学校2~3年生ぐらいの頃に初めてポータブルCDプレイヤーを買ってもらってプレイリストを作っていましたけど、どっちかというと「今日友達の家に行くときにアルバムを2枚持っていく」みたいな聴き方が好きでしたね。あと、うちは親父と弟と3人でCDショップに行って音楽を買うのが恒例行事になっていたんですけど、車で遠出をするときは僕が助手席でCDを入れ替えてました。その場でDJっぽく変えていく感じで。
――プレイリストに好きな曲をどんどん入れていく人もいれば、全体の雰囲気を重視してバランスを取る人もいると思います。2人はどっちのタイプでしたか?Avec Avec どっちもですね。僕は変で、分析とかが好きだったんで、小学校の頃から「Pファンク」「ハードロック」みたいにジャンルで分けたり、普通に好きな「ベスト」というテーマで作ったり、そのときによって色々でした。テープで作っていたので、曲順を飛ばせない分、順番はとても大事で行き帰りの風景とマッチするかどうかを想像で考えたり、車で親と聴いた時に楽しんでもらえたり驚かせたりできるかとか、色々工夫してました。
Seiho 自分にとっては「親が聴いたことない」というのがめちゃくちゃ重要で。ただし、攻めればいいという話ではなくて、「ギリギリ興味を持ってくれるようなもので、内容もよくて、新しい」という、このバランスを重視してました。たとえば「この演奏陣は有名なフュージョン・プレイヤーだから親も好き。でも実は90年代に入ってからR&Bのバックバンドもやっていて、音は新しい」みたいな感じで(笑)。
――2人が出会った大学時代、お互いに好きな音楽を交換することもありましたか。Avec Avec ありましたね。これが唯一だと思うんですけど、Seihoから借りたジョン・ゾーンを僕が借りパクしました。
Seiho あれマジで返せって(笑)。大学に入りたての時期に、僕が『Naked City』を買ってから大学に向かったんです。そしたらTakuma(Avec Avec)に「貸して」って言われたんですけど、普通すぐに返ってくると思うじゃないですか?
Avec Avec まだ返してないんですよ(笑)。
Seiho で、僕はまだ一回も聴いてないんです。
――ははははは。最初はどんな音楽の興味が共通して仲良くなったんですか?Avec Avec スティーリー・ダンとか、スタッフ(アメリカのフュージョン・バンド)とかですね。僕はウエストコースト・ロックが好きで、Seihoはジャズが好きで、その中間としてその辺りの音楽が共通していたんです。Plus-Tech Squeeze Boxみたいな新しい渋谷系もそうでしたね。
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00年にニール・ヤング主宰の〈ヴェイパー・レコーズ〉から正式デビューすると、00年代のUSインディ・バンドたちとも手を取りながら、徐々にポップ・シーンの中心に踏み込んでいったカナダの双子姉妹デュオ、ティーガン&サラ。彼女たちは07年の5作目『ザ・コン』でカナダ国内でのブレイクを果たすと、名アンセム“Closer”を収録した13年の7作目『ハートスローブ』は全米チャートの3位を記録。胸の奥をぎゅっと掴まれるようなメロディでインディ・シーンの良心的な魅力を感じさせながらも、同時にテイラー・スウィフトを筆頭にしたポップ界の超人気アーティストにも愛されるという、独自の立ち位置を築いています。
そんな彼女たちが、7月末に国内盤がリリースされたばかりの通算8作目『ラヴ・ユー・トゥ・デス』を引っ提げて代官山ユニットで来日公演を敢行。冒頭の『ザ・コン』収録曲“Back In Your Head”からバンドセットならではの演奏につられて熱心なファンによる合唱が始まると、その後は7作目『ハートスローブ』と最新作『ラヴ・ユー・トゥ・デス』のポップできらびやかな楽曲を中心としたセットで会場はさらにヒートアップ。途中それぞれが曲ごとにギターを手に取るアコースティック・セットを挟んだり、『Pokémon GO』の話題を筆頭にしたMCで観客とコミュニケーションを取り合ったりと、ステージ上と観客との垣根を作らない親密な雰囲気は彼女たちならでは。本編ラストは新作のキラー・チューン“ボーイフレンド”から、彼女たちの代表曲とも言える“クローサー”で大団円。アンコールの最後に披露した04年の『ソー・ジェラス』収録曲“Where Does the Good Go”では会場に「歌える?」と訊いて、ふたたび観客に合唱をうながしつつライヴの幕を閉じました。
アーティストや著名人の方々にお気に入りの楽曲を選んでもらうことで、その楽曲にまつわる思い出や当時のエピソードを語ってもらうプレイリスト企画。今回は「架空の街のサウンドトラック」をテーマに洒脱なポップ・ワールドを展開する5人組、Awesome City Club(以下、ACC)から、フロントメンバーのatagiさんとPORINさんの登場です。
今年6月にリリースされた3作目『Awesome City Tracks 3』では、atagiさんとPORINさんのツインヴォーカリスト体制をより強調するなど楽曲におけるメンバーの役割や音像を突き詰めて、よりカラフルでバラエティ豊かな音楽性を手にしたACC。リード曲“Don’t ,Think,Feel”はもちろん、スムースな“Into The Sound”や“Moonlight”、80’sニューウェイヴ風シンセがキラキラ夜を彩る“Vampire”、スロウな“エンドロール”や“Around The World”を筆頭に、全編にはより魅力を増した不思議な街の風景が広がっています。
今回は「Awesome City Clubのルーツがわかる楽曲」を選んでもらうことで、 2人の音楽体験を振り返ってもらいました。
様々なアーティストにテーマに沿ったお気に入りの楽曲を選んでもらうことで、その人のルーツや音楽との思い出を紐解いていくプレイリスト企画。今回は9月14日(水)にトリプルA面シングル『もしも僕らがGAMEの主役で/ダイスキ with TeddyLoid/BANG!』をリリースするインターネット/SNS世代の女性ラップシンガー、DAOKOさんの登場です。
顔出しを解禁してリリースされた昨年10月の“ShibuyaK/さみしいかみさま”に続く2ndシングルとなる今回は、ORESAMAの小島英也、TeddyLoid、岩崎太整といった注目のクリエイターが参加したトラックに、メジャー・デビュー以降芽生えた「観客とのコミュニケーション」を重視した、新たなDAOKOワールドを広げています。今回はそんなDAOKOさんに、「自分のルーツになった楽曲」を10曲選んでもらいました。
DAOKO–“BANG!"
2016.06.22
2016.09.14(水)
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詳細はこちら
EVENT INFORMATION
DAOKO 2016 <“青色主義” TOUR>
2016.09.22(木)
OPEN 16:00/START 17:00
赤坂BLITZ
DOOR ¥3,800
2016.10.01(土)
OPEN 18:30/START 19:00
West Bridge Live Hall(韓国ソウルマポ区ワウサンロ 25 ギル 6)
DOOR 55000won
2016.10.02(日)
OPEN 16:00/START 17:00
West Bridge Live Hall(韓国ソウルマポ区ワウサンロ 25 ギル 6)
DOOR 55000won
詳細はこちら
――出身地やルーツ(家系)などよろしければ教えてください。素晴らしい家族(奥様や子供等)のことも差し支えなければお聞かせください。
僕の父親がイタリア出身なんだけど、1950年代にブラジルに引っ越して、ブラジル人の母と結婚したんだ。二人はサンパウロで出会って、僕はサンパウロで生まれたんだ。僕が2歳半の時に、姉も一緒にアメリカに引っ越して。僕の妹は、アメリカで生まれた。僕は結婚していて、15歳と12歳の娘がいるよ。数年前から家族と一緒にブラジルに住んでいるけど、今もロサンゼルスが拠点だね。
――幼少時代や学生時代どんな環境で過ごしましたか? 音楽との出会いはいつだったのでしょうか?
父親がエレクトリック・オルガンを4歳の時に買ってくれたんだ。一緒にお店に行って、楽器のデモンストレーションを見て、買うことになったんだ。家で演奏したり、何回か無料でレッスンを受けたりしたね。僕が9歳から10歳のときに家族がピアノも買って、それから僕はピアノのレッスンを受けるようになった。12歳か13歳の時に、友達がザ・ビートルズを好きで、カバーバンドをやるようになった。当時の僕はパーカッションとキーボードを担当していたね。そのあとは15歳のときにスクールバンドに入って、別の学校に転校してからもバンドをやっていたよ。
しばらくしてから、音楽を演奏するよりもレコーディングすることに興味を持つようになって。友達のマーク・ニシタ(マニー・マーク)と出会って、彼が4トラックのTEACの「リール・トゥ・ルール・レコーダー」を持っていたんだ。彼は自宅でデモを録音するためにそのレコーダーを使っていたんだけど、彼の家は狭くて。僕の家の裏に離れがあったから、そこに機材を入れて、マークが演奏、僕がレコーディングを担当して、そうやって僕はレコーディングやプロデュースの技術を学んだんだ。
――あなたは世界的に有名なプロデューサーで、技術や知識だけでなくアーティスティックで、様々なアーティストの個性やアイデアを引き出す「魔法使い」として知られています。アーティストから最高のパフォーマンスを引き出す秘訣は何でしょうか?
アーティストに良い演奏をしてもらうには、彼らのアイデアを尊重して、まずは自由に表現してもらうことが大事なんだ。彼らから出てきたものを出発点にして、そこに僕のアイデアを提案して、彼らのアイデアを補う。プロデューサーとしてオープンな姿勢を持って、相手のアイデアを聞くことが大事だよね。それが秘訣だね。そうすることで、ユニークなものが作れるんだ。
――〈Delicious Vinyl〉の時代のアーティスト・プロデュースの秘話やヒップホップに傾倒していた頃の話を聞かせてください!
「Power Tools」というクラブでDJをしていたマット・ダイク(注:マット・ダイクはダスト・ブラザーズの初期メンバーでもあり、〈Delicious Vinyl〉の創始者の一人)に偶然出会ったんだ。そのクラブに、マークの兄のマイク・ニシタと遊びに行って、その時にライブを見たんだ。3人のラッパーとDJがステージにいて、彼らがパフォーマンスする時に、DJが最初のレコードをプレイして、爆音のTR-808の低音が鳴って、サウンドシステムが壊れてしまった(笑)。音が全て消えてしまって、僕は観客としてその場にいたんだけど、そのグループは演奏できなくて残念がっていたんだ。そこで、僕はサウンドエンジニアを探したんだけど、見当たらなくて、僕はセキュリティの人に、「クラブのオーナーは誰?」と尋ねると、ある人に指をさして、「あの人がジョン・サイデルだよ」と言ったんだ。彼に「サウンドエンジニアはいますか?」と尋ねると、「サウンドエンジニアはいないけど、君は音響関係に詳しいの?」と聞かれたんだ。僕はすでにPAやサウンドシステムの経験が数年前からあったから、「僕はサウンドエンジニアをやっています」と言うと、彼はクラブの機材を見せてくれたんだよ。機材の状態がひどくて、アンプもとても小さかった。808の音が大きすぎて、アンプが飛んでしまったんだね。数分後に音が戻ったけど、バンドは既に帰ってしまったんだ。
そういうことがあって、そのクラブでDJをしているマット・ダイクと出会ったんだ。僕もそのクラブで働くようになって、次の週からサウンドシステムのセッティングをしたんだ。マットは素晴らしいDJで、様々な音楽をミックスして、パーティーを盛り上げていたね。彼を通して、シュガーヒルとか、Enjoy、ビジー・ビーなどのクラシックスを知ったんだ。彼はレーベルを立ち上げて、プロデューサーをやるようになって、それが〈Delicious Vinyl〉になったんだ。僕は、彼のアパートにスタジオを作ることを手伝って、そこでトーン・ロークなどがレコーディングされたんだよ。
――ビースティー・ボーイズとの出会いや『Paul's Boutique』(1989)、『Check Your Head(1992)の作品のエピソードなど教えてください。
先ほど話したマイク・ダイクがビースティー・ボーイズに出会うきっかけになったんだけど。トーン・ロークとヤングMCは、〈Delicious Vinyl〉からリリースされた最初の二人のMCだったけど、それが驚くほど成功して。ビースティー・ボーイズは新しいサウンドとプロデューサーを求めているという噂をマットが聞きつけて、マットはプロデューサーとして、彼らに新たな方向性を提示できると確信していたんだ。
ちなみに、マットは、のちにダスト・ブラザーズとして知られるプロデューサーチームとトラックを作っていたんだけど、彼らは当時イージー・マイクとキング・ギズモと名乗っていた。実は、マットを含めて、3人がダスト・ブラザーズになったんだ。僕らはこのメンバーと一緒に、トーン・ローク、ヤングMC、デフ・ジェフなどのプロジェクトを制作した経験があったんだ。
そして、ビースティー・ボーイズたちにデモ・トラックを送ったら、彼らはすごく気に入って会いに来てくれたんだ。ビースティー・ボーイズを含めて、みんなでマットのハリウッドにあるアパートに集まったんだけど、そこがデリシャス・ヴァイニルのスタジオでもあった。 彼らはこのトラックの上でラップをして、〈Capitol Records〉と新しい契約を結んだんだ。
『Paul’s Boutique』は素晴らしい作品だったけど、サンプルのライブラリーを作るのに時間がかかってしまって、制作に9ヶ月間かかったんだ。ビースティー・ボーイズのメンバーはニューヨークとLAを行き来して、レコーディングしていて、彼らはLAで家や車をレンタルして生活していたんだ。とても自由でオープンな制作プロセスだったし、サンプルで色々な実験ができた作品だった。ダスト・ブラザーズのプロダクションも素晴らしかったし、ビースティー・ボーイズと僕らの息も合っていた。ビースティー・ボーイズがレンタルしていた家でみんなすごく楽しく過ごした思い出があるよ。
Beastie Boys - Hey Ladies
アルバムがリリースされた時、僕らはとても興奮していたけど、〈Capitol Records〉内で色々な変動があって、社長も解雇されて、レーベル側はあのアルバムをどうやって売り出せばいいか分かってなかった。だから、あのアルバムはしばらくお蔵入りになってしまったんだ。ビースティー・ボーイズはこのアルバムのツアーをしたがらなかったから、すぐに次のアルバム『Check Your Head』の制作に没頭することになった。
高価なスタジオに入ってレコーディングするより、自分達でスタジオを作ることにして、ビースティー・ボーイズのマイク・Dが住んでいたLAのアットウォーター・ヴィレッジというエリアにスタジオのスペースを見つけて、マークがG-Sonスタジオの建設を手伝ってくれたんだ。そこはクラブハウスのような雰囲気で、広々としたスタジオだったから、その中にバスケット・コートを作ったり、アダム・ヤウクがスケートランプをその中にたてたりしたね。とても自由な空間で、音楽的な実験がしやすかったよ。2インチの24トラックのコンソール、サンプラー、レコードなどの機材をスタジオに持ち込んで、誰にも邪魔されずに、自由に制作できた。だから、『Check Your Head』という素晴らしい作品が生まれたんだ。その次の『Ill Communication』の一部も、そこで制作されたんだ。だから特別な時代だったし、素晴らしい場所だったよ。『グランド・ロイヤル・マガジン』も、同じくG-Sonスタジオで作っていたんだ。
Beastie Boys - Pass the Mic――ジャック・ジョンソン(アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島出身の男性ミュージシャン・シンガーソングライター、また、サーファー、映画監督、実業家、プロデューサーとしても活動)のアルバムでもプロデュースを手掛けていますよね。あなたの〈Brushfire Records〉やジャックとの出会いなど教えて頂けますか?
ジャック・ジョンソンのマネージャーのエメット・マロイから連絡があって、ある映画のサントラのために、ジャックの曲のリミックスをしないかというオファーをもらって。ジャックはビースティー・ボーイズ、ア・トライブ・コールド・クエストなどのヒップホップが大好きで、僕にリミックスの依頼が舞い込んだんだ。
ライブ演奏の素材を渡されたんだけど、リミックスしづらそうだったから、その曲をレコーディングし直そうと提案すると、ジャックとバンドはその提案を気に入ってくれて、僕のホームスタジオに来てもらうことになって。そこで、同じ曲の別バージョンをレコーディングしたんだ。
ジャックは、家でレコーディングできることに驚いていたよ。ドラムがリビングにセッティングしてあって、ギターとボーカルマイクなどはベッドルームにセッティングあるから、とても快適な空間だね。ジャックは家でここまでレコーディングできることに驚いて、ハワイで買った家でのスタジオ建設を手伝ってほしいと相談されたんだ。ちょうど家族と同時期にオアフへの旅行を計画していたから、彼のノースショアにある家を見に行ったんだ。
彼の家を見て、建設関係の仕事をしている彼の兄と会って、車庫がちょうどスタジオに使うのに適していたから、そこにコントロール・ルーム、レコーディング・ルーム、アイソレーション・ブースの建設する計画を提案したんだ。
半年か8ヶ月後くらいにジャックから電話があって、「次のアルバムをレコーディングしよう」と言われたんだ。僕のエンジニアのロバート・コランダにハワイに来てもらって、ジャックのセカンド・アルバム『On And On』を21日間でレコーディングしたんだ。
Jack Johnson - The Horizon Has Been Defeated
そこからまた新たな関係が生まれて、サードアルバム『In Between Dreams』もレコーディングした。『From Here To Now To You』もハワイで一緒にレコーディングしたね。ジャックのスタジオは本当に楽しくレコーディングできる場所だし、アットホームな雰囲気があるんだよ。
――ここ数年間はどんなアーティストをプロデュースしてきましたか?
過去2年間はブラジルでの仕事が多かったね。もちろんデイ・ワンと仕事をしたし、何年も前から一緒に仕事をしているセウ・ジョルジ(Seu Jorge)という素晴らしいブラジルのアーティストの作品も手がけた。彼の前作『Musica para Churrasco Vol. 2』をレコーディングしたね。
サンフランシスコのコンブリオ(Con Brio)というエクレクティックなバンドとも仕事をした。ブラジルのアイモレーコ(Aymoreco)という9月にリリースされるおもしろいプロジェクトも手がけた。サンパウロのフィンガーフィンガー(FingerFingerr)というバンドとも仕事をした。サンティアゴ・クルーズ(Santiago Cruz)というアーティストを、僕のパートナーのカシン(Kassin)と共同プロデュースをした。サンティアゴ・クルーズはコロンビア出身のシンガーなんだけど、もう少しでリリースされる。ブラジルのアルヴィーノ・ランセロッチ(Alvinho Lancelotti)というリオのアーティストの新作のミックスを手がけていて、ドメニコ+2(Domenico + 2)で知られるドメニコ・ランセロッチ(Domenico Lancelotti)と兄弟なんだ。タミー・マセド(Tamy Macedo)というブラジル出身で、ウルグアイに住んでいる女性アーティストとも仕事をしている。ジェズトン(Jesuton)というイギリスのシンガーとも仕事をしたし。デヴィ・ノヴァ(Devi Nova)というシンガーとは現在レコーディング中なんだ。アルゼンチンのバンダ・ディ・トゥリスタス(Banda de Turistas)とも仕事をしたよ。
Seu Jorge - Motoboy (Lyric Video)次ページ:デイ・ワンのプロデュース秘話とは?
イメージはサイケデリック、歌はソウル、音数は限りなく少なく、魅力的な余白を残す。リスナーはそこに自分の記憶や体験を勝手にリンクさせ、楽曲を補完することができる。彼らほどイマジネーション豊かなポップソングを書く若いバンドを、私は他に知りません。個人的に、演奏がもう数段階タイトになりさえすれば、彼はアメリカのウェストサイドと東京のローカルを華麗にサーフする最強のバンドになると思っています。
今年2月にデビュー盤『from JAPAN』、8月には同アルバムのLPをリリースした彼らは、感覚的にすべてを選びとっているように見えて、ロジカルかつ戦略的に楽曲を構築しています。それは、このタイミングで、日本ではスルーされがちだったアンノウン・モータル・オーケストラのミニマムソウルを引用したセンスからして明白。そこにどんなバックボーンが眠っているのか。改めて、メンバーそれぞれが「夏に聴きたい曲」というテーマの元に挙げてくれたプレイリストを紐解きながら聞いてみました。
Tempalay / made in Japan (Official Video)
Interview:Tempalay
小原“生きてきた中で見てきた景色とか、そういう記憶が自然と楽曲にリンクしていく”
――曲を書いているのは綾斗さんですよね。ソングライティングの具体的なプロセスについて教えてください。小原 最初から曲の全体を思い浮かべることはなくて、フレーズから作っていくことが多いですね。イメージについては、曲を作るためにロケハンをするわけではなく、これまで生きてきた中で見てきた景色とか、そういう記憶が自然と楽曲にリンクしていく感覚です。
――綾斗さんからラフがあがってきて、竹内さんと藤本さんがそれを楽曲の形にしていくとき、どんなフィーリング、ムードを重視しましたか?竹内 Tempalayだからこれ、というのはなくて、楽曲ごとにざっくりしたイメージを綾斗に確かめます。森か街か海か、昼か夜か、みたいな感じで。
小原 そういえば、“Have A Nice Day Club”は大阪万博みたいなイメージって言ってたよね。要するに表面上の“万博”じゃなくて、もっと奥底にある雰囲気。でも、全然伝わらなかった(笑)。
竹内 最初は四つ打ちにしようと思ったら、「全然違う」と(笑)。
――『from JAPAN』でのTempalayはアンノウン・モータル・オーケストラからあからさまに影響を受けていますが、そもそも彼らの音楽と出合ったきっかけは? 小原 まだTempalayの前のバンドをやっていた時に、サイケな雰囲気で、綺麗なメロディがちゃんとあって、リズムがヒップホップっぽいものを3人でやっている奴らはいなんかなと思っていたら、“Funny Friends”っていう彼らの代表曲をYouTubeで見つけて、「うわ、これや!」と。
藤本 この話しまくってたら、彼らが来日する時に前座とかできないかな(笑)?
――それでは、プレイリストに話を移しましょう。まずは小原さんから。“Open”は2010年代を代表するライの名曲ですが、これは静謐でミニマムなムードに惹かれたということでしょうか?小原 僕の中で夏の曲といえば、一人で静かに聴くもの。“Open”に関しては、僕の地元がまさしくこの曲のビデオに出てくるような田舎で、路面電車と汽車しかないんです。それで、夕方やったかな、車窓から外を眺めている時にiPodからこの曲が流れてきて、普段の景色がガラッと変わって見えたんです。
Rhye – “open”――レオン・ブリッジズは、今年の<FUJIROCK FESTIVAL>(以下、フジロック)でも観たと言っていましたよね。小原 ライブが予想以上にミニマムで、めっちゃ格好良かったですね。
Leon Bridges – “Lisa sawyer”――久石譲“One Summer's Day”は『千と千尋の神隠し』のオープンニング曲です。この曲以外の久石譲の作品も普段から聴きますか?小原 聴きますね。特に、これにするかどうかも迷ったくらい、『千と千尋の神隠し』の曲って全部良いんですよ。この曲に出合った頃は友達がいなくて、家で一人で遊んでいたんですけど・・・(笑)。自分の部屋の窓を開けると田んぼがバーっと広がっていて、そのむこうに線路が通っているんです。その光景を思い出しますね。
久石譲– “one summer's day”――キリンジ“エイリアンズ”、発売当時はいまいちヒットしませんでしたが、その後ハナレグミなど多くのミュージシャンにカバーされています。この曲を知ったきっかけは?小原 キリンジがずっと盲点で、僕はこの曲から入ったんです。ユーモアのある歌詞と美しいメロディのギャップが僕の中では理想的だった。この人たち、天才なんやと思いますね。
キリンジ – “エイリアンズ”――RIP SLYME“楽園ベイべー”はイントロのギター、フロウ、コーラス、MV……すべてがパーフェクトすぎる大名曲ですが、ここで綾斗さんのこの曲に対する愛を語り尽くしてください。小原 こんなに夏を感じる曲、あります?(笑)“楽園ベイベー”っていう曲名を知らなくても、リスナーがその曲名を勝手につけそうじゃないですか。童貞っぽい歌詞とか、イキってる感じとか、すごくユーモアがあって……音楽ってユーモアですよね。
RIP SLYME – “楽園ベイべー”――井上陽水“少年時代”。あえてこの曲のすごさを説明するとすれば?小原 もう、23年間くらい好きな曲ですね。この曲の歌詞、何言ってるかわからないんですけど、何言ってるかわかるじゃないですか。風あざみとか宵かがりとか、造語やから意味はないんですよ。でも、音楽とバチッとハマっているから、言葉になっている。
井上陽水– “少年時代”――お次は竹内さんの番です。シールズ&クロフツが1972年にリリースした“Summer Breeze”のアイズリー・ブラザーズによるカヴァーは、ソフトロックのスウィートなメロディがサイケデリックの中に息づいています。竹内 僕はこの曲の元ネタを知らなくて。この前原曲を聴いたらカヴァーと違ってすごく爽やかだったから、“Make Me Feel Fine”のリリックがやっと自分の中でマッチしました。シールズ&クロフツは都会の初夏で、アイズリーがジャングルの熱帯夜な感じですよね。
The Isley Brothers – “サマー・ブリーズ”――ステファン・ステインブリンク“Now You See Everything“、こちらも現代のソフトロックです。竹内 一番聴いていた曲ですね。声質がずば抜けている。
Stephen Steinbrink – “Now You See Everything――冨田ラボ“ペドロ~消防士と潜水夫~feat.佐野元春”はリアルタイムで聴いていましたか? 竹内 リアルタイムですね。ファーストとセカンドは本当によく聴いていました。これは記憶の底にずっと眠っている曲で、今回のテーマを聞いた時に思い出しました。リフが夏っぽくて、冨田さんの声が涼しげだから。
富田ラボ – “ペドロ~消防士と潜水夫~feat.佐野元春”――アンダーワールド“Scribble”、僕はこの曲を完全に聴き逃していました。改めて聴くと、コーラスにすこし古めのリーナ感があって、めちゃくちゃアガりますね。竹内 このアルバムが出た時にちょうどイギリスのエレクトロをよく聴いていて、自分の気分とリンクしたんです。アンダーワールドがドラムンベースをやった! っていう。あと、打ち込みなのに血が通っているというか、バンドっぽいのも良かった。
Underworld – “Scribble”――最後、サブライム“Santeria”って、みんな一度は通りますよね。竹内 実は、『テラスハウス』にこの曲が使われていることを知らなくて……ちょっとショックだった(笑)。歌詞が全然わからないんですが、すごく夏っぽい(実際は「自分の愛する女を奪いとった男をぶち殺してやる」というなかなか物騒な内容)。
Sublime – “Santeria”
――まず、聴き終えていかがでしたか?
ハリウッド・ボウルのライヴは、当時出たレコードも聴いていましたが、今回は音質や音の分離がとても良くなり、リアリティがすごく増していますね。歓声も、もともと3トラック録音だったというので作業は苦労したと思いますが、大きさも含めていい落としどころになっていると思います。
ビートルズがライヴでどんなふうに演奏していたのか、どんな熱量を持っていたのか、それがひとつにまとまって伝わりやすくなったなと。“Roll Over Beethoven”など、1回途中で演奏を下げ、また上げて盛り上げる演出や、音量差のある演奏はダイナミクスがあります。小さいライヴハウスで活動していた強みというか、生音の強みを感じました。それにしても、ドラムの前にアンプがあって、モニターの返しがないという劣悪な環境なのに、よくあそこまで息を合せられるなと。コーラスも含めて。ビートルズは、場数を踏んだうまいバンドだったということですね。
――それぞれの楽器についての印象は?
第一印象としてはリンゴのドラムが強力でした。音も迫力があり、すごくスウィングしているというか、単なる8ビートではなく微妙にシャッフルしている彼ならではのドラムが味わえる。ドラムだけでグルーヴしている。リンゴは普通のプレイでも半ハットのシャッフルで叩きますが、あれをできる人はなかなかいませんね。ギターも今と違って歪んでいるわけではないのですが、塊になってダーンとくる感じが凄い。
ヴォーカルはジョンが特に強力ですね。“Twist And Shout”は、声が出ていてすごくやる気もあったんだなと。ポールは普通の発声で声を出すからライヴをやればやるほど声が出るけど、ジョンはだんだん声がかすれていってしまったりするので、善し悪しがはっきり出る。でもこの時はコンディションが良く、ジョンの一番いい時期のヴォーカリストとしての魅力が伝わってきます。
Twist and Shout: Live At The Hollywood Bowl
photo by The Music Center Archives/Otto Rothschild Collection
――当時出たハリウッド・ボウルのライヴ盤はいつごろ聴いたんですか?
高校生の時です。叔父の家にビートルズのLPがたくさんあり、ハンブルクのスター・クラブのライヴ盤もそのころに聴きました。あれはデビュー直後の乱暴でパンキッシュな勢いのあった時期の演奏ですが、ハリウッド・ボウルのライヴ盤は、デビュー後のいちばんいい時期の演奏だと思います。66年になるとだんだんやる気がなくなってくるので(笑)。“Help!”や“Ticket To Ride”のようなライヴ後のレパートリーも入ってきて、64、65年はバランスもいいですね。
次ページ:オカモトコウキが語るビートルズの魅力とは?
——今作『バックトゥザフューチャー』は、フルアルバムとしては3年ぶり。過去の作品とは異なる手法で製作されたそうですね。
今までは、作品ごとにコンセプトや世界観ありきの作り方をしていたんですけど、今回は単純に今メンバー個々がカッコいいと思うものをやろうということで、メンバー全員が作詞作曲をしています。一聴すると統一感がないかもしれないけど、バンドの“らしさ”は色濃い作品になったんじゃないかな、と。
——確かに、曲ごとに表情がガラリと変わる刺激的なアルバムだと感じました。でも、ちゃんと“らしさ”もあって。
どんな曲でもヤギヌマカナ(ヴォーカル)のフィルターを通して歌うことで、カラスは真っ白“らしく”なるんだって、このアルバムを作ったことで改めて気づけましたね。今一番やりたいことを情熱的にやれたからこそ、フルアルバムとしてリリースできました。
——また、桐谷健太さんの楽曲プロデュース/アレンジ参加や映画『何者』への菅田将暉さんへのギター指導やライブシーン監修参加など、バンドの枠を出た活動も注目すべきところですね。そこで得たものは、きっとバンドへも還元されているのだろうと思います。そして、10月14日(金)からはアルバムリリースツアーも始まります。
フルアルバムのツアーは久しぶりだし、1stアルバムのときはお客さん5人くらいだったんで(笑)。今回はワンマンなので楽しみでしょうがないです。観にきてくれる以上は、「今年観た中で一番良かった」って言わせないとやる意味がないと思っています!
——では、本題のプレイリストのお話へ。今回は「シミズコウヘイのso good!なプレイリスト」ということですが、セレクトの基準は?
単純に僕が最近好きな曲です(笑)。ぜひ聴いてみて! ってオススメしたい曲を選んでみました。
——ちなみに、これまでミックスCDなどを作ったご経験は?
ありますね。中学生の頃とかに歌謡曲が好きだったので、MDで年代別に作っていました。
——では、1曲目。“La La La” Naughty Boy -ft. Sam Smith。世界的にヒットした2013年リリースの1曲です。一度聴いたら忘れられない強烈な一曲ですね。
もうね、呪われちゃったんですよ、この曲に。“La La La”の呪い(笑)。MVも怖いんですよね。気持ち悪いのに見ちゃうっていう感じです。もともとSam Smithが好きっていうのもあるんですけど、個人的にこうして誰かと一緒にやったときのほうがアクが出ていいなって思います。ぜひ聴いて、みんな呪われてほしいです。
Naughty Boy -ft. Sam Smith – “La La La”——お次は、commonの“Be”。カニエ・ウエストとJ Dillaをプロデューサーに迎えたアルバム『BE』の1曲目です。
とにかくイントロのベースが印象的で、メンバーみんなが好きな定番曲なんです。フレーズが好きすぎてライブとかでも隠れて弾いているので、注意して聴いてみてください。気づいた人はツウですね(笑)。この曲を初めて聴いたのは、あるバンドのSEで流れてて「めちゃくちゃかっこいい!」って思って聴くようになりました。グルーヴもかっこいいけど、フレーズがかっこいいんですよね。
common – “Be”——次は、フラー・イーストの“sax”。プレイリストの中で唯一の女性シンガーの曲ですね。
彼女の歌自体もすごいんですけど、ギターのリフにやられちゃいましたね。2015年のナンバーワンリフ! すごくシンプルで誰でも弾けるのに、こんなにキレッキレのギターリフなかなかないぞ、と。タイトル“sax”ですけど、これ“guitar”じゃないのかって(笑)。
Fleur East – “sax””——続いて、Chicの“La ferak”。言わずと知れたファンク・アンセムです。
できればリアルタイムでこの時代の音楽を聴きたかったな……っていう憧れの曲です。ナイル・ロジャースのカッティングって、すごくカッコいいんですけど、この人にしか出せない謎のグルーヴがあって、もう意味わかんない(笑)。ワンフレーズでずっと聴かせてくれるって、すごいことですよね。この曲に出会ったのは20代前半なんですけど、家族でたまにChicをかけながらドライブしていた思い出もあります。
Chic – “La ferak”——次は、KIRINJI“The Great Journey feat. RHYMESTER”。アルバム『ネオ』収録のシティポップにバキバキのライムをトッピングした曲です。
この曲はリアルタイムで聴けて良かった! 今年、自分が作った曲以外でナンバーワンです。ほんとに最高! 細部にまでこだわった曲作りをされているのが感じられるし、すごい化学反応が起きている。いいなあ、さすがだなって思いますね。今の僕らの気分もこの曲に近いテンションですね。“浮気ディスコ”っていう曲にもそれが表れていると思うんです。特にドラムのタイヘイはこういうことがやりたいんじゃないかな。
KIRINJ – “The Great Journey feat. RHYMESTER”続きをmysoundで読む!
様々なアーティストや著名人にお気に入りの楽曲をセレクトしてもらうことで、その人の音楽観や楽曲との思い出を紐解くプレイリスト企画。今回は海外での精力的なツアーなどでも鍛え上げた変拍子満載の演奏でライブにも定評がある実力派バンド、tricotの登場です。
16年4月にはオーディションで選んだ4人のドラマーと『KABUKU EP』を完成させたtricot。彼女たちは11月2日(水)に初のライブ映像作品『KABUKU TOUR 2016 FINAL at AKASAKA BLITZ』をリリースします。中嶋イッキュウ(Vo,G)はソロ活動も始動。ますます活躍の舞台を広げる3人に、「最近刺激を受けた楽曲」を3曲ずつ選んでもらいました。
Interview:tricot
左から:中嶋イッキュウ(Vo, G)、キダモティフォ(G,Cho)、ヒロミ・ヒロヒロ(B,Cho)
中嶋“『KABUKU EP』は初期衝動が戻ってきたような感覚”
——『KABUKU TOUR 2016 FINAL at AKASAKA BLITZ』には、今年リリースした『KABUKU EP』のツアーの様子が収められていますね。このEPではオーディションで選んだ4人のドラマーと制作していますが、これまでとどんな違いを感じましたか?中嶋 14年にドラマーのkomaki♂が脱退してからサポートを入れて活動してきて、15年の『A N D』は一緒にやりたい憧れの人たちにお願いをしたんですけど、『KABUKU EP』は逆に「tricotでドラムを叩きたい」という思いを持った人たちと作る事が出来ました。それもあって、『A N D』での胸を借りているような気持ちとは間逆でしたね。4人のドラマーに引っ張られて、こっちも演奏がパワフルになって。初期衝動が戻ってきたような感覚でした。そこに、tricotの持ち味であるコーラスワークを生かした、(3人だけで制作したドラムレスの)“Nichijo_Seikatsu”がポンッ! とあったら、EP全体のストーリーも見えると思ったんですよ。
——その“Nichijo Seikatsu”を、今回のDVDではなんとドラマー5人と一緒に披露していますが、これはどんなアイディアだったんでしょう?中嶋 ツアーファイナルのセットリストを決める時に(“Nichijo_Seikatsu”の直前に演奏した)“庭”を「5人でやろう」という話になって、その流れだったと思いますね。初めて合わせた時は、とにかく「うるさ!」って感じでした(笑)。でも、美代さん(サポートの山口美代子)が仕切ってくれて、そこにみんなが合わせてくれてまとまっていきました。
——tricotの場合、ツアーの移動中などに音楽を教え合うことはありますか?ヒロミ たまに誰かがいいと思った曲があったら聴かせてもらうくらいですね。
中嶋 いいと思う確率はそんなに高くないけど、思ったら絶対言いますね。
——(笑)。学生時代だとどうですか?中嶋 それこそ、tricotを始めるか始めないかぐらいの時に先輩(キダ)にMASS OF THE FERMENTING DREGSのCDを借りて聴いてましたね。ミドリは一緒にライブに行かせてもらったりもして。
キダ 高校時代は軽音楽部で、基本はコピー・バンドだったんで、どんな曲がやりたいか持ち寄って聴いてました。あとは、先輩がやっているのを見て新しいバンドを知ったり、イーグルスをコピーする機会があったり。当時はアース・ウィンド&ファイアもコピーしてましたね。
ヒロミ 私も軽音楽部で先輩が弾いてるものを「いいなぁ」と思ったりしていて。高校の時はメロコアやパンク、インキュバス、レッチリ辺りを聴いていて、他にもBLINK-182をやってる人がいたりしました。その後、大学に入っ