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日本のレゲエシーンを牽引してきたサウンドシステムクルーMighty Crownが“越えて”きた世界

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Mighty Crown
『Always Listening』がお届けするインタビューシリーズ。「超越」をテーマとして、このキーワードに紐づく人物にフォーカス。創造、表現、探求、感性、そして、なにかに没頭したからこそ感じることができる超越的体験について語っていただく。第2回目に登場するのは、Mighty CrownのMasta Simon氏とSami-T氏。 「超越」を切り口に、Mighty Crownの話をしよう。ジャマイカのレゲエ、とくにダンスホール・レゲエを土台に、国境を、肌色の違いを、言葉を、ジャンルを、“越えて”きたサウンドシステムクルーだ。サウンド、とも訳されるレゲエのサウンドシステムは、他ジャンルの「DJクルー」と同意語だが、「システム」の部分はバカでかいスピーカーを含む音響システムを指し、つまりは自前の音響システムを持ち、流行りの曲とともにアーティストに特別に歌ってもらったカスタム・メイドのダブプレートをかける、レゲエの玄人集団のことだ。 横浜出身のMighty Crownは、音の格闘技であるサウンド・クラッシュの大舞台でたびたび優勝し、サウンドとして頂点を極めた。その結果、世界中のレゲエがかかる場所であれば−−それは、レゲエに馴染みがない人が考えるより、ずっと広い範囲なのだがーー政治家や芸能人を合わせてもどんな日本人より知られている、“超”がつく有名人になった。日本では、日本のサウンドやレゲエ・アーティストをメインに据えた<横浜レゲエ祭>を1995年にスタートさせた。<横浜レゲエ祭>は、かつては海外アーティスト主体だったレゲエ・フェスと並ぶまでの規模に成長して、その動きを追うように全国でフェスが開催されるようになった。国内外のシーンを繋いできた立役者に、音楽で世界を駆け巡ってきた軌跡を聞く。

Interview Mighty Crown(Masta Simon/Sami-T)

━━そもそも、レゲエのサウンドってどんな活動をするの?という人たちにわかるように、結成の話からしましょう。91年の結成ですよね。 Sami-T 俺は16歳だったから、あんまりよく覚えていないんだけど。 Masta Simon そのころは、日本でもやっている人たちがいて、俺らもやろうかって。 Sami-T 先輩のサウンドは、もうMC(話す人)もいて、セレクター(音楽をかける人)もいて、確立してたし最初から自分たちでやろうって感じだった。 Masta Simon 結成してすぐイベントをやったな。Jean Genieっていう寿町にあったライブハウスで150人くらい入ったよ。 ━━当時は音楽に重点をおいたクラブが出てきた時期でしたが、出入りしていましたか? Sami-T 俺はガキすぎて入れるときと入れないときがあった。入り口に知り合いがいたら、「いいよ、入っちゃいな」とか。 Masta Simon 俺は都内のクラブも行ってた。ミロス(・ガレージ)とか、代チョコ(代々木チョコレートシティ)とか。後は横浜のZEMAとかCROSS ROADにはみんなでよく出入りしてた。 ━━海外にもわりと早く行っていたんですよね? Sami-T 92年からブルックリンへ修行に出た。93年にはレコードボックス1つ持って、黒人街の地下にあるクラブに行って、回させてよ、って言ったり。アホでしょ(笑)。 ━━10代でそれはすごいです。 Sami-T お前がかけるの? ってからかわれて、スキルはついてってなかったけど(Half Pintの)“Greeting”とかかけて、選曲で褒めてもらった。 Masta Simon 俺は17歳から5年半くらいLAにいたし、(Fire Ballのメンバー含めて)みんな海外に行っていて、夏と冬だけ日本で集まるから、そのときにイベントをやってた。<レゲエ祭>もそんな感じで、95年の夏から始めたんだ。日本のサウンドはなめられていたから、自分たちでムーヴメントを起こそうって流れになって。150人からだんだん大きくなって、2,000人以上の規模の(横浜)Bayhallにすごい人が入っちゃったり。 Mighty Crown ━━20才前後の多感な時期だったわけですから、ほかの進路については考えなかったのでしょうか? Masta Simon そもそも、仕事になるとか考えていなかったんだよね。 Sami-T 親父には「黒人の音楽で飯が食えるわけねぇだろ、“You're not black and how you gonna make money out of it”」って言われた。 Masta Simon 俺は親父には言われなかった。母ちゃんに「就職しろ」って言われたけど。 Sami-T 俺はめちゃくちゃ言われた。それで火が付いて。今に見てろって、止めらんないよって。 ━━お父さんも芸術系のお仕事でしたし、理解はあったほうじゃないんですか? Masta Simon 映画のプロデューサーだからね。理解はあったと思う。 ━━自前のスピーカーで音を出すサウンドシステムを作ったのも、早かったわけですね。 Sami-T みんなでバイトしながら1ヶ月20万円儲かったら、そのうちの10万円を各自で出してでスピーカーを買おう、今度はアンプを買おうって作っていった。同時に、自分でレコード買って、ダブ切って、っていう。海外でサウンドシステムを見て、すごい喰らって。こういうのを日本でやりたいと思ったんだよね。 Masta Simon 当時はサウンドを持っていないくせに、自分たちをサウンドって呼ぶな、という空気が強かったし。海外の憧れているサウンドはみんなシステムを持って、自分たちのイベントをやっていたから(持つことは)自然だった。 Sami-T それが、DJとサウンドの違いだね。 ━━1999年、ニューヨークの<World Clash>に出場して、いきなり優勝して流れが変わりました。 Mighty Crown 続きはこちら

Text & interview by Minako Ikeshiro Photo by Yosuke Torii

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齋藤陽道×原田郁子(クラムボン)×河合宏樹|映画『うたのはじまり』のはじまりを求めて

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映画『うたのはじまり』は、ろうの写真家として知られる齋藤陽道(さいとう・はるみち)が、かつて嫌いだった「うた」と出会う過程を追ったドキュメンタリー映画だ。この作品には、人間にとって「うた」とは何であり、なぜ人は表現するのかという本質的な問いが込められている。 アルバム『triology』のジャケット写真の撮影など齋藤とも縁の深いクラムボンの原田郁子は、本作品を2回鑑賞したという。というのも、原田にとってこの作品は「自分がずっと言語化してこなかった領域だったから」だ。どういうことなのか? そこで今回Qeticでは、監督の河合宏樹をモデレーターに加え、齋藤と原田の対談を実施。当日はまず、映画にも登場する齋藤の愛息子・樹(いつき)を幼稚園に迎えに行くところから始まった。冬の夕刻、かつて齋藤がおさめた『絶対』シリーズの作品のように圧倒的な夕陽が降り注ぐ街を歩く3人。手話やジェスチャーを交えながら談笑する3人の美しさは、以下の写真が示す通りである。

樹と合流し、今度は齋藤の自宅のダイニングテーブルで、原田が映画完成記念にと持参したワインで乾杯。お酒を飲みながら和やかな雰囲気で、筆談による3人の会話が始まった。背中には笑い合い遊び合う齋藤のこどもたちの存在を感じながら、「うた」とは何であり、表現とは何であるかについて探った。

Interview:齋藤陽道×原田郁子(クラムボン)×河合宏樹

“陽道くんの写真には音を感じる”

ーー今回、河合監督が齋藤さんの対談相手に原田郁子さんを選んだ経緯から教えてください。 河合宏樹(以下、河合) 今、(原田)郁子さんとたまたま別のお仕事でご一緒させていただいるんです。一緒に作業しながら話すうちに、郁子さんの音楽とうたは、この映画のテーマと本質的 に通ずると思ったからです。 原田 嬉しいなあ。 齋藤陽道(以下、齋藤) 郁子さんのうたってどんなだろうなーと、ずっと想っています。 原田 うん。 河合 郁子さんと(齋藤)陽道さんはいつ出会ったんですか? 原田 わたしが陽道くんを初めて知ったのは、坂口恭平くんが「郁子ちゃんきっと好きだと思う」って教えてくれたことがきっかけです。それでワタリウム美術館の写真展(2013年『宝箱 ー 齋藤陽道 写真展』)を観に行ったんです。その後、クラムボンの『triology』(2015年・9thアルバム)のジャケット撮影をお願いしました。 齋藤 びっくりしました。だって20周年の大事なアルバムですもんね。うれしかったです。 原田 日の出前からの撮影で寒かったけど、きれいだったよね。 齋藤 朝5時でしたっけ? 空気が澄み切ってましたね。 原田 (原田が持参した撮影時のスナップ写真を見ながら)懐かしいね。陽道くんと麻奈美さんがまだお父さんとお母さんになる前だ。『triology』のジャケットになったこの写真は、顔が写っていないけれど、3人のそれぞれをものすごく表していると思いました。身体全体がその人を表しているよね。すごく象徴的。 齋藤 何をいうでもなく、しぜんにみんなバラバラに動き、踊り出したんです。 原田 寒すぎて(笑)! 陽道くんはこの日がミトくんと大ちゃん(伊藤大助)と初対面だったんですけど、こういう写真を撮れるのはすごいなと思うし、この一瞬をこんな風に捉えられる人は誰もいないだろうなって。陽道くんと祖父江さんが一緒に本を作るようになったのも、この時がきっかけだったんだよね。 河合 やっぱり陽道さんは人間の生きた道をちゃんと写しますよね。この写真も、20周年のクラ ムボンのメンバーの生き方をしっかり捉えている。出会った時はどんな印象でしたか? 齋藤 郁子さんのことは、水みたいな人だと思いました。すーっと流れてくる。 原田 水かぁ。わたしは陽道くんにお逢いするより先に写真を観たんですけど、とても音を感じました。ひかりの粒や陰のラインが音楽みたい。

河合 僕も同じことを感じます。初めて陽道さんを見たのは、映画のシーンにもある飴屋法水さん演出の聖歌隊・CANTUSの教会ライブに出演した彼を撮影した時で、ろう者だとも写真家だとも知らなかったんです。だから最初の 印象は「イケメン」。 齋藤 (笑)。 河合 でもあの公演で彼の生い立ちや境遇を知って衝撃を受けました。実際に仲良くなったのはそれから一年くらい経ってからでしたね。その時は、東日本大震災から1年経ったくらいだったのですが、陽道さんは『写訳 春と修羅』という作品をつくっていて、僕は作家の古川日出男さんたちが行っていた朗読劇『銀河鉄道の夜』を撮影していたんです(河合宏樹 映画『ほんとうのうた~朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って~』(2014))。宮沢賢治という同じテーマでふ たりとも作品をつくっていたこともあってメールをしてみました。そうしたら「なにか根底でつながっているような気がします」って返事をくれて、すごく嬉しかった。 原田 じゃあ初めて陽道くんに出会ったのはあの教会だったんだ。 河合 そうです。その後、高知県で七尾旅人さんが開催したライブの打ち上げで陽道さん と再会しました。陽道さんも偶然仕事で高知に来ていたんですね。その時に、奥さんの麻奈美さんにも初めて会いました。その時の陽道さんと麻奈美さんの手話での会話が美しくて、「撮りたい」と直感したんです。 原田 そっかぁ。飴屋さんと旅人の存在が大きい? 河合 そうですね。2人は今回の映画のキーパーソンです。

ーー郁子さんは、この映画を2回鑑賞されたそうですね。 原田 はい。初めて観てから、陽道くんの家族がずっと自分のなかにいる感じがあります。とてもなまなましく生きていたから。本当は河合さんにコメントを頼まれたのですが、まとめられなくて……。 齋藤 どうしてまとめるのが難しかったんですか? 原田 うーん、ずっと言葉化してこなかったから……。 河合 (青葉)市子ちゃんも同じことを言ってました。 原田 ほんと? でも確かに、市子さんのコメントからそのことがとってもよく伝わってきました(「うたは、だれにでも。うたは、生きていることが。」)。

おもむろに河合が、齋藤家の棚にあった、作家の小指(小林紗織)のZINEをとりだし、原田に「うたのはじまり」絵字幕版取り組みの説明をする。 小指が劇中の”うた”や”声”を描画し、それを字幕として映画内に取り組む新しい試みだ。 齋藤はその様子を見て、その取り組みを原田に伝えられたことが嬉しそうに、ほほ笑みを浮かべていた。

※「うたのはじまり」絵字幕版とは? 本作の重要な要素である「音楽」を聴覚障がい者の方にも少しでも 理解していただく為に、「音楽」を「絵」で表現する「Score Drawing」 という手法を本編に取り入れた試みです。この<絵字幕版>は齋藤陽道の発案で制作が進み、本人も「完成した絵字幕版を観て感動した。 まったく新しい形による“うた”の表現となっているのではないかと思う」と感想を残しています。聴者にとっても <通常版>とは全く違った印象を残す筈ですので、是非 2 つのバージョンを見比べて頂きたいです。

詳細:齋藤陽道note

“理想と現実のはざまで”

齋藤 2人が覚えている一番古い「うた」の記憶って、何ですか? 河合 実はそれを思い出そうとしていたんだけど、出てこないんです。ただ、最近姪っ子をあやすようになって、陽道さんの気持ちが少しわかるような気がしました。実際に初めて音楽に触れたのは、たぶん幼稚園の頃のカセットテープだった気がします。『アンパンマンのマーチ』とか。記憶として言葉にできるのはそこなんだけど、その前にもある気がしていて、まだ考えている。 原田 おうちの踊り? 河合 ああ、三味線の音の記憶はすごくありますね。うちは日本舞踊の家系だったので、「ペンペンペンペン……」という音がずっと聴こえていました。その音は今でも聴こえているので、潜在意識にはあると思います。 原田 おじいさんと旅人の映像(『”蒼い魚”を夢見る踊り子~藤間紋寿郎の沖縄戦~』)観ました。 河合 ありがとうございます。現在98歳の日本舞踊家で(2020年2月時点)、沖縄戦を生き残った祖父のドキュメントと、旅人さんの”蒼い魚”という楽曲が自分の中でシンクロして作品化したんです。最近は家族の影響をかなり意識するようになりました。おじいちゃんおばあちゃんっ子だったから、彼らから聴いた音は残っているかもしれない。郁子さんはどうですか? 原田 4歳の時にピアノを習い始めたので、「うた」って認識するより先に楽器を弾いていたかもしれないです。合奏とか遊びの延長でピアノを弾いてるのは楽しかったんですけど、うたは、恥ずかしくて、人前で歌ったりできなかった。ひとりでちっちゃい声で歌うことはあったけど、誰かに聞かれたら嫌だから、こっそり……。将来歌うようになるとは思っていなかったです。 齋藤 いつから嫌じゃなくなったんですか? 原田 うーん、すごく閉じてしまった時期があって。周りに馴染めないし、目の前を見たくない。苦しかったんですけど、でも、そうなってから初めて、音楽がちゃんと聴こえてきた。自分に必要になったというか。もう渇望するようにのめり込んでいきました。現実逃避ですね。それでジャズを聴いた時に、なんて自由なんだと思って、心が躍るようで、自分もそういうことがしたいと思ったんです。音のコミュニケーションだけど、ことばみたいだった。 河合 なるほど、なるほど。 原田 でも、いざ、ジャズピアノを始めてみると、ものすごく難しかったんですね。理想があるのに追いつけない。「うーっ……」となってる時に、ほんとにたまたまピアノを弾きながら歌ってみたんです。ため息みたいに、「はーーーー……」って。そしたら、すーっとしたんですよね。胸のつかえが取れたような……。だから陽道くんの映画を観て、とても深くいろんなことを思い出したんです。 河合 今の郁子さんの話は、現実に向き合うことにおいて、陽道さんの子守唄の誕生にすごく近いと思いました。 齋藤 ぼくが「うた」や「音楽」に苦手意識を持っていたのは、郁子さんの言う「理想」と「現実」が噛み合っていなかったからなんだな、ということを今の話を聞いて思いました。ぼくの理想は「きこえる人のようになりたい」。でもそんなのはムリなことで、「うーっ……」となってしまう。聞くふりをして、楽しむふりして、でもぜんぜんわからない。だから、ぼくには「うた」や「音楽」は関係ないと思うようになりました。 でも、こどもをむかえたら、生活のあわただしさが良い感じに理想を見えなくさせてくれたんです。こどもという圧倒的現実があって、こどもの体温が、いろいろな思い込みをほぐしてくれた。そのこわばりが解けた時、目の前のたったひとりの名前をぽろぽろとつぶやいてみたんです。それこそ、ため息みたいにふーっと、「いつき、いつき」と。

“「うれしいからっぽ」から生まれたうた”

河合 本当に、こんな陽道さんは、こどもと出会う前は見たことがなかったなあ。 齋藤 そのため息のようなこどもの名前がほかのイメージをつれてきてくれて、それも声になりました。こどもを抱き抱えたまま、気持ち良いままにリズムも加えていたら、こどもが眠ってしまった。……あ、これが「うた」か!と気づいた瞬間です。これがぼくのいちばん最初の「うた」との出会いでした。 河合 これこそほんとうの「うた」ですよね。「うた」は言葉以前にあるもので、関係を修復するために生まれたものじゃないかと思っているんです。 ーー自分と世界との関係、ですか? 河合 そうです。以前、ある音楽家に教えてもらったんですが、『らくだの涙』というドキュメンタリー映画があって。出産のショックで子らくだを認識しなくなってしまった母らくだに向けて、モンゴルの遊牧民族が馬頭琴を奏でると、音楽を聴いた母らくだが涙を流すんです……。まさにそういうことだなと。 ーー齋藤さんと郁子さんにとって、「うた」は現実と和解させてくれたものだったのですか? 自分のなかから自然と「うた」がうまれた時、世界と折り合いがついたというか。 齋藤 和解!! そうですね、ほんとそうです。ただ、まだ続いている。 河合 うーん、すごい難しいですね……和解……解けて終わってはいないんですよね。根元に戻る、初心に戻るのであって、「世界と折り 合いがついた」というニュアンスとは少し違う気がする。 原田 ……和解ってなんだろう? 矛盾してるかもしれないんですけど、音が鳴ると、自分のなかに深く降りていって、無音の世界に出る、みたいな感じがあるんですよね。そして、歌ったり演奏したりしていると、波みたいな、海みたいな感じがしてくる。……というか、もっとぜんぶ? 今日見た太陽の光にも似ているかもしれない。ぜんぶの一部、みたいな。うまく言えないから絵に描いてみます……。

原田 「ひとり」ということが見えてくるんですよね。だけどまわりの空気は震えている。とても近くに振動を感じていて、自分とそうじゃないもののあいだが、遠いようで曖昧になってくる。 齋藤 こどもにうたっていて「あ、今とても気持ち良いなー」と思えた時、自分がからっぽになっているんですね。さみしいからっぽじゃなくて、うれしいからっぽ。 原田 うん! それだ。うれしいからっぽ!

“水のように湧き続ける「生存本能の発露」”

ーー今の話は、表現の根本にある話だと感じました。劇中では「あらゆる表現は生存本能の発露」という齋藤さんの印象的な言葉もありましたが、みなさんが表現をする理由、続ける理由を知りたいです。 河合 とても究極な質問ですね……ずっと悩んでいますが……僕の場合は縁のような気がしています。生きていると、人や土地との出会いから自然と自分にテーマが降ってくることが多かったので、生活するうえで必然的に続ける必要がありました。これからもテーマが目の前に現れてくるかわからないけど、この映画を通して、改めて、「うた」をはじめとする「表現」と呼ばれるものがとても日常的なことから生まれることがわかり、自分の生活の一番身近なところからこれからも表現が生まれてくるのでは……と最近思います。 原田 わたしは、すごく永い時間だったり、水が湧いている感じかな。 河合 あっ、湧いて出る感じ、それすごく近いかも。『うたのはじまり』の「はじまり」を手話で表す時も、「はじめる」ではなく、水が湧いてくるような「うまれる」の手話で表現しています。陽道さんが考えてくれたんです。 原田 そっかぁ。ライブをしたり曲をつくったり、演奏したり、その度に毎回ゼロになるんだけど、少しずつまた湧いてくる。滝のようなイメージが自分のなかにあります。 そして、やればやるほどまた音楽が好きになる。遠くに向かって「おーい!」と叫んでみると、思いがけず返事が来たり、こうして誰かと出逢えたり。そうするとうれしくて、また音楽のなかに行きたくなるんです。ライブをしていると、時々、たくさんの人たちの、その前の、前の前の……ずーっと人が繋がってきたことが浮かんできて、歌うこともあります。 齋藤 すごい。シャーマンみたいですね。 原田 その分、きっと「今」や「瞬間」が際立つんだと思う。それは音楽も写真も同じかもしれない。0コンマ何秒で変化し続けるもののなかで、曲をつくったり、本をつくったり、映画をつくったりしている。そうせずにはいられないというか。昔々の人々がやっていたこと、踊ったり歌ったり、祈ったりすること、形は違うけれど、きっとそれらの営みと本質は同じなんだろうなと思っています。 河合 まさに祈りですね。それが陽道さんの「生存本能の発露」という言葉に繋がってくるんじゃないかな。とても近いと思います。 齋藤 SNSやネットの配信にはない存在としての重みが「作品」にはありますよね。1回限りとか、今その時じゃないといけない、あるいは、時間が何十年も過ぎてやっと見えてくるものがある。その重みあるものを自分の身体ひとつで生み出せるという喜びは、とても大変ではあるけれど、何にも替えがたい歓喜があります。まずその喜びがあるから、ぼくは表現を続けているのだと思います。

Text by Sotaro Yamada Photo by Naoto Kudo

映画『うたのはじまり』

2020.02.22(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開 監督・撮影・編集:河合宏樹 整音:葛西敏彦|字幕作成:Palabra 株式会社|Score Drawing:小指 出演:齋藤陽道、盛山麻奈美、盛山樹、七尾旅人、飴屋法水、CANTUS、ころすけ、くるみ、齋藤美津子、北原倫子、藤本孟夫 他 2020 年|日本|カラー|16:9|86 分|DCP|PG12| 配給:SPACE SHOWER FILMS> © 2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS

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新イベント<SyU -種->主催バンド座談会|”種”の概念を拡張した先に見える新たなシーンとは

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種 -Syu-

3月8日(日)に、渋谷は円山町にあるclubasiaの24周年企画として、ravenkneegato、the McFaddinPOINT HOPEの4バンドが主催する新イベント<SyU -種->が開催される。 互いの違いや共通項を認め合いながら切磋琢磨してきた4バンドのパフォーマンス力やキュレーションのセンスが融合し、新たな花が咲く瞬間を想像させてくれるエネルギーに満ちたタイトル。 ラインナップに目をやると、エレクトロにロック、ヒップホップなど、さまざまな要素を独自の感覚で採り入れ、“ジャンル”の向こう側にある未来を開拓しようとする気概を感じるライブアクトと、現場の空気を捉え空間を彩ることのできるDJがずらりと並ぶ。遊びに行く理由は人それぞれだが、どの角度から入っても、今までに感じたことのない刺激によって、以降の日々に見える景色を豊かに彩ってくれるだろう。

種 -Syu-

Interview ravenknee × gato × the McFaddin × POINT HOPE

━━まず、なぜこの4バンドで主催しようと思ったのですか? joe matsumoto(Vo.&Gt./ravenknee 以下、joe) 2019年1月にravenkneeが初めて開催した自主企画のイベントに出てもらったのが、gatoとPOINT HOPEで、the McFaddinも呼びたかったんですけど、スケジュールが合わなくて。今回のイベントはうちのhigashiが発起人なんですけど、当時の企画に呼んだ、または呼ぶ予定だった4バンドの主催なんです。 ━━では、みなさんお互いにどのような印象をお持ちでしょうか。 joe gatoは音楽的に僕らとはぜんぜん違いますけど、エレクトロと生演奏を新しい感覚で掛け合わせてるという意味では共感できる部分が大きいですね。そして、ライブがめちゃくちゃカッコいい。 katsuyuki higashi(Dr./ravenknee 以下、higashi) あまり他のバンドのドラマーに機材のことは訊かないんですけど、gatoのhirokiくんには「そのシンバル、口径はなに?」とか「そのハットどうやってんの?」とか、よく尋ねますし、彼とはお揃いのシンバルを使ってるんです。

[caption id="attachment_346623" align="alignnone" width="1440"]種 -Syu- L:katsuyuki higashi R:joe matsumoto[/caption]

━━なぜhirokiさんのドラムにはそこまで興味が湧いたのですか? higashi エレクトロの音にハマる生ドラムとして理想的なんです。例えばクラッシュシンバルだと、僕が使ってるものは高い音がするんですけど、hirokiくんのは低いというか。そういう細やかなこだわりがシンセや同期の音とすごくマッチしていて、違和感がないんですよね。 hiroki(Dr./gato) 僕は初めてhigashiさんのドラムを見たときに、すごすぎてバンドやめようかなって思いましたけどね。めちゃくちゃいい音が爆音で鳴っていて、どんな人が叩いているんだろうなって。ravenkneeはとにかくスケールがでかい。 age(Vo./gato) うん、スタジアムとかフェスとか、大きな会場がイメージできるよね。僕らも同じように、いろんな場所に出ていきたいとは思ってるんですけど、ざっくり言うならば、gatoは「陰」でravenkneeは「陽」。その二極でちゃんとライバルとして活動している感覚があって、敵であり仲間なんです。 keisho maeda(Gt./the McFaddin 以下、keisho) わかる。joeが前にやっていたバンドも好きだったんですけど、ravenkneeになって、よりメジャーなフィールドでやれるマインドやパワーを獲得したように思います。演奏力も圧倒的で、初めて対バンした時もヤバいと思った。

種 -Syu-
[caption id="attachment_346622" align="alignnone" width="1440"]種 -Syu- L:age R:hiroki[/caption]

━━gatoとravenknee、the McFaddinは、音楽性は違えどお客さんが被る部分も多くて、共同体的なイメージもあるんですけど、POINT HOPEは活動ベースが少し異なるようなイメージがあって。そこはどうでしょう。 age 確かに、イメージはそうかもしれないです。でも、POINT HOPEとはルーツが近い気がしていて、親近感を持っています。 中村歩己(Gt.&Syn./POINT HOPE 以下、中村) gatoは“ダンスフロア“と対峙しているバンドだと思うんです。それに対して僕らはクラブシーンとの関わりは少ないし、アプローチこそ違うんですけど、共鳴できる部分はあるような気がします。 age 僕個人の出自がハードコアとかエモで、マインド的には今もそこが中心にある感覚があって、ハマってるんじゃないかと思います。 中川航(Dr./POINT HOPE 以下、中川) そこは重なりますね。僕がPOINT HOPEとは別でやってるsans visageというハードコア寄りのバンドのイベントに、ageくんがDJで出てくれた時に、彼のイメージにあったダンスミュージックで“躍らせる”スタイルではなく、エモとかポストロックを、“いい曲をかける”って感じで響かせてくれたんです。

[caption id="attachment_346624" align="alignnone" width="1440"]種 -Syu- L:中川航 R:中村歩己[/caption]

━━バンド単位でPOINT HOPEともっとも距離が近いのは、joeさんが冒頭で話されたようにravenkneeですよね。 joe POINT HOPEの存在は、うちのギターのkazuki(matsumoto)に教えてもらったんです。当時、僕らは“daydreaming”を世の中に喰らわせてやるぞって意気込んでたんですけど、彼らの“トンネルを抜ければ”を聴いて「まじか……やめてくれよ」って思いました。POINT HOPEに限らず、ravenkneeはgatoとPOINT HOPEとthe McFaddinを混ぜて爆音にしたバンドだとも言えるくらいに、みんなからは影響を受けてます。 ━━the McFaddinとPOINT HOPEだけは、まだ一度も交流がないんですよね。 keisho このあいだ東京でボン・イヴェール(Bon Iver)のライブを観に行った時に、加藤(Vo./POINT HOPE)さんにはお会いしました。Bon Iverを好きな人に悪い奴はいないと思うので、テンション上がってます。近いシーンでやっているのにも関わらず、一緒になる機会がなかったので、今回満を持してって感じで、お互いのライブの感想とかも言い合えたらなって思います。 中村 the McFaddinは音源を聴いたときに「これをライブでどうやるんだろうな」と思ったので、僕らも楽しみにしています。 age ravenkneeもポップだと思うんですけど、the McFaddinは“キャッチー”という言葉がはまる感じがしますね。アートワーク、音源、ライブ、あらゆる面ですごく色気があって、あえて変な言い方をすると、すごくエッチなバンドだと思う(笑)。 joe 僕がravenkneeの前にやっていたバンドの頃から、keishoとは出会ってて、この中ではもっとも古い仲間。めっちゃカッコいいです。 higashi 実はkeishoがravenkneeの初代ギターだったかもしれないっていう。 joe そうそう。gatoがエレクトロの部分で見習うべき仲間だとしたら、the McFaddinはフィジカル面を見習うべき仲間だと思っています。

種 -Syu-

━━イベントタイトルの「種」はどこから来たのでしょうか。gatoとravenkneeとはとりわけ関わりの深い、東京亜種というコレクティブもありますが。 higashi うちのkazukiも在籍するS亜TOHというユニットがやってるパーティ<亜>から自然と導かれた部分はあると思います。“亜”と言えば“亜種”みたいな。 ━━え?東京亜種ありきだと思っていました。 higashi 僕は東京亜種が立ち上がるって話を知らなかったんです。ravenkneeが2019年の最後のライブの後に、何やら集合写真を撮るらしいということで、ふらふら着いて行ったらそれが“東京亜種”で(笑)。あとは漫画の『寄生獣」ですね。「この種を喰い殺せ」ってシーンがあって、いいワードだと思いました。共存というか、一緒に頑張っていこうとは思うけど、仲良しこよし、馴れ合いみたいな感じにはしたくない。それぞれ固有の“種”ではあるんですけど、ちょっとダークでアンダーグラウンドな要素もありつつ、メジャーな世界を目指しているという共通点もある。そんな“種”同士が食い殺し合う勢いで戦って、相乗効果でいいものが生まれてほしいという願いを込めています。

種 -Syu-

age “種”は“一つひとつ”という言葉にあるニュアンスを示した言葉だと思うんです。僕らそれぞれが個人レベルから始まって、バンドやユニットといった演者単位になって、もちろんお客さんも含めて、そこに生まれる“種”の概念をどんどん拡張していけたらいいなって、思います。 keisho 今回の4バンドって、gatoがエレクトロで、ravenkneeはバンドとエレクトロの融合、僕らがいちばんロックなバンドで、ある意味gatoとは対極にいる感じがするんです。 ryosei yamada(Vo.&Gt./the McFaddin 以下、ryosei) どのバンドもカッコいいと思っていることはある程度共通しているのに、やってることは全く違う。そこにすごく魅力を感じます。 keisho だから、ジャンルの違いはほぼ意識したことがなくて、今回唯一関西から参加する僕らの立場からすると、東京の洗練された感じを採り入れていきたいですね。

[caption id="attachment_346625" align="alignnone" width="1440"]種 -Syu- L:ryosei yamada R:keisho maeda[/caption]

━━東京と関西の違いとは? ryosei 僕らが知る範囲のバンドシーンにおいては、技術的にパソコンを触れる人、それをライブで体現できる人は、東京のほうが確実に多いと思います。全体的な動きとして、新しいものを積極的に採り込んで、ブラッシュアップしていってるイメージが強いです。 keishoもちろん、京都、関西にもそういう人たちはいるけど、確かにそうだね。地域単位になると、東京だけでカルチャーがどんどん進んでいるような気がするんです。僕らはそこにある結界みたいなものをぶち壊したい。京都とか東京とか関係なく、もっと大きなスケールで、互いに刺激を与え合っていいものを追求していけたらなと、思います。 中川 その“結界を壊す”みたいなことに近い意識は僕らにもあります。さっきも話しましたけど、他の3バンドのように、クラブカルチャーに根付いたイメージはないと思うんですけど、やっぱりエレクトロも好きだし、今回はDJもたくさん出てくれるので、すごく嬉しいし楽しみです。 中村 ひとつの“種”だけだとやがて息絶えてしまう。いろんな“種”が混ざってこそ、新たなシーンが生まれ活性化していく。そこがこのイベントの醍醐味なんじゃないかと思います。 higashi まさにそうですね。僕ら以外に出てくれるゲストアクトも、そういう想いで呼ばせてもらいました。DJは今回、あえて個人ではなく、<Ajam>、<TIPS>、<FORM>と、近い志を持っているパーティ単位でブッキングしました。Group2(DJ set)は、以前asiaで<ZONE>というイベントをやっていた繋がり。illiomoteとJohnnivanは、一緒にやってそうなんですけど、いいタイミングのなかったバンド。kycohは若手でもっともおもしろいと思っているバンドで、今回はオープニングアクトですが、次は主催側にいるかもしれない。そういう新たな動きを感じられることは大きな魅力だと思います。 ━━そこにWez Atlasがいることも、すごく興味深いです。 higashi ヒップホップは今すごく元気がいいなかで、僕らから見たヒップホップの要素も入れていきたいと思ってるんです。その最初の一手がWez Atlasですね。僕らならではのミクスチャー感も、味わってもらいたいです。 joe そしてまた、それぞれに散って“種”を芽吹かせて、再びみんなで集まって何かやりたいって、気が早いですけどすでにそう思うくらいワクワクしてるんで、まずは1回目を楽しみにしていてください。

Text by TAISHI IWAMI Photo by 横山 渉

EVENT INFORMATION

種 -Syu-

SyU-種-×Ajam -clubasia 24th Anniversary-

2020.03.08(日) OPEN/START 15:00 渋谷clubasia&渋谷LOUNGE NEO ADV ¥3,000/DOOR ¥3,500(1ドリンク別) LINE UP: [-種- ACT] ravenknee gato the McFaddin POINT HOPE [-GUEST- ACT] Group2(DJ set) illiomote Johnnivan Wez Atlas Gi Gi Giraffe Omoinotake kycoh(O.A) [-亜種- ACT] 東京亜種 S亜TOH RiL valknee Us DVESHA SALICHANMODE Mari Sakurai [DJ] Ajam (遠藤孝行,斎藤雄,片山翔太,村田タケル) TIPS (斎藤雄,SHiN,YUU UMEMOTO) FORM (JUDGEMAN,tommy.arakaki,age) [VJ] Hello1103 OYAMADA [FOOD] みやん軒 ミンキッチン 詳細・チケットはこちら

種 -Syu-
ravenknee 東京を拠点に2017年12月始動。 同日「daydreaming(short ver.)」をYouTubeに公開し注目を浴びる。 2018年4月に自主制作盤『1st EP』を世に送り出し、8月には早々とSUMMER SONIC 2018に出演を果たす。 同年11月Debut EP「PHASES」を、2019年7月に「ubugoe」、9月に「Pick you up」を配信リリース。 そして10月には1st Full Album「the ERA」をリリースし、渋谷WWWにて自身初となるワンマンライブを12月に開催し成功を収める。 ドラマティックに高揚するエレクトロサウンドをベースに、イギリスや北欧を中心とした世界中の音楽的ルーツを唯一無二のセンスで色濃く抽出し、 エッジーに煮詰め、 ポップミュージックに仕上げられた楽曲たちが新たな時代の最前線を担う。

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種 -Syu-
gato 2018 年、突如インディーシーンに現れたエレクトロバンド《gato》。 昨今のムーブメントである post dubstep, future bass, hiphop といったジャンルを基調にしつつも、ゼロ年代 ドイツエレクトロシーンや北欧エレクトロニカの流れをも感じさせるバンドサウンドは、現行のインディーシーン において唯一無二の存在。 同年 12 月に、1st EP『Luvsick』を配信限定でリリース。当時全くの無名にも関わらず、表題曲「Luvsick」が TOWER RECORDS や HOLIDAY! RECORDS などのプレイリストに選出され、早耳リスナー間で話題を集める。 渋谷 Glad にて開催した同 EP のリリースパーティでは、カルチャーとしての音楽にフォーカス。 ヒップホップ・トラックメイカー・シンガー・DJ と表現の幅を絞らず、CIRRRCLE, pavilion xool,Utae など 同世代の多彩なアーティストを招集。初の自主企画ながらも 150 人超の動員を記録しソールドアウト。 2019 年 4 月、新メンバーとして sadakata(VJ) が加入し現体制に。ボーカル age の美声、曲を繋いで演奏する DJ ライクなパフォーマンス、映像と楽曲のシンクロ率の高さが武器のライブには定評があり、イベンター・DJ・ ブッキングマネージャーなど、各所から出演オファーが殺到中。多い月は 10 本近くイベントに出演することも。 初見のオーディエンスから対バンアーティストまでをも虜にし、着々とファンを増やしている。 時はサブスク戦国時代。Billie Eilish, BTS, Black Pink などを筆頭に、加速度的にボーダレスな化が進む 世界の音楽市場に向けて、日本発信で真正面から勝負できるアーティストになることを目指す。

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種 -Syu-
the McFaddin 関西を中心に活動中の5人組ロックバンド。 ヒップホップ、ニューウェイブ、エレクトロ等メンバーそれぞれのルーツとなるサウンドを詰め込んだ、1st Full Album「Rosy」を2019年7月に発売。ネットストアにおいて入荷後すぐにソールドアウトになるなど注目を集める。 同年9月に自身初の海外フェス公演を行い、全編現地にて撮影を行ったMV「N.E.O.N.」を公開した。 全編VJを導入しているロックバンドとして、多方面にて活動中。 現在では主催ナイトイベント「dip.」を京都METROにて定期開催しており、DJ、rapper、トラックユニットなど多彩なカルチャーをミックスしたパーティを行なっている。

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種 -Syu-
POINT HOPE Alternative music group from Tokyo

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SNS時代の心の痛みと孤独を歌うLAUVインタビュー|1stアルバム『~how i’m feeling~』が完成するまで

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LAUV(ラウヴ)の待望の1stアルバム『~how i’m feeling~』が完成した。2018年5月にプレイリスト『I met you when I was 18.』を公開し、その17曲とそれ以降にデジタルリリースされた3曲をCD化した日本独自企画盤が昨年4月に出てはいたが、ワールドワイドでのアルバムはこの『~how i’m feeling~』が初めてである。つまりこれが彼にとってのデビュー盤ということになるわけだ。 アレッシア・カーラ(Alessia Cara)からBTS(防弾少年団)まで6組のアーティストとのコラボレーション曲を含む全21曲は、ヒットポテンシャルの高いポップソングが多く並び、LAUVがソングライターとしてもシンガーとしても『I met you when I was 18.』から大きく進化していることがよくわかる。ただ、ひとつ気になることもある。ハッピーだったりロマンティックだったりのラブソングよりも、自身の心の痛みや孤独感を赤裸々に歌詞に綴った曲がやけに多いのだ。それはどうしてなのか。LAUVに話を聞いた。

Interview:LAUV

――遂に1stアルバムが完成しましたね。いまの気持ちは? すごくいい気分だ。今回、僕は初めてアーティストとしての自分の全てを見せることができたと思う。 ――アルバムには21曲(ボーナストラック含めて全22曲)が収録されています。全部で何曲くらい書いたんですか? 40曲くらいかな。いや、もっとあったかもしれない。だから選ぶのに苦労したよ。 ――21曲というのはなかなかの多さですが、そのくらいたっぷり入れることに拘った。 いや、単純に好きな曲を全部入れただけだよ。はっきり言って、いまの時代、ルールはないと思うんだ。 ――このアルバムのテーマについて話してください。 自分のなかのさまざまな部分を全て受け入れるということ。これは、ひとりの人間のなかに複数の人格が存在していることを描いた作品なんだ。それを表現するために6つのキャラクターを生み出した。紫は実在している僕、青は夢見がちで可哀想な僕、緑は間抜けな僕、黄色はポジティブな僕、オレンジはやんちゃな僕、赤は刺激的な僕。それらが合わさって僕という人間が形成されている。ひとりのなかにボーイバンドがあるような感じをイメージして作ったんだよ。 ――“Sims”のオフィシャル・ショート・フィルムにも出てくるその6つのキャラクターは、どのように生まれたんですか? 一緒に仕事をしている仲間と「アルバムの曲はすごく多様で、色とりどりのサウンドがある」って話をしているなかでアイデアがでてきたんだ。アルバムは、「自分は誰なんだ」「ネット上では自分をどう表現すればいいんだ」というような実存的な危機意識から作っていった。そういうところもこの6つのキャラクターに反映させている。自分のなかにあるのはひとつじゃなくて、いろんな側面があるということをみんなにわかってもらいたかったんだ。
――アルバム・タイトルを『~how i’m feeling~』とつけたのも、そのことと関係ある? まあそうだね。ある朝起きて、その日の感情だったり、その日はどんな自分でいるのかというのは、当然違うわけで。それを正直に歌いたかった。 ――前回のインタビューで「新しい家に引っ越してスタジオも作ったから、そこで制作することが多くなった」と話していましたが、アルバムもそこで作ったんですか? ほとんどの曲がそうだね。何曲かはほかの家で制作したけど、いわゆるレコーディングスタジオで録音した曲はない。レコーディングスタジオが好きじゃないんだ。 ――歌詞を見てみると、ハッピーなラブソングやロマンティックな曲よりも、あなた自身の心の痛みだったり孤独だったりを赤裸々に表現しているものが多いようですが、この1~2年は辛い時間が多かったのでしょうか? このアルバムの制作の大半は、2018年から2019年の初めにかけて起きたことを自分なりに消化することを意味するものだった。僕は多くの問題を抱えていて、寂しくて、孤独で、精神的に最悪の時期だったんだ。そこから抜け出したときは、以前よりもっと幸せを感じることができた。制作によって辛い日々を消化していったわけだね。 ――辛い状態に陥った理由を話すことはできますか? うん。話すのはかまわないよ。鬱病と強迫性障害だと診断されたんだ。具体的な理由はなく、ただどんどん不安になっていった。不安になる理由を自分で探して治そうとしてみたけど、無理だった。緊張と孤独からそうなってしまったようで、僕はもうひとと関わることができないし、生きていられないんじゃないかと思ったんだ。それがまさしく強迫性障害の特徴なんだけどね。どうしてもネガティブな思考にとりつかれてしまって、自分が誰かを傷つけてないか心配になってしまうんだ。みんなに嫌われているんじゃないか、僕は悪い人間なんじゃないかって考えてしまって、どん底状態だったね。 ――その時期は音楽に向き合うのも辛かったのでは? うん。2018年の大半はそうで、曲を作るのがきつかった。本当はその年にアルバムを作る予定だったんだけど、納得のいく曲が書けなかったんだ。セラピーや薬の治療を始めてから、ようやく曲が書けるようになったんだよ。 ――そうだったんですね。それを乗り越えて曲を作り、特に手応えのあった曲や新しい扉を開けることができたと思えた曲は、どれですか? “Drugs&The Internet”だね。初めて自分を追い込んで、これまでに作ってきた曲とは違うタイプの曲を作れたという実感があった。「クレイジーな曲ができた!」って思ったよ。現代を生きるひとはSNSのリアクションをどうしても気にしすぎてしまう。なんて言われるかを気にして、自分の行動を変えてしまったりとかしてね。僕にもそういうところがあって、さっき言ったようにみんなに嫌われているんじゃないかって考えにとりつかれたりもした。でもこの曲が書けたことで、これからは型に捉われずいろんな曲を作っていこうと思えたんだ。
――ほかに手応えのあった曲は? “El Tejano”もこれまでと違ったムードの曲だから手応えがあったよ。“Who”は初めてベルティングボイスで歌った曲で、やってみて面白かった。“Modern Loneliness”も大事な曲で、僕が長い間感じていたことを歌っているし、きっと多くのひとが共感してくれると思う。“Billy”はけっこう奇抜な曲でね。どこからともなく生まれた曲って感じなんだ。まあ、どの曲も自分なりに冒険してできたものだよ。『I met you when I was 18.』を制作しているときは全てを同じ場所で書いている感覚があったけど、今作は冒険しながら書いた感じだ。
――アルバムにはゲストを迎えてのコラボレーションで作った曲が6曲入っています。その6組についてと、一緒にやってみての感想を聞かせてください。まずアン・マリー(Anne-Marie)から。 ひとりずつ話すの? OK。アン・マリーは僕の友人のなかで最も面白いひとりだよ。いい意味でぶっとんでいて、よく笑い、一緒にいると元気をくれる。一緒に仕事ができてよかったよ。“fuck,I’m lonely”は僕がオリジナルの曲を送って、彼女に自分のパートを録ってもらって、すごくスムーズに進んだんだ。
――続いてアレッシア・カーラ。 僕は彼女のファンで、前から歌声が大好きだった。ライブも観に行ったし、すごく尊敬していたんだ。それで曲を送ったら気に入ってくれたので、彼女なりにひねりを加えてもらうように頼んだ。互いのメンタルの話をしたりして、僕らはすぐに仲良しになれたんだ。“Canada”の2番の歌詞は彼女が書いてくれた。そして素晴らしいアレンジもしてくれた。声も最高だよね。 ――L.A.を拠点に活動するシンセ・ポップ・バンドのLANYはどうでした? LANYとコラボしてほしいというファンの声がツイッター上に多かったんだ。ポール(・クライン)とは去年から会うようになって、互いに惹かれるようになり、LANYのツアー中に“Mean it”のアイデアを送ったら気に入ってくれて、それで彼が彼のパートを歌ってボイスメールで送ってくれた。で、そのあと一緒にスタジオで完成させたんだ。いつか一緒にライブでこの曲を歌いたいね。
――BTSとはどういうきっかけで? 去年、彼らがロンドンでショーをしていたときに初めて会った。すごくいいひとたちで、会ってすぐに彼らの“Make it right”のリミックスに参加しないかと誘ってもらったんだ。彼らのアルバムのなかで一番好きな曲だったから「もちろん!」って答えてリミックスをした。そのあと僕が作っていた曲で“Who”という彼らにぴったりな曲があったから、初めのバージョンを送ったら、ぜひ一緒にやりたいと言ってくれた。とても自然な流れだったね。 ――メキシコのソフィア・レイエスとはどうでした? 彼女とやるきっかけは面白いんだ。L.A.の家の近くに「El Tejano」というレストラン・バーがあって僕はこの曲を作ったんだけど、偶然彼女もそのお店が好きだったらしくて。曲を送ったら「私もEl Tejanoが大好きなの!」って(笑)。完璧だって思ったよ。そんなこと知らずに曲を書いたんだからね。そこはL.A.っぽくないバーで、引っ越してきた頃にいろんな経験をしたところなんだ。彼女とはMVも一緒に撮ったけど、すごく優しいひとだよ。 ――イギリスのアン・マリー、カナダのアレッシア・カーラ、L.A.のLANY、韓国のBTS、メキシコ出身のソフィア・レイエス(Sofía Reyes)、それに前回のインタビューで話題に出たオーストラリア育ちのトロイ・シヴァン(Troye Sivan)と、出身や拠点を置く国がそれぞれ違うわけですが、意識的にいろんな国のアーティストを相手に選んでいるんですか? いや、特に意識してそうしているわけじゃない。6組が異なる国の出身だって考えたことがなかったくらいで。本当に自然とそうなったんだ。でも自分と同じアメリカのひととばかりやるのはつまらないと思う。グローバル化って言葉は堅苦しくて好きじゃないけど、実際に音楽と文化がこんなにグローバル化している時代だし、いろんな国のひととコラボレーションするのを楽しみたいんだよね。
――ところで、いま世の中で起きていることで、あなたが特に関心のあることはなんですか? 人間同士の本当の繋がりについてのことかな。いまの時代って、みんなが孤独であることを共有している感じだよね。ソーシャルメディアは、気持ちを高めてはくれるけど、満たしてくれるわけではない。たくさんのひとと繋がっていても、人間同士の深い繋がりにはならないというか。関心があるのはそういうことだね。あと、メンタルヘルスの問題も。僕が「Blue Boy Foundation」という財団を立ちあげたのも、社会のメンタルヘルスの問題に取り組むためなんだ。 ――最後の質問です。アルバムを作り上げたいま、5年後にはどんな活動をしていたいと思っていますか? 僕は5年後や10年後のことを考えない人間なんだ。そんなことを考えるのはつまらないと思う。とにかく好きなことをやり続けて、人間的に成長したいね。振り返ったときに、ああ、いろんな新しいことに挑戦できたなって実感できる生き方をしていたい。既にもう新しい曲を作り始めているんだけど、これからもっとたくさんの曲を発表したいし、「Blue Boy Foundation」の活動にも力を入れたい。ツアーで回る先々でもメンタルヘルスの問題に取り組んでいる団体のひとたちと会って、サポートできることがあればしていきたい。あとフリースタイル・ダンスをもっとうまくなりたいね。

Text by 内本順一

LAUV LAUV(ラウヴ)。LAを拠点に活動するシンガーソングライター/プロデューサー。Lauvの由来は、母親がラトビア系であり、彼が獅子座ということもあり、ラトビア語のライオン「Lauva」の最後のaを抜いてLauvと名付けた。本名:アリ・レフ(Ari Leff)。ラウヴの名前を知らしめるきっかけとなったのは、彼がNY大学在籍時に発売したシングル「The Other」。そしてその後発売されたシングル「I Like Me Better」は世界的大ヒットを記録した。またチャーリーXCXの「Boys」(ゴールド・ディスク獲得)など、アーティストへの楽曲提供も行っている。2017年秋にはエド・シーラン来日公演のオープニング・アクトの出演が予定されていたが、エド・シーランのケガにより来日公演が延期となり、ラウヴの来日は中止となった。同年、デビューEP『ラウヴEP:ジャパン・エディション』を10月25日に発売。2018年3月、初の単独来日公演を代官山UNITで2回実施。2019年1月、トロイ・シヴァンを迎えたシングル「i’m so tired…」を発売。同年4月、デビュー以来デジタルで発売してきた全20曲を収録した来日記念盤『I met you when I was 18.』を発売。同年年5月、ジャパン・ツアーを東名阪で開催。2020年3月6日、全世界待望のデビュー・アルバム『~ハウ・アイム・フィーリング~』を発売。 Officialsite Facebook Twitter Instagram

RELEASE INFORMATION

〜ハウ・アイム・フィーリング〜 (〜how i'm feeling〜)

lauv Modern Loneliness 2020.03.06(金) ラウヴ (Lauv) LAUV/Traffic Inc. TRCP-260 ¥2,200(+tax) ボーナス・トラック収録/解説:内本順一/歌詞対訳付 Tracklist 1. Drugs & The Internet 2. fuck, i'm lonely (with Anne-Marie) 3. Lonely Eyes 4. Sims 5. Believed 6. Billy 7. Feelings 8. Canada (feat. Alessia Cara) 9. For Now 10. Mean It (with LANY) 11. Tell My Mama 12. Sweatpants 13. Who (feat. BTS) 14. i'm so tired...(with Troye Sivan) 15. El Tejano(feat. Sofia Reyes) 16. Tattoos Together 17. Changes 18. Sad Forever 19. Invisible Things 20. Julia 21. Modern Loneliness *リード・トラック 22. i'm so tired... (Stripped Live in LA)*ボーナス・トラック 詳細はこちら

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海を超えて出会った世界、聴こえた“音” ――フォーリーアーティスト小山吾郎

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Audio Technica
『Always Listening』がお届けするインタビューシリーズ。「超越」をテーマとして、このキーワードに紐づく人物にフォーカス。創造、表現、探求、感性、そして、なにかに没頭したからこそ感じることができる超越的体験について語っていただく。第3回目に登場するのは、フォーリー・アーティスト小山吾郎氏。 映画・ドラマの映像に合わせ、音を作り出し“映像に命を吹き込む”フォーリーアーティスト。そう、私たちが日々観賞している映像作品は、裏方のフォーリーアーティストによる緻密な工夫のもと制作された“音”によって成立しているのだ。今回は『クリード 炎の宿敵』(2019)、『メリーポピンズ・リターンズ』(2018)、『ブレードランナー2049』(2017)をはじめ大作のフォーリーを多数手がけてきた小山氏に、世界を舞台に活躍するまでのいきさつや、現場のリアルな“音”では出せない臨場感や抒情=ムードはいかにして生み出されているのか?について「超越」をテーマに話を聞いた。

Interview  フォーリー・アーティスト小山吾郎氏 映画館での原体験、父への想い

ーーまずはじめに、フォーリーアーティストについて聞かせてください。 フォーリーとは、映画やテレビドラマの音響効果制作の一部です。歩く、座る、食べる、壊すなどのあらゆる生活音や動作音を映像に合わせて人間が演じて、録音するプロセスです。実際に体や小道具を使って音を作り出す人をフォーリーアーティストと言い、日本ではフォーリーのことを生音(なまおと)とも呼びます。私はカナダのトロントを拠点に生音だけを専門にやっています。 ーー高校卒業後、映画制作の勉強をするためカナダへ渡られたとのこと。当初は映像の世界を目指されていたのでしょうか? 子どもの頃からアメリカ映画が大好きで、いつかハリウッドに行くぞ!って漠然と思ってました。カナダへ行ったのはホームステイの受け入れ先がそうだっただけで、特にカナダへ行きたかったわけではないんです。英語はどこでも一緒、と思ってたので。英語学校を終えて、サンダーベイという田舎町のカレッジで映画制作を専攻しました。その頃、トロントでアメリカ映画がたくさん制作されていると知って、スーツケースを持ってトロントへ行きました。 ーーどんなきっかけで映像から音へとシフトされたのでしょうか。 映画学校に通い始めた頃、父が病気で視力を失ったんです。散々迷惑をかけた親に、「いつか映画を作って見せてやらないと」という思いがありましたから、かなりショックでした。やめて帰りたいと何度も思いましたよ。そんな矢先に仕事を探しに出向いたトロントでサウンドスタジオを見学させてもらって、そこでフォーリーに出会ったんです。これがまったくヘンテコで素敵な仕事で。一目惚れでしたね。盲目の父のこともあり、すごく自然に「これやらなきゃ!」って思ったんです。その場で弟子入りを懇願しました。 ーー映画制作に携わりたいと思ったのはいつからですか?また、影響を受けた作品や、憧れた人物などあればお聞かせください。 小学生の時にテレビで観た『ロッキー』シリーズに完全にノックアウトされちゃいまして。『ロッキー4/炎の友情』(1985)を映画館に観に行った時、満員で立ち見だったんですけど、上映の最中に画面から目を離して、お客さんの顔を見ていた瞬間があったんです。「外国から来た映画に、なんでこんなに人が夢中になるんだろう?」ってすごく感じました。観る事だけじゃなくて、映画を作る事、作る人に興味が湧いた瞬間でした。一昨年、ロッキーシリーズ最終章である『クリード 炎の宿敵』の依頼があった時には、飛び上がりましたよ。録音している間ずっと、あの『ロッキー4/炎の友情』の映画館へタイムトリップしたような、不思議な気持ちでした。 ーー“この映画のこのフォーリーは素晴らしかった”と小山さんが感じた作品を教えて頂けますでしょうか。 沢山ありすぎて絞れませんが、『カンバセーション・・・盗聴・・・』(1974)とかフランスの『デリカテッセン』(1991)なんかは作品に音があふれていてゾクゾクしますし、音としては『未来世紀ブラジル』(1985)の机を引っぱり合う音、『七人の侍』(1954)の馬の蹄と泥しぶき、『メン・イン・ブラック』(1997)のJが試験会場でテーブルを引きずる音、『バートン・フィンク』(1991)のモーテルの壁紙が剥がれる音、最高ですよね。作った人たちの遊び心と本気さが伝わってきて、たまらないですよ。『メン・イン・ブラック』と『バートン・フィンク』の音を作ったマルコ・コスタンザ氏には『メリーポピンズ・リターンズ』の時に会う機会があって、本人に直接言いましたよ。「You are my hero for making that sound !(あの音を作ったあなたはヒーローだよ!)」って。 ーー小山さんがフォーリーアーティストとして関わった作品で特に印象に残っているのは? 『クローバーフィールド/HAKAISHA』(2008)、『オール・イズ・ロスト/最後の手紙』(2014)、『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)は難しかったものとして印象に残っていますが、一番はまだ駆け出しの頃にやった『チャイルド・プレイ チャッキーの花嫁』(1998)ですね。映画としてはお勧めしにくいんですが、当時強烈に印象に残ったという点で挙げるとこの作品です。絶対にハリウッドしか作らないタイプの映画でしょう。「ハリウッド映画キター!」という、悪ノリ一直線! な作品(笑)。でも、チャッキーの足音をやれた時はすごく嬉しかったのを覚えています。足音は、ゴム人形っぽさを出したい場面では小さな子供靴を手にはめて、その中に宿る殺人鬼を表に出したい場面では大人の靴で体重を乗せて、といった風に演じ分けようと頑張って作りました。映画が破茶滅茶な分、遊び心に溢れていて、音を作るのも自由奔放な感じでしたね。 それと、私の盲目の父が2018年に他界したんです。私が作った『クリード 炎の宿敵』のロッキーの足音は聞かずじまいだったんですが、亡くなる少し前に『グレイテスト・ショーマン』(2018)をわざわざ映画館まで聞きに行ってくれて、「楽しい音がたくさん聞こえた」って言ってもらったのは、本当に嬉しかった。それも私にとって特別な思い出の作品になりました。 Audio Technica 続きはこちら

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斉藤アリスと行くとらや 赤坂店、吉野ヒノキで魅せる伝統とモダニズム

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斉藤アリス
室町時代の後期、京都で創業された和菓子の老舗・とらや。そのフラッグショップともいえる赤坂店がリニューアルオープンしたのは、2018年10月のこと。 世界的にも有名な建築家・内藤 廣氏によって手掛けられた店内は、壁から天井に至るまで奈良県産の吉野ヒノキをふんだんに使用。細やかな木目と柔らかな色味がおりなす温かくも洗練された空間は、和菓子のもつ繊細な美しさがそのまま表されたかのような建築となっています。
斉藤アリス
吉野ヒノキの香りが漂う店内
斉藤アリス
2F・売場
斉藤アリス
斉藤アリス
3F・虎屋菓寮
見た目に美しく、触れて心地よく、そして香しい店内。 今回は、モデルでありカフェライターとしても活躍中の斉藤アリスさんに『とらや赤坂店』でのひとときを過ごしていただきました。 斉藤アリス

インタビュー:モデル・ライター 斉藤アリス

――こちらの赤坂店には今回初めて来店されたそうですが、とらやさんの和菓子を召し上がったことはありますか? はい。とらやさんと言えば羊羹が有名ですが、葛切りやあんみつもすごく美味しいですよね。身体中に染み渡るような濃厚な甘さが本当に美味しくて。それから、私の地元・愛知県西尾市はお茶の名産地なんですけど、お茶づくりが盛んな土地には和菓子屋さんが多かったり、小学校でも茶道の授業があったり、和菓子は小さい頃からよく食べていましたね。
斉藤アリス
あんみつ(黒蜜)
斉藤アリス --アリスさんにとって和菓子は馴染み深いものなんですね。では、今回は実際に赤坂店に来ていただきましたが、店内の雰囲気や内装など、どんな印象を持たれましたか? 陽の光がたくさん入る構造になっていたり、細い木を組むことで浮遊感のあるエアリーな空間になっていて、すごく気持ちがいいですね。それと、お店に入った瞬間にすごくいい香りがしました! 初めて来たのに居心地が良くて、木の奥深い香りがすごく落ち着きます。 以前、日本アロマ環境協会主催の「東京2020」をテーマにした香りを何百作品もの中から決めるというイベント(AEAJイメージフレグランスコンテスト)で審査員をさせていただいたことがあり、その作品の中にヒノキを使っているものがとても多かったんです。その時に、海外の方にとってもヒノキの香りはすごく日本を感じるものなんじゃないかなと思ったことがあって。日本の侘び寂びみたいなものを日本ならではの木の香りで感じてもらうのはとても素敵だなと思いました。とらやさんではこれだけたくさんの木を使っているので、わざわざ香りを焚かなくても本物のヒノキの香りが漂ってきますよね。 --都内でもここまでふんだんに木を使った建物は他に見られないのだとか。「簡素にして高雅」というコンセプトを基にデザインされたそうです。 斉藤アリス
斉藤アリス
伝統的な組子を新たにデザインした千本格子
斉藤アリス
売場から虎屋菓寮へ繋がる螺旋階段
斉藤アリス 斉藤アリス 続きはこちら

SHOP INFORMATION

とらや 赤坂店

住所|東京都港区赤坂4-9-22 電話|03-3408-4121 営業時間| 直営店 8:30〜19:00(平日) 9:30〜18:00(土日祝) 虎屋菓寮 11:00〜18:30(平日) ラストオーダー18時 11:00〜17:30(土日祝) ラストオーダー17時 ※ランチタイム 11:30〜14:30 詳細はこちら

取材・文:野中ミサキ(NaNo.works) 写真:佐藤大輔 ヘア・メイク:つばきち

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自分達だけじゃない抜きの美学。sankaraが織りなすカルチャーを探る

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柔らかく心地いいRyoの歌と、熱を内に秘めたしなやかなTossのラップ、等身大の感情が綴られた彼らの音楽は、優しくもあり情熱的だ。sankaraを結成してからすぐの頃はくすぶっていたという彼らだが、昨年には初のEP『BUD』をリリース。それからは精力的な動きでシーンでの存在感を強めていった。 たなかみさきやニシクボサユリとのコラボに始まり、10月からは3ヵ月連続で配信(“Walking the river”、“Train”、“Callin”)リリース。その間TOKYO HEALTH CLUB、SUSHIBOYS、SPiCYSOLを招いたツーマンツアーを行うなど、様々なフィールドで活躍する感度の高いクリエイター、アーティスト達と交わることで、彼らのクリエイティブの領域は大きく拡張された。そうした経験が反映された新作が、2枚目のEP『SOP UP』である。既存の3曲に新曲3曲を加えた6曲入りで、中でも“Elevator”という懐の深い1曲からは、これまでにはなかったスケールを感じるはずだ。 ジャケットはドローイングアーティスト、SUGIが手掛けるなど、益々カルチャーとコミットしながら成長していくふたりの現在に迫る。

Interview:sankara

ーー新作の『SOP UP』ですが、おふたりにとってはどんな作品になりましたか。 Toss 僕的には、ちょっと前向き(笑)。前まではアンダーグラウンドでくすぶっている自分達の描写が多かったけど、去年いろんな経験をして、ちょっとずつ楽しくなってきたその気持ちがそのまま出ています。 Ryo 僕も一緒ですね。前回から引き続き反骨心は持っているんですけど、前に進みたいって思っている僕らの内面を曲に出しつつも、去年よりも優しくなれたのかなって思います。 ーーそれまでくすぶっていた理由と、去年一気に動き出せた理由はなんだと思いますか? Toss sankaraを組む以前からふたりで音楽はやっていたんですけど、sankaraを結成した時には、僕らは結構慎重になっていて。自分達がどういう音楽をやりたいのか見つめる時間を1年くらい作って、そこで見つけた音楽をどういうふうに世に出すかっていうことを同時進行で考えていました。 ーーそのくらい慎重に進めたかった? Toss もはや、ただいい曲を書けば世の中に広がるっていう発想はなくて、どうやったら広がっていくのかっていうことは凄く考えていました。今はカルチャーやアパレルと絡んでいくことで、自分達の音楽に相乗効果が生まれると思うんですけど、それは僕らが持っている手札ではできなかったことなんですよね。そこで今の事務所と出会ったのも運命的で、今はそういう部分で助けてくれる人がいるし、これをやったらカッコいいっすね!っていうことをシンプルに話し合えているので、ノーストレスで楽しくやれています。 ーー昨年には、たなかみさきさんや、ニシクボサユリさんとのコラボもありましたが、一緒に制作することで新しい発見や気づきはありましたか? Ryo 新しい層に届いたことですね。届けたくても届かせられなかったところに、踏み入れられたかなって思います。 Toss そういうカルチャーを好きな人が、僕らの音楽を聴いてどう思うんだろうっていうのが凄く楽しみだったし、だからこそ、たなかみさきさんとニシクボサユリさんが僕らの音楽をどう感じるかってことが超重要で。ふたりがちょっとでもフィールしてくれたら、お客さんにも広がっていくだろうなって思いました。僕自身ニシクボさんのTシャツはプライベートで愛用するくらい好きだし、いい関係になったなと思います。 ーー誰かと一緒にやる時は、作品はもちろん、まずは互いの人間性が大事だと。 Ryo まさに。僕らのこと好きですか? 僕はあなたのこと好きです、みたいな感じで(笑)。あとはカッコいいっすね、それ。って言えるかどうか。 Toss そう。カッコよければいい。 ーーTOKYO HEALTH CLUB、SUSHIBOYS、SPiCYSOLとのツーマンライブはどういう出会いになりましたか? Toss TOKYO HEALTH CLUBはニコアンドのフェスで一緒になった時、話した瞬間にバイブスが合って。SUSHIBOYSは、現場で初めましてだったんですけど、彼らや、彼らのお客さんが僕らを聴いてどう思うかが超大事で、SUSHIBOYSと僕らはライブが終わった後に仲良くなったイメージ。お互い最初は人見知り気味にニコニコしていたところから、ライブが終わった後にはおつかれ!ってなった。それは凄く自然なことで、よかったなと思います。 ーSankaraとの共通点、もしくは決定的に違うけどリスペクトできるところってなんだと思いますか? Toss MC聞いてると沸々と熱いものは感じるし、根底にヒップホップやブラックミュージックがあるところは共通していました。 Ryo 確かに、アウトプットは違うけど、お互い掘っていくと同じところにアンテナ張ってるところはあったよね。 Toss TOKYO HEALTH CLUBも一緒で、僕らとは一見違うようにも見られるんですけど、根底には通ずるものがあるなって思います。 ーーSPiCYSOLは? Toss 結構長いこと関係値があって、もう3年くらい一緒にやってきて仲もよかったので、必然の空気ができてたかな。仲良いからこそお互い殺し合うようなツーマンをする関係だし、馴れ合いにはなってない。SPiCYSOLとツーマンできてよかったです。
ーーつまりおふたりの中にビジョンはあったけど、手札がなかったという状態から、一気に外と繋がっていったのが昨年後半の動きだったと思います。実際今は世界のシーンを見ても、チームやコレクティブで動いていくアーティストが多い時代ですが、おふたりも繋がりを増やしていきたいという気持ちがあったんですか? Ryo ありましたね。 Toss まさにそうで、たとえば僕らはトラックを作れないので、プロデューサーや関わってくれた人はいわばそこの職人さん達なんです。で、僕らはラップと歌を職人として作って、それが合わさってできた作品をその道のプロに羽ばたかせてもらうイメージで。今回の『SOP UP』も「吸収」という意味なので、僕らはいろんな人のいいところをスポンジのように吸収して、作品としていいものを世の中に出す。それで自分達が満足できたらハッピーだなって思います。 Ryo 僕らが素直になったっていう感じかな? Toss うん。大人になった。 Ryo そうだね(笑)。カッコいいと思ったものに対して僕らは正直だし、自分達よりカッケぇって思った時は、素直に「あなたカッコいいです、助けてください」って言えるようになりました。 ーそのメンタリティは3ヵ月連続リリースの曲(“Walking the river”、“Train”、“Callin”)には反映されているんですか? Toss めちゃめちゃ反映されてますね。3曲ともバラバラな世界観だったし、僕はラップを書く時には、それぞれの楽曲の持つ世界観に乗っかりたい気持ちがありました。 Ryo 割と今までは僕らの内面や生活を知っている仲間にトラックを作ってもらっていたので、自分達の音源を聴いてもらって、そのイメージで曲を作ってもらうっていうことが初めてだったんです。 Toss 僕らも送られてくる曲を聴いて、「俺らってこんなイメージなんだ」って楽しんでたよね。
ーーどんなイメージを持たれていると思いました? Ryo 意外と明るいと思われているんだなって(笑)。 Toss あはは。 Ryo 割と陰なイメージを持たれていると思っていたんですけど、意外と僕らのハッピーな部分を感じ取ってくれていて。ちゃんと曲を聴いてくれているんだなって思いました。 ーーリリックからは、決意表明的なところもある印象でした。 Ryo 決意表明という意識はなかったんですけど、きっと今自分達がそういう状況にいるってことを心のどこかでわかっているから。勝手に言葉になって出てきているのかな。 Toss リリックには普段の僕らがそのまま出ているので、現在、自分が考えていることですね。やっぱりフィクションよりもノンフィクションで自分のことを書く。ただ、赤裸々に書くんだけど言葉は選んで、アートに昇華しようっていうのがsankaraのスタイルだと思います。 ーー『SOP UP』の中で、一番新しい自分達を出せたと思う曲はなんですか。 Toss 最後の“Elevator”は僕らにとっても新しい世界観になっています。たとえば自分が車の中でラジオを聴いてたら、洋楽だって思って聴いてたところにいきなり日本語が出てくる時のサプライズが僕は好きで。“Elevator”は英語でバーっとRyoのボーカルがきた後に日本語でラップが入っていくので、そういうサプライズになり得る曲だなって思います。 Ryo トラックのアプローチも今までにはない作り方をしていて、まず、僕らにはアッパーがなかったんです。まあ、これをアッパーと言ってもらえるかはちょっとわからないんですけど(笑)、英語もあそこまでフルでやることはなかったから、全部新しかったよね。アゲです。 Toss そこは推さなくていいから(笑)。
ーー(笑)。ちょっと余白やスケールの大きさを感を感じる曲だと思いました。 Toss 確かに。スケール感はダントツですね。今まではミニマルにライフスタイルに寄せて、部屋の中っていうイメージだったのが、やっとちょっと外に出た感じです。 ーーsankaraの新しい側面を出せた新作ができましたが、これからRyoさんはどういう歌を歌いたいと思っていますか? Ryo サビを歌う者としては割とジャンルは関係なくて、BLさんとか今でいうPUNPEEさんもそうですけど、僕はsankaraのフックになる立ち位置にいたいと思います。彼のリリックに熱がこもっていたら僕の歌はそれを冷まして浄化させる場所になりたいし、もちろん曲によってはそのままストレートに熱を追加していく役割にもなりたいし、sankaraのいいところになれればなと。 ーTossさんはどういうラップが好きですか? Toss チルな感じですね。EVISBEATSさんや田我流さんの世界観が大好きす。僕はあの辺がドンピシャなんです。自分がそうなれたらいいなっていうのは違うんですけど、そこにさらに新しい要素を持っていきたいっていうのは、しょっちゅう考えています。あと、僕はラップを広げたいっていう気持ちが凄く強くて。「ヒップホップ」って言ったら文化になるのでちょっと変わってくるんですけど、「ラップ」を広げるっていうのは僕は行けると思っています。 ーーというのは? Toss NHKでもっとラップがかかってもいいよねっていう感じですね。素晴らしい歌詞や世界観はいっぱいあるけど、やっぱり日本だと...…。 ーーラップっていうだけでマイノリティになり過ぎる? Toss そう。それを変えたい。僕はそこを凄く意識してリリックを書いています。で、そういうラップを広めたいっていうマインドをsankaraに落とし込みながら、ボーカルで中和してもらうことでいいものになるっていうのが、僕らのいいところだと思います。 ーー中和するっていうのは? Toss 僕は我が強いので、その我を抑えてくれる場所っていう感じですね。僕はそれって凄く大切な作業だと思っていて、個人的にはアルバムを通してそれを凄く学びました。 ーーある意味、「俺!」っていう作品にならないところがsankaraのいいところ? Ryo あはははは! Toss そうですね(笑)。俺俺しているのもカッコいいと思うんですけど、sankaraのいいところはそこじゃない。ちょっと抜きの美学というか、グループで学ぶのが素晴らしいことだと思っています。 ーー最後にこの作品を出して今年どういう風に過ごしていこうと思っているのかを聞かせてもらえますか。 Ryo 待ちに待ったワンマンができるので、とりあえずそこですかね。新しい自分らにならないといけないし、確実に楽しませるつもりでいくよね。 Toss もちろん。 Ryo sankaraだけでライブ会場を埋める景色を見たいですね。その後は引き続きいろんな人と絡みながらチームを大きくして、みんなで上がって行きましょうっていう感じですね。

Text by 黒田隆太朗

sankara ラッパーのTossとヴォーカルのRyoからなるグループ。 二人とも幼き日を海外で過ごし、本場のヒップホップやR&Bに触れて育つ。その豊かな音楽経験によって培われたセンスを活かした、アーバンでスムースなトラックと、英語と日本が溶け合うような歌詞やメロディー。まさに“sankara節”と言えるオリジナリティは、生活にそっと寄り添う優しい肌触りや、パーティを彩る華やかさ、今を前向きに強く生きられるアンセム性など、さまざまな魅力を持っている。新しい世代の感覚を以て、聴く者のシチュエーションとともに育つという、ポップソングの持つ普遍性を更新するパフォーマンスは必聴必見だ。 official site Twitter Instagram YouTube Apple Music Spotify

EVENT INFORMATION

Advent Calendar

sankara 3月10日(火) 19:00-23:00 hotel koe tokyo ENTRANCE FREE LIVE sankara DJ BAKU(KAIKOO) DJ SHOTA YACHA Alexander Lee Chang マキシマム・ザ・ハラミ hotel koe tokyo

sankara「SOP UP」release party FUK

3月14日(土) OPEN 19:30 福岡MERICAN BARBERSHOP FUK 前売券 ¥2,500(D別)/当日券 ¥3,000(D別) 出演 sankara ケンチンミン DJ KRO DJ AKITO RYOKO 週末CITY PLAY BOYZ NOSK Mr.coNYroo DJ SHOTA チケット

Sankara「SOP UP」release party

sankara 4月25日(土) OPEN 17:00 WALL&WALL 前売券 ¥3,500(D別)/当日券 ¥4,000(D別) チケットはこちら

RELEASE INFORMATION

SOP UP

sankara 2020.03.11(水) sankara RR-006 Rure Records ¥1,800(+tax) sankara HP sankara Twitter

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HARLEY-DAVIDSON®×GraphersRockのコラボプロジェクト再始動!<RE_SEEK for FREEDOM>の「RE」に託した意味とは?

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ハーレーダビッドソン
HARLEY-DAVIDSON®GraphersRockのコラボレーションプロジェクト<SEEK for FREEDOM>が、<RE_SEEK for FREEDOM>として新たに始動。昨年は、GraphersRock/岩屋 民穂氏が独自の世界観から生み出したオリジナルデザインのIron 1200™を披露。世代や性別、さらにカルチャーの壁を越えて大注目を集めた。 ハーレーダビッドソン 2020年もまた岩屋氏とタッグを結成。今回は『ストリートロッド(XG750A Street Rod®)』のデザインに挑み、なおかつ台数限定で販売するという仕掛けを用意した。 その新プロジェクト名に冠された“RE”が意味するのは、Reply(リプライ)=返答。果たして<RE_SEEK for FREEDOM>は、1年前のプロジェクトに対してどんな返答を発信しようとするのか? アートディレクターの岩屋氏本人にその真意をたずねた。

昨年のプロジェクトで若い世代に何かしらリーチすることができた

──まずお聞きしたいのは、ハーレーのオリジナルデザイン・プロジェクトを今回も担当する感想です。率直にどんな気分ですか? 世界的なブランドから2年連続でオファーをもらえるというのは、かなり珍しく、それだけに非常に光栄なことだと感じています。自分なりにその理由を推察してみると、前回の<SEEK for FREEDOM>の目的の一つだった、ハーレーとの縁が薄かった若い世代、つまり僕のデザインが届いていると思われる層に向けて、何かしらリーチすることができたからだろうと、そんなふうに考えています。とは言え非常に高価なプロダクトですから、昨年のアイアン1200を見てすぐにハーレーを購入するというのは稀かもしれません。ただ、彼らの中にハーレーの記憶が宿り、「いつかは!」という思いが刻まれたのであれば、プロモーションとしても成功ですよね。加えて、オリジナルデザインのハーレーをつくるだけでなく、僕と親交が深いゲストを招いていただいたお披露目イベントも企画され、総合的にハーレーの新しい表情が発信できたことも、このプロジェクトが再始動した原動力になったんじゃないでしょうか。 ハーレーダビッドソン ──昨年のプロジェクトを経て、岩屋さんにはどんな影響がありましたか? 昨年の<SEEK for FREEDOM>お披露目イベントが終わった後、同世代の知り合いがハーレーを購入しました。あれはうれしかったなあ。それ以外だと、こうしてまた今年もお声がけいただいたのが最大の影響と言えるかもしれません。困った、というわけではありませんが、PUMAに続いてハーレーというビッグネームの仕事が連続したことで、変に巨匠っぽく見られるようになってしまいました。新しい仕事のオファーも、間接的に探りを入れるような形で入ったりして……。僕自身は特に変わっていないので、できればこれまで通りシンプルに、むしろ雑に扱ってほしいと、この場を借りてお願いします(笑)

自分が手掛けた製品が誰かの一部になる価値

──今回のプロジェクト名には「RE」がつきました。返答を意味するReplyですが、その意味について教えてください。 ハーレーをデザインしてお披露目するというのが昨年のプロジェクトの流れでしたが、それですべてが終わった感じにはなれませんでした。なぜそんな消化不良のような気分が込み上げたかというと、流通するプロダクトモデルにはできなかったからです。計画の当初では製品化の話も出ました。しかしその時は世界に1台のコンセプトモデルの完成を目指すことになった。もちろん異論はありませんでした。デザイナーとしてあれほど特異なデザインを許してもらえる機会は滅多にあるものじゃないですし。けれど、マスプロダクトに落とし込めなかったことが個人的に気がかりだったのは事実です。 ハーレーダビッドソン ──製品化にこだわるのはなぜですか? 続きはこちら

Text:田村 十七男 Photos:Masato Yokoyama

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中国の音楽レーベルCEOが伝える、上海インディ市場攻略の基本

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上海インディ市場攻略
ストリーミング市場を中心に、急成長を遂げる中国音楽市場。「自分の音楽を中国のリスナーさんにも届けたい」と考えるバンドマンや音楽関係者の方も多いのでは? 今回お話を伺ったのは、中国上海市を拠点とするセレクト⾳楽レーベル〈Luuv Label〉のCEO、盧佳霊(ルー・ジァーリン)さん。 日本留学を経て、日中双方の文化を深く理解する盧さんは、中国国内にて日本、台湾のアーティストのイベントの企画ならびに、大手レーベルによる日本のアーティスト招聘プロジェクトにも参加するなど、中国国内の音楽事情を幅広く知る貴重な存在です。 そんな盧さんに、「中国へ進出したい場合まずは何をすれば良いか?」 「日本の音楽シーンから寄せられた質問」についてお聞きしました。 (聞き手:中村めぐみ @Tapitea_rec) ※当記事は2020年3月時点の情報です。

Profile:盧佳霊(ルー・ジァーリン)

上海インディ市場攻略 Luuv Label CEO。 中国上海市出身、生年月日非公開。 小学生の頃「打口碟(読み:ダーコウディエ)」を売る闇市(ディープなお店)へ足を運んだのをきっかけに多くの海外の音楽に触れ、数年間「打口碟ディグ」をするのが日常に。 ※打口碟とは?…主にアメリカから中国へ廃プラスチックの名目で輸入され、盤面の一部に穴が空けられた状態(=打口)で販売されていたCDのこと。 上海の大学を卒業後、外資大手広告代理店にて勤務する傍ら、自身もバンドマンとして2013年より日本・台湾など国外のアーティストを招いたフェスを企画。その後日本の立教大学大学院へ留学しMBAを取得。 大学院在学中に、2017年頃よりそれまでDIY活動であったLuuvLabelを本格創業し、2018年には坂本慎太郎、PAELLASなど日本アーティストの中国ツアーのブッキングを手掛ける。現在、evening cinemaの日中ソフトマネジメントも担当。 社長業のほか自身もバンドマンとして、Forsaken Autumn(バンド)、盧盧盧(ソロプロジェクト)にて音楽活動を展開する。 レーベル公式サイトレーベル公式TwitterInstagram 

メディアの後押しにより注目を浴びるインディー・ロックシーン

ーー中国のカルチャーシーンで、インディーズ・ロックはどのような立ち位置でしょうか。 2019年にインディーズを中心としたロックバンドのオーディションテレビ番組『乐队的夏天(英文表記:The Big Band)』がはじまると、刺猬 Hedgehog新裤子 New Pants盘尼西林 Penicillin痛仰 Miserable Faithなどの人気バンドが続々と誕生しました。 またこの番組に出演をきっかけにラグジュアリーブランドの広告に起用されるなど、露出のチャンスを獲得できたロックバンドも。かつて大人たちから「ロック=悪い人がするもの、よくわからないカルチャー」と思われていた中国のインディーズシーンは、メディアの後押しにより徐々に日の目を見るようになった、と言えるでしょう。 ーーなるほど、たとえば中国で人気のヒップホップカルチャーと比較するといかがでしょうか? ヒップホップシーンの存在感にはまだ及びません。イベントの動員規模もラップアーティストの方が大きいですね。でも『乐队的夏天』のお陰で、相当一般のリスナーを惹きつけました。そして中国では、映画やTVドラマ、アニメのタイアップから新しい音楽に触れるライトリスナー層が大半を占めています。 ーー上海のシーンの聴取傾向はありますか。 国際都市である上海では、海外文化の影響を受けるバンドも多く、日本、アジア諸国でも人気のシティポップなどにも興味津々です。一方、中国ロックのはじまりの地である北京では、P.K.14、RE-TROSなど、ポストパンクの人気が根強いですよ。
上海インディ市場攻略
2018年、坂本慎太郎中国Tourの様子 at Omni Space Beijing
ーーそんな中国、上海市場に進出したい日本のアーティストは、何からはじめれば良いでしょうか? ストリーミングへの登録はマストです。実際、中国ツアーを成功させた日本のインディーズバンドのいくつかは、音楽性や才能に加え、数年前に中国のファンが勝手にアップロードした音源がその火付け役でした。ですが現在は著作権保護の対応が進んでいますので同じ現象は起きにくいでしょうね。日本からぜひアプローチしてもらえましたらと。 そして個人的に叫びたいことは(笑)、中国の有名なストリーミングアプリによる公式リコメンド機能は、海外のプラットフォームと比べて、音楽性そのものにはまだフォーカスされていないのでは!?と感じています。 ーー日本で普及しているストリーミングサービス、たとえばSpotifyとは具体的にどのような違いがありますか。 音楽性に目を向け、無名のバンドを支持する姿勢です。日本Spotifyの公式プレイリストでは、有名・無名を問わず良質な楽曲がピックアップされた結果、そのアーティストに興味を持ったり、ライブに足を運んだりするリスナーさんもいますよね。 一方中国では、プラットフォーム公式のおすすめは現在、既に知名度が高い、人気アーティストの楽曲ばかりです。アルゴリズム、AIロジックがおそらく海外のものとは微妙に違っていて、人気のアーティストばかりがリコメンドされる仕組みになっているものと推測します。……闇だわ! 中国のストリーミングサービスも、知名度ばかりではなく、良質なバンドを発掘する姿勢を持ってもらえると良いな、と音楽好きの一人として思います。
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盧社長おすすめのバンド 肆囍
ですので、本気で多くの人に聴かれたい、と思うアーティストはストリーミング配信だけではなく、中国版のTwitterであるWeiboの音楽インフルエンサーセルフメディア「邦摇30s」、「Subjpop」などを用いて地道にプロモーションを重ね、自分の音楽を支持してくれるファンの方と出会う努力が必要です。 ちなみに中国の大手ストリーミングサービスはSNS機能も備えているため、プラットフォームから文字情報、写真など詳しい情報を拡散するのも可能ですよ。 ーーSNSのフォロワーを増やすためのコツは? 「個性を隠さず発信した上で、音楽コンテンツを継続的に投稿する」。たとえば極端な話、ヴィジュアルに自信があるなら自撮りを載せて注目をあつめるのもアリですし、そうではないなら、なりふり構わず自分らしい発信を心掛けると良いでしょう。 私は日中両方のバンドマンとお付き合いがありますが、日本のアーティストは謙虚だなあ、と感じます。控えめなのは美徳ですが、もし中国への進出を考えるのであれば、プライドを捨てて、ストレートに自己表現してもらえましたら、と思いますね。 ここまでを整理すると、日本のアーティストが中国へ進出するためには、(1)英語、中国語をめちゃくちゃ勉強するか、エージェントを探してストリーミングに登録する。(2)Weibo、ストリーミングをはじめてフォロワーを増やす。そして次のステップとして、(3)中国ツアーを企画する。 これが上海をはじめとした中国インディーズ市場に進出するための基本の「き」です。 ーーとはいえ事務面の手続きや言語面により二の足を踏んでしまう方も多いと思います。〈Luuv Label〉に支援を依頼したい場合はどうすれば良いですか? 私たちは日本語が堪能な社員とともに、日中双方の音楽文化の理解を促進するプロジェクトを積極的に進めています。インディーズアーティストの方に使ってもらいやすいサービスとして、「中国三大ストリーミングサービス(Netease Music163・xiami・QQ音楽)weiboアカウント開設代行」を提供中です。お求めやすい価格ですし、飛び込みも歓迎ですので、お気軽に問い合わせをもらえましたらと。

ショッピングモール内で存在を示し、若者の娯楽の選択肢になるライブハウス

ーー上海のライブハウスの状況やキャパについて教えてください。数年前は市内に2軒しかライブハウスがない、という情報もありましたが。 現在は上海市内に約10件のライブハウスがあります。 1,000人以上のキャパを有するのは、バンダイナムコが運営する万代南梦宫上海文化中心の1F大ホール梦想剧场 DREAM HALL、2Fには小規模(550人キャパ)の未来剧场FUTURE HALLもあります。メジャーアーティストはもちろんのこと、アニメ、声優さんのイベントも多く開催されます。 そして、大手レーベル、〈モダンスカイ〉が運営するMODERN SKY LAB。ショッピングモール瑞虹天地の中にあり、音響レベルは上海でトップクラスです。また運営母体がレンタルリース事業も営むVAS(ワースー)も1,000人規模です。
上海インディ市場攻略
上海で人気の新人バンドLoft Beach at MODERN SKY LAB
中規模のライブハウスは、全国チェーンのMAO LIVEHOUSE SHANGHAIで、キャパは約800~1,000人くらい。もう一回り小さい規模感のLofasは約600人キャパですね。
上海インディ市場攻略
Lofasの様子
そして、インディーズアーティストが多く出演する老舗、育音堂の1号店はキャパ200人、複合モール米域・这里内にある2号店は400人です。最初に上海でライブをするインディーズバンドは育音堂を目指すと良いですよ。
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育音堂一号店にて
上海と東京の違いは、上海ではキャパが200人以上のライブハウスが中心で、ショッピングモール内にあるライブハウスも多いことが挙げられます。
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PAELLASのライブの様子 at 育音堂二号店
ーー人口が多いとは言え、大箱が前提ですと集客のプレッシャーを感じてしまいそうなものですが、ノルマなどはどうなっていますか。 僕の知る限り、上海では、ノルマ制を敷いているところはほぼないと思います。 収益のシステムは主に2つです。1つ目はチケットの売り上げを主催者とライブハウスで分配する方法で主催者7:ライブハウス3で配分しているところが多いです。sold outが見込める場合は、ホールを貸し切りとしてその費用をライブハウス側へ支払う方法もあります。ドリンク代がライブハウスの収入源になるのは日本と同じですね。
上海インディ市場攻略
物販の様子 at 育音堂2号店
ーーちなみに、日本のバンドがライブを行う際、中国政府や行政への届け出は必要ですか?日本とはどのような違いがあるのでしょうか? 中国で海外のバンドがライブをする場合、アーティストや公演の情報を詳しく政府に申告する必要があります。バンドのプロフィールだけではなく、メンバーの顔がはっきり見えるライブビデオ歌詞の内容なども求められいて、私たちがツアーのブッキングを行う場合、資料は中国語に翻訳し申請を行っています。さまざまな事情があるなか、中国のプロモーターは担当公演が成立するように努力を重ねていますよ。 ーーありがとうございます。日本のインディーズバンドが中国に進出するための大きなヒントになると思います。

日本音楽シーンからの質問にお答えいただく

上海インディ市場攻略
イベント「次世代日系インディーズ研究所」にて、出演者とともに

ここからは、日本の音楽シーンから寄せられた質問にお答えいただきます。

まずは音楽フェスティバル<ONE Music Camp>主催チームの野村優太さんからの質問です。 ーー2018年、坂本慎太郎さんの中国ツアーを組んだのはどうしてですか? 最初に坂本慎太郎さんを知ったきっかけは、園子音監督による映画『愛のむき出し』のエンディング曲を聞いたときでした。ゆらゆら帝国はもちろん、坂本慎太郎さんの音楽性が好きなのでオファーしました。また坂本さんの楽曲”まともがわからない”が起用されたテレビドラマ『まほろ駅前番外地』が中国でも愛されているのも後押しになりました。 続けて、アジアのロック音楽愛好家、shinobu さんからの質問です。 ーー日本と中国の音楽スタッフのプロ意識に違いはある? 音響スタッフについて言うと、日本にも中国にも優秀なPAはいますが、一番の違いは、中国のPAは音響技術レベルの差が大きいです。中国のPAにはいわゆるJ-POPの理想的な音響バランスが浸透しているとは言えませんので、主催イベントの場合、私たちからアドバイスをすることもありますよ。 シンガーソングライター、マーライオンさん からの質問です。 ーー日本でライブを告知する方法として、紙製のフライヤーがまだまだ人気ですが、中国はやっぱりデジタルでの集客方法がメインなのですか? 中国のインディーズも競争が激しくなっていて、Webだけの告知だけですとなかなかお客さんの興味を惹くのがむずかしいです。ライブハウスでレーベルスタッフがチラシを手渡しで配るのが集客方法のトレンドです。また、ペアチケット、団体購買、プレゼント交換などクリエイティブな販促もどんどん増えていて面白いですよ。 ミュージック・マガジン編集部、村田さんからの質問です。 ーー大手レーベル、DIYレーベルの状況って? 大手レーベルは2つです。ひとつは北京に居を構える最大手、〈MODERN SKY 摩登天空〉。次いで、親会社が不動産事業を営み、チケットプラットフォーム「showstart」を運営する〈TAIHE 太合音乐集団〉です。 大手レーベルの傘下にもレーベルがあります。たとえば太合グループのMaybe Mars 兵马司はポストパンク系が中心です。〈Ruby Eyes Records 赤瞳〉は面白い国内アーティストを中心に展開していますよ。中国国内のアーティストを知りたい方は、このあたりから掘っていくと良いかもしれません。また個人が運営するDIYレーベルもあります。大手と比べると競争力が弱いので、趣味レベルの活動をしている状況ですね。 レーベル勤務、おぎはらさんからの質問です! ーー国外での活動を志す中国のアーティストはいるのでしょうか? はい、海外志向のバンドもいますよ。たとえばChinese Footballは以前日本ツアーでリーガルリリーにお世話になり、逆にリーガルリリーが中国ツアーをするときには恩返しとして色々努力していたようですね。
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6月に来日予定の「Cheesemind」 at 中国最大級の音楽フェスティバル:Strawberry fes 草莓音乐节
最後に音楽ライター、まいしろさんからのご質問です。 ーーLuuv Labelは、日本とのクロスボーダープロジェクトに強みがありますが、海外事業はどのくらい重視していますか? 中国で安定した収益を上げながら、日本との交流事業も伸ばしていきたいです。今のところ日本事業のシェアは、3割ほどにとどまっています。今後は日本のレーベルさんと直接取引して、著作権管理、デジタルの運営代理分野で貢献出来ましたらと思っています。もっと活動規模を拡大したいですね! ーー大ボリュームの質問にお答えいただき、ありがとうございました!

Interview&TEXT:中村めぐみ @Tapitea_rec 企画協力:Yuki Lee(アジアのポップスを聴き倒す会 / Bassist at Fontana Folle) @yukiyonghee

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2周年を迎えた「hotel koe tokyo」の音楽イベント仕掛け人に訊く。クロスオーバー・カルチャーの魅力とは

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hotel koe tokyo
ライフスタイルブランド・koeが渋谷・宇田川町で展開する、“stay, art, fashion, food & music for new culture”と掲げ、さまざまなコンテンツが楽しめる複合型ホテル・hotel koe tokyo2周年イベントが、2月7日(金)~2月9日(日)に渡って開催された。これまで1階のベーカリーレストラン/イベントスペースを使って、週末を中心に多彩なイベントを開催してきた同所だが、今回は“new culture fes”と題し、2階のショップも使っての2フロア仕様に。地域のクラブやライブハウスで活躍するアーティストやDJ、トップチャートにも顔を出すアクトまで網羅した豊富なラインナップだけでなく、限定メニューの提供やアート作品の展示、フロアを歩きながら読めるオブジェのようなマガジン『月刊koe』のローンチなど、いつにも増してその魅力が堪能できる3日間となった。そこで、今回はイベントを仕掛る中心人物でもあり、“音”からkoeの魅力を伝える音楽イベントプロデューサー・runpeにインタビューを行った。 hotel koe tokyo

Interview:runpe

──2年前にhotel koe tokyoがスタートしたときのイメージを、runpeさんが担当する“音楽”の視点から話していただけますか? 渋谷の真ん中、公園通りとオルガン坂が交わる十字路に面したロケーションが象徴するように、“クロスオーバー”という言葉がもっとも大きなポイントになっています。渋谷を作ってきた人たち、今の渋谷を牽引する人たち、そしてこれからの渋谷を担う人たちをボーダレスにブッキングすることでオリジナリティを打ち出して、遊びに来てくださるみなさんに、新たな人や音楽、カルチャーとの出会いを提供したかったんです。 ──そして毎週末を中心にイベントを手掛けられて2年が経ちましたが、振り返られてどんな感触をお持ちですか? 最初は、僕やほかにもいるキュレーターが、シンプルにおもしろいと思うことをどんどんやっていこうって、そう話してました。でも、これだけ目立つ場所にありながらも、週末にイベントを開催していることがすぐに根付いたかというと、そうではなくて……。 ──立ち上げた頃から、たくさんのお客さんで賑わっているイメージはありましたが、まだまだだったということですか? それは出演してくれたアーティストやDJの自力に頼っていたというか、僕らが仕掛けていることが認知されていたわけではなかったように思います。なので、オリジナルな“クロスオーバー”というよりは、既に認知されているDJやパーティを運営している人たちにお願いしたり、活動範囲やバックグランド、世代が近い人たちをまとめてブッキングしたりするほうが、お客さんが集まったんです。それから1年が経ち、最初の周年を盛大にできて、地道にやってきたことにいい変化を感じるようになりました。 ──確かに、2年目に入って“koeっぽい”みたいなイメージが定着してきたように思います。 そうですね。田中知之(FPM)さんとtofubeatsの2マンをやったことがあるんですけど、わかりやすい例なんじゃないかと。クラブカルチャーを創成期から知る田中さんと、まさに今を創造するtofubeats、二人のDJ/プロデューサーの感覚やスキルがいい感じで混ざって、どちらを目当てに来たお客さんにも刺激になったように感じましたし、“なんか今日のkoeおもしろそう”みたいなノリで来てくださったお客さんや、通りすがりの人たちもすごく楽しんでくださったんで、嬉しかったですね。

[DAY1] hotel koe tokyo 2nd anniversary special week “new culture fes”

──世代を跨いだアーティストのパワーと、koeというベニューの魅力がクロスしたんですね。 おしゃってくれたような“koeっぽさ”みたいなブランド力が付いてきて、出演者の力と交わることで生まれる、ここでしか起こらない瞬間が1年目より明らかに多く見られるようになったと思います。なので、3年目はこれからの渋谷を作っていくアーティストやDJを、koeから生んでいきたくて。その新たな一歩としてまずは<NEXT UP>というイベントを立ち上げました。初回は2月13日にZINASOBOISMZIWFKDのライブと、DJにTOSHIKI HAYASHI(%C)ji2kiaに出てもらって、おかげさまですごくいい感じでしたね。3月はKick a ShowRUNG HYANG西恵利香ニューリーSam Is Ohmseaでやる予定で告知も出したんですけど、コロナウイルスの影響で延期になってしまい……。また同じメンバーでできるように調整する予定です。 ──その“ブランド力”や私が感じている“koeっぽさ”を言葉で説明すると、どうなりますか? 僕はもともと音楽とファッションが好きで、最初はライブハウスやレコード店で働いていたんです。そのあとセレクトショップに入って、ファッションを軸に、音楽や映画、民藝などの文化を扱う仕事を経て独立して今に至ります。koeもファッションが中心にある“ライフスタイルブランド”ですから、感覚的には今までにやってきたことと近い部分はあります。なんとなくでもはっきりとでも、あるじゃないですか。ショップやブランドごとに、背景にある音楽の色って。 ──はい。そこで言うと、koeは特定の音楽ジャンルを可視化したようなファションとは違って、ニュアンス的な部分が大きいですよね。 ちょっと大雑把でありがちな言い方にはなりますけど、“ごった煮”とか“ボーダレス”とか、そういう感じですね。例えば、これも大雑把ですけどレゲエとラスタとか、ヒップホップやパンクもしかり、ルーツを掘り下げて、アイデンティティやバックグランドを服でも表現する人たちって、たくさんいますよね。すごく深くてカッコいいし、僕もレゲエがルーツにあって、いろんなジャンルの芯を持った人たちへの憧れが原点にあります。その一方で、今はファッションや音楽、ほかにもいろんなカルチャーに、もっとカジュアルに接する多趣味な人たちも、すごく魅力的になってきてるように感じてるんです。“深い”に対して“浅い”みたいな構造では割り切れないというか。koeに関しては、後者における新たなスタンダードを築きたいと思っていますね。 ──そういう感覚をチームで共有することは、簡単なことじゃないですよね。 いえ、そんなことないですね。僕以外のイベント制作メンバーも、ジャズだったりロックだったり、自身もDJをしているメンバーもいますし、それぞれにはっきりと特化した背景を持ちながら、ここまでに話した“クロスオーバー”にもすごく積極的。だから僕が全体的にでもイベント単位でも、指針みたいなものを示せば細かいことを言わなくても理解してくれます。そして、koeに籍を置く、飲食やファッション、それぞれのエキスパートの感性やアドバイスももちろん入ってきますから、既にその段階でかなりおもしろいミックスが生まれてるんです。 ──なるほど。出自の異なる人たちの化学反応こそがkoeだと。 あと“koeらしさ”についてもう少し補足するなら、クラブって特定のジャンルに秀でたパーティや、それらがクロスオーバーしたパーティもたくさんあると思うんですけど、僕のイメージとしては“エッジィ”とか“最先端”。僕らはそういう場所で吸収したことを、hotel koe tokyoの魅力を踏まえて体現しているんです。それは、いわゆる“シティ・ポップ”という音楽の文脈と重なる部分もあれば、また異なる部分もあります。食、ファッション、ステイ、さまざまなコンテンツを複合的に体験できる場所だからこその“シティ感”ですね。そこは実際にイベントの現場を体験していただければ、伝わるんじゃないかと思います。

[DAY2] hotel koe tokyo 2nd anniversary special week “new culture fes”

──そのうえでの2周年イベントをやってみてどうでしたか? 今回はふだんイベントを開催している1階だけではなく、2階のショップにステージを設けての2フロアでの展開でしたが。 ぶっちゃけ大変でしたね(笑)。でもやった甲斐があったと思います。これまでのkoeを支えてきてくれた演者のみなさん、これからのkoeに協力してもらいたい人たちを、メンバーそれぞれが挙げた時に、とてもじゃないけど1フロアじゃ足りないくらいのラインナップになって、だったらできる限りの人たちに出てもらおうと、3日間の開催にして、うち2月8日(土)と9日(日)の2日間は、時間も広くとって2フロアにしました。それでもぜんぜん足りなかったんですけど、ありがたい悩みですよね。だから、koeにはまらない人なんて1人もいない。いかに楽しくパフォーマンスしてもらうか、そしてなによりお客さんに楽しんでもらうか、そこは僕らのタイムテーブルの組み方や空間の見せ方にかかってました。もっとできたんじゃないかとか反省点はありつつも、想定する最高の結果は出せたと思います。 ──ここから3年目に突入するにあたってのビジョンを聞かせてください。 次の段階として、イベントそのものをビジネスとして成立させたいんです。今まではkoeの広告塔というか、そういう意味合いで入場無料だったんですけど、3年目に入って、自社主催のイベントに関しては、エントランスでファーストドリンク代として1000円をいただくことにしました。あとは通常のメニュー価格で食べ物も飲み物も楽しんでもらえたら嬉しいですね。 ──イベントは入場無料にしたからといって人が集まるわけではないことも、無料だから来てくれる人がいることも、どちらも身に染みていると思うんです。そこで1000円を払ってもらうことに踏み切ったのはなぜですか? がっつり入場料をいただくわけではないですし、ホテルのゲストはもちろん、2階のショップで買い物だけをしたい人は払わなくてもいい導線を確保しています。そのなかで、イベントを楽しみたくて来た人には“チャージを払ってもらう”という工程を設けることで、音楽の占める割合が高まると思いますし、僕らもそれに見合った企画/運営をしなきゃいけない。少しでもイベントと直結する利益を発生させることは、イコールお客さんとの信頼関係を深めたいという気持ちからなんです。お互いが今まで以上によりリスペクトし合える次元で、いろんなことをやっていけたらと思っています。

[DAY3] hotel koe tokyo 2nd anniversary special week “new culture fes”

今や渋谷の新たなランドマークとしても機能する「hotel koe tokyo」。3年目はどんな楽しいことが待っているのだろうか。また、同所は昨年末より、離れた場所からもその魅力を味わってもらえるようにSpotify公式プレイリストを展開している。基本的にこれまでに出演したアーティストが月替わりでセレクターを務めているが、今回はrunpeとイベントを制作するキュレーターのなかから、Yoshijiro SakuraiTAISHI IWAMIが担当。それぞれのルーツが垣間見える、“hotel koe tokyoがより楽しくなる”リストとなっているので、以下よりぜひチェックしてもらいたい。 hotel koe tokyo Playlist hotel koe tokyo HP hotel koe tokyo Instagram runpe Instagram

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珠 鈴×松㟢翔平|台湾でどこ行く なに食べる?好好台湾対談

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コラム「珠 鈴 的 旅」を連載中のモデル/歌手・珠 鈴が初の一人旅で訪れ大好きになったという台湾。無数のバイクと臭豆腐の匂い、お祭りみたいな台北の日常にカルチャーショックを受けまくったという4泊5日。今回は、彼女が目にしたものを振り返りながら、現地と東京を拠点にモデル・俳優・ライターとして活躍している松㟢翔平(以下、翔平)とさらなる魅力をフカボリする我的最愛な台湾対談。

珠 鈴×松㟢翔平 好好台湾対談

--現地で生活経験のある翔平さんと先日旅行で初めて台北を訪れたという珠鈴さん、今回はそれぞれの視点で台湾の魅力を語っていただきたいと思います。珠鈴さんは、今回が初めての一人旅だったそうですね。旅先に台湾を選んだ理由は? 珠 鈴 台湾と日本って、こんなに近い距離にあるのに違うところとかあったりするのかな?って気になって。結構、親日家の人が多いっていうイメージも私の中であったので、本当にそうなのか知りたくて台湾に行きたいなと思いました。 --実際に訪れてみてどうでしたか? イメージどおり? 珠 鈴 すごく優しいなって思いました、台湾の人。まず着いたときに切符の買い方とかいろいろ知らなくて、お金を入れても出てきてしまって。どうしよう……と思ってたらおじちゃんが話しかけてきてくれて、それもがんばって日本語で話そうとしてくれたり。お土産屋さんの人も私が「日本人です」って言ったら、「私も日本好きなんだよ〜」って。 --翔平さんも、初めての海外旅行が台湾だったそうですね。 翔平 そうですね。初めてで、住んじゃったんですけど。初海外って怖いじゃないですか。でも、行く前から台湾の映画をすごい観ていて気になってたし、台湾だったらイケそうっていうか。そんなに困らないだろうなっていう感じがありました。 --暮らしてみようと思うほど台湾のどんなところに惹かれたんですか? 翔平 シェアハウスが余ってたから住んじゃっただけなんですけど、興味はありましたね。台湾に友達がいて、その子とかがすごい優しかったり日本の友達と話すようなことが普通に話せるなって安心したし、今からすると当たり前ですけど、音楽とか映画とかそういうカルチャーが台湾にあるんだって。 --確かに、台湾のカルチャーとかライフスタイルとか、観光以外の情報が普通に知られるようになったのって意外と最近ですよね。珠 鈴さんは、滞在中どんなところに行かれたんですか? 珠 鈴 ずっと行ってみたいなと思っていたし、実際に一番楽しかったのが夜市! 私は「士林(シーリン)夜市」に行ったんですけど、きらびやかな感じとか屋台が並んでるところとかもお祭りみたいで、それを毎晩やってるって、楽しそうだなと思って。夜だし1人だしどうなんだろうって思ってたんですけど、行ってみると子どもがいっぱいゲームで遊んでたりして、「あっ、子どももこんなに夜に外に出て遊んでるんだ!」って(笑)。 --私もいくつかの夜市に行ったことがあるんですけど、日本人からすると本当にお祭りみたいな場所ですよね。台湾に住んでいる方にとって、夜市はどういう場所なんですか? 翔平 台湾の人は各夜市にお気に入りの炒飯屋とか鶏肉屋とかがあって、そこに行ってテイクアウトするか近くの椅子に座ってバーっと食べて帰るだけ。士林とかはすごい観光客が多い夜市だから竹下通りみたいな店もいっぱいあるけど、住んでる人はあんまり見て周らないですね。

--翔平さんにも行きつけの夜市の店ってありました? 翔平 僕は、「雙城街夜市」っていう晴光(チンゴァン)公園の近くにある外席が充実している夜市があって。中山国小駅が最寄りなんですけど、公園もキッズパークみたいになっていて、すごく雰囲気いいんですよ。そこではいつもフルーツジュースを飲んでました。あと、三寶飯(サンパオファン)が美味しいです。三寶って3つの宝っていう意味なんですけど、ご飯の上に鶏肉・鴨肉・チャーシューとかがのってて、店によって肉が変わるんです。夜市ではなに食べたんですか? 珠 鈴 いろいろ挑戦してみたいなって思ったんですけど、フライドチキン(雞排/ジーパイ)あるじゃないですか。 翔平 あ、顔と同じくらいのサイズのやつ? あれ、本当にデカイですよね。 珠 鈴 それを食べちゃってお腹一杯になっちゃったんですよ。それとスイカジュースを初めて飲みましたね。すごく美味しかったです。注文するときに「大丈夫かな?」とかいろいろ思ったんですけど、ちゃんと聞いてくれて。あっ、夜市といえば、臭豆腐の匂いが無理で……。 翔平 いや、俺も無理ですよ。 珠 鈴 そうなんですね(笑)。せっかく台湾に行ったから、有名じゃないですか。だから1回チャレンジしてみたいなって思ったんですけど、無理でした。あれって、美味しい食べ方みたいなのあるんですかね? 翔平 臭豆腐って、2種類あるのわかりました? 汁に浸けているお鍋みたいなやつと、豆腐自体を揚げてるフライド臭豆腐があって、フライの方が意外とイケるんですよ。炒めた玉ねぎとかとあえて食べると酒のアテにもよくて。食べたときに「うわっ!クサっ!でもちょっと美味しい」みたいな。汁の方はちょっと匂いがきつすぎて、無理っすよね。 珠 鈴 お店の前を通っただけで、すごい匂いがしてくる(笑)。 翔平 台北から若干離れてるんですけど淡水(ダンシュイ)にある「大吉祥香豆腐」っていう、すごい美味しい臭豆腐屋さんがあって。そこの臭豆腐ラーメンは、俺が唯一食べられた汁系臭豆腐。まあ、逆に言ったら納豆は食べられないですからね、台湾の人。 一同 ああ〜(納得) 珠 鈴 臭豆腐ラーメン、次はちょっと挑戦してみます。揚げ臭豆腐も1回ぐらい食べてみたい! --他に、台湾に行ったら食べてみるといいってものとかありますか? 翔平 フルーツジュース。それこそいいっすよ。台湾にしかない果物とかもあるし全部フレッシュ、もう本当にオススメです。いろいろあるんですけど、パパイヤとか冬瓜とか美味しいっすよ。

珠 鈴が切り取った台湾

--ここからは、珠 鈴さんが台湾の旅で撮影した写真を見ながらお話をお伺いしていきたいと思います。

Photo by SHURI

翔平 僕、九份には行ったことないんですよね。なんか混んでるって聞いて。興味はあったからいつか行けると思ってたら、結局行かなかったんすよ。良かったですか? 珠 鈴 良かったです! 雰囲気は夜市みたいな感じで、観光地だけど猫とか犬とかいっぱいそのへんにいて、観光地のところはぎゅっと集まってるけど、ちょっとはずれたら普通に家あるんだなあって。歴史がある感じがしましたね。」

Photo by SHURI

珠 鈴 九份って、暗い時間の風景がすごく有名だからだと思うんですけど、ネオンの看板とかがいっぱいあって、台湾っぽくってかわいいなって思いましたね。

Photo by SHURI

珠 鈴 提灯がいっぱいあるエリアにはたくさん観光客の人がいるのに、ちょっと離れたこのお寺のあたりには全然いなくて。その代わり、現地の方かなっていう人がいっぱいいました。 翔平 熱心ですからね、結構。お祭りでは爆竹とかバカバカ鳴らしたり、お寺も日本と違って塗り替えますからね。 珠 鈴 すごく派手ですよね。ここの他にもお寺に行ったんですけど、とってもカラフルなところが多かったです。日本と全然違うって思いました。夜市の近くにもお寺があったんですけど、そこは電光掲示板みたいのがあって、「これ、お寺?」みたいな。

Photo by SHURI

珠 鈴 台北101に行って、登ってきました。このあたりは、すごいなんか高級そうなお店がいっぱいあって。インスタグラマーみたいな人がたくさんいました。 翔平 そういう店も多いでんすよ、映える店とか。ここに集まって遊んでるのは金持ちの彼氏・彼女とか、インスタグラマーみたいな人が多いかもしれない。台北101の下にクラブが入っている「ATT 4 FUN」っていうショッピングモールがあって、週末になると始発待ちの若者がいたるところに座ってるんですよ。面白いですよね。

Photo by SHURI

珠 鈴 これは、台北101の上からフイルムで撮りました。天気が悪かったんですよ、この日。でも意外と空いてたんで、ゆっくり見られました。台北の街って、上から見ると意外とビルが建っているのは一部なんだなって。お店が集まってるところは細々してる感じでしたね。

Photo by SHURI

翔平 それ、犬ですか? 珠 鈴 犬ですよ、デカいですよね。街中どこに行ってもリードを着けてない犬とか猫がいっぱいいて。ペットの犬もなにもつけずに飼い主さんの横をそのまま歩いてることとかあってビックリしましたね。 翔平 街ぐるみで飼ってたりしますからね。

Photo by SHURI

珠 鈴 バイクの量がすごく多くて衝撃でした。日本の自転車並みにバイクが走ってるなって。台湾だと、車とか自転車みたいに普段からバイクを使う人が多いんですかね? 翔平 そうですね。車とか自転車よりバイクが多いっすかね。単純にユルいんで、駐禁とかいう概念がなかったですね、台湾は。……バイクが停まってることに相当ビックリしてますね。

Photo by SHURI

珠 鈴 たくさんバイク撮りましたもん(笑)。走ってるバイクもすごく多いじゃないですか。私の中でそれがかなり衝撃で。それと、タクシーが黄色いことにも驚きました。 --バイクもそうですし、この看板が横に張り出してる街並みも台湾らしい気がします。 翔平 そのへんの法律とかもユルいんだと思います。何センチでちゃいけない!とか、あんまり気にしてないだろうし、デカけりゃいいみたいな。建物も増築に増築を重ねてますもんね。 珠 鈴 私が泊まったホテルもつぎはぎでした。駅近くにあるホテルなんですけど、今まであったホテルと新しく増築されたところが客室みたいな廊下でつながっていて、そこを通らないと自分の部屋にいけないんですよ(笑)。最初は受付の人が部屋まで連れてってくれたんですけど、ここ?って感じでビックリしましたね。

Photo by SHURI

珠 鈴 滞在中は、西門(シーメン)に泊まってて、夜でもすごい人でしたね。野外ステージがあって、そこで毎日ショーが開かれていて。それこそ夜市から帰ってきて、まだやってる!っていう時もあって。西門に関しては意外と日本のものとか食べものがいっぱい売っていて、大きな原宿みたいというか、全然違う土地っていう感じではなかったです。 翔平 この前仕事で竹下通りを通ったんですけど、すごく思い出しました、西門を。なんか匂いも売ってるものも一緒なんですよね、チーズハットグとかカラフルなわたあめとか。 珠 鈴 流行りのものが売っていて、若い人がたくさんいて。それと、ゴミ箱がいっぱいあるのがすごくいいなって思いました。日本だとタピオカとか道に捨ててあったりしますけど、そういうのはあんまりなくて。 翔平 台湾って、毎日ゴミ収集車が来るんですよ。それと、高級マンションとかじゃない限り基本的に建物の1階は商店だから店の前を各々がしっかり掃除するんですよね。だから通りがきれいっていうのはあるかも。路面が全部店の前だから、汚されたくないっていうか。

Photo by SHURI

珠 鈴 ここは駅前にあったタピオカ屋さんなんですけど、たくさん人が並んでて。 翔平 なんか特別な店なのかもしれないですね。「KEBUKE(可不可熟成紅茶」)」ってチェーン店なんですけど、写真のここはめちゃくちゃおしゃれ。 珠 鈴 観光客じゃなさそうな人も並んでいて、それがすごい衝撃でした。どこに行っても行列が出来ている店があって。台湾の人って、こんなに並ぶんだ!って。いろいろ歩いて戻ってきたんですけど、まだ並んでて。あ、私は並んでないです。ちょっと長いなって思って(笑)。

Photo by SHURI

翔平 麺線、おいしいっすよね。牡蠣とモツ入ってました? 珠 鈴 入ってました! 台湾に着いて初めて食べたご飯がこの「阿宗麺線」でした。みんなお店の前で立って食べてて、お箸じゃなくてプラスチックのスプーンで食べてるのが衝撃でした。すごく美味しかったです! 翔平 僕も麺線大好きです。僕、大安(ダーアン)ってところに住んでたんですけど、「陳記腸蚵麵線」っていう店に結構ハマって毎日通ってる時期ありましたもん。ここがいいのは、水がちゃんと置いてあるところ。台湾の店って水が置いてないところが多いんですけど、ここはちゃんと飲み放題のお茶があるんで、すごい行ってました。小籠包とかは日本でも食べられるからいいんですけど、麺線とかって微妙に食べられないんですよね。自分でも作れないし。 --台湾は、本当に食が充実してますよね。そういう面でも暮らしやすそうなイメージが。改めて、翔平さんは台北でどんな生活をされていたんですか? 翔平 台湾は暮らしやすいですよ、食べ物は安いし。台北で一人暮らしをしている若い人は少ないですね。僕の周りはほとんどいなかったんじゃないかな。だいたいシェアハウスです、小部屋があるような。台北は家賃がそんなに安くないので、みんなでシェア。それか付き合うとすぐ同棲しちゃう。ちなみに台湾の男性は好きになったらめちゃくちゃしつこくて。殴ったり無理やりってことじゃないんですけど、もうアピールと嫉妬がすごい。 --日本とは恋愛観みたいなものが違うんですね。 翔平 台湾の女性はそれくらいされないと好きだって信じられないんですよ。日本の男性みたいな素っ気なくしてみる、みたいなことをした瞬間に「そうなのね」って去ってっちゃうんで。逆に、熱意で乗り切れちゃう感じもあるんですよ。気をつけてください、台湾の男には(笑)。でも、すっごいレディーファーストだし、めちゃくちゃ優しいですよ。 珠 鈴 へ〜! 私、ちょうどバレンタインの時に行ったんですよ。それで女の人がみんな“ハッピーバレンタイン”ってメッセージカードがついてる花束を持っていて、男性からもらったんだろうな、いいな〜って思って見てました。台湾ではバレンタインに花を贈るんですね。 翔平 花っていうか全部です。花も贈るし、プレゼントも渡してるだろうし、レストランにも行ってるだろうし、バッグも持つし……なんでも。本当にすごいですよ、尽くし方が。 --翔平さんもやってたんですか? 翔平 別に僕はそんな感じじゃないですけど、ちょっと日本人風吹かしてました(笑)。 一同 (笑)

台湾での生活は?

--冒頭でも少しお話されていましたけど、翔平さんが現地で生活している時に触れた台湾のカルチャーについてお聞きしたくて。台北では普段どんな感じで遊んでたんですか? 個人的に、とにかくなにかと外で食べたり喋ったりしている印象があります。 翔平 それはそうかもしれないです。クラブとかに行ってもクラブの前にすっごい溜まってるし「お金払って中に入ってんのに、ずっと外にいるじゃん」みたいな。気持ちいいのかもしれないですね、外が。自分もよく外にいましたよ。僕の周りだけでいうと、クラブに行ってもほとんどみんな顔見知りなんですよ。で、すぐに紹介しあっちゃう。日本だと軽く「友達と来てんだ〜」ぐらいじゃないですか。それが「こいつは〇〇っていって、なにをやってて--」って、すごく人を紹介する文化。 珠 鈴 楽しそう!友達がたくさん増えそうですね。 翔平 増えますよ、一気に。なんか面白いんですよ、シェアハウスに住んでる友達の家に遊びに行ったのに、そのシェアハウスのほかの住人と仲良くなっちゃったりとかして。それで、そいつが呼んでた友達とも話すし、「今から俺たちグループドライブ行くけど、一緒に行く?」みたいな。最初2人で遊んでたのに気づいたら10人ぐらいになってたりして、「カラオケ行くか!」とか。友達が友達を呼んでくるし、毎日そんな感じだったなあ。 --ちなみに、コミュニケーションは? 翔平 僕は、英語と無理やり日本語で伝えてました。あと、漢字がわかるんで、本当に困ったときは漢字を書いたり。ま、今はGoogleで翻訳できちゃうし、そんなに困らないです。 --台湾の若い人たちのあいだでは、今なにが流行ってますか? 翔平 台湾は今、空前の韓国ブームですよ。そんな日本と変わらないです。ファッションも韓国のストリートっぽい格好してるし。音楽も日本とそんなに変わらないです。台湾の音楽好きな人たちのあいだでは日本のシティーポップが人気ですけど、全体的に見たらやっぱりK-POPが流行ってます。 珠 鈴 へ〜! すごいですね、K-POP。 --旅行中、台湾のカルチャーに触れる機会はありましたか? 珠 鈴 THE WALL(ザ・ウォール)っていうライブハウスに行きました。その時は、アーティスト目当てっていうより台湾のライブハウスどんな感じなんだろうって思って行ってみたんですけど、昼と夜の差がすごくて。昼間会場の近くに行った時は「本当にここ?」みたいな感じだったんですけど、夜になったら照明があってライブハウス!って感じになってて。 翔平 THE WALLも外で溜まってますよね。なんのライブを観たんですか? 珠 鈴 えっと、台湾のアーティストの方のリリースパーティみたいな感じで。日本だと結構ライブを棒立ちで見てる人っているけど、なんかそういう感じじゃないなっていうのは思いましたね。お客さんの反応とかがあったかいというか。 翔平 THE WALLのすぐ裏手にPIPE(パイプ)っていうライブハウスがあるんですけど、そことかもすごくいいですよ。ちっちゃい体育館ぐらいの規模で、THE WALLよりは多少大きいのかな。川沿いでバーカンが全部外なんですよ。ソファが置いてあって、なんか雰囲気が良くて。

--珠鈴さんは音楽活動もされてますけど、今後もしかしたら台湾でも--。 翔平 やったらいいじゃないですか。3ヶ月ぐらい住んでみたらもう音楽活動のベースぐらいできますよ。 珠 鈴 台湾の人がどんな反応をするのかっていうのが、すごく気になりますね。やってみたいです。 翔平 MV撮影とかで行くのもオススメですよ。前にiriちゃんの“Shade”っていう曲のMVに出たんですけど、それも台北で撮ってて。ザ・異国だと「行きました!」みたいな感じになって面白くないけど、ちょっと日本に近い台湾の景色だと別にわざわざ外国って言わなくてもすごいカッコいいのが撮れる気がします。あと、みんな協力的というかユルいんで、店でも「ちょっと今からあの席でカメラ回していい?」「いいよ、やってやって〜」みたいな感じで。 珠 鈴 いいですね、そういうの。路上ライブとかも普通にやってて、日本でやったらすぐに警察くるじゃないですか。いいな〜って思いましたね。 --私も、台湾は政府をあげてカルチャーを底上げしているという話を現地のライブハウス経営者から訊いたことがあります。珠鈴さん、次回台湾に行くならどんな旅をしたいですか? 珠 鈴 今回は台北にしか行かなかったんですけど、台中とか結構いいよって最近聞くので、行ってみたいなって思います。なんかどういう感じなんだろう、やっぱ違うのかなとか。 翔平 台中はなんか変ですよね。なんなんですかね、あそこは。比較的新しいんですよ、街として。もちろん古い町並みもあるんですけど、最近めちゃめちゃでかいホテルとか建ったりして。なんかね、変なんですよ。すごく寄ってくとスラムみたいになったりして。でも離れてみるとなんかキラキラして見えて、未来都市みたいな。 珠 鈴 私も、台中はキラキラしてるイメージですね。 翔平 でも、降り立つとゴミゴミしてるんですよ。台中も夜市が有名なんですけど、カジノとかもあって、ちょっと悪い街感があって、半グレみたいのがいっぱいいるんですよ。台北にもいるけど、台北はトラディショナルヤクザ、台中は新興ヤクザみたいな感じがあるんですよね(笑)。 一同 (笑)。 翔平 僕は好きで、その感じが。独特なんですよ。台南もいいですよ。ただ台南って、台北よりもスポットが分散してるから、目的地が決められる人か目的がなくてもフラつける人なら1人で行ってもいいかもしれないですね。僕は目的地を決められないから1人で行ってもつまんないんですよ。もうすぐホテル帰っちゃうんで、「あっちぃな〜」みたいな。あ、今未成年ですか? 珠 鈴 はい。 翔平 そうなんですね。成年になったら行ってもらいたいんですけど、台南はバーがいいんですよ。たとえば「大乱歩」っていうバーは、日本のカルチャーが好きな人たちがやっていて。「LOLA」っていうバーなんかはずっとYMOがかかってて、フレッシュカクテルがめちゃくちゃ美味しい。こういうところに行くとすごい話かけられるし、映画でみたバーみたいな感じで楽しいですよ。 珠 鈴 台北もまた行きたいですけど、台北以外のところにも行きたいです! 翔平 台南とか台中にも行ってほしいな。これあげます、台湾のZINE。台湾のカルチャーポップアップ(「宝島 BAODAO -Taiwan Souvenir Shop」)をやって、その時に作ったんです。レストランとかも載ってるんで、今度台湾に行く時によかったら参考にしてください。Googleリストに飛ぶんで。 珠 鈴 ありがとうございます! --二度目の台湾、楽しみですね。 珠 鈴 はい! 翔平 音楽の幅が広がればいいですよね。喋れなくたって大丈夫ですよ。だってラブハウスやクラブで友達と話した内容なんて覚えてなくないですか? 内容がないっていうことは、喋れなくても仲良くなれちゃう。 珠 鈴 もし次に行くなら、友達を作りたいですね。どんどん増えて日本より台湾の方が友達で多いってなりそう(笑)。

Text by Misaki Nonaka Photo by 三澤 亮介

珠 鈴 的 旅

Vol.1 現地の人編

Vol.2 日本と台湾の違い編

珠 鈴 2017年4月から東京にて音楽活動をスタート。 都会的でスモーキーなテクノに珠 鈴のメロディアスで透明感たっぷりのボーカルが特徴的。 サウンドはCity Your CityのTeppei Kitanoが担当している。 2019年5月29日には初のEPとなる『光の中を泳ぐ』をリリース。 等身大の10代が抱える悩みや世の中の疑問など、リアルに書いたリリックが同世代にじわじわと広がりつつある。

公式ホームページTwitterInstagramYouTube

松㟢翔平 1993年埼玉県生まれ、東京-台湾在住。 マイターン・エンターテイメント所属。 出演作に『テラスハウス TOKYO 2019-2020』『東京男子図鑑』『川島小鳥とコロンビア』『真心ブラザーズ - 愛』など。 ファッション誌"GINZA"にて『翔平のもしもし台湾』などのコラムも連載中。

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EVENT INFORMATION

<珠 鈴 的 旅>

2020.03.24(火) OPEN 17:00 恵比寿Batich DOOR ¥2,000 +1drink 学生 ¥1,000 +1drink *学生証必要 ACT:珠 鈴 GUEST:City Your City <珠 鈴 写真展-虫が光に集まる理由-> 17:00-19:00 ENTRANCE FREE TIME TABLE: 写真展 17:00-19:00 LIVE 19:00-21:00 19:00〜 City Your City 19:45〜 珠 鈴 *19:00まで写真展のみの方は入場料無料で観覧できます。 *19:00以降は珠 鈴 的 旅のENTRANCEが必要になります。 *ライブに関しては、コロナウィルスの影響で急遽中止または延期になる可能性がございます。あらかじめご了承ください チケット予約

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静謐な美しさを湛えた音楽が人々を魅了するベルリンのピアニスト、Henning Schmiedt緊急インタビュー

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旧東ドイツ出身のピアニスト、Henning Schmiedt(ヘニング・シュミート)。ジャンルレスでありながら音楽性の高いリリースに海外メディアでも定評のある、日本のインディペンデント・レーベル〈FLAU〉の代表的アーティストでもある彼が、今年2月、通算7枚目のソロアルバム『Schlafen』をリリース。本国以上に熱いファンの多いであろう日本へ3月から全国16都市を回る5度目のジャパンツアーを予定していたが、コロナウイルスの影響を考慮し、来日を止む無く中止した。 そこで急遽、彼にメールインタビューを要請し、ニューアルバムのことや現在の心境、今後のプロジェクトについて語ってもらった。Henning Schmiedtのマジカルなピアノの生演奏を心待ちにしていた人や、まだ彼の魔法にかかったことがない人たちと、底抜けに温かな音楽や彼のチャーミングな空気感を少しでも共有できたらうれしい。至福の時間へと誘うMVと共に、どうぞお楽しみください。

ゴルトベルク変奏曲を自分の変奏曲へ

ーー昨年2019年はMarie SéférianとのプロジェクトNous名義でのデビューアルバムやAki Ueda,Tara Nome Doyleとのシングル、また名作『Klavierraum』の続編『Klavierraum, später』とバラエティに富んだリリースが続きましたね。そして今年(まだ2月!)、ニューアルバム『Schlafen』をリリースされ、近年益々意欲的に制作活動に取り組まれていると感じられますが、そのモチベーションはどこから湧いてくるのでしょう? はい、とても忙しい1年でしたが、プロダクションはそれぞれ全く異なる期間に遡り、時には何年も前に遡るものもあります。実際のところ、私はこの数年間ずっと作曲とレコーディングに没頭していました。創造的であることは、自分とつながる方法です。自分の心と共鳴することが、ハーモニーであり、至福なことなのです。アルバムや別のプロジェクトのアイデアを書くこともありますが、そういったすべての時間が、私にはただただ楽しくて仕方ありません。すべてのアイデアやスケッチがアルバムになるわけではなく、音楽の価値を見つけ出すために試行錯誤することもあります。ですから私の最近のリリースは、録音と制作の歴史の点でも非常に新しくもあり、同時にかなり古くもあるといえます。 NOUS (Marie Séférian and Henning Schmiedt) - O Heya
ーー様々なプロジェクトがそのように同時進行していた中で、『Schlafen』はどのような経緯で制作に至ったのですか? 12年前、ドイツのディレクターのGert Hofから、バッハのゴルトベルク変奏曲の録音を依頼されました。彼は、ハンブルクの港で開催される船の命名式で、光に焦点を当てた大規模なマルチメディア・パフォーマンスのイベントにその音楽を使おうと考えていたのです。 Gert Hofは数年前に亡くなってしまいましたが、当時巨大なライトショーのディレクターとして有名で、テクノやクラシックなど、さまざまな種類の音楽をこのイベントに使用していました。彼はゴルトベルクのテーマが好きで、この変奏曲を強力な電子音への静かなカウンターポイントとして使いたい、と考えていたようです。 ーーオリジナルのゴルトベルク変奏曲と比べ、『Schlafen』ではどういった点で新しい解釈の部分を表現していますか? すでにとても素晴らしい古典的な録音物がたくさんあるので、純粋に古典的なものとは異なる、新しいアプローチをしたいと考えました。この作品には真偽は不明ですが、バッハがピアニストのゴルトベルクが演奏した、高貴な男の眠れぬ夜のために作品を作曲したというエピソードがあることを知りました。そこで、私はこのトピックに焦点を当て、自分の変奏曲を録音することにしたのです。 録音は非常に古いBlüthnerのグランドピアノで行い、サウンドも気に入っていたのですが、後で原盤権について問題が出てきてしまった。そこで、この作品をもう一度録音することにしました。録音の面でもアプローチを区別したかったので、マイクスタンドを使用せずにピアノの中にマイクを置いて演奏しました。庭や公園が周囲の風景に溶け込んでいるのと同じように、ピアノの音を周囲の音に溶け込ませることを考えたのです。時には窓を空けたまま録音したので、室外の音、街灯の騒音や周囲の音も少し入っています。 今回の録音では、いつも使っているスタインウェイのコンサート用グランドピアノではなく、非常にソフトなサウンドを備えたシンプルなアップライトのベヒシュタインを選びました。ピアノは数年間使用されておらず、チューニングは432 Hzぐらいで非常に低かったです。低いチューニングはそれほどアグレッシブにならず、ととても柔らかくて温かな音を作れるので、それが功を奏しました。 Henning Schmiedt - Und Ausatmen (OFFICIAL VIDEO)

ヘニングさんも不眠症に悩んでいる?

ーーヒプノシス・セッションの流れを形成している、というこれらの曲名には、アルバムを通して聞くことで、リスナーにどのようにリラックスしてほしいという想いが込められていますか。 催眠のセッションのタイトルは実際のところ、私の個人的な経験から来ているのです。催眠は非常に心を落ち着かせ、リラックスできる経験になります。しかし、リスナーを操作したくはありません。私は自分の経験について伝えるだけです。音楽には共鳴があり、聴く人が望むならリラックスできる場合もあるかもしれません。 ーーヘニングさんも、不眠症に悩むことはありますか?もしくは、ご家族やご友人にそのような悩みを抱えている方は? 私もまた、さまざまな時期に不眠症を患っていました。多くの人が時々それを経験していると思います。目が冴えて眠りを探しているのは辛いかもしれませんが、時にはただふわふわとした感覚で晴れやかな夜もあります。Tara Nome DoyleとのシングルStille Nattで描いたものも、ほぼ同じテーマですね。 Tara Nome Doyle / Henning Schmiedt - Stille Natt
ーーバッハが伯爵のためにゴルトベルク変奏曲を書いたように、ヘニングさんも誰かのために、曲を書くことが多いでしょうか?(Klavierraumは妊娠中の奥様のために制作されたものでしたね)ご自身の音楽家としての探求心から、実験的な取り組みも多々されているかと思いますが、今回のアルバムについてはいかがでしょう。 (このアルバムに関しては)まったく異なりますね。Tara Nome Doyleの美しい声のための『Stille Natt』のように、たまに他のアーティストに捧げる曲を書くこともあります。 私の音楽からインスピレーションを得て、靴を作ってくれた素晴らしい靴職人・アーティストの三澤則行氏、またとても素敵な日本人カップルの結婚式のための『Hochzeitslied』など、私の人生の親愛なる人々のために曲を作ることもあります。しかし『Schlafen』のテーマは完全に睡眠に関する瞑想であり、自分自身との対話でした。 Project with Henning Schmiedt in Berlin (Full Ver.)
ーー日頃から創作活動に取り組まれ、たくさんの曲を録音されていますが、『Schlafen』を除けば、コンセプトは後にくることが多いのでしょうか? はい、その通りですね。普段は録音した音楽を聴いて、いくつかの曲をプレイリストに接続します。曲にはその時点でまだ名前はありませんが、聴いている間にそれらを接続する特定のクオリティを見つけるんです。私が扱っているトピック、例えば『Spazieren』の適度なバランスの取れた動きであったり、『Walzer」の軽さと憂鬱のようなイメージでしょうか。 Henning Schmiedt - Im Baumesdunkel
ーーコンセプトに従って曲を選んでいますか?だとしたら、どのようにそのコンセプトを見つけるのでしょう? 曲がコンセプトを選ぶと思います。作曲したり演奏したりするときは、潜在的な意識と結びついているので、完全にコントロールされたプロセスではありません。実際に歌のメッセージとトピックが何であるかを、後から掴んでいますね。

日本は音楽の故郷であり、いつも戻ってきたい場所

ーージャパンツアーのキャンセルは、事情が事情ながら誠に残念でした。すでに何度も来日されていますが、日本はヘニングさんにとってどのような場所なのでしょう。 日本は私にとって、とても大切な場所です。私はいつも戻ってきたい友達や場所がたくさんあります。誠実な友情とホスピタリティ、芸術とスタイルに対する感覚があり、この美しくユニークな国に来るたびに感動します。そしてここに、私の音楽の故郷である首謀者で友人のausが運営するレーベルの〈FLAU〉もあります! そのため、ツアーを延期するかどうかは非常に難しい判断でしたが、これらのコンサートに参加することは観客や友人たちにとってどれほど困難であり、危険でさえある可能性に気が付いたので、正しい決断であったと感じています。 ーーこれまでの来日公演で特に思い出に残っている場所や公演のエピソードがあったら教えてください。 これは難しい質問ですね。これまで私が日本で演奏した会場はすべて厳選されていて、主催者とプロモーターは私の音楽と個人的なつながりがあるからです。何人かは友人になるほど、強い絆で結ばれました。私はすべての会場で温かく迎えられ、来場者の和やかな雰囲気と愛のある視線にいつでも気持ちよく演奏することができました。 ーー来日公演を行うはずだった約一ヶ月間がすっぽりと空いてしまいましたが、何をして過ごされる予定ですか? ベルリンで学生たちに音楽を教えているので、3月もそうしますね。あとは家族とバルト海で少し休暇を取ります。 Henning Schmiedt - Nach Hause

ベルリンで大きく開かれた人生と音楽の道

ーー東京とは人種も文化も異なるヘニングさんの故郷であるベルリンで、どのように音楽活動を行ってきましたか? ベルリンは私にとって絶え間ない挑戦でした。壁が崩れる前から私はここに住んでいて、音楽は秘密の言葉、自由と幸福のコードのようなものでした。ドイツ統一後、多くの変化がありました。お金はより重要になり、人々は時間が減り、コンサートはショーになりました。人生はもっと開かれ、多くのミュージシャンやアーティストが海外からやって来ました。大きな希望と大きな変化の時でした。 ベルリンは手頃な価格で暮らすことができ、非常に実験的な場所でした。私はここでソロピアノを初めて演奏したり、シリアスな現代音楽やワールドミュージック、ジャズ、ソウルを書くなど、多くの新しいプロジェクトやスタイルを作りました。 ーー日本からもたくさんの才能あふれるアーティストがベルリンに移り住んでいます。ここ数年で街の変化を感じることはありますか。 海外から多くのアーティストがベルリンに来てくれたことに感謝しています。ここには日本人アーティストの友人がたくさんいて、デザイナーのミズシマ・ナツコやフォトグラファーのミズキ・キンなど、私の最新アルバム『Schlafen』のために協力してくれた人たちもいます。私が思うに最近のベルリンでの生活は、他のヨーロッパの首都と同じようになってきています。東ベルリンのダウンタウンの家賃は高くなり、アーティスト、クラブ、スタジオのための手頃な価格の場所はなくなりましたが、同時に雰囲気は非常に国際的になりました。ダイナミックな都市であり、その精神は常に変化していると感じますね。 Henning Schmiedt - Wie War

散歩と瞑想、チーズにワイン。楽しみは尽きない

ーー音楽に限らず、今ヘニングさんが興味を持っていることは? 気候変動への反対、社会的およびジェンダーの正義のための新たなムーブメントがあり、これらの変化への動きは素晴らしいと感じています。私は常に音楽とアートの本質的なクオリティに興味があり、人生はまだ加速中です。ですから音楽を通して空間を開き、時間を遅くする魔法を、またSpazieren=散歩と瞑想、良いグリュイエールチーズとグラスワインを楽しんでいますね。 ーー現在、進行中のプロジェクトはありますか?もし、また新たなリリース情報があれば教えてください。 現在、映画監督の大澤未来氏と菅野賢治教授と一緒に映画「マリルカプロジェクト」の音楽に取り組んでいます。これは、第二次世界大戦中にドイツと東ヨーロッパから日本と中国を経由してオーストラリアにいたユダヤ人の脱出についてであり、この期間の最後の生存者を扱う非常に挑戦的で有意義なプロジェクトです。 そして、『Schlafen』や近年のアートワークを製作してくれているデザイナーの三宅瑠人さんのデザインで、新しいピアノの楽譜を発表する予定です。 ーーヘニングさんの新しい作品に出会えるのを楽しみにしています!最後に、日本のファンに一言お願いします。 stay strong and healthy! 日本に来るための新しい計画が立てられるように-ガンバリマス!

Text&Edit by 朝倉奈緒 Photo by flau

Henning Schmiedt

1965年生まれ、旧東ドイツ出身のピアニスト、作曲家、編曲家。早くからジャズ、クラシック、ワールドミュージックなどジャンルの壁を超えた活動を先駆的に展開。80年代中盤から90年代にかけて様々なジャズ・アンサンブルで活躍後、ギリシャにおける20世紀最大の作曲家と言われるミキス・テオドラキスから絶大な信頼を受け、長年にわたり音楽監督、編曲を務めている。これまでにドイツ・ジャズ賞、ドイツ・ジャズ批評家賞を受賞、名指揮者クルト・マズアーも一目置くという個性的なアレンジメントやピアノ・スタイルは、各方面から高い評価を受けている。昨年はフランス/ドイツ人のレバノン系シンガーMarie SéférianとのデュオNousを結成し、デビュー作「je suis」をリリースした他、シタール奏者Aki Uedaをフィーチャーしたシングル「Sitano」、ノルウェー/アイルランドの注目シンガーTara Nome Doyleとの「Stille Natt」などコラボレーションを活発化。11月には廃盤となっていたファーストアルバム「Klavierraum」の再発と、その続編となる「Klavierraum, später」を発表した。 詳細はこちら

RELEASE INFORMATION

『Schlafen』

2020年2月19日 Henning Schmiedt tracklist: 01 aria 02 es geht noch nicht los 03 wie war 04 der tag? 05 vergessen sie 06 die Gegenwart 07 tief ein- 08 und ausatmen 09 pssst! 0 sie werden müde 11 und … schlafen 12 aria da capo 詳細はこちら

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downy・青木ロビン×LITE・井澤惇 対談|インディペンデントな活動における音楽との関わり方

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FRIENDSHIP.03

昨年5月に〈HIPLAND MUSIC〉がスタートしたデジタルディストリビューションサービス「FRIENDSHIP.」。 ストリーミングが主流になり、音源を独自で配信するインディペンデントなアーティストが増える一方、膨大な音源の中で楽曲をフックアップされることは難しい状況でもある。数あるデジタルディストリビューションサービスの中で「FRIENDSHIP.」が画期的である点は特定のレーベルや事務所に所属することなく、プロモーションやサポート、ディストリビューションを統合した機能を持つサービスであることだ。 Qeticと「FRIENDSHIP.」が企画する連載の第3回となる今回は「FRIENDSHIP.」のキュレーターとして参加するdownyの青木ロビンとLITEの井澤 惇の対談を実施。3年半ぶりとなる新作をリリースするdownyと、その革新的な音楽性をリスペクトしてきたというLITE。downyの新作・第七作品集『無題』へのアプローチについて訊くと同時に、若手のフックアップや、早い段階から海外でのライブを行なってきた経緯など、インディペンデントな活動を行う今のアーティストにとっても参照点の多い対話を展開してもらった。

FRIENDSHIP.03

Interview: 青木 ロビン(downy)×井澤 惇(LITE)

━━downyは3年半ぶりとなるアルバム・リリースですが、この間にギタリストの青木裕さんが亡くなるという局面があり、そしてギタリストは新たに入れない決断をされたわけですが、アルバムのビジョンはいつ頃立ち上がったんですか? 青木ロビン(以下、ロビン) (青木)裕さんの病気が発覚して、余命1年って言われて。本人は「絶対治すから気にしないでいいよ」とずっと言っていたんですが、じゃあ僕らに何ができるかなというところで、実は3月19日のーー亡くなった日、ワンマンの日にほんとはライブ動画を撮ろうと。(※亡くなった当日、downyのワンマンライブが開催された)何が起こるかほんとに分かんないから、生きてる歴史を撮って残さないと思っていたんです。そこで絶対、新曲をやりましょうと。その時に完成していたのが“砂上、燃ユ。残像”で、今回シングルでリリースした曲なんです。なので、裕さんはギターまで録り終えていました。 他の曲もモチーフはある程度、漠然とはあって、こういうアルバムにしようって構想はありました。1年以内にほんとは出さなきゃって思っていたんです。けど、そこで急にああいうことになっちゃったので、僕らはまず立ち直るというか、進むためのきっかけをどこかで作る必要がありました。それがSUNNOVAくん(の加入)だったりもするんですけど、そんな流れで今作を作りあげていきました。

FRIENDSHIP.03

━━井澤さんは新作をどう聴きましたか? 井澤 惇(以下、井澤) 今日はdownyの新作を褒めまくる気できたんですが(笑)。まず去年の1月に僕らの15周年のイベントにdownyに出てもらったんです(他にtoe、SOIL & “PIMP”SESSIONS)。downyは裕さんが亡くなられてから活動をしていなかったのを知っていて僕らも出演の打診をしたんですけど、動いてくれたんです。それにSUNNOVAさんも加入して、新しいdownyとして前進しているのを僕ら自身もサポートしたかったんです。 ロビン あの日新曲やったんだよね? そこに向けて何曲か新曲やろうって。 井澤 始めようとしてくれるタイミングでしたよね。それを僕らなりにですけど、サポートしたいなっていうのもあって。でも、downyのライブをその場で見た時に自分たちが知ってるdownyではなかったんですね。前に進んでいくのが見えました。僕はずっとdownyの背中を見てたんですけど、まだ背中だったことが嬉しくて。その後にFRIENDSHIP.に参加して、またdownyと関わることになったんですけど、絶対的安心感のある方が来たというのはいまだに変わらないですね。だから最初にこの新作が出ることを知って、聴いてないのに絶対いいって知ってるんですよ、僕の中では。その上で「絶対いい」っていう印象をどう覆すか? ていうのが楽しみで、その作品の中に入っていくというか。僕の中で今回の作品でびっくりしたのは音の環境というか、なんかすごくめちゃめちゃ高音質に作り上げたっていうよりは……。 ロビン そう。全然全然。 井澤 まとまり方が不思議だなと思ったんです。まとわりつくようなギターがあったりするじゃないですか。音って右と左の2ミックスで別れるじゃないですか? でも右とか左とかじゃ考えつかない、立体的な3Dの丸みたいな感じに俺は聴こえて、「これどうやって作るんだろう?」と思って研究しています(笑)。リズム隊の感覚も雰囲気が変わりましたね。 ロビン うん。今回はサウンドデザインも込みで、レコーディングからそうなんだけど、秋山くん(Dr.)も結構、アイデア出してくれて。みんなの感覚が近いところでやっとレコーディングできたかなって感じだったかな。ただ新しいことをやればいいわけじゃないし、古くていいものもちゃんと取り入れたいなとは思ってました。やっぱり打ち込みじゃないので。生の人間がやる面白さもちゃんと出せたらいいなとか、なまりを残したいとか、そこは音の隙間で結構できたなと思ってます。 ━━「どこで何が鳴ってるんだろう?」という不思議さは確かにあります。 井澤 でも裕さんのギターって「裕さんだ」ってわかるんです。裕さんのギターが使われてるっていうのを事前に知らない上で聴いて、「これ裕さんいるじゃん」って思ったんです。その後にロビンさんのツイートを見て、「あ、やっぱりな」と思って。 ロビン “砂上、燃ユ。残像”がそうですね。

第七作品集『無題』 - downy

━━ピアノが特徴的な“pianoid”はリズムもシンプルなようで複雑で。 ロビン めっちゃ面白くないですか? この曲、頭から四つ打ちなんだけど、四つ打ちに聴こえさせない。で、一回、キックが抜けて戻ると四つ打ちに聴こえるという。 井澤 リズムの中でのユーモアですね。 ロビン そうなの。それを言わなきゃ伝わらなさそうだったから言っとこうかなと思って(笑)。 井澤 言っていきましょう(笑)。BPM141の16分音符の裏をBPM188でとらえると8分3連の三音目に置き換えることができる、ということをベースマガジンで言ったら、「全くわかりません」って言われて(笑)。

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━━今ここで具体例を聴かないとわかりません(笑)。 井澤 LITEのリズムに関しては最近は武田(信幸/Gt.)と僕と半々で作るようにしています。いつも帰り道は車で武田と一緒なんですよ。その時に最近はdownyを聴くようにしようかなと思ってます。「これどうしてんのかな?」って研究をするために(笑)。 ━━メンバー同士で聴くとどこで反応するのか分かりますね。 井澤 そう。武田は僕と違うところに反応するのが逆に面白いと思います。でも、好きな音楽が一緒だからっていうのもあるんですけど、downyの音楽自身が、どこに引っかかるかわからない部分が散りばめられてるじゃないですか? それが僕の中で引っかかってるところと違うところで引っかかる人もたくさんいるというのが、うちのバンドメンバーだけでもバラバラなんで、それって面白いよなと思ってます。 ━━シングル曲(“砂上、燃ユ。残像“)の先行配信はdownyとしては初めての試みですが、その意図は? ロビン 先に1回出さないと進まないっていうのもあるんですけど、僕らあんまり出し方っていうのを考えたことがなくて。配信の面ではFRIENDSHIP.さんが色々アイデアをくれて、“砂上、燃ユ。残像“から1回出してしまおう、と。命日までには、という目標を設定していたのもありますが、本人がギターを弾いている曲を早く聴いてもらいたいという気持ちもありました。 ━━ファンからはどういう反応が多いですか? ロビン どうなんでしょう? あまり調べないので全然わからないんですけど、シンプルにミュージシャンの方からメールとかで、「ネクストステージに行った感じがする」って言ってもらえました。音の面も楽曲の面もそれを狙ってるというか、そうでありたいなと。オリジナルなバンドでいたいし、downyは絶対に誰かっぽくないって言われたくないっていうのを突き詰めてやってるつもりなので、それのまた次のステージに行けたかなって感じはしました。

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━━実際バンドが動くタイミングで同時に新曲が聴けるのは嬉しいことだと思います。 ロビン そうですね。その方が早い時代なので、それは無視しても仕方ないというか。多分、どこもそうなんですけど、CD売れないと困るんですけど(苦笑)、やっぱり聴いてもらわないとどうにもならないっていうのはありますよね。早く聴く方法がストリーミングであるなら僕らはそこに否定はなくて、むしろ使っていけばいい。いっぱい聴いてもらえるのが一番いいんじゃないかなって、結構シンプルな感じですね。 井澤 実際、僕はロビンさんがTwitterで「シングルをリリースします」って発信してて、すぐに検索してApple Musicで聴いたんですね。それって今っぽくもあるし、直接的かなと思っています。何月何日発売って打ち出して、雑誌とかに何万円もだして広告打って、取材してもらって、それでいよいよ発売って3ヶ月間プロモーションしまくった上で、発売しました、みんなCD屋にゴー!ってよりは直接的だなと思うんです。お客さんと一番近い存在ですぐ聴けるっていうのは自分たちにとっても利益になります。 ━━LITEはどの段階からストリーミングの試みを始めたんでしたっけ。 井澤 日本でCD売れないってみんなが騒いでいた時にはやってましたね。Spotifyは海外のレーベルがもう先に出しちゃったので。海外ではApple Musicが出る前、Spotifyしかなかったぐらいにはもうリリースしてました。 ━━それは海外にツアーに行くことが増えたからですか? 井澤 むしろ海外にライブしに行くようになった方が先ですね。iPhone3Gの前から僕らは海外ツアー行ってるので。

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━━それはストリーミングも必然ですね。ちなみに今、お2人のリスニング環境はどんな感じですか? ロビン 僕は制作用のスピーカーでも聴きますし、自宅のアナログ用のスピーカー、それとノイズキャンセラーのイヤホンですね。それと車のスピーカーですかね。リファレンスというか、それで聴き慣れるようにしています。 井澤 車のスピーカーはローがすごい出ますよね。走りながらだと、ローが消えるからちょうどいいんですよ(笑)。 ━━スマートフォンでも聴いていますか? ロビン 使いますよ。車はBluetoothです。 ━━井澤さんは? 井澤 俺、イヤホンマニアっていうか、音マニアなんで、家にラージモニタースピーカー、そのラージスピーカー用のヘッドホンを買いました。結構、仕事でコマーシャルな曲を作っていて、マスタリングまで自分でやらなければいけない場面が結構多いんです。ラージスピーカーのような鳴りができるようなヘッドホンを使っています。あと、モニター系がイヤホン含めて4つぐらいあって、リスニングイヤホンが……。(指で数える) ロビン やりすぎじゃん(笑)。 ━━サブスクが普及したことで完パケのミックスで意識するようになったことはありますか? ロビン マスタリングの仕方は目標が変わってくるので違ってきます。全体にいいようにというか。三好(敏彦)さんがマスタリングしてくれたんですけど、リスニング環境の違いで15パターンぐらい送ってくるんですよ。 井澤 すげえ(笑)。 ロビン 「日曜日の夜」とか「月曜日の朝」とか、どんなに同じことやってもマスタリングの音が変わっちゃうんだって。日曜日って家に人が多くて電気使うから電圧ないとか、パターンをいっぱい持ってきて、メンバーでどんどん絞ってって、「月曜日の朝が一番いいな」とか。 井澤 だからか! ロビン で、「月曜日の朝」はiPhoneで聴くとちょっとキックが消えてるんだよね、とか。そういう比較をして絞り込んでいって。毎回、「鼻毛1本」っていう説明を三好さんがするんだけど、「ほんと鼻毛1本の差ですけど、これもあります」って送ってくれる(笑)。

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━━ところでお二人が「FRIENDSHIP.」のキュレーターを引き受けたのはどんな理由から? ロビン 声をかけてもらったのと、僕は単純に<AFTER HOURS>に出したい若手のバンドがいて、ライブに呼べるようになったという環境もあったので、シンプルに好きな子たちの音楽をもっと聴いてもらいたいなと思ったんです。それに関われる話としていいなと思ったからですね。僕はわりととんがり担当で(笑)。とんがった人をいつも紹介してはスタッフが交渉してくれている感じです。 そういうふうにいい音楽をちゃんと広める場所があるなら、そこにたどり着いた方がいいんじゃないか? って子たちをサポートできたらいいなという感覚でした。それにこういう人たちが選んでいるんだったらーーもちろん落とされた人はどこからどう言っても落とされた、になるけど、ちゃんと聴いてるっていうのはわかってるので、安心して送ってくれていいよって感じはします。 ━━井澤さんはいかがですか? 井澤 僕も同じく誘われたからですね。もともと僕は、自分で海外のレーベルをやってたんです。海外ツアーで仲間になったバンドたちをフックアップして、日本だと知られてないバンドなんですけど、そのバンドを日本に連れて来たいっていうのがあって。そのためにレーベルを作ってCDを売って、渡航費として返すっていう。本当にライブの時に売るための物販を作るCDレコードレーベルみたいな、小さなことをやってたんです。それは自分の収入には全くならないけど、でもLITEのためにはなるじゃないですか。LITEが友達の海外のバンドとツアーを廻る名目にもなるのでずっとやってたんですけど。

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ロビン えらいなぁ。 井澤 ということは、それと同じことをFRIENDSHIP.でやれるじゃないですか?(笑) で、僕がやってきたやり方は地道で古いし、CDは売れない。でも、配信だったらもっと早いしっていう意味ではさっきも言ったんですけど、お客さんとの距離がすごく近くなるんですよ。どういうことかというと、海外のアーティストを連れてくる時のプロモーションがライブだけだとどうしても弱いので、もうLITEっていうメディア媒体しか使えないじゃないですか。 その、外国人と一緒にツアー廻ります、けどその外国人、知られていませんみたいな。そうなるとLITEのお客さんしか来ない。だったら配信でプロモーションを兼ねたFRIENDSHIP.があるから、そっちでやってみない? っていう提案ができるんです。 ロビン あとね、定期的にプレイリストを作らせてくれるんです。今まで俺が作って公開したところで、と思ってたんです。

FRIENDSHIP. PLAYLIST Curated by Robin Aoki

━━ロビンさんのプレイリストは未知のアーティストが多くて興味深いです。 ロビン いいでしょ? それに気付けたのが良かった。で、プレイリストをあげたらそのアーティストからメールが来て、「ありがとう」「海外来る時、声かけて」とか。自分が発信することで人との距離がまた急に変わりました。 井澤 つながるんですよね。 ロビン あと、僕が好きな音楽を誰かが聴いてくれて気になってくれて知ってくれたらいいなって思います。そんな試みに参加させてもらえたのはすごくありがたいですね。 ━━井澤さんの選曲はまだLITEを想像しやすいというか。 井澤 ははは。自分の周りに近い人、好きな人の楽曲を選曲しているので。アメリカツアーを一緒に回ったElephant GymやCHONを入れたり。一緒にツアーを回るようなバンドが自分の同世代かちょっと後輩になってきたんですけど、同じように世界で動いてるバンドだから、俺の中では一緒くたに聴いてもらうファンがいてもおかしくないと思ってて。 というのも、海外は当たり前のように一緒に聴いてるんですけど、日本ってちょっと世代が違うみたいな扱いになるというか。それって、toeとdownyを聴いているお客さんと俺らは世代が違うって扱いに日本はなりやすいというか、そこは一緒くたにならないんですよ。 なんで全部一緒に聴かないんだろう? と俺も思ったりしてて。そこを一緒に聴く人たちを作れるように、みたいな願いはちょっとあったりとかします。

FRIENDSHIP. PLAYLIST Curated by Jun Izawa

━━以前、タイラダイスケさんとThe fin.のYutoさんの対談の時、FRIENDSHIP.がハブになって新しいコラボやイベントがあっても面白いという話をしていらしたんですけど、お2人はやりたいことはありますか? ロビン DTM講座ができたらいいなと思いました。選考をしている時に、曲が良くても音が悪い子がいたからもったいないなと思ったんです。録音をこうするだけで良くなるよって講習会とかしてあげたら喜びそうだなと思う。その場で僕と井澤くんが例として曲を作っちゃうとかもいいんじゃない? 井澤 いいですね。全然やりますよ!

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Text by 石角 友香 Photo by Kohichi Ogasahara

FRIENDSHIP. archive

Vol.1 タイラダイスケ(FREE THROW)× Yuto Uchino(The fin.)対談 「FRIENDSHIP.」が目指す新しいアーティストサポートの形とは?

Vol.2 橋本薫×奥冨直人対談|カルチャーとの結びつきから広がる新たな音楽の届け方

FRIENDSHIP.対談

FRIENDSHIP.とはカルチャーの前線で活躍するキュレーター達が厳選した音楽をデジタル配信する新しいサービス。 世界中から新しい才能を集め、それを世界に届けることが私達のできることです。 リスナーは自分の知らない音楽、心をうたれるアーティストに出会うことができ、アーティストは感度の高いリスナーにいち早く自分の音楽を届けることができます。

詳細はこちら

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downy

2000年4月結成。メンバーに映像担当が在籍する、特異な形態をとる5人編成のロック・バンド。音楽と 映像をセッションにより同期、融合させたライブスタイルの先駆け的存在とされ、独創的、革新的な音 響空間を創り上げ、視聴覚に訴えかけるライブを演出。 2004年に活動休止し、2013年に再始動。 2018年にギタリストの青木裕が逝去。2020年SUNNOVA(Samlper/Synth)の正式メンバーの加入を発表。

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LITE

2003年結成、4人組インストロックバンド。今までに5枚のフルアルバムをリリース。独自のプログレッシブで鋭角的なリフやリズムからなる、エモーショナルでスリリングな楽曲は瞬く間に話題となり、アメリカのインディレーベル”Topshelf Records”と契約し、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなどでもツアーを成功させるなど国内外で注目を集めている。 国内の大型音楽フェス”FUJI ROCK FESTIVAL”や”SUMMER SONIC”をはじめ、海外音楽フェスのSXSWへの出演や、UKのArcTanGent Festival、スペインのAM Fest、メキシコのForever Alone Festではヘッドライナーでの出演を果たすなど、近年盛り上がりを見せているインストロック・シーンの中でも、最も注目すべき存在のひとつとなっている。2019年6月5日には6thアルバム「Multiple」をリリースする。

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第七作品集『無題』

downy 2020.03.18(水) RHEN-0001 ¥2,800 (税抜価格)+税 1.コントラポスト 2.視界不良 3.36.2° 4.good news 5.角砂糖 6.ゼラニウム 7.砂上、燃ユ。残像 8.pianoid 9.鮮やぐ視点 10.adaptation 11.stand alone 特設ページはこちら

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“エンタメ×医療”異業種タッグが挑む新たな啓発活動の形。エイベックス&ヒロツバイオ・エンパワーが確信するエンタテインメントの力

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エイベックス&ヒロツバイオ・エンパワー
2018年、エイベックスは株式会社HIROTSUバイオサイエンスとエイベックス&ヒロツバイオ・エンパワー合同会社を立ち上げた。片やエンタテインメント企業、片やがん早期発見のための1次スクリーニング検査『N-NOSE』(エヌノーズ)を手がけるバイオベンチャー。一見、畑違いにも思える2つの会社が手を結んだ背景にはどのような思い・ビジョンがあったのか——。 同社代表を務める・保屋松靖人と『N-NOSE』開発者でHIROTSUバイオサイエンス社代表を務める広津崇亮氏へのインタビューとあわせて、2020/2/15(土)に開催されたチャリティーコンサート『LIVE EMPOWER CHILDREN 2020』の模様もレポートする。 エイベックス&ヒロツバイオ・エンパワー

たった一滴の尿でできるがん検査 『N-NOSE』のインパクト 確信したエンタテインメントの発信力

エイベックス&ヒロツバイオ・エンパワー 保屋松「エイベックス&ヒロツバイオエンパワーの設立に至ったのは、数年前に私の長男が小児がんを発症したことがきっかけです。息子はがんのステージもかなり進んでいましたが、治療の甲斐もあって幸いにも完治。しかし、病院を見渡せば小児がんに苦しむたくさんの子どもたちがいました。医師に聞くと『今は小児がんでも、早期発見なら8割は治る」と言います。この事実を知ったとき、『どうして早期発見してあげられなかったのだろう?』という強い後悔の念にさいなまれたのです。そんな折に知人を介して出会ったのが線虫を用いたがんの早期発見技術を研究していた広津先生でした。当時子どもにがん検査を受けさせるなんて考えはまったくなかったのですが、高精度で痛みもなく、しかも安価にがんを早期発見できるという『N-NOSE』のことを知り『これなら子どもでも受けられるがん検査になるのではないか』と強く感じました」 子息のがん闘病をきっかけに、がんの早期発見に新たなビジョンを見出した保屋松。一方の広津氏はたった一滴の尿でがん患者と健常者を高精度に識別する画期的技術を用いた検査『N-NOSE』を、いかにして世に送り出そうと模索する真っ只中にいた。はたして保屋松との出会いにどのような可能性を見出したのだろうか。 広津「保屋松さんと出会ったのは、ちょうど『N-NOSE』が完成したころでした。当時の課題といえば『この技術をみんなが知ってくれるにはどうしたらいいだろう?』というもの。実は日本は乳がんにおける『ピンクリボン運動』のように、啓発活動は行われているもののがん検診受診率は一向に上がらない、という現実があるのです。確かに『N-NOSE』は画期的な検査です。しかし、ただ『N-NOSE』があればみんなが知ってくれるかと言うとそうでもない。啓発ポスターを貼るといった従来型の普及活動よりも、もっと強力にアピールする手段が必要だと考えていました。そんなタイミングで保屋松さんから『a-nation』に招待していただいたのですが、オーディエンスの熱狂ぶりがとにかくすごい。『この発信力があれば、がん検査の大切さを若い人に伝えられるのではないか』と即座に思いましたね」 エイベックス&ヒロツバイオ・エンパワー 『a-nation』でエンタテインメントが持つ強力な発信力にある種の確信を得た広津氏。がんを線虫の嗅覚で検知という、世紀の大発明と言っても過言ではない『N-NOSE』の完成までにはどのような紆余曲折があったのだろうか。 広津「私はもともと医者ではなく、線虫の研究者です。だから『線虫の嗅覚が優れている』ということは知っていました。ただ、線虫という生物はあくまで基礎研究に用いるものであって、それ自体の嗅覚を世の中の技術に応用しようという考えはありませんでした。では、なぜ思いついたかというと、それはがん探知犬の存在です。生物の中にはがんをかぎ分ける能力を持つものがいる。ただ、犬の集中力には限界がありますし、飼育コストなどを考えると実用化は現実的ではありません。そこで思い出したのが優れた嗅覚を持つ線虫でした。『犬にできるのなら、線虫で試してみてはどうだろう?』というシンプルな発想から研究をスタート。すると、あれよあれよという間に結果が出て論文を発表することになったのです。もちろん、基礎研究でいい結果が出たといっても、『たまたま少ない検体でいい結果が出た』とも考えられます。線虫ががんの臭いをかぎ分けることを完全に証明するためには、より多くの症例数が必要でした。また、実験室レベルであれば人間の手でできますが、最終的に実用化を目指すなら機械化しないとたくさんの検体を処理することができません。その2つの課題を解決するにはどうしたらいいかと考えた時に、大学教員という立場でやるのはほぼ不可能だろうと思い、大学を辞めて会社を設立しました」 続きはこちら

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スーツが私服の“昭和芸人”岩井ジョニ男が「走れるビジネスシューズ」で実際に走ってみた

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岩井ジョニ男
スーツで働く人にとって、日常的に身に付けるアイテムは快適なものがいい! とりわけ通勤でたくさん歩く方、外回りが多い方にとってはシューズが重要です。そこで今回は、高機能な“走れるビジネスシューズ”企画として、『ホーキンス(HAWKINS)』のプレミアムシリーズからバージョンアップしたビジネスシューズを紹介します。 そのモデルとして登場していただくのは、七三分け×黒縁メガネ×ちょびヒゲにスーツがトレードマークの芸人・岩井ジョニ男さん。2018年に始めたインスタグラムが今やフォロワー8.6万人、そして昨年は自身初のフォトエッセー「幻の哀愁おじさん」発売と絶好調のジョニ男さんが走れるビジネスシューズを体感します!

スーツスタイル誕生秘話と、人気爆発中の“ジョニスタグラム”

──ジョニ男さんがスーツのスタイルに目覚めたきっかけは? きっかけは高校生のときですね。当時の私はデヴィッド・ボウイが好きで、そのライブツアーのビデオを見てすごく感動しまして。その前からデヴィッド・ボウイは知っていましたが、山本寛斎さんがデザインしたサイケな衣装からスーツへの変貌に衝撃を受けたんです。自分の親父はサラリーマンなので、毎日スーツを着て仕事に行っていたのですが、それとのギャップもありましたね。それで僕の地元は千葉なのですが、原宿のシカゴという古着屋まで本を見ながら行ったところ、たまたま燦然と光り輝く水色のスーツを見つけたんです。3ピースで3980円、ピエール・カルダンのスーツでした。それは何年か前まで持っていたのですが、着すぎて褪せてしまったり、クリーニングに出しすぎて折り目が薄くなったりで泣く泣く処分しましたね。 岩井ジョニ男 ──その後、芸人となってステージに立つときも最初からスーツだったのですか? タモリさんの付き人からピンになって、そのあとにバカ王子というコンビを組んでいたのですが、そのときは漫才をしていて安いおそろいの黒のスーツを着ていました。そのバカ王子が解散したあとにイワイガワを結成するのですが、相方の希望もあってこちらはコントだったんです。コントって衣装が毎回変わるじゃないですか? それでたまたま「司会者とラッパー」というコントをやるときに僕が衣装として持っていったのが、高校生のときに買ったピエール・カルダンのスーツだったんです。そのネタがけっこうウケてそのあとにオンエアバトルとかに出たりもして、司会者シリーズみたいなのを何本か作ったんですね。 岩井ジョニ男 岩井ジョニ男 ──コントのネタがきっかけでジョニ男さんのスタイルが確立されていったのですね。 はい。あるときよく来るお客さんから「ジョニ男さん、コントの司会者の格好で今度一緒に写真を撮ってもらえませんか?」と言われました。その頃、普段はカジュアルな格好をしていたのですが、コントの衣装用としてだけでなくプライベート用にもスーツは集めていたんです。 ──スーツの好みはその頃からずっと変わらずですか? そうですね。1970年代か1980年代初期のスーツが好きです。デヴィッド・ボウイは1980年代なんですけど、僕が買ったピエール・カルダンのスーツは1970年代のものだったので、そっちのシルエットの方が好きになっちゃって。それは今でも変わらないですね。 岩井ジョニ男 岩井ジョニ男 続きはこちら

photo by 大石隼土 interview&text by ラスカル

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「いつかひとつになれると信じている」ライブドキュメンタリーシリーズ「Keep A L1ve」釈迦坊主インタビュー

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釈迦坊主

Qeticが新たにローンチするライブドキュメンタリー動画シリーズ「Keep A L1ve」。その第1弾として、異色のラッパー釈迦坊主が登場する。オープニングCGは、釈迦坊主のイベントにレギュラー出演するVJ、球根栽培が担当。彼のライブの魅力が凝縮された動画の公開と合わせて、この度インタビューを敢行した。 トラップを主軸にしながらも独自に音楽性を拡張させていく、釈迦坊主の妖艶で謎めいたラップスタイルは、ヘッズからギャルまで多様な人々を魅了させる。彼がオーガナイズするパーティ<TOKIO SHAMAN>は毎回満員になり、昨年は1,000人規模の恵比寿LIQUIDROOMで実施するまでに成長した。徐々にヒップホップ・シーンを侵食していく釈迦坊主本人にライブへの思いを聞かせてもらった。

Interview:釈迦坊主

釈迦坊主

釈迦坊主としての初ライブ

━━今回公開される「Keep A L1ve」の第一弾として撮影されるまでの流れを教えていただけますか? きっかけは恵比寿Baticaの店長の鈴木さんがQeticを紹介してくれたことからです。僕はメディアと繋がるのが苦手なんですが、鈴木さんに導かれました(笑)。元々4年前にSoundCloudから出演オファーをいただいてから知り合って、<TOKIO SHAMAN>の前身となるイベントは一番最初渋谷nostyleで始めたんですが、途中から恵比寿Baticaで開催することになって、もう4年以上の付き合いです。 ━━今や<TOKIO SHAMAN>はLIQUIDROOMという大きな規模で開催するに至っていますが、時を戻して、初めてライブしたときについて聞かせていただけますか? 釈迦坊主として活動する前にバンドをしていましたが、ライブの機会はありませんでした。スタジオに入ってオリジナル曲を演奏するだけで、人前で披露する前に解散しちゃいました。釈迦坊主としては、2012年に御茶ノ水のKAKADOという小さいクラブでの出演が初です。いろいろな曲をカバーするシンガーソングライター、他にもうひとり、釈迦坊主の3人というよくわからないイベントで、完全に駆け出しの頃って感じですね(笑)。 ━━初めてのライブはどうでしたか。緊張しました? 緊張したけれど、やはり楽しかったですね。その時にライブをすることで本当の自分でいられる瞬間を掴み始めたというか、釈迦坊主として内なる自分を爆発させ始めたような。でも今まで自分を隠して生きてきたので、裸の自分を見てもらう機会がなく、丸裸すぎて恥ずかしいという意味で緊張をしていました。その時のライブの内容は、アンビエントなトラックにポエトリーリーディングをするスタイルだったので、今とはぜんぜん違うんですよ。 ━━そこから今のスタイルに繋がっていくようなライブはありましたか? 始めてから6年間はお客さんがいなかったので、来てくれるようになったのは最近です。お客さんが自分のリリックをかぶせてくれるようになって、お客さんが来るようになってからライブの形が変わりましたね。今まではお客さんと繋がらなくていいという感覚でライブをしていましたが、最近はお客さんと一体になる楽しさもあるんだなって。こういうライブにしていこうと考えていませんが、自然にそういうライブの形になりました。 ━━明確な方向性はないけれど、お客さんを沸かせたいと。 一番興味がなかった部分ですが、そうなっていますね。最初の頃はお客さんをどれだけシーンと、唖然とさせられるか、をテーマにしていて。お経を唄ったりしていました(笑)。最近、お客さんが大勢来るようになっても昔から来てくれてる人はずっと来てくれていて、それは芯となる音楽的なブレない部分があるからかなと考えています。女の子のお客さんが来るようになったのも最近ですね。途中からストリート系やヘッズの子がくるようになって、女の子もいるし、ビジュアル系や服飾系の人たちなど、クロスオーバーにいろいろな人たちが来るイベントになって、それが面白いです。 ━━お客さんの数が増えてからライブの心構えは変わりましたか? 変わらないと言いたいところですが、変わりますね。自分の中では、人が大勢いるところで伝えたいことと、人が少ないからこそできる伝えたいことが違うんです。それはMCで喋る内容にも表れてます。例えば、Baticaでライブした時は、オカルトの日月神示やマヤ暦の話もできる。小さいクラブに来るのはコアなお客さんが多いので。ただ、リキッドルームのようないろいろなお客さんが来る場所ではそういう話はやめておこうかなと(笑)。

釈迦坊主
釈迦坊主

何事も直前に決まるライブ

━━自宅からライブの現場に向かう際に持ってくものはありますか? なんですかねぇ。携帯電話と財布ですかね。 ━━トラックの音源はDJに託しているんですか? 音源のファイルは事前に送っていて。いろいろ成り行きで成り立ってる。ブッキングやタイムテーブルも結構直前に決めるんです。事前に計画するのが一番苦手です。周りの人には迷惑かけているけれど、そうじゃないとできないっていう変なこだわりがあって。 ━━なるべく当日に近い雰囲気を出したいという? そうですね。曲も完成したら次の日に出したいぐらいです。だから、物事をあたためるのが苦手なのかもしれない。 ━━バックDJの方と打ち合わせたりしますか? ほぼしないですね。曲順も直前に決まるんです。これも怒られるんですが、「こういう大きいイベントは事前にセットリストを送らなきゃいけないんだよ」と言われていても、わがままはわかっているけれどギリギリじゃないとできないスタンスで押し通していますね。直前に“降りてくる”感覚を優先したいんですよね。なので、バックDJのHIGH-TONEにも、ライブ中に曲順を変えてもらうこともありますが、わがままを聞いてくれますね。 ━━信頼関係があるんですね。 だいぶありますね。ちなみにHIGH-TONEは僕のバックDJだけでなく、色んなたくさんの友達のバックDJもしているんです。僕、クラブでよく携帯と財布なくしがちなんですが、HIGH-TONEは「釈迦さんそこです!」ってすぐ見つけてくれる。安心感がありすぎますね(笑)。それとHIGH-TONEは<TOKIO SHAMAN>が終わった後とかに、ロマンチックな言葉を言ってきますね。「みんなの背中を俺は後ろから見て本当に色々思うことあるよ」とか勝手にアツくなる。そういう気持ち悪いところも愛してます。 ━━情熱の掛け方がラッパーとDJだと違うんですね。 みんなのことを考えてくれていますね。あとHIGH-TONEはいろんなクラブにめっちゃ知り合いいます。みんなに会いにいつもクラブで遊んでます。そういう可愛いやつですね。

釈迦坊主
釈迦坊主

注文ゼロのオーガナイズ

━━他にライブ中にコラボレーションする人はいますか? フィーチャリングのラッパーかな? あとはVJを球根栽培さんに頼んでいて、視覚的にもかましたいというコンセプトがあるので呼んでいます。球根栽培さんとの初めての出会いは、たしか2013年頃にmixiで。たまたまマイミクになって当時は一緒に活動しませんでしたが、最近はよくお願いしています。不思議な関係でセンスがだいぶ好きですね。 ━━映像に関して、釈迦坊主さんから「ここをこうしてほしい」っていう注文はしていますか? 何も注文していないですね。それだけでなく、イベントの出演者全員に「好きにしてください」ということを言ってます。「こういう風にして」「こういうのはやらないで」と言ったことはない。「好きに各々散らかしてくれ」というのがコンセプト。注文ゼロ。だから、VJもDJも含めた出演者には、イベントの空気を読まなくていいと話してます。各々が自分のセンスを個人的に爆発させているだけなので、みんなライブの雰囲気はバラバラ。まとまってなさ過ぎていて、逆にまとまっているように思える瞬間もある。それでいうと、今回の『Keep A L1ve』も、球根栽培さんとカメラマンのitaruさんにお願いしてますが、こうしてほしいということは何も伝えてないです。 ━━釈迦坊主さんは<TOKIO SHAMAN>では出演者を選んでタイムテーブルを決めるぐらい? ただそれだけです。オーガナイザーとして良くないんですが、面白いイベントを作ろうとか考えたことがなくて。基本的には自分たちでライブができる場所を作りたいだけなので、エンターテインメント性が低いかもしれない。始めた頃から、こういう風にしてお客さんを呼ぼうとか、今流行ってるゲストを呼んで集客しようという考えがゼロなんです。なので、自分もイベントを運営しているというより、自分がライブする場所を作っているだけで、そこに賛同してくれる奴らがいるだけ。

釈迦坊主
釈迦坊主
釈迦坊主

各々にとっての自分の居場所

━━ライブ終わった後にファンが集まってくるの見てるとやっぱりビックリしますね。 そうですね。こんなことになるとは思っていなかったので嬉しい。ありがたいです。デモ音源を渡すためだけに大阪から日帰りで来た奴もいましたね。でも、デモ音源を送ってくる人の中には「自分も<TOKIO SHAMAN>に出るのが夢なんです」という人もいますが、そうじゃねえんだよなあと。そもそも<TOKIO SHAMAN>の出演者は、自分から出たいと絶対言わないような奴ばかり。ブッキングは僕が無理矢理誘って、「うーん、出ますよ……」と言われる関係性で、僕が勝手に見つけたり友達の紹介で繋がった人ばかりです。 ━━では、自分のスキルを磨くしかないですね。 この前地方の遠征で、既存のヒップホップ・シーンの上下関係が面倒くさいから若い子たちが自分たちで作った、っていうイベントに出させてもらって。初めてのイベントだったけれど、若い子たちでパンパンで、すごく盛り上がってて、楽しかったんですよね。その子らが「俺らは<TOKIO SHAMAN>を見て、自分たちの居場所は自分たちで作ろうと思ったんですよ」と言ってくれて、めっちゃ嬉しかったんです。だから、既存のイベントに出たいと思うより、各々で自分たちの好きな場所を作ればいいと思いますね。 ━━お互いに居場所を作って交流して、自分の知らないコミュニティやシーンに参加できると面白い。 そうなんですよね。それが一番面白い状況だと。「<TOKIO SHAMAN>を見て、そういう風にやろうと思ったんです」っていう人から、ちらほら連絡来るんで本当に嬉しいですね。自分たちは言葉よりも体現していることで伝えたいので、そういうのが伝わってるなあと思って。若い子たちはそういうところを一番見てくれるのかなとも感じました。 ━━いろいろ言いすぎて説教臭くなるのも良くないですからね。アウェイのイベントに出る時の心構えはありますか? いや、ないですね。滑っても呼んだやつが悪い(笑)。いつも通りの釈迦坊主をやらせてもらっています。基本的に全部アウェイなので、俺はもう気にしないですね。

釈迦坊主

Photo by Masato Yokoyama

釈迦坊主

Photo by Masato Yokoyama

釈迦坊主

Photo by Masato Yokoyama

海外で堪能するトリップ感

━━明日からイギリスに行ってライブをする(インタビュー当日の3月17日は開催予定だった)という超アウェイが待ち構えてますが、なにか思いはありますか。どういったイベンントですか? 初イギリスで、今回10日間行ってきます。詳しくは聞いていないんですが、トラップとかが流れるアングラでコアなイベントです。以前Tohjiも出ていたイベントで、イギリスで活動しているバンドBo NingenのTaigen Kawabeさんの経由で出演することになりました。 自分のラップは、昔から何言ってるか聞き取れねえって言われていてそれでも成り立ってるんで、イギリス人がリリックが聞き取れなくてもいいと思っています。中学生の時に洋楽聴いた時に歌詞がわからないけどめちゃくちゃ泣いた経験があるんですけど、音楽は究極そういうことだと思ってるんです。歌詞がわからないけれど食らってくれるような音楽を体現したい。イギリスの空気感は全く見えないですけど、いつも通りやってお客さんの反応を見たい。 ━━去年はインドに行っていましたが、旅行が好きなんですか? 好きになりかけていますね。トリップが好きなんです。インドに行った時も毎日飛んでるような状態だったので。今回のイギリスの旅も、ただトリップしたいだけなのかもしれないですね。なので旅行が好きっていうよりは、トリップが好きです。

釈迦坊主

釈迦坊主らしさを固定しないスタンス

━━では、最後に今後の活動は? 今アルバムを作っていて、今までやったことないことばかりチャレンジしています。生音を入れてみたり、全然関係ないいろいろなアーティストとのクロスオーバーがあったり。ちょっとネクストだよ、みたいなアルバムです。 ファースト・アルバムの『HEISEI』は、本当に平成だったわって感じで、もはや過去ですね。非公開にしてもいいぐらい粗が見えてしまう(笑)。細かい部分の粗が気になってるだけなので芯の部分では気に入ってるんですけど。次のアルバムは粗が見えないようにして。 それと釈迦坊主っぽいものを作りたくないんですよね。自分が飽きちゃうしパッケージ化したくないっていう。多面的でありたいですね。 ━━多面的、いい言葉ですね。 SNSひとつとってもそうですけど、ひとつの側面だけで人を判断する世界は退屈で狭いです。面白くない。人間はもっと多面的なんで。「”Black Hole”みたいな曲作ってよ」とか、過去に作った曲を作って欲しいと言われるんですけど、そういうことを言われれば言われるほど絶対作りたくない! って思いますね。性格がひねくれているんで(笑)。求められると求められた事をやっちゃいけないなと考えてしまうんです。 自分はラッパーだけど、俯瞰的なんです。自分の主張が正しいと思いすぎないようにしてる。やはり一神教になっちゃうと、自分の考えに沿わない人間が全員悪になってしまうので。そういう考え方が活動にだいぶ影響を与えています。「誰の方がスゴい」「こいつの方がイケてる」とかがない世界に行きたいですね。こいつはこいつでいい。 ━━そういう事を言うラッパーはなかなかいないですよね(笑)。 もしかしたらラッパーじゃないかもしれないですね(笑)。めんどくさいからとりあえずラッパーにしておこう、なんでもいいやって感じです。 ━━最後にオマケで聞きたいのですが、Instagramのライブやゲーム実況などの配信をよく行っていますが、そこに対する思いはありますか? 配信は話をしたくなったタイミングで始めていますね。意図はないんですけど、子供の頃からゲームをしてる時も「みて!みて!」みたいな子で。学校のスピーチもみんなの前で喋るのが好きすぎる奴だったので、喋りたい欲求を満たすためにやっています。なので、配信中毒ですね(笑)。 あと、自分の中に自分が二人いるという感覚がいつもあるんです。高校中退して歌舞伎町でホストを3年やって、金と女とドラッグを覚えてしまって(笑)。その後、ネットラップという全然別ベクトルなアンダーグラウンドに参加しました。ネットラップは、ラッパーなのに引きこもりばかりというアングラな世界で、虐げられてきた闇の中で自分たちの葛藤を表現していて。歌舞伎町の闇とそのネットラップの闇ってベクトルが真逆ぐらい違うんですけど、同じ人間の共通するテーマはあると思っています。自分は、歌舞伎町でホストやってた頃は週7で歌舞伎町で遊んでたくらい家にいたくない奴だったんです。でも、ホストやめた後はその反動で引きこもりになりました。毎日家に籠って曲を作ってましたね。極端すぎるっていう(笑)。なんで、インスタライブをするのが好きな自分もいれば、そういうのが嫌いな自分もいるんです。友達と遊ぶのが大好きなラッパーの自分と、友達どころか人とすら関わりたくないトラックメイカーの俺がいつも喧嘩してます。 それもあって、ファンの中ではインスタライブをやめてアーティストっぽく立ち振る舞ってほしいと言う人もいたり、逆に配信してほしいというファンもいて、それがごちゃごちゃになっています。ファンとファンが言い争っているのを見てると、最低なんですけど楽しくなっちゃう時がある(笑)。でも、いつかひとつになれると信じているんで。今は言い争っているけれど、俺の音楽性もスキルも上がって大きくなっていったら、わだかまりもなくなっていつかはわかりあえると信じています。

釈迦坊主

Keep A L1ve - 釈迦坊主

Text:高岡謙太郎 Photo:Leo Youlagi Live Photo:Masato Yokoyama

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釈迦坊主

shaka bose 釈迦坊主

和歌山県御坊市出身。ラッパー、トラックメイカー、ミックスエンジニア、 またある時は映像作家としても活動する東京在住のマルチアーティスト。 TwitterInstagram

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釈迦坊主

DRAGON

Now On Sale shaka bose 釈迦坊主 Label:Tokio Shaman Records All Tracks Produced by shaka bose. Mixed and mastered by shaka bose. Artwork by Ryu Nishiyama Format:配信 Track List 01. Dragon 02. Shinjuku 03. Poo 配信はこちら

釈迦坊主

NAGOMI

Now On Sale shaka bose 釈迦坊主 Label:Tokio Shaman Records All Tracks Produced by shaka bose. Mixed and mastered by shaka bose. Artwork by Ryu Nishiyama Format:配信 Track List 01. Hideout 02. Supernova 03. iPhone 9 ft.OKBOY,Dogwoods 04. Bill Gates ft.Anatomia 05. 999 ft.Iida Reo 06. Alpha 配信はこちら

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インタビュー|コエステーションが開拓する 「エンタメ×声」の可能性 エイベックス×東芝が推進する オープンイノベーション

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コエステーション
エイベックス株式会社は、東芝デジタルソリューションズ株式会社と共同出資で新会社「コエステ株式会社」を設立した。東芝が2018年よりローンチしたコエステーション事業を、新会社でさらにドライブをかけていく。今回はエイベックス×東芝のタッグが見据える展望や事業の意義について、エイベックス株式会社・グループ執行役員兼コエステ株式会社・代表取締役社長の加藤信介と、コエステ株式会社・執行役員(東芝デジタルソリューションズ株式会社より出向)を務める金子祐紀に話を伺った。

音声合成技術によるコエのプラットフォーム “技術”と“コンテンツホルダー”の2社がタッグ

近年はさまざまなデバイスに音声で機器を操作する音声インターフェースが搭載され、そこで使用される音声合成技術を取り巻く市場は急速に拡大している。また、エンタメ分野においても音声合成技術のニーズは高まり、それに応える形で「コエステ株式会社」は誕生した。この新会社の核となるのは、東芝が長年研究を重ねてきた“音声合成技術”。そして同社が2016年から開発をスタートし、2018年にローンチしたプラットフォーム「コエステーション」だ。 コエステーション 金子「東芝は40年以上も前から音声合成技術の研究を続けていて、コエステ株式会社でもその強みを持った東芝のメンバーたちが引き続き開発に携わっています。コエステーションとはユーザーがいくつかの指定の文章を読み上げた声を元にAIが自動でその特徴を学習し、声の分身である“コエ(声)”のデータを生成するプラットフォームで、そのコエを使ってさまざまなサービスを展開しています」 自然に喋ることができる、感情表現を自由にできる、誰かの声に似せて喋らせることができるといった強みを持つ東芝の音声合成技術は今もなお進化を続けており、日本語から多言語に喋らせることができる“クロスリンガル”という技術の実現も近いという。 ※現在コエステでは11言語に対応しているが、日本語のコエで日本語、英語のコエで英語が発話できるところまで技術開発が進んでいる。今後このクロスリンガル技術が確立すると日本語のコエで英語や中国語、ドイツ語などさまざまな言語を発話させることができるようになり、その効果としてアニメや映画を原作の声のまま海外展開するなども可能になるかもしれない。 そしてその東芝が持つ“技術”の強みと、エイベックスが持つ“コンテンツホルダー”の強み。その二つが掛け合わさったことがこの事業における推進力となっている。 加藤「お互い異なる強みを持った2社がそれらを掛け合わせて何か楽しいことをできたらいいよねっていうのはよくある話だと思います。ただそこから実際に価値を創出する、一つの共同体になるっていうところまで仕上がるパターンはあまりない。その意味でいうと今回の事業というのは、2社の強みを生かした先に新たな価値や市場を創造できるイメージが明確に湧いたことが、まず動き出すにあたって大切なことでした」 続きはこちら

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”音楽はずっと自分の味方なんだ”|美声のSSW・Mark Diamondが語る、新曲”Rita”への思い

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昨年5月に〈HIPLAND MUSIC〉がスタートしたデジタルディストリビューションサービス「FRIENDSHIP.」。 ストリーミングが主流になり、音源を独自で配信するインディペンデントなアーティストが増える一方、膨大な音源の中で楽曲をフックアップされることは難しい状況でもある。数あるデジタルディストリビューションサービスの中で「FRIENDSHIP.」が画期的である点は特定のレーベルや事務所に所属することなく、プロモーションやサポート、ディストリビューションを統合した機能を持つサービスであることだ。 Qeticと「FRIENDSHIP.」が企画する連載の第4回となる今回、アメリカで活動するSSW マーク・ダイヤモンド(Mark Diamond)にメールインタビューを行った。 FRIENDSHIP.では日本のアーティストのみではなく、海外のアーティストのリリースも積極的にサポートしている。今回、マーク・ダイヤモンドのデジタルディストリビューション(日本エリア限定)をFRIENDSHIP.が担当。リリースされる作品”Rita”について、彼自身の思い、そして彼が最近聞いているという楽曲のプレイリストを作成してもらった。

Mark Diamond - Rita (alive in nature)

INTERVIEW:Mark Diamond

━━日本のリスナーに自己紹介をお願いします。 ━━Please introduce yourself to the Japanese listeners. アメリカ・シアトル出身のシンガーソングライター、マーク・ダイヤモンドだよ。 今はリリース予定の2ndアルバムの制作を一生懸命している。そのニューアルバムから先日”Rita”という先行シングルがリリースされたんだ。 My name is Mark Diamond. I am a singer-songwriter from Seattle, WA. I’ve been hard at work releasing music in support of my upcoming second album. The first song was just released, called "Rita". 僕の作曲はとてもパーソナルなものをモチーフにしていて、"Rita"は色々なことがあったこの2年間についての曲になったんだ。プライベートな生活や音楽活動など、つまり僕の人生に基づいたストーリーになっているよ。僕の曲を聴いて、「私と同じ気持ちを感じている人がいるよね」と思って、安らぎを得ることになる人がいれば嬉しいな。 My writing is always very personal and these new releases are songs about what I’ve been going through the last couple of years. These stories are about my life, both personal and professional. I hope that people can find peace in these songs, knowing that there is someone else out there who feels the way they do. ━━今作“Rita”についてのエピソードを教えてください。 ━━Could you tell us some episode/story about the making of the song “Rita” ? “Rita”はすぐに完成したんだ。 My song “Rita” was written quickly. ちょうどその頃、地元のシアトルから、いま住んでいるロサンゼルスに戻ったところで、少し落ち込んでいてツラい時期だったんだ。僕はコミュニケーションを取るのがあまり得意じゃないから、心がバラバラになってしまう気がするくらいに自分の中に気持ちが溜まってくることがあるんだ。けど、音楽のおかげで心はバラバラにはならない。自分の気持ちを伝えるように、ずっと味方として音楽があることで安心をしているよ。 I had just gotten to LA after spending time up in Seattle. I had a bit of a heavy heart and felt a lot of regret. I don’t always communicate the best and unfortunately that means it builds up in me until I feel like I’m going to break. However, I’m lucky that I have music to stop me from breaking. It’s comforting knowing I’ll always have music to express myself. ━━“Rita”さんはお祖母さんのお名前という事ですが、“Rita”さんとの印象的なエピソードがあれば教えてください。 ━━As Rita is the name of your grandmother, could you tell us some key episode or story about her, if there is any ? “Rita”は祖母についての話なんだ。彼女の人生は前途多難だったけど、それでも笑って、楽しくしていたよ。ギャンブルやマルガリータというカクテルを飲むことが大好きだったんだ。 “Rita” is a story about my grandmother. She lived a very challenging life and was able to still find laughter through it all. 僕にとって、この歌について話すことはまだツラくて、おそらくこれからもツラいと思う。 けど、みんなには彼女のストーリーを聞かせたいんだ。希望や苦労や愛のある話だよ。 She loved gambling and she loved drinking Margaritas. This song is sometimes difficult for me to talk about and I think it’ll always be that way. I want her story to be heard by everyone. A story of hope, hardship and love.

Mark Diamond - Rita

━━マーク・ダイヤモンドさんのフェイバリットアーティストを教えてください。 ━━Could you share your favorite artists ? 僕が最近よく聞いてるアーティストと曲をプレイリストにしたよ。 This playlist is what I’ve been listening to lately.

Curated by Mark Diamond Spotify

Apple Music

Mark Diamond アメリカ、シアトル出身のアーティスト。 幼少の頃、父親と”シボレーマリブ1969”に乗り、トム・ペティ、フーティー&ブロウフィッシュ、ビートルズ、アールイーエム、ロビー・ウィリアムズなどを聴きながら育った。現在はロサンゼルスを拠点にニューアルバムのリリースツアーを計画している。

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FRIENDSHIP.対談企画 Vol.1 タイラダイスケ(FREE THROW)× Yuto Uchino(The fin.)対談 「FRIENDSHIP.」が目指す新しいアーティストサポートの形とは?

Vol.2 橋本薫×奥冨直人対談|カルチャーとの結びつきから広がる新たな音楽の届け方

Vol.3 downy・青木ロビン×LITE・井澤惇 対談|インディペンデントな活動における音楽との関わり方

FRIENDSHIP.プレイリスト企画 橋本薫×奥冨直人|ファッションを感じるアーティスト

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FRIENDSHIP.とはカルチャーの前線で活躍するキュレーター達が厳選した音楽をデジタル配信する新しいサービス。 世界中から新しい才能を集め、それを世界に届けることが私達のできることです。 リスナーは自分の知らない音楽、心をうたれるアーティストに出会うことができ、アーティストは感度の高いリスナーにいち早く自分の音楽を届けることができます。

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RELEASE INFORMATION

Rita

Mark Diamond 2020.03.17(火)

この曲は僕自身を受け入れられるようになった曲です。 曲作りはシンプルで、たいていかなりエモーショナルです。今年初のシングルが "Rita" ということで緊張してます。なぜなら、この曲は僕にとってとてもパーソナルな曲です。 Ritaは僕のお祖母さんの名前で、彼女とお父さんへ作った曲です。音楽じゃないと気持ちをうまく伝えられないので、お父さんに色々伝えるためこの曲を作りました。人生は辛いもので、僕がその話をするのがあまり得意ではありません。 この2年間は色々な意味でとてもクレイジーな旅でした。僕が曲をたくさん作れない理由は生きるために時間が必要だからです。ですが、僕の音楽で人々に感動してもらえたというのがとてもラッキーだと思いますので、これからもできるだけ多くの人々に感動してもらうように一所懸命頑張るつもりです。ラブリーなRitaの話を気に入ってくれると嬉しいです。

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MIZがアコースティックギターで織りなすベトナムの情景―玉置周啓と加藤成順のロードムービを辿る

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MONO NO AWAREの玉置周啓と加藤成順の2人によるアコースティックユニット、MIZの1stアルバムが完成した。その名は『Ninh Binh Brother’s Homestay』。ベトナムの田舎町にあるゲストハウスの名が冠されている。そこは彼らが本作を録音した特別な場所だ。2人は2本のアコースティックギターと2本の声をもってふくよかな想像力を駆り立てる装飾をまとわないミニマムな歌と、現地に息づく生活音を天衣無縫な様相でここに閉じ込めた。 2020年、春。得体のしれないウイルスによって街の喧騒がかき消され、ネット上には魑魅魍魎が跋扈する混沌の時代の中で、このアルバムはどのように受け止められるのだろう? 東京に史上初の緊急事態宣言が発令された夜、MIZの2人にオンラインインタビューを実施した。

INTERVIEW:MIZ

過去に見た風景と、そのとき聴いた音楽がリンクする

玉置周啓(以下、玉置) どうも、MIZといいます。よろしくお願いします。 加藤成順(以下、加藤) よろしくお願いします。 ──このご時世にあって、部屋にいる生活時間もナチュラルに彩ってくれるような音楽が鳴っていて。シンプルにすごく心地いい音楽作品だと思います。 玉置・加藤 ありがとうございます。 ──時系列を追って訊いていきたいんですけど、MONO NO AWAREとは別軸でMIZというユニットが立ち上がったのはどういう経緯なんですか? 加藤 最初は4年前の10月ですね。僕が八丈島の写真をモノクロで撮ってそれを渋谷のダイトカイという場所で展示する機会があったんですけど。八丈島に行ったことのある人はその人の中でモノクロ写真に色をつけたり、行ったことがない人も何か自分の思い出が喚起されるようなことがあればいいなと思ったんです。で、そこに音楽もつけたいと思ったんですよね。 玉置 俺も島で育ったからそのモノクロ写真を観て実際の色を思い浮かべられるんだけど、島に行ったことのない人は実際の色はわからないじゃないですか。島に行ったことがある人もない人もそれぞれで普遍的な捉え方ができるなと思って。 ──それはモノクロ写真の特性でもあるし。 玉置 あとは前にフランスへ旅行に行ったときにTGV(高速鉄道)の車窓からスイスの景色を見たことがあって。まさに「アルプスの少女ハイジ」みたいなその風景を、旅行に行った2年後くらいにキングス・オブ・コンビニエンス(Kings of Convenience)の曲を聴いたときに想起したんですよね。 ──ああ、キングス・オブ・コンビニエンスのムードはまさにMIZに通じるものがありますね。 玉置 そうそう。そうやって過去に見た風景と、そのとき聴いた音楽がリンクすることが起きたのって人生で初めての経験で。そのことを成順にMIZを始める前に伝えていたんですよね。「すごいことが起きた!」って。 加藤 そう。そのエピソードがめちゃくちゃおもしろいなと思って。そういう音楽を2人でやってみたいなって。 玉置 で、実際に曲を作り始めたのが4年前の11月ですね。 加藤 周啓の家に行ってアコギをちょろちょろ鳴らすことから始めました。最初にできた曲が“パジャマでハイウェイ”と“君に会った日は”ですね。

──最初に曲を作ったときの感触は? 加藤 とにかくユルかったです(笑)。僕がリード(ギターのフレーズ)をつけるのも初めてだったんですけど、本当に気がラクでしたね。 玉置 途中でバンドのほうが忙しくなったので、2人で集まってデモを作ることを徐々にしなくなって。なので、会ったときに「今日やるか」みたいな感じでどちらかの家に行ってiPhoneのボイスメモでデモを録った曲も多いですね。 ──今作にはベトナムでフィールドレコーディングした自然や生活の音も随所に入ってますけど、それもMIZの成り立ちと同一線上にある感覚なんでしょうね。 加藤 そうですね。僕が海外でレコーディングしたいと思ってたんですけど、エンジニアの奥田(泰次)さんがフィールドレコーディングのアイデアを出してくれて。そもそもレコーディングスタジオで録ってもMIZのアコースティックな感じが活かされるかというのは疑問に思ってたし、自然な環境でレコーディングすることを極端にやりたかったんですよね。ライブ自体も最初からライブハウスではやりたくないと思っていて。美容院から居酒屋までその空間ごと感じて、聴いてもらえるような場所でやってるんですけど。レコーディングもその延長線上でしたね。

「あ、これ気持ちいいな」という方向にただただ流れていく

──当然、(玉置)周啓くんも曲作りとレコーディングとライブの感覚はMONO NO AWAREとはまったくベクトルが違うでしょう。 玉置 違いますね。ライブハウスではない場所でやるライブもそうだし、MONO NO AWAREの制作中にやけにMIZの曲ができたりしたこともあって。MONO NO AWAREが去年リリースした『かけがえのないもの』というアルバムは自分的にもけっこう難産だった曲もあったので。行き詰まったらMIZの曲を作ったりしてましたね。そういう意味でも心の支えになってた部分もありました。 ──『かけがえのないもの』はMONO NO AWAREの音楽性の核心をいかに凝縮しながら拡張できるかというチャレンジをし、実際にそれを形象化した素晴らしいアルバムだったと思うけど、MIZの場合は自分から出てくるものをあくまで素直にキャッチするということなんだろうなって。蛇口をひねって水を出して、そのままコップに入れて飲むみたいな。 玉置 そうっすね。だってノリでベトナムに行ってレコーディングするくらいですから(笑)。MONO NO AWAREほど考えなくてもいいし、音の重なりも最小限だし、歌詞を書くときのマインドも違う。MIZは部屋の中で2人で生のギターと鳴らして、歌って、なんの加工もせず、「あ、これ気持ちいいな」という方向にただただ流れていくみたいな感じで作ってるから。浄化されながら作ってる感じがあります。

──歌詞の文量も全然違う。 玉置 極端に言えば、MIZのアルバム全曲で、MONO NO AWAREの1曲分くらいですよね(笑)。 ──あとはサビの概念とかにも縛られてないしね。人によってはAメロをサビに感じてもらってもいいくらいメロディがシームレスで。 加藤 そういう余裕がありますよね。 玉置 僕の生活自体がそもそもそんなにサビがあるものじゃないというか。 ──(笑)。 玉置 笑うところじゃないんですけど(笑)。むしろJ-POPが背負ってる宿命って、サビのある生活をしてない人にとって爆発的な瞬間を提供するようなものだと思うし、ライブハウスの音のデカさにテンションが上ったりすることもそういうことだと思うんですよね。人生ってグーッとアウトフォーカスしていったらめっちゃ平坦だと思うので。MIZの曲は自然とそういうふうになると思うんですよね。

──最初の話に戻るけど、今、部屋にいていろんな情報を見聞きして気持ちが疲弊したり、あるいは情報量の多い音楽を聴くのもしんどいという精神状態の人もいると思うんですよね。そういう人にもこのアルバムはたとえば食事したり家事をしながらでもスッと入ってくるような性格を持ってるかもしれないなと 玉置 だとしたらうれしいですね。ネットニュースで見たんですけど、この状況だからサブスク全体の再生回数が上がってると思いきや、新型コロナウイルスの影響を強く被ってる国ではヒットチャートに上がるような曲の再生回数はかなり下がってるという数字が出ているらしくて。代わりにクラシックやフォークの再生回数はコロナ以前より上がってるらしいんですけど。それを考えると今メッセージ性のある音楽自体も厳しいというか、それどころじゃない状態に陥ってる人も多いのかなと思いましたね。それを考えたらこのアルバムのレコーディングもギリギリだったんですよね。1月頭にベトナムでレコーディングしたので。その1 、2ヶ月後くらいには各国がロックダウンしたり、ベトナムにも3月下旬には入国できない状態になったので(一方で、ベトナムは本稿を書いている現在、新型コロナウィルス感染による死者数ゼロをキープしている)。今回アルバムタイトルにもなっているNinh Binh Brother’s Homestayというゲストハウスがあって。そこにいる人たちが今どんな暮らしをしているか気になるというか。個人的にはそういうことを考えるきっかけ──海外に友だちがいる人のほうが、今の海外の状況を気にかけたりするのかなって思ったし。

──具体的に知っている人の顔が浮かぶのは大きいよね。 玉置 たぶん1月にベトナムに行ってなかったら、この状況でベトナムがどうなってるんだろう?って考えなかっただろうし。このアルバムを作って気にかけたい人が増えたという事実があるなって思いましたね。 加藤 だから、それこそこのアルバムを聴いて地元を思い出したりしてくれたらうれしくて。実際にその道を散歩しなくても思い出せる風景を浮かべられる余白のある曲たちができたと思ってるので。小さなスピーカーで全然いいし、このアルバムを流しながら一息ついてもらえればいいかなって。

わかりやすく情景が理解できるような言葉よりは、音が気持ちよくて、意味もギリギリわかる言葉

──作曲クレジットはMIZ名義のものが多いんですけど、(加藤)成順くんが作曲でクレジットされてる曲も2曲あって。M4の“パレード”とM9の“舟”。両方とも独特のエトランゼ感というか、異国情緒のある曲だなと思いました。 加藤 “パレード”は最初に一人で作っていて、ハタチとか21歳くらいのときに最初のリフができたんですけど。アコギを持って八丈島に帰ったことがあって。夜一人で部屋の窓を開けて庭のほうに向かってギターを鳴らしながら〈ヤンヤンヤヤーン〉って歌いながらできた曲なんです。そのデモを周啓に送ったときに何も言ってないのに島言葉の歌詞を乗っけてきて。 ──この歌詞、すごいと思った。 加藤 僕もマジですごいと思ってビックリしました。僕が島でギターを弾いてるときの空気感を感覚的に察知したのかなって。一人寂しく〈ヤンヤンヤヤーン〉って歌っていたのは、山の奥のほうから誰も知らない祭りの音や声が聴こえてくるみたいなイメージだったので。それをまさに周啓が感じ取って〈祭りだら〉というワードを乗っけてきたから。それってなかなかない経験だし、本当にこういうことってあるんだなと思いました。

──周啓くんはこの曲を成順くんから受け取ったときのことを覚えてますか? 玉置 細かくは覚えてないんですけど、MIZとも関係なく成順はちょくちょく弾き語りで曲を録って、それをたまにSoundCloudに上げていたときもあって。この曲を聴いたときに「孤独なやつだな」って思ったというか。普段は社交的だし友だちも多いんだけど、本質的には孤独なやつだなと思って。でも、誰しも孤独な瞬間って絶対にあって。(加藤)成順はそれをギターのフレーズに乗せるのが上手いなと思ったんですよね。ギターを聴いてるだけで成順が一人でつまんなそうにギターを弾いてるのがすごく伝わってくるというか。その感じがいいなと思って。 ──うん。 玉置 僕は常々──これはMIZに限らずMONO NO AWAREでも表現したいと思ってますけど──人は孤独な生き物であるということをすごく感じていて。さっきのモノクロ写真の話もそうですけど、自分が見た景色や感覚、その色味とかも100%人に共感してもらうことって不可能じゃないですか。同じ現実に対しても人の数だけ受け止め方があって。MIZは音数も少ないし、リスナー側の主体性がかなり大きくある音楽なんじゃないかと思って。やり始めたときはそんなこと考えてなかったけど、徐々にそう思うようになったんですよね。それもあって成順のデモに歌詞をつけるってなったときに普通じゃちょっと理解できない言葉を使うのは面白そうだなと思って。 ──なるほど。 玉置 わかりやすく情景が理解できるような言葉よりは、音が気持ちよくて、意味もギリギリわかる言葉はないかなって考えたときに──僕の中での祭りの原体験は小さいころの島の盆踊りとかなので、そこがつながって島言葉がいいなってなったんです。響きがちょっとフランス語っぽいなと思っていたりもして。

──話を聞いていて思ったのは周啓くんの根底にあるのは、自分と他者の感覚を100%は共有できないけど、互いの想像力でその差異や距離を縮めたい、それが音楽、歌の面白味であり醍醐味であるということだと思うんですね。その視座はMONO NO AWAREにもMIZにも共通しているんだけど、アウトプットの仕方が違う。MONO NO AWAREは文学的な言葉の筆致とオルタナティブな音楽性で、MIZはそれこそモノクロ写真的なミニマムなサウンドスケープとどこまでもシンプルな歌で伝えようとしているなって。 玉置 MIZの場合は歌詞も考え込んで伝えたいことを伝えきるために躍起になるというよりは、ちょっと脳内に浮かんだ映像を写真的に切り取って平面で見せられたらいいなという感覚で書いてるから。 ──成順くん、さっき周啓くんが「孤独な人だなと思った」と言ってましたが、それを受けてどうですか? 加藤 みんなそうっすよね。酒を飲んでベロベロになって夜に一人で音楽を聴くときは暗い曲ばかりだし(笑)、インストも多いし。 ──今の東京に対す(し)る違和感みたいなものが“空砲”という曲に顕著に表れていると思うんですけど、この曲は成順くんも歌っていて。周啓くんが成順くんにこの曲の言葉を預けてる感じもすごくいいなって。 加藤 ありがとうございます。 玉置 あの曲はMONO NO AWAREでも一時期ちょっとアコギで曲を作っていて、そのときにできた曲で。4年くらい前の曲なんです。だから今よりももっと自分の中で東京と八丈島との対比が明瞭にあった時期で。あえて言うなら、“空砲”は他の曲に比べて際立って文学的だと思います。 ──《構えた銃には的が無かったの(と)さ》というフレーズは今このときもリアルに響くなと。 玉置 このフレーズは4年経っても色あせないと自分でも思っていて。もはや都会の対比を超えて普遍的に感じるじゃないかという。それこそ、今の世の中の状況的に《構えた銃には的が無かったの(と)さ》という無力感をいろんな場所でいろんな人が感じてるのかなとも思うし。成順が歌うのも成順が提案してくれたんですよね。

レコーディングも「この時間帯になったら録ろうか」って生活の一部という感じ

──資料には周啓くんがかつてベトナムに旅をしたときに、一昔前の日本にあった情景をシンクロしたというようなことが書かれてあって。あらためて、そのことについても聞かせてください。 玉置 5年前、21歳のときに東南アジアを旅したことがあって。そのときはベトナムではハノイとホーチミンとホイアンに行ったんですね。今回、どこでレコーディングするかってなったときにベトナムに日本の昔の姿を感じたので提案したんです。たとえば漫画や映画で観たような、戦前から50年代とか60年代くらいまでの日本のイメージ。トタン屋根で造られた家と、簡易的なコンクリートで造られた街が広がってるみたいな。完成しきったとは言えないくらいの街の空気感。そして、湿度が高くて都会なんだけど街路樹が鬱蒼と生えてる感じ。ハノイに行ったときにそれを感じて。 ──意図的な整備がされすぎていない感じ。 玉置 そうですね。ヘタなことは言えないですけど、僕の感覚ではおそらくハノイの街は日本の東京のような大都市ほど成熟しないまま機能する社会になったんじゃないかなと思って。日本は建物が古くなったらバンバン取り壊して立て直すけど、ハノイはお店一つとっても外装はそのままで内装を上手く改装したりしていて。1曲目に吹いてる笛もハノイで買ったんですけど。日本の楽器屋よりも雑多に楽器が置かれていて、どの店も直接的で開放的なんですよね。5年前にもそこに感動して。情景としてわかりやすいメッセージがある。あとは、僕は小さいころ島にあるひいばあちゃんの家によく遊びに行っていたんですけど、そこは森の中に建てられた木造建築の家で、苔が生えてる井戸があったりしたんですね。明治時代初期に建てられたらしいんですけど。そこで遊んでいた記憶が強く残っていて。ベトナムに行ったときに泊まったホテルの近くの家を見ると、そのひいばあちゃんの家にそっくりで。 加藤 で、今回もハノイでレコーディングするつもりだったんですけど、ハノイに着いて予約していたホテルに行こうとしたら、ホテルのホストの人が逮捕されて泊まれないってなって(笑)。 ──マジか(笑)。 玉置 事件だったよね(笑)。 加藤 宿を見つけないとヤバいってなって。でも、そもそもハノイは交通量もめちゃくちゃ多いからとてもフィールドレコーディングできる環境じゃなかったんですよね。それで「もう、田舎のほうに行こう!」ってなって。たまたま「こっちのほうに自然がありそうじゃない?」ってポイントを出したところがニンビンだったんですよね。 ──ロードムービーみたいな展開だね。 加藤 まさに(笑)。アルバムのジャットにもなっているNinh Binh Brother’s Homestayというゲストハウスをネットで見つけて、ベトナムに着いた次の日にバスで23時間くらいかけて移動しました。だから、本当に偶然にたどり着いた場所なんですよね。ベトナムには1週間滞在したんですけど、基本的に一発録りだし、曲もできていたんでけっこうゆっくりとレコーディングできました。ゲストハウスの窓を開けたら田んぼがあって、山羊とか牛がいて。めちゃくちゃリラックスできたし、レコーディングも「この時間帯になったら録ろうか」って生活の一部という感じでしたね。

玉置 ちなみに最後の曲“バイクを飛ばして”だけベトナムで作ったんです。 ──この曲でアルバムを閉じることで、次の街に向かう、それこそロードムービーの続きのような画が浮かぶなと思った。 玉置 僕の中でのベトナムは、ニンビンの牧歌的な風景だけじゃなく、湿っぽくて煙たい、湿度を帯びた街──僕の中にあるひいばあちゃんの家みたいなイメージもあったので。だから、ハノイのイメージも曲にしたいと思って。それでこの曲だけは都会の音をフィールドレコーディングして入れたいと奥田さんにお願いしたんです。

──2年後か3年後かわからないけど、MIZが次の街に移動してレコーディングするというライフワークが続くのはロマンがありますよね。 加藤 それはもう、やりたいっすね。 玉置 やりたいね。 加藤 今はコロナでこういう状況ですけど、東京でも空間としていい場所があることも提示していきたいし。そういう場所を求めてる人も多いと思うんですよね。 玉置 僕はプールサイドに監視台を2つ置いてその上でライブしたいですね。 ──プールならではのリバーブがかかって面白そう(笑)。 玉置 そうそう(笑)。それ、マジでやりたくて。せっかくアコギ2本でフレキシブルな形態でやってるので。それを生かして今までなかった音楽の聴き方を模索するのはありだなと思います。

Interview by 三宅正一 Photo byエリザベス宮地

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MIZ 2016年11月結成。MONO NO AWAREの八丈島出身、玉置周啓(Vo.)と加藤成順(Gt.)によるアコースティックユニット。聞き手のある場所の思い出、匂い、音にリンクするような楽曲をコンセプトに制作している。ある音楽を聴いて、風の吹く草原を思い浮かべる人もいれば、かつて住んでいたアパートを思い出す人もいる。それは、耳にした場所が旅先なのか、平日の最終バスなのかというのも関係しているかもしれない。だから、MIZは、さまざまな土地を訪れて写真を撮ってもらったり、もっと誰かの生活に寄り添うような空間で演奏をしてみたりする。そうすれば、僕らの音楽を聴いて思い浮かぶ映像が、めくるめく変わっていくと思うのです。

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RELEASE INFORMATION

Ninh Binh Brother’s Homestay

2020.04.22(水) MIZ Track list 01. Afternoon in Ninh Binh 02. 春 03. 君に会った日は 04. パレード 05. 空砲 06. 夏がきたら 07. 夏のおわり 08. パジャマでハイウェイ 09. 舟 10. バイクを飛ばして

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Interview:多国籍国家で、異国文化を自由に選ぶ|マレーシアのトップ・インディーズアーティストThe Venopian Solitude

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The Venopian Solitude
日本で生まれた私たちの多くが、日本語で教育を受け、日本のドラマや映画に触れながら育ちます。それでは、子供のころから異文化に触れ、複数の言語で教育を受ける環境の国では、どのような音楽が生まれるのでしょうか? 今回話を聞いたのは、アジア随一の多民族国家マレーシアのインディーズバンド:The Venopian Solitudeのボーカリスト、Takahara Suiko(タカハラ・スイコ)さん。 The Venopian Solitudeは、民族音楽、ジャズ、ヒップホップ、多種多様なパーカッションを取り込み、一風変わった音楽性のバンドです。 KFC Original Series: Raya Selamba
その自由さと楽曲の完成度が評価され、マレーシア国内では、ケンタッキー・フライドチキンのコマーシャルならびにNetflixのプロジェクトに参加。 2019年には、日本からゆずやSuchmosらが招かれた台湾最大の音楽の式典、Golden Melody Awards 金曲奨のショーケースライブにマレーシア代表として出演するなど、海外での活動も目立ちます。 その背景を掘り下げたところ、自国の文化に加え、海外文化の影響を貪欲に受け取り、進化してきた過程について、明るく丁寧に語ってくれたので紹介します。

(聞き手=中村めぐみ @Tapitea_rec)

Profile:Takahara Suiko(タカハラ・スイコ)

The Venopian Solitude
Photo credit : Farhan Syaza
1990年12月5日生まれ、スランゴール州シャー・アラム市出身。華僑の祖母を持つ中華系クオーター。The Venopian Solitudeの作詞作曲、ボーカル担当。 高校卒業後、日本(香川県)の高等専門学校へ留学。そのための準備として、マレーシアの準備学校(Prep School)へ通っていた際、勉強によるストレスを発散するために一人で音楽創作を開始。マレーシアへ帰国後、仲間たちとともに本格的にThe Venopian Solitudeの活動をはじめる。 現在、専業ミュージシャンとして生計を立てている。 The Venopian Solitude Official websiteTwitter

多民族国家、マレーシアで受け取る異文化

━━今日は流暢な日本語と英語でインタビューに応えてくれていますが、日本語はどこで学んだのでしょうか? 香川県にある高等専門学校へ留学するために、マレーシアの準備学校で日本語を学びました。 ━━日本の高専へ、しかも地方の学校へ留学する方はなかなか珍しいような…。 マレーシアでは17歳の頃に試験があって、成績が良い人は大学へ、成績がよろしくない人は高専に行くのですが、私は後者だったのです(笑)そして、都会ではなく、地方の学校を選んだのは、マレーシア人のコミュニティに甘えないようにするためです。高専では電子工学を学んだあと、2013年に帰国しました。
(スイコさんのTwitterより。日本語で流暢なラップを披露している)
━━日本に興味を持ったきっかけは?子供の頃に触れたカルチャーはどのようなものでしたか? 日本に興味を持ったのは『ドラえもん』がマレー語の吹き替えで放送されていたのを見たのがきっかけです。マレーシアでもドラえもんは人気番組で、『ドラえもんのテーマ』はみんなが歌えるくらい浸透しているんですよ。 それ以外で言うと、国教であるイスラム教の宗教音楽、ナシードをよく聞いていました。とはいえ宗教一辺倒、というわけではありません。マレーシアでは海外のテレビ番組が放送されていて、それらを家族と一緒に楽しむのが日常で、香港や韓国のドラマインドの映画アメリカのテレビ小説など異国の文化をたくさん受容できる環境だったのですよ。 自国の文化にも、多くの異文化にも囲まれるなか、私の一番のお気に入りは日本の音楽で、スキマスイッチと、NARUTOのエンディングテーマで知ったASIAN KUNG-FU GENERATIONの"ハルカカナタ"が好きでした。 ━━ありがとうございます。マレーシアでは、マレー語に加え英語、北京語なども話されていますが、スイコさんの育ったご家庭では、いつもどの言語で会話をしていますか? 私の家族は、英語とマレー語をミックスして話します。たとえば、「今日はショッピングモールでご飯を食べたい気分だな~」と思ったときは、「I think I wanna makan lunch kat mall kot.」(=I think I wanna eat lunch at the shopping mall maybe.)と言います。 ━━不思議な感じ。 マレーシアでは幼稚園の頃から、一部英語で教育を受けますので、これが日常です。小学校に上がると、国語と社会はマレー語で、数学と理科は、英語で授業を受けますよ。
The Venopian Solitude
House of Vans, KLPAC Sentul, Malaysiaでの一枚 Photo credit:Firdaus Zulkilfly
━━ありがとうございます。留学する直前にリリースした2009年のファーストアルバム「I Stayed Up All Night Doing This」では、フォーク・ソングが多めですが、当時よく聞いていた音楽は? Kimya Dawson、Laura Marling、Kimbra、Kawehi、Kendrick Lamar、Tune-Yards…など欧米のフォーク系シンガーソングライターが中心です。準備学校の友達からおすすめを教えて貰ったり、YoutubeやLast FMで良いな、と思うものを聴いたりしていました。 創作をはじめたきっかけは、準備学校の宿題に取り組むストレスが限界に達し、これを発散するためでした。ファーストアルバム「I Stayed Up All Night Doing This」を創ったときは、一般的な曲の長さに縛られたくないな、という思いがあり、1曲が短いものが多いですね。 ━━日本から帰国後、音楽性がかなり変化していますが、この理由は? レーベルの仲間たちとバンドを結成し、メンバーチェンジを繰り替えすなかで、異なる背景を持ったメンバーたちが自由にアイディアを出し合って曲を製作するスタイルが確立しました。
The Venopian Solitude
Photo credit : THEROCKSHOW
━━現メンバーのバックグラウンドについて教えてもらえますか? ヒップホップとジャズの背景を持つプロデューサー、シークエンス担当のKEMAT、 セッショニストとして経験が豊富で、台湾の張韶涵とも交流があるRUVI、 オーケストラのメンバーとしても活動していたキーボードのADAM、 クラリネットを学んだあと、パーカッショニストに転向したSHAFIQ、 マレーシアン・ポップスとロックが得意な、ギターのIZHAR、 アメリカの名門、バークリー音楽大学を卒業したギターのIRENA、 有名な劇場やメインストリーム、インディーズのバンドの音響技師として活動している、音楽監督と音楽技師のBIJAN。 そして高度教育を受けたテック担当のAPIP、マルチメディアを学んだビデオグラファーのHANが関わって、一人で音楽を創っていたときよりもずっと表現の幅が広がりました━━ 一人ひとりが国際性が豊かで、個性的なバックグラウンドを持っているんですね。曲をまとめるのが大変そうですが、創作のプロセスについて教えてもらえますか? 私たちのリハーサルは、ストイックに練習する時間よりも、試行錯誤を繰り返す「遊び」の時間がとても長いです。私が曲、詞と大まかな構成をメンバーに渡した後、メンバーたちから「これをやってみよう」「こうしたら面白いんじゃないかな?」という提案があり、それらを実際にスタジオでどんどん試していきます。 そんな試行錯誤を繰り返して、一番「良い!しっくりくる!」と思ったものを採用していく。だから、ロックも、ヒップホップも、バラードも、電子音楽も1曲でまとめられるのですよ。 ━━スイコさん自身が、自分のアイディアに、メンバーのアイディアが加わってブラッシュアップすることを楽しんでいるのですね。そんなアイディアの源泉はなんですか? 私にとって音楽を作るのは、寝なければいけない、ご飯を食べなければいけない、というもので、しないと頭がめちゃくちゃになってしまう。そんな存在です。 今、創作について私が決めているたった1つのルールは、「ラブソングは書かない」ことです。恋愛以外の日常生活で起きたこと…たとえばインターネットの記事を読んで怒りを感じたとしたら、その感情を自分を通して表現できます。 表現力を高めていくためには、新しい音楽を聴いて、自分自身をアップデートすることが重要で、そのために言葉の分からない海外の音楽をよく聞いています。最近のお気に入りのアルバムは、Luedji Luna『Um corpo no Mundo』などのブラジル音楽です。

台湾の音楽の式典で

The Venopian Solitude
2019年、Golden Melody Awardsにて Photo credit:THEROCKSHOW
━━マレーシア国外でも活躍するThe Venopian Solitudeですが、2019年に台湾最大の音楽の式典、Golden Melody Awards 金曲奨に招待された時のことを教えて頂けますか。 Golden Melody Awardsへの出演は、クアラルンプールの独立系レーベル兼コンサート・プロモーターであるSoundscape Recordsの創立者、Mak Wai Hoo(マック・ワイ・フー)さんの手引きにより実現しました。 Soundscape Recordsは、マレーシアと海外の音楽シーンの交流を促進する役割を担っています。彼らが運営するCITY ROARS FESTIVALは、Golden Melody Awardsパートナーシップを締結していて、2020年1月の開催時には、台湾や日本、シンガポールのアーティストが出演しました。 ━━なるほど、海外とマレーシアの交流を作る大きな流れがあるんですね。そのなかで実現したショーケースライブへの出演ですが、当日を振り返っていかがですか? いつも私たちは、地元の200人キャパくらいのライブハウスで演奏していますが、今回、台湾で出演したのは、それよりも大きい会場でかなり緊張していました。
The Venopian Solitude
本番前、緊張の一枚 Photo credit: THEROCKSHOW
私たちはマレー語で歌いますので、台湾のお客さんたちは歌詞が分からないだろうな、って。でも実際に演奏してお客さんの反応を見ると、歌詞も音楽の一部として楽しんでくれているのがわかりました。そしてマレーシアで私たちのお客さんは若い方が多いのですが、台湾では、おじいさん、おばあさんくらいの年代の方が、最前列で私たちの演奏を見に来てくれていたのもかなり意外で、なるほど、場所が変わるとこんなにも反応が変わるんだなぁ、と。
The Venopian Solitude
Photo credit: THEROCKSHOW
━━Golden Melody Awardsで台湾のアーティストで、気になった方はいますか? 原住民シンガーの桑梅絹 Vusanaです!歌と民族のSpilitを持つ歌の力に感激しましたし、民族音楽の演奏を大きな会場でも演奏できることに感激でした。 マレーシアでは民族音楽の歌手をイベントで見られる機会はそれほど多くありません。台湾政府は、地産の文化を大舞台にサポートする姿勢があるのだな、と思いました。 桑梅絹 - 《渲染》- 渲染
━━ありがとうございます。日本からはゆず、Suchmosが出演したことで話題になっていたんですけれども、マレーシアから見た金曲賞のお話が新鮮でした。

マレーシアのトップ・インディーズアーティストとして

━━The Venopian Solitudeはライブに加え、Netflixのプロジェクトにも参加していますが、どのようなお仕事なのですか? 今回私たちが参加した「sicreview」は、Netflix Malaysiaで配信している番組と、4組のアーティストがコラボレートするプロジェクトです。それぞれのアーティストに担当番組が割り振られて、その番組のレビューを音楽で表現します。 その音楽に対してNetflixのビデオプロダクトチームがシナリオを書いて、1本のミュージック・ビデオを作るという内容です。The Venopian Solitudeは2つの番組を担当して、私は殺人鬼として出演したり、お化けとして出演したりしています(笑) ━━なるほど、マレーシアでもNetflixが流行っているんですね。 はい、Netflix、アジア版のNetflixのような立ち位置であるiflix、韓国の番組を多く配信するviuが人気です。
The Venopian Solitude
Photo credit: THEROCKSHOW
━━なるほど、ご活躍の幅を広げているThe Venopian Solitudeですが、普段応援してくれるファンの存在があってこそだと思います。The Venopian Solitudeがマレーシアのリスナーに応援されている理由を、スイコさんご自身はどのように分析していますか? 多様なバックグラウンドを持ったメンバーたちによる音楽性に加え、幾通りにも解釈できる歌詞が私たちの魅力かな?と思います。たとえば、2014年のアルバム『Hikayat Perawan Majnun』収録の"Tenangkan Bontot Anda"で言うと、タイトルを日本語に訳すると「あなたのおしりを落ち着けて下さい」なのですが…。 ━━え、どういう意味? 元々は、「宿題をやりたくなくて憂鬱な日があったとしても、この気持ちはいつか、消えてしまうから落ち着きましょう」という意味を込めて作った曲で、実際に歌詞の本文では、おしりの話題は特に出てこないんです(笑)一風変わっているんですけれども、この曲はライブの定番曲なんですよ! ━━すごくユニーク! ちなみに、10年後にこうなっていたい目標はありますか? 10年後、私は40歳ですが、メインストリームの方はそのまま変わらないんじゃないかな。インディーズシーンはマレーシアから出て活動する方が多いので、私たちもそういう方向にも行けたらと思います。場所にこだわりはないけれど、北米、USAが気になっています。日本でそういう活動をしてるアーティストがいたら、ぜひ話を聞きたいです! ━━はい、日本から海外に出て活動しているバンドの方はいますよ。後ほどいくつか資料を送ります…今日はありがとうございました!

The Venopian Solitude Information

The Venopian Solitude
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