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インタビュー|リベラルa.k.a岩間俊樹が『surrearhythm』で問う事実と真実。そして新たな“物差し”をつくる〈slugger PRODUCTION〉

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リベラルa.k.a岩間俊樹

10月23日に4枚目となるアルバム『BALLADS』をリリースし、現在そのリリースツアー<TOUR BALLADS>真っ最中のSANABAGUN.。グループのフロントマンの1人・リベラルa.k.a岩間俊樹が、ソロとしては2016年12月に発表した1stアルバム『I.MY.ME』から3年ぶりのニューアルバム『surrearhythm』を12月11日(水)にリリースする。 Qeticではアルバムのリリースに先駆けて、『surrearhythm』を読み解く2つのインタビューを企画した。その第1弾は、アルバムリード曲“LiLiA”でコラボしたシンガーソングライター・SARMとの対談。そちらはすでに公開済みだが、今回はリベラル単独のインタビューをお届けする。

このインタビュー、実は第1弾の対談との2本撮りだったのだが、話が続いている途中で借りていた場所のリミットが来てしまい、インタビューは喫茶店での延長戦へ。リベラルの言いたいことをすべて拾えなかったことに申し訳なさを感じつつ臨んだ延長戦だったが、奇しくも話はアルバムの話から自ら立ち上げたレーベル〈slugger PRODUCTION〉まで広がりを見せていく。 アルバムに関して、サウンドやリリックについての話はもちろんしているが、それ以上にリベラルa.k.a岩間俊樹という表現者が今何を思っているかを、その言葉ひとつひとつから汲み取ってほしい。それがまさにアルバムの核心に深く関わっているからだ。

Interview:リベラルa.k.a岩間俊樹

リベラルa.k.a岩間俊樹

芸術を提示する現代のシュールレア“リズム”

──今回リリースされる『surrearhythm』は2ndアルバムで、自分のスタイルを提示しやすい1stアルバムに比べて、変化を求められると同時に評価が分かれやすいものだと思います。 そうですね。今回のアルバムはコンセプトがなかなか決まらなかったんですが、ざっくり制作のテーマは決まってたんです。「なるべく打ち込みにしたいな」とか、あとは「2枚目出したいんだよね」って言ったときに二つ返事で「やらせてよ」って言ってくれる人を誘ってる。そういうのはあったんですけど、内容的なコンセプトが決まらなくて悩んでる時期はありました。 ──音源制作の面では、多くの経験を通してどんどん新しいやり方が構築されていると思います。そうなってくるとこのアルバムで何を提示するのかがより大事になってきますよね。 模索しながら曲はいくつか作ってたんですけど、ずっと悩んでて出てこない時期がありました。年明けから本格的に作り始めて、ずっとアルバムのタイトルになるようなワードを考えてたんですよ。結果そうなってないんですけど、できればみんなの身近にある言葉がいいなとは考えていて。あるときに「みんなシュールって使うよな」と思って、語源を調べたら“シュールレアリスム”、1920年代の芸術運動の1つの名称っていうのが出てきた。普段はみんな非日常の意味でシュールって言ったり、本来の意味と異なった意味で使ったりしてる。ただ元々の意味では“超現実主義”。そんなとこからも今回のテーマである事実と真実の違いも表現できるかなと。その言葉と芸術運動っていう部分をうまく自分のアートと組み合わせられたらいいなと思ったのがきっかけで、シュールレアリスムっていうワードに行き着きました。そこから“リスム”を“リズム”って言う場合もあることから、“リズム”をビートの方のリズム(rhythm)と捉えて、自分なりの芸術を提示しようと思ったんです。

リベラルa.k.a岩間俊樹

──その深いコンセプトをどう伝えるかはリベラルさんの腕の見せ所でもあったのかなと。まずはサウンド面で、<フジロック>前のSANABAGUN.のインタビューでも作り方に変化があったという話がありましたが、ソロに関しても変化はありましたか? 前回の『I.MY.ME』は生バンドで演奏したものを打ち込みっぽく録ってて。基本的には生音でそんな豪華なアルバムを作ってる人いないでしょっていう作り方だったんです。そういう部分でサナバと違うことをしたかったし、バンドサウンドとHIPHOPの面白さみたいなものを融合して作ってた。今回に関してはバンドサウンドでは無く、いわゆるDTMトラックメインで作りました。 ──前作をリリースしたときに、あるインタビューで「トラックはシリアスなものを選びがちだから、あえてそうじゃないものを選んだ」というような発言を目にしたのですが、わりと今回のアルバムはシリアスなトラックが多いように感じました。 わりと……シリアスですね。今回はシンプルに自分がラップを乗せたいトラックを選びました。あと今回は一貫した作り方では無くて、トラックメーカーが「リベラルの2ndに参加したい!」って言ってくれたら「デモありますか?」って聞いていく感じで作っていった。大きく違ったことは、YouTubeとかにたくさん載ってるタイプ・ビート(Type Beat)で仮のビートを組んでデモを作ったことです。絶対にラップしないような変態のビートの上ででまずラップをして、BPMとアカペラだけをトラックメーカーに投げるみたいな作業を3曲ぐらいしました。そうするとまた違ったグルーヴが出たりしたし、そういう試みは個人的にやったことが無かったです。 ──ではサウンド面はわりとトラックメーカーにお任せで? はい。前回は自分が作りたい世界観の背景を凄腕のミュージシャンを集めて作ってもらった。今回はストーリーだけを渡して、トラックメーカーのセンスで背景をつけてもらったイメージです。 ──あと楽曲制作に限らず、自分でトータルプロデュースするのは合っていると思いますか? 合ってる……と思います。けど、周りにプロデュースしてくれる人がいるんだったら、それはそれで楽ですね。ただそれだけじゃないっていうか、HIPHOPってそもそも音楽のジャンルじゃなくて、カルチャーであり、俺は生き様みたいなものだと思ってます。自分のHIPHOPを体現するにあたって、自分がにじみ出ててないと意味がない。例えば予算が全然無いとか、いろいろな状況はあるの中で自分のキャラの許される範囲というか、自分のキャラだから許されることとか、プロデュースはその都度の環境の中で自分のベストを尽くすことだと考えてます。

日常で抱く違和感と、HIPHOPに求める浪漫

──前作からここまでの道のりを振り返ると、SANABAGUN.としても個人としても新しいことへ挑戦して自分の中で変化があっただろうし、それがリリックにも現れていると思います。 僕は生々しいリリックを書いちゃう人間なので、ぼーっとしてない限りは、そのとき置かれている現状について言いたいことが出てきます。 ──リベラルさんの表現自体はとても等身大のような気がします。ただそれは「コンビニ前でイエーイ」みたいなものではなく、もっと日常の中で向き合うことに力を使っている。 みんな日常を見ないようにしてますよね。本当はもっと人の愛に気づけたりとか、でもそれってすごくカロリーを使う。日常のフラットな部分というか……大事なことを見て見ぬふりする人が多い気がします。 ──あと本作において重要だと思う言葉があって、それは「事実よりも真実」。“surrea-lism”には「事実より真実 事より真相」、“surrea-rhythm”では「事実をもって 真実を見る眼」、そして“Cider feat.Shunské G”でも「目の前の事実だけが いつも真実とは限らない」というリリックが出てきています。これらの言葉に込めた想いを教えてください。 最近、Twitterを見てて気持ち悪いなと思うことがあって。具体的に言うと何か1つのトピックが上がったときに、それをめちゃめちゃ叩くことに対して気持ち悪いというか違和感を感じる。本来だったら本人が伝えたいことがあって、そのツイートをするまでにいろんな経緯があるじゃないですか。…ツイートした理由を考えずに、単なる揚げ足の取り合いみたいに叩く。そういう今の時代性に悲しくなっちゃって。そういうところにみんな気付いてほしいっていうのはありました。ツイートだけじゃなく、ワードを引っ張ってきて叩くのも同じだし、メディアのトピックだけを引っ張ってきてそれに賛否両論言うみたいなのも。それって話題を生みたいだけで、真実の追求じゃない。何も建設的じゃないんですよ。

リベラルa.k.a岩間俊樹

──そういう部分はアーティストとしてもやりづらさは感じますか? 感じますね。しかもそういうTwitter上の評価がくだらないものだってわかっていたとしても、わかってる頭のいい人間ほど我慢できなくなって1つ1つ戦いにいってる人も多い気がして。そういうのはアートとしてすごい窮屈だなと思うし、頭のいい人ほど損するというか、そういう場面では出る杭は打たれるみたいになっちゃう。 ──有名人にとっては、SNSはもうそういうものだと割り切って付き合っていくしかない状況がありますよね。ただし、表舞台で戦う人にとって“共感”は得なければいけない。 そうですね。ただ脳みそを使わない共感を求めるのってアートじゃないと思っていて。それは音楽としても現代の雰囲気にハマってるかもしれないけど、表現者としては違うかなって思うんですよ。“surrea-lism”にも「芸術は武器だ 文化は戦うものの足跡」って書いたんですけど、不満なこととか自分の中で知ってほしいことを表現していないと、そもそも表現者としてクリエイティブしてないというか、アートとして成り立ってないというのが僕の考え方で。今の時代は共感を受けるんだったら、なるべく「共感を受けるところにはこういう感情があるんだよ」「もっとこういう感情を見てあげなきゃ」とか、そういう部分をなるべく溶け込ませようとしてます。 ──今回のアルバムの“start feat. Ryohu”では「当然だ 応戦だ 表現者は常に正念場」と宣言し、“Let Me Show”では「アーティストはアーティストでいることを選択し続けれるからアーティスト」と謳うなど、表現者としてのスタンスを提示してる曲も核になっていますね。 曲によっては対アーティストに言ってることもあります。シュールレアリスムは芸術運動でもあったので、これに「賛同してくれない?」みたいなノリではあるんですよね、僕1人ではまだそれほど影響力はないし、1人で戦うのはしんどいですけど、周りに僕と同じような疑問を持ってるミュージシャンやアーティストはたくさんいるので。そういう人たちがもっと「今のこれはおかしいよ」みたいなのをもっと言っていいと思うし、何かに例えてうまく言わなきゃいけないみたいな風潮も「もう違うんじゃない」「ダイレクトに言えよ」みたいにも思うこともあります。

リベラル - Wear out the souls

──喜怒哀楽で言うと、やはり“怒”とか“哀”の方がリリックは降りてきやすいですか? そうですね。僕の性格的に、怒りに対しての提案とか問いかけではあるんですけど。今のラッパーのチルっぽい曲で「俺らってコンビニ前で缶ビール買ってたむろしてるけど、まあそれもHIPHOPだよね〜」みたいなのとかはシンプルに好きじゃなくて。あまり浪漫が無いなと。こういうことを言うとそういう奴らに「古臭いこと言ってるよ」みたいに言われそうだけど、僕が見てきた、聴いてきたHIPHOPってやっぱ浪漫なんですよ。夢をもらったり、超シリアスなことを教えてもらったり、あとは非日常を知れたり、憧れをもらえたりとか。Zepp Tokyoでキングギドラがライブするときもジブさん(ZEEBRA)がゴールドのエスカレードに乗ってきて「ワッサー!」とか言って、「かますぜZeppTokyo! 最終兵器!」みたいなのが俺はめちゃ好きなんですよ。 ──あのときのライブに食らったラッパーの話ってけっこう聞きますね。 僕にとっては夢を与えたり、浪漫があることがHIPHOPだと思ってて。JAY-Zとかもそうだし、『8Mile』もゲストからMCバトルでのし上がるみたいな。でもなんか最近はそうじゃないですよね。 ──ただ“にぎりっぺ”みたいなとても人間臭い曲も本作にはあって、あれはあの形で自分を取り巻く現実から逃げて無いですよね。日常にある哀愁が伝わってくるし、「プチョ 便座 上げたら下げて」みたいな口に出したくなるパンチラインも。 アハハハ、めっちゃ嬉しいです。あの曲は自分の言葉遊びというか。「俺らってこの身の丈の感じいいよね」っていう現状満足みたいな曲で終わりたくないなって、自分の日常とかで既視感が生まれるものが作れたらいいなと。

アーティストのための基準をつくるプロダクション

──現代の風潮に対する提示という部分がとても伝わってくるアルバムですが、その中には音楽業界に対してのメッセージもありますか? ありますね。実際にあるレーベルの力とかにも言いたいし、全般的に、事実と真実は違うってことに関して、日常において自分が違和感を感じてることを言ってます。でも言うからにはそれで自分がめっちゃお金を出してもらってたら説得力が無いので、自分のレーベルでリリースしようと思いました。 ──そのリベラルさんが立ち上げる〈slugger PRODUCTION〉について教えてもらえますか。 ※〈slugger PRODUCTION〉は2019年10月に始動。業界の形式にとらわれないアーティストファーストを目指すプロダクション。インタビュー時には正式なローンチ前だった。 サナバで見てる世界とソロで見てる世界は違くて、前者はメジャーのオーバーグラウンドな世界なんですけど、そこで違和感を感じることもたくさんあるんです。メジャーがダメとかではもちろんないんですけど、音楽業界に限って見るとあやふやなことが多いように感じて。例えば取り分とか、どっちの担当の仕事とか、そういうのがちゃんとわかってないのに自分の音楽売れるのかなって疑問があって。あとこれはレーベルをやる一つの理由でもあるんですけど、盤権をアーティストが持っていないのは健康的じゃないなと思っています。

リベラルa.k.a岩間俊樹

──思い返せば『I.MY.ME』のときはスポンサーをリベラルさん自らが営業して集めて、賛同してくれた企業のプロモーションをラップでするっていう試みもしていました。そういう意味で自らを取り巻くシステムを変える、より良くする意識がリベラルさんは強いですよね。 あれも制作費が限られていたので、「自分でお金を集めてくるんで」って言ってマイスポンサーズっていうのをやりました。各企業、音楽業界とはまったく関係のない会社なんですよ。前から思ってたのは、企業が抱えてるアーティストがいて、本当にクリエイトしてるアーティストを抱えることで、それぞれの会社がセンスや社風をアピールし合うみたいなことがあったら面白いなと。それが行政でも良い。個人の100万と法人の100万って感覚が違うし、そういうことができたら単純にお金の面でもっといいアルバム作れるんじゃないかと思う。それは音楽となるべく離れてる業界の方が面白いんですよね。 ──リベラルさんのようなことを思ってるアーティストは少なからずいるだろうし、自分でレーベルをやるって決めて勉強すればするほど、業界の矛盾点はより感じるでしょう。 自分でやることに意味があるのかなと思います。もっとその違和感を知るために経験しないと語れないと思うので。自分はストイックな人間じゃないので、ストイックにならざるを得ない環境を作るっていうのは今までの傾向としてもあって、「アーティストのためのシステムって何だろう?」っていうのを知るためには、自分が先頭を走ってないとわからない。戦場で戦ってないのにこの武器が必要って言っても説得力が無い。金銭的な事情はありますが、作品を出し続けられたら理想です。今までの常識じゃないやり方でも続けられるイメージはあります。 ──プロダクションをやるに当たって、ブランディングで気をつけていることはありますか? 入り口を広げるために、なるべく自分のカラーを出さないようにしたくて。岩間俊樹って良くも悪くもやっぱあのVRオチ(※“LiLiA”のMV)で「やっぱそうだよね!」みたいな感じになるし。それは僕が作ってきたものなのでしょうがないですし、それを望んでるところもある。ただプロダクションとしていろいろなところと共存していかないといけないときに、オシャレなイメージが必要な場面もあるだろうし、ファッション的なところへアプローチしたいことも出てくるだろうから、そういう体制は作らなければいけないなと。ロゴもそうだし、名前の〈slugger PRODUCTION〉も「ここ岩間俊樹だったら全部大文字にするだろうな」ってところも「小文字にしよう!」って。 ──ハハハハハ!

リベラルa.k.a岩間俊樹-LiLiA feat.SARM track by SWING-O(Music Video)

あと“Music”とか“records”にしなかったのも、音楽だけじゃないアート全般で考えているから。僕がたまたま最初に音楽だっただけで、クリエイティブしている人全員が参加できるプロジェクト、プロダクションにしたい。“slugger”っていう名前は、野球絡みにはあまりしたくは無かったんですが、強打者ぞろいにしたいっていうのと、ほかにもいろいろな能力を持ってるアーティストたちと運営していきたいっていう気持ちから。今は文章を考えられる人間と写真を撮れる人間にスタッフで入ってもらってます。あと次にうちでリリースしたいって言ってくれてる子はWebのデザインができて、プロダクションのホームページを作ってくれてて。 ──日本でもインディペンデントでたくましくやっているところはありますが、でもまだまだ全体としてアーティストを取り巻く環境の中で、変えられるシステムはありそうですよね。 これが軌道に乗ればアーティストのための環境が整うんですよ!ちゃんとレーベルが回ってもっとやりたいことができる。そこをまず目指してやってこうかなと考えてます。 ──〈slugger PRODUCTION〉のクリーンナップですね。 3・4・5番が活躍する。全然いける話で、目の前にあると思ってます。 ──海外ではアーティストがエージェントを雇うことがもはや一般的になっていますが、日本では音楽に限らず「事務所に入らなきゃ売れない」みたいな風潮がいまだにある。その中で、〈slugger PRODUCTION〉がクリエイティブかつ面白いやり方で売れたら夢があります。 僕は1つの基準、アーティストのための基準を作りたいんですよね。今は会社のための基準や利益のための基準だったりと動かせる余白がいっぱいあるんですけど、アーティストがそもそももらってる印税もしかもらえないとかも、めちゃめちゃCDが売れてるときの基準ですよね。じゃあ今のミュージシャンはどうやってサバイブして行くかを含めて、資本がない中でどうやるか、そのやり方も含めて新しいアーティストのための“物差し”みたいなものを〈slugger PRODUCTION〉でつくれたらいいなと思います。

リベラルa.k.a岩間俊樹

Interview&Text by ラスカル(NaNo.works) Photo by Ryosuke Misawa

INFORMATION

リベラル a.k.a.岩間俊樹

『Surrearhythm』

2019.12.11(水) リベラルa.k.a岩間俊樹 SPRO-0011 slugger PRODUCTION ¥2,545(+tax)

01.Wear out the souls 02.ONE 03.start feat. Ryohu 04.surrea-lism 05.surrea-rhythm 06.LiLiA feat.SARM 07.MANI MANI feat.HI-KING TAKASE 08.Cider feat.Shunské G 09.Simple 10.Let Me Show feat.DinoJr./MEEKAE/Valley in the Book 11.にぎりっぺ 12.Fresh feat.HARZEY UNI

リベラル a.k.a.岩間俊樹

『Surrearhythm』 release tour

2020.02.01(土) 大阪 心斎橋CONPASS OPEN 18:00/START 18:30 Guest act:SARM/????? ?????? 前売り¥3,500/1d別

2020.02.02(日) 広島 音楽食堂ONDO OPEN 18:00 Guest act:ZAO/?????? 前売り¥3,000/1d別 チケット予約:ongakushokudoondo@gmail.com

2020.02.06(木) 宮城 仙台SHAFT 〜beagle presents THE WORD vol.6〜 OPEN 20:00 Guest act:SARM/Nao Kawamura/?? ???? 前売り¥2,800/1d別 チケット予約:beagle.sendai@gmail.com

2020.02.08(土) 福岡 graf OPEN 18:00/START 19:00 Guest act:週末CITY PLAY BOYZ/?????? Guest DJ:SHOTA-LOW 前売り¥3,000/1d別

2020.02.09(日) 長崎 佐世保LAST 〜Listen〜 OPEN 19:30/START 20:00 Guest act:GOiTO/?????? 前売り¥2,000/1d別 チケット予約:lastkitaryo@gmail.com

2020.02.14(金)東京 TSUTAYA O-nest OPEN 19:00/START 20:00 前売り ¥3,500/1d別

2020.02.16(日) 静岡 Freaky Show OPEN 19:00 Guest act:???????????????? 前売り¥3,000/1d別 チケット予約:info@story2013.jp

各公演のチケットはライブポケットでもご購入いただけます。 →詳細はこちらから

一部公演はe+でもチケットが購入可能となっています。 →詳細はこちらから

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origami座談会|mabanua、Ovall、Kan Sano、Michael Kanekoら所属「origami PRODUCTIONS」の2019年を振り返る

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mabanua、Ovall、Kan Sano、Michael Kanekoら所属「origami PRODUCTIONS」

mabanuaや、彼が所属するバンドOvall、Kan Sano、Michael Kanekoら、〈origami PRODUCTIONS(以下、origami)〉のアーティストが一堂に会するレーベルイベント<origami SAI>が11月1日、Shibuya CLUB QUATTROにて開催された。 2012年にレーベル5周年企画として、全国5都市で開催された無料イベント<O2(オーツー)>以来、実に7年ぶりの「お祭り(SAI=祭)」とあって、この日のチケットはソールドアウト。アーティスト同士の交流も深く、異なる音楽性の中にもどこか共通点のある5組のパフォーマンスに、駆けつけた満員のオーディエンスからは終始暖かい歓声が上がっていた。 各々もクオリティの高い作品を作りながら、ジャンルを問わず様々なアーティストのサポートも務める〈origami〉のアーティストたち。誰もが一目を置く存在である彼らはなぜ、ここに集まってきたのか。その魅力に迫るべく、今回QeticではOvall(Shingo Suzuki、mabanua、関口シンゴ)、Kan SanoMichael Kaneko、そしてHiro-a-keyによる「origami座談会」を敢行。今年一年の総括や、2020年の抱負などざっくばらんに語り合ってもらった。

mabanua、Ovall、Kan Sano、Michael Kanekoら所属「origami PRODUCTIONS」

INTERVIEW: origami PRODUCTIONS ARTISTS

──まずは2019年を振り返り、それぞれの活動を他の人がどう見ていたかお聞きしたくて。最初はKan Sanoさんから行きましょうか。今年はLast Electroを始動したり、5月に3年ぶりのソロ・アルバム『Ghost Notes』を出したり、いつも以上に多忙な日々だったと思うのですが。 関口シンゴ(以下、関口) もう“Kan Sanoの年”という感じでしたよね。 Shingo Suzuki(以下、Suzuki) “カンちゃん(Kan Sano)イヤー”だった。 Kan Sano(以下、Sano) 本当に(笑)? Michael Kaneko(以下、Kaneko) アルバム『Ghost Notes』も最高だったし、トム・ミッシュ(Tom Misch)のオープニング・アクトのときも感動しました。去年、ツアーやフェスで一緒に回ることが多かったカンさんが、トム・ミッシュと同じステージに立ってるのすげえなって。個人的に刺激になりましたね。 関口 前作『k is s』も好きでよく聴いてたんですけど、今回はよりブラック・ミュージックのテイストが強くなっていて。Ovallでやっていることともリンクするし、でも全く違うところもあったりして面白かった。僕もめちゃくちゃ刺激を受けましたね。 Suzuki カンちゃんのマルチプレイヤーぶりがライブでも発揮されていて。音源ではもちろん、いつもやっていることだけど、それをステージ上で再現してるのがすごく面白かったですね。

Kan Sano - My Girl【Official Music Video】

──origamiの中で、mabanuaさんとの付き合いが一番長いんですよね? mabanua 『MILES CAFE』とかでやってた頃から知ってるよね。 Sano そうそう。上京して最初に会ったミュージシャンがヤマちゃん(mabanua)だったから。お互いのライブに出たりもしていて。 mabanua そこからの進化があって、この前の<origami SAI>で見たライブで一つの完成形に到達したなっていうのがすごくあったので、感慨深いものがありましたね。 Sano それはもう、僕がmabanuaのライブを観ていても思うよ。ずっと横で手伝ってきてもいたし、「ああ、こうなったんだ」って。 mabanua なんていうか、アーティストの「旬」みたいなものが年々早くなってきている気がしてるんですよ。「20代のうちにガーンっていくものだ」っていう。「若ければ若いほどいい」みたいな風潮があるけど、おそらく〈origami〉はそういう既成概念に縛られてない。10年20年先のことも見据えつつ、ミュージシャンそれぞれのペースを尊重してくれて、何歳でピークを迎えようが「人それぞれ」というふうにフレキシブルに対応してくれているんだよね。だからカンちゃん(Kan Sano)のような活動が出来るのだろうなって。それが分かったのも嬉しかったですね。 ──関ロさんは今年、InstagramやYouTubeでギター動画の配信が盛り上がっていましたよね?

 Sano それこそ「継続は力なり」というか。最初はきっと、そんなにリアクションもなかったと思うんだけど、そこでめげずに毎日ずーっとアップし続けていて。僕もずっと観てて「いいね」とか付けてたんですけど(笑)、日に日にフォロワーも「いいね」も増えていって。

Isn't She Lovely(Guitar Cover)

関口 やり始めたときに、レーベルのボスから「最初の1〜2年は“何をやっても全く反応ない”くらいに思って」みたいな話をしてくれたので、フォロワー数とか全く期待せずやってたんですよ。もはや趣味みたいなもので(笑)。 Suzuki 結果的に、ギタマガ(『ギター・マガジン』)と連動したドストライクな企画にも特集で大きく取り上げられたし、ギタマガの読者からのフォロワーを新たに取り込んだりしていて。いわゆるSNS上での「ギター・コミュニティ」みたいなものを、大きく広げることにも貢献してるんじゃないかなあと思いながら見てました。 mabanua 海外からのフォロワーも増えてるんでしょ? 関ロ 増えてるね。実は海外の人の方がコメントやDMは多いかもしれない。「どういう機材で録っているんだ?」とか「これはなんていうジャンルのギター奏法なのか?」とか。かなりマニアックな質問が多くて「面白いなあ」と思いましたね。 Hiro-a-key いやあ、マメじゃないと出来ないでしょ。「質問受け付けます」みたいなことをInstagramでもやってて、一つひとつの質問に対してめちゃめちゃ丁寧に返してるの「えらいなあ」って。 Kaneko 僕もたまに弾き語り動画を上げてて、続けるのがどれだけ大変か知ってるので、あれを毎日やってるセッキーさんはすごいなって思います。引き出しがないと無理ですよね。 関口 ま、一度習慣になっちゃえば、朝パパッと撮るだけだからね。「頑張ってる」というよりは、楽しんでやってる感じです。 ──続いてはShingo Suzukiさん。 Sano シンゴッチ(Shingo Suzuki)は七尾旅人さんのツアーで今年一緒だったんですけど、なんかOvallのときより楽しそうだった(笑)。すっごいリラックスしてたし、笑顔でノリノリ。 一同 (笑)。 Suzuki まあ、他のアーティストとかのサポートをすると、自分のバンドを新鮮にやれるっていうのはありますよね。 Kaneko 僕は今年<鉄工島フェス 2019>に出演させてもらって、シンゴッチさんがバンマスをやってくれたんですけど、そのリハのときに家の近くまで車で迎えに来てくれて、行き帰りがずっと一緒だったからそこですごく距離が縮まった気がして嬉しかったんですよね。 Suzuki 実はマイキー(Michael Kaneko)とバンドやるの、あれが初めてだったもんね。佐藤千亜妃ちゃん、さかいゆうくん、DedachiKentaくんのバックバンド、面白かったな。 Kaneko 吉祥寺で一緒に昼ごはん食べましたよね。そのときに〈origami〉の昔の話とか色々してくれて。皆さんの今までのことより詳しく知れたし「頑張んなきゃ」って思いました。

──mabanuaさんについてはいかがですか? Suzuki mabanuaバンドのライブサポートを去年からやってるんですけど、Ovallの時とはまた違う「mabanuaワールド」を、間近で見られたのは貴重な体験でしたね。 Hiro-a-key Ovallの楽曲でもmabanuaが作っている曲とかもあるわけじゃん。それを演奏するのとも感覚として違うもの? mabanua 全然違うかな。やっぱりソロだと一人で作り上げなきゃならない部分もあるし、みんなを引っ張って行かなきゃならない部分もある。 Suzuki ソロアーティストとして孤独な一面を垣間見た気がする。 Sano 何年か前からギターを弾きながら歌っているじゃないですか。最初見たときはびっくりしたんだけど、でもさっきのセッキーの動画の話じゃないけど、続けているうちに馴染んでいくというか。もう、ギター持っている姿は様になってるもんね。ただ、ドラマーがライブで他の人にドラムを頼むのはどんな感じなのかな?っていうのは観てていつも思う。 mabanua なんか、ドラマーが他のメンバーにどう見られているのか客観的に分かるようにはなったかな。昔は「バンドのグルーヴの良し悪しはドラムで決まる」みたいなことを言われると、それに対して異論を唱えたい自分がいたんですよ。「ドラマーだけに背負わすのは違うんじゃない?」って。でもいざ自分が前に立って歌っていると、リハとかでなんかしっくりいかないときとか、ついドラマーを見ちゃうんだよね(笑)。 ──ドラムの重要性を、ドラムから離れて気づいたと。 mabanua そうそう。たとえば今ってオケを流すライブが増えてるじゃないですか。だけど、なぜかドラムだけ生っていうケースが多いんですよね。DJとMCがいて、さらにドラマーが1人いる、みたいな。そこでベーシストやギタリストじゃなくて、やっぱドラマーなんだなって思いますよね。 Hiro-a-key 最近はそうだよね。このあいだの〈origami SAI〉とかめちゃめちゃいいドラマーが会場に集結してたんで、他のライブ会場がドラマー不足にならないか心配になっちゃった(笑)。 関ロ あと、今年のトピックといえばスタジオじゃない? ヤマちゃん(mabanua)のプライベート・スタジオが完成して、今後の活動にものすごく大きな影響を与えるんだろうなと思う。曲作りからリリースまで、全ての工程を自分でコントロール出来る環境にしたわけだからさ。 ──Ovallの新作もそこで録ったのですか? mabanua スタジオの完成がレコーディングには間に合わなかったんですけど、ミックスを何曲かやりました。これからの自分の活動を長い目で見たとき、「こうしていきたい」というような目標が漠然とあって。それを達成するためには全てを自分でコントロールできる環境が必要だなと思ったんですよね。夢を実現するための「ガワ」をまず作ったというか。そうすると、思い描いたものが舞い込んでくるようなことが〈origami〉に入ってからずっとあって。とにかく、今年は自分がこれからやっていきたいことへの土台作りの年だったのかなと思います。

Ovall - Slow Motion Town【Official Audio】

──続いてはHiro-a-keyさん。今年はソロライブや客演以外に<Hiro-a-key × 小林岳五郎>でのツアーなどもありましたよね。 Suzuki マイキー(Michael Kaneko)ももちろん素晴らしいシンガーだけど、Hiro-a-keyはステージにいるだけで安心感があるというか。演奏がこう、Hiro-a-keyやマイキーを中心にググッと向かっていく求心力があるんだよね。〈origami〉はシンガーもすごい人が揃ってるなって思う。 Kaneko 先日、<origami SAI>のアンコールで全員でセッションしたときにも思ったんですけど、Hiro-a-keyさんはもうマイクを持ってるだけで完成されているんですよね。僕はやっぱりギターを持ってないと寂しいしステージに出ていく自信がなくて。 Suzuki ライブは面白い編成でやるんだよね。ベースレスのトリオだったり、サンプラーを駆使したり、その実験的な部分が広義の意味でジャズ的というか。そういう部分に憧れるし、自分も参考にしたいと思う。〈origami〉には色んなアーティストがいますけど、中でも一番エッジが効いているのはHiro-a-keyじゃないかなと 関ロ あと、Hiro-a-keyは普段からライブにたくさん行ってるよね。新しい音楽やマニアックな音楽を常にチェックしているし。今って新しい楽器や機材がどんどん出てきて、サウンドも日々アップデートされているんだけど、そんな中にHiro-a-keyはマイク1本で出てきて、全く違和感なくすぐセッションに溶け込めるのは、たくさんの情報をインプットし続けているからなんだろうなって思いました。 mabanua あと、人の悪口を言わない。愚痴とか言わなくない? 「今日疲れたなー」とかも言わないじゃん。 Hiro-a-key いや、「疲れたなー」は言うよ(笑)。 mabanua Hiro-a-keyはポジティブだし、人として学ぶことがめちゃめちゃあるんですよね。そういうところって、お金を出しても買えないじゃないですか。楽器から何か得られるものでもないし、機材買ったら性格よくなるとかないでしょ。 一同 (笑)。

mabanua、Ovall、Kan Sano、Michael Kanekoら所属「origami PRODUCTIONS」

──Michael Kanekoさんは今年、大橋トリオのサポート・ギタリストとしてイベントやファンクラブツアーを回ったんですよね? Kaneko そうなんです。 関ロ マイキー(Michael Kaneko)にとって、2019年は「未知の扉」を開ける年だったよね。僕らもすごい新鮮だった。今までシンガー・ソングライターとしての姿しか見てなかったからさ。 mabanua しかもメチャクチャうまいでしょ。リハの音源聴かせてもらって、もう一人ギタリストがいるのかと思った。「このギターソロ、誰が弾いてんの?」って聞いたら「僕です」って言うからマジでびびった(笑)。 Hiro-a-key ゲスト・ボーカルの仕事も多かったよね。色んなツアーに出ていたし、今年一番海外行ってたんじゃない? っていうくらい行ってましたよね。 Suzuki 音源もどんどん進化してるよね。とにかく色んな音楽をめちゃめちゃ聴いていて、その蓄積が今、どんどん新しい作品に還元されていってる感じがするし、これからどんどん変わっていくんじゃないかと思ってすごく楽しみです。 関ロ 最初「アコギの弾き語り」というイメージが強かったんだけど、最近は自分でトラックのアレンジをやったり、プログラミングもやったりしていて、全体を見るプロデューサー的な視点が加わってきたよね。 mabanua 〈origami〉に入ると、半強制的にプロデューサーに成長せざるを得ないんですよね。歌のディレクションまで全て自分でやってるシンガーなんて、他にまずいない(笑)。

Michael Kaneko - Circles【Official Audio】

Kaneko 〈origami〉に入ってなかったら、自分はこんなふうになっていなかったでしょうね。「すごい人たちに囲まれてるなあ」といつも思います。 ──それと、今日は残念ながら欠席ですが。正体不明のプロジェクトNenashiさんについてはいかがでしょう。 mabanua Nenashiさん、今どこにいるんでしょうね。<origami SAI>も打ち上げに来なかったし。 Suzuki 一番カリスマティックな人だよね。 ──巷では「mabanuaさんじゃないか?」という説もありますね。 一同 (笑)。 mabanua それならそれで全然いいんですけどね(笑)、でもこの間の<origami SAI>で、シルエットだけ映ってたけど俺じゃなかったかなー。レーベルメイトなのに謎が多すぎる。なんか相方がいるらしいですね。 Sano これも「継続は力なり」ですよね。やるからにはやりきってほしいですよね。

──では、2019年の音楽シーン全体についてはどう思いましたか? Suzuki 以前よりもSNSの影響がどんどん大きくなっていますよね。去年まで僕らと同じ規模の会場でライブをやっていたバンドが、いきなり武道館が決まったり、アリーナクラスの会場でやったり、スピードがものすごく早くなってるじゃないですか。ひと昔前ならメディアの力を借りて広告を打って、それで広めていくというプロモーションが定石だったけど、今はアーティスト本人がSNSを使ってダイレクトにお客さんに届けられるようになった。僕自身も、例えば気になっている海外アーティストはSNSをフォローするし、そうするとそこで知る情報が一番早いんですよね。 mabanua SNSの使い方も、アーティストによって違うんですよね。インスタ中心の人もいれば、YouTubeが軸の人もいて。自分に合ったSNSをメディアとして利用するようになって、送り手も受けてもどんどん回転が早くなってる。それはいい部分と悪い部分、両方あると思うんだけど。 ──悪い部分というのは? mabanua 誰かが「チャンス・ザ・ラッパー(Chance The Rapper)とかもう古い」と言ってるのを聞いて。さすがに早過ぎるだろ!と(笑)。「ジェイムス・ブレイク(James Blake)とか聴かなくなったよね」みたいなことを書いている人もいるんだけど、もうとにかく「次は誰だ?」「その次は?」みたいな感じで、アーティストも作品も入れ替わりがどんどん早くなってる。来年、ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)を聴いてる人どのくらいいるんだろうって思いますよね。いや、聴いてるだろうけど「2019年に流行った人だよね」なんて言われるのかなとか。 アーティスト一人をずっと追いかけ続けるとか、そういう聴かれ方はあまりしなくなってきたんですかね。よく言えば、それだけ良いアーティストがどんどん世の中に出てきているということなのだろうけど、例えばアルバムを出しても全て通してじっくり聴いてくれる人が、どのくらいいるんだろうなって思う。 関ロ シングルでどんどん配信するようになって、スピードもどんどん上がってきて。そうすると、ちょっと名前を見なくなると「もう古い」みたいな感じになりますよね。自分もついつい、流して聴いてしまいがちというか。気をつけてないと「大切に聴く」という習慣がなくなっていきそうですよね。 どんどん流行も変わっていくし、色々なスタイルを取り入れやすい状態ではあるのだけど、気づいたら自分の芯がブレてしまって、コアなファンが離れていく……ということにもなりかねない。作り手としては、そこでブレないよう芯をしっかり持ち続けたいですね。

──では最後に、皆さんにとって〈origami〉とは何かをお聞かせください。 Hiro-a-key “スペシャリストの集まり”ですね。アーティストだけじゃなくて、スタッフもそう。本当に色んな才能を持った色とりどりの折り紙が集まっているなと思います。 関口 一人ひとりのカラーがとても特徴があって、それが混ざったときにすごく大きな、他のレーベルにはないハーモニー、大きな力を発揮するレーベルなんじゃないかと思っています。 mabanua さっきも言ったけど、10年20年先を見据えて動いてくれるレーベル。それに尽きますね。 Suzuki 良くも悪くも「本人次第」というか、クリエイティブなことが色々できるけど、自分が立ち止まったときに待ってはくれるかもしれないけど、そのままにもなるわけで。自主性を持ったアーティストにとっては、本当に自由で居心地の良いレーベルだと思いますね。僕自身に関しては、〈origami〉があったからこそ今日まで音楽が続けてこられたと思っています。 Sano 僕が〈origami〉に入ったのは30歳くらいのときだったんです。10代から音楽活動は始めていたのですけど、自分の立ち位置みたいなものが、一体どこにあるのか分からない感覚がずっと続いていて。でも〈origami〉に入ってからは、自分の居場所を見つけてもらったといいうか。一昨年よりも去年、去年よりも今年の方が仕事も充実しているし、自分のやりたいこともできてきているんですよね。だから、僕にとって〈origami〉は「自分の居場所を作ってくれたレーベル」です。 Hiro-a-key じゃあ最後はマイキー(Michael Kaneko)にバシッと締めてもらおうか。 Kaneko (笑)。僕は26歳で〈origami〉に入って今は最年少なんですけど、ここにいる先輩たちを見ていて常にインスパイアされるし勉強させてもらっていますね。すごい人たち、すごい作品と関わらせてもらっているし、僕もレーベルメイトとして頑張らなきゃなと思っています。 mabanua いやいや、別に先輩とか後輩とかないからね(笑)!

mabanua、Ovall、Kan Sano、Michael Kanekoら所属「origami PRODUCTIONS」

Text by Takanori Kuroda Photo by You Ishii

origami PRODUCTIONS 1枚の紙でなんでもできるオリガミのように、楽器1つでどんな音でも奏でることができるミュージシャンが集うクリエイターチーム、レーベル。 Ovall、Kan Sano、Michael Kaneko、Hiro-a-key、Shingo Suzuki、関口シンゴ、mabanua、Nenashiが所属。 2007年に東京で産声をあげ、常に“音の鳴る方へ”と歩み続け、今に至る。 渋谷のアンダーグラウンドで盛り上がっていたジャズ、ソウル、ヒップホップを軸としたジャムセッションムーブメントを世界中の音楽ファンに届けるべくスタートしたが、現在はより自由な表現を追い求め、ジャンルレスでボーダレスなスタイルで活動の幅を広げている。 所属アーティストは国内外での大型フェスの常連であると同時に、映画・ドラマ・アニメやCM音楽の制作、また世界中のアーティストをプロデュース、リミックス、演奏などでサポートしている。

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origami SAI 2020


mabanua、Ovall、Kan Sano、Michael Kanekoら所属「origami PRODUCTIONS」

origami SAI 2020 Osaka


2020.04.05(日) OPEN 14:15/START 15:30 味園ユニバース LINE UP:Ovall/Kan Sano/Michael Kaneko/mabanua/Nenashi TICKET:ADV ¥5,500(1/13(月祝)まで ¥4,500) 19歳以下 ¥4,000(身分証のご提示をお願いします) 
LINE TICKET 
最速早割先行 12/15(日)まで 
イープラス 早割先行 12/20(金)正午〜1/23(月祝) ファイナル先行 1/16(木)19:00〜2/7(金)

mabanua、Ovall、Kan Sano、Michael Kanekoら所属「origami PRODUCTIONS」



origami SAI 2020 Tokyo


2020.05.31(日) OPEN 14:00/START 15:00 渋谷 O-EAST LINE UP:Ovall/Kan Sano/Michael Kaneko/mabanua/Nenashi/関口シンゴ and more TICKET:ADV ¥6,600 LINE TICKET
チケットぴあローソンチケットイープラス|岩盤 Tel. 03-5422-3536 ※ 店頭販売のみ(渋谷PARCO B1F 11:00〜21:00)

Ovall Tour 2020

mabanua、Ovall、Kan Sano、Michael Kanekoら所属「origami PRODUCTIONS」
mabanua、Ovall、Kan Sano、Michael Kanekoら所属「origami PRODUCTIONS」

・2019.03.15(日) OPEN 14:00/START 16:00 群馬・Block Sold Out ・2019.04.25(土) OPEN 17:30/START 18:00 福岡・The Voodoo Lounge TICKET:
ADV ¥4,000
 LINE TICKETチケットぴあローソンチケットイープラス ・2019.04.26(日) OPEN 16:30/START 17:00 愛知・CLUB UPSET TICKET:
ADV ¥4,000
 LINE TICKETチケットぴあローソンチケットイープラス

詳細はこちらorigami PRODUCTIONS

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エイドリアン・シャーウッドが語る新作『Heavy Rain』に込めたプロデューサーとしての矜持

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エイドリアン・シャーウッド

1980年にレーベル〈ON-U〉を立ち上げて、UKレゲエとパンクの接点を突いた傑作『ニュー・エイジ・ステッパーズ』をいきなり世に出したエイドリアン・シャーウッド(Adrian Sherwood)リー・ペリー(Lee Perry)のソロ名義のアルバム『Rainford』とそのダブ+α盤『Heavy Rain』をリリースした2019年の今、その健在ぶりが素晴らしい。 エイドリアン・シャーウッドは現在61歳だが、初めてリー・ペリーに会ったのは1972年、14歳のとき。76年、17歳のとき〈Carib Gems〉というレーベルで働き始めたとき、リー・ペリーがプロデュースした7インチ、“Ketch Vampire”や“Sons Of Slaves”をリリースする仕事に係わった。長い長いつき合いなのである。 エイドリアン・シャーウッドはロンドン北部にあたるミドル・クラスが住む郊外の街、ハイ・ウィッカムで育った白人だが、ティーン・エイジャーの頃からレゲエ一色の人生を歩み始める。初めてのプロデュース作はクリエイション・レベルの『DUB FROM CREATION』(78年)。この作品はレゲエ/ダブそのもので、意外なことに、エイドリアン・シャーウッドは76〜77年のパンクとはまったく係わりがなかった。そのクリエイション・レベルが79年にザ・スリッツの『カット』のプロモーション・ツアーに参加することになり、エイドリアンはアリ・アップ(Ari Up)と親しくなった。そしてアリ・アップが、マーク・スチュワート(Mark Stewart)、ブルース・スミス(Bruce Smith)らをエイドリアンに紹介して80年に『NEW AGE STEPPERS』をレコーディングしたのだった。 以後、長いキャリアが続いている。そんな彼に近況について聞いてみた。ICレコーダーのマイクに向かって、エイドリアン・シャーウッドがいきなり喋りだした。

INTERVIEW:Adrian Sherwood

エイドリアン・シャーウッド

おはようございます。マイク・チェック。1、2、3、4 –『Heavy Rain』は『Rainford』のダブ盤というか、ダブ盤+αという感じですね。 ダブ盤+ちょっと。というか、ダブ盤+たくさん、って感じかな。 –その「+たくさん」という部分について説明をお願いします。 『Rainford』は、片面18分、もう片面は20分というレコードの尺に収まる作品に仕上げようと思っていた(収録したのは9曲。日本盤CDは10曲)。でもそのためのレコーディングをしていた段階で、後々ダブ・アルバムを出すことになると思っていたので15曲ぶんの音源を作っていたんだ。 『Heavy Rain』では、そういうトラックも使いつつ、さらに何人ものミュージシャンによる新しい録音を加えてミックスした。ブライアン・イーノ(Brian Eno)。ヴィン・ゴードン(Vin Gordon)のトロンボーン。アラン・グレン(Alan Glen)のハーモニカ、ヤードバーズ(The Yardbirds)とかリトル・アックスでも吹いている人だね。マーク・バンドーラ(Mark Bandola)のギター、彼はサイケデリックなミュージシャンだ。それから、サミー・ビシャイ(Samy Bishay)のヴァイオリンも。 リー・ペリーにしろジョー・ギブス(Joe Gibbs)にしろ、彼らが作ったような伝統的なダブ・アルバムはオリジナル・アルバムのトラックを加工して制作されていたけど、『Heavy Rain』はそのために新たに録音した素材をたくさん使って、カラフルな音になった。

エイドリアン・シャーウッド

–『Heavy Rain』にはブライアン・イーノが参加した“Here Come The Warm Dreads”が収録されています。これはベースラインを聴けば誰でも判りますが、『Rainford』の収録曲“Makumba Rock”を元にしています。それでもこれは既存の曲のダブというより、新曲と言えるほど新しい要素が加わっている感じですね。 ブライアン・イーノと一緒に音をミックスした。ドラスティックに変化したね。 –そもそもなぜブライアン・イーノとやることになったのですか。 マネジャーが同じで、前から知り合いなんだ。ずっと前から何か一緒にやりたいと思っていて、今回、お願いしてみたら、向こうからも、ぜひぜひと言われたんだよ。 –この曲のベースラインは、レゲエの定番リズムのひとつ、“Heavenless”みたいでカッコ良いですね。 それは意識していない。“Makumba Rock”のリズムは、10年前にブラジルで着想を得たんだ。最初はドラムマシンで打ち込み、ブラジル人のベースとパーカッショニストに演奏してもらった。それをロンドンに持ち帰ったところからリー・ペリーが制作に加わり、ロンドンとラムズゲート(イギリス、ケント州の海岸沿いの町)を行き来しながら仕上げていった。その過程で、ベースは(エイドリアン・シャーウッドとつき合いが長いタッグヘッド(Tackhead)の)ダグ・ウィンビッシュ(Doug Wimbish)、ドラムは(エイドリアン・シャーウッドとつき合いが長かったダブ・シンジケートの)スタイル・スコット(Style Scott)に演奏してもらって、そのパートだけ差し替えたんだ。 –スタイル・スコットは、2014年に殺害されてしまいました。『Heavy Rain』では“Makumba Rock”を発展させた“Here Come The Warm Dreads”を含めた3曲にクレジットされていますが、これはスタイル・スコットを追悼するという意味で探し出したトラックを組み入れたのでしょうか。 いやこれは、彼が『Rainford』のためにイギリスに来てレコーディングしたときのものだ。スタイル・スコットはそれ以外の2曲、『Heavy Rain』では“Mind Worker”と“Above And Beyond”となる曲のセッションを、ベースのジョージ・オバーン(George Oban)とレコーディングし終えてジャマイカに帰り、その2か月後に殺害されてしまった。

エイドリアン・シャーウッド

–“Mind Worker”は初期のアスワド(Aswad)に在籍していたジョージ・オバーンが参加しているからか、ちょっとアスワドのようなテイストも感じられます。 そう感じるかもしれないけど、ジョージ・オバーンはアスワドのオリジナル・メンバーとしてアルバム2枚に参加しただけで、すぐに脱退しているから、あまり関係ないんじゃないかな。いずれにしろ彼は素晴らしいベース奏者だよ。 –『Rainford』も『Heavy Rain』もリー・ペリーのソロ・アルバムということになっています。実質的にはエイドリアン・シャーウッドさんの功績が大きいと思うのですが、なぜ共作としないのですか。 『The Mighty Upsetter』(08年)を作ってそのダブ・アルバム『Dubsetter』(09年)を作ったときもリー・ペリーのアルバムとしてリリースしている。今回もリー・ペリーを引き出すために作ったので、彼に注目を集めて、引き立たせたかったんだ。俺はプロデューサーであって、アーティストではないし、それで俺は十分ハッピーだ。 –エイドリアン・シャーウッドさんのキャリアは長いです。一般には、〈ON-U〉を立ち上げた80年に『NEW AGE STEPPERS』を世に出した時点が大きなポイントだと捉えられていると思います。特に若いリスナーに対して、自分では今までのキャリアの中でここがポイントだったと言いたいところはどこですか。 俺は過去を振り返ることはしない。常に次のレコーディングのことを考えている。聴いてほしいのは最新作、そして次の作品だね。若い人は自分たちで私のこれまでの作品を発見していくはず。これまで自分が係わってきた作品はすべて誇りに思っているし、それは最高のミュージシャン、アーティストのおかげなんだ。〈ON-U〉のカタログはすべて、素晴らしい作品ばかりだから、それを見つけてくれたら嬉しいね。

エイドリアン・シャーウッド

–長いキャリアのなかで、ぼくが大きなポイントだと思っていることのひとつは、エイドリアン・シャーウッドさんが強くリスペクトしていたプリンス・ファー・アイ(PRINCE FAR I)が83年に殺害されて、それからしばらくレゲエに係わる気になれずに、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(Einstürzende Neubauten)だったりデペッシュ・モード(Depeche Mode)だったり、ニュー・ウエイヴのリミックスを手がけていた点です。 その時期は“怒り”が深かった。83年から86年までは特にね。ニュー・ウエイヴのリミックスはレゲエよりお金になるかなと思ってやっていた節もあるよ(笑)。その間、タックヘッドのレコードはリリースしていたけど。再びレゲエと向き合ったのは、まさにリー・ペリーと制作した『Time Boom X De Devil Dead』だったんだ。 –デヴィッド・カッツ(David Katz)が執筆したリー・ペリーの伝記『People Funny Boy : The genius of Lee Scratch Perry』によれば、『Time Boom X De Devil Dead』のトラックは、ソウル・シンジケート(Soul Syndicate)が演奏してエイドリアンさんがダブにしたもので、それをリーさんに聴かせたら、気に入って歌を入れて、すぐ完成したというようなことが書いてあります。 俺だけでなく、スタイル・スコットが大きな役割を果たしていたよ。 –それで『Time Boom X De Devil Dead』は、リー・ペリーとダブ・シンジケート(Dub Syndicate)の作品とクレジットされているのですね。『Rainford』のときは、リー・ペリーさんはどの時点から係わってきたのですか。 『Rainford』に関しては、1年ぐらいかけてリー・ペリーが詞を書いて歌入れしてくれた。ロンドン、ラムズゲート、ジャマイカのリー・ペリーの家と、作業は3か所で進めていたよ。 –リー・ペリーはスイスに住んでいるのではないのですか。 彼はスイスとジャマイカに家があって行き来している。 –リー・ペリーと連絡を取り合うのは電話ですか。 “煙”で連絡するんだよ(笑)。本当は電話なんだけどね。でも彼の妻がマネージャーのような役割を果たしているので、彼女とメールで連絡を取るんだ。

エイドリアン・シャーウッド

–1978年にジャマイカのブラックアーク・スタジオが焼失するまでのリー・ペリーはプロデューサーとして数々の傑作を残しました。しかし『Time Boom X De Devil Dead』以後は、ほとんどパフォーマーになっています。まったく違う役割になったことを、どう受け止めていますか。 彼には“怒り”があったのだと思う。ボブ・マーリー(Bob Marley)にアップセッターズ(The Upsetters)の手法を盗まれたり(バレット兄弟などがいたリー・ペリーのバンド、アップセッターズからボブ・マーリーのウェイラーズ(The Wailers)が派生した)、コンゴス(The Congos)の件(〈Island Records〉にコンゴスのデビュー作、77年の『Heart of the Congos』をリリースすることを拒否された)があったり、プロデューサーはいつも、アーティストにお金を要求されたりもする。そういうことが重なって、もういいやと思ったのではないかな。個人的には、プロデューサーとしてのリー・ペリーのレコードをもっと聴いてみたかった。 –エイドリアン・シャーウッドさんは“怒り(anger)”という言葉を使うとき、力が入りますね。“怒り”がダブを制作するモチベーションになっているのでしょうか。 もちろん。また“怒り”によって何かを止めてしまうこともあり、紙一重だけど。 –たとえば今のイギリスでは、Brexit(イギリスの欧州連合離脱)問題とかありますけど、そういう政治的状況が音楽にも影響を与えているのですか。 個人的にはBrexitはバカげていると思う。ただしBrexit問題が私の音楽に影響を与えているかは判らない。でもひとつ思うのは、イギリスではそういうことに対して“怒り”とかフラストレーションを見せるんだ。でも日本は違う。来日するたびに頭をよぎるんだけど、みんな穏やかで落ち着いている。日本の人ももっと“怒り”を見せた方が良いんじゃないかと思うよ。 –70年代にイギリス独自のレゲエやサウンド・システムが存在して、そこから発展した、ブリストル・サウンズ、ドラムンベース、最近の南ロンドンのジャズと、トレンドが変化してきました。そんななか、一貫したスタイルを〈ON-U〉で追求しています。このことをどう考えていますか。 私は時代が流れていくなかで歳をとってきた。最近のロンドンのジャズは(イーストエンド、ハックニー区の)ダルストンあたりから盛り上がってきたんじゃないかな。若い人に人気があるグライム・シーンなんかもあるけど、昔のようにバンドを組んで作り上げる音楽よりも、コンピュータで音楽を制作する人の方が多くなっている。〈ON-U〉は、80年代の白人と黒人のせめぎ合いのなかから音楽が生まれるという当時の時代性を反映してきた音楽だったと思うよ。他人から「トレンドを意識しろ」なんて言われることもあるだろうけど、自分が好きなものをずっと追求していればそれがトレンドになる時が来るはずさ。

エイドリアン・シャーウッド

INFORMATION

エイドリアン・シャーウッド

HEAVY RAIN

2019.11.22(金) ¥2,200(+tax) Labels:0N-U SOUND / Beat Records BRC-620 1. Intro - Music Shall Echo 2. Here Come The Warm Dreads 3. Rattling Bones And Crowns 4. Mindworker 5. Enlightened 6. Hooligan Hank 7. Crickets In Moonlight 8. Space Craft 9. Dreams Come True 10. Above And Beyond 11. Heavy Rainford 12. Outro - Wisdom Drown Satan(Bonus Track for Japan)

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ShioriyBradshawが辿り着いた、”空間演出”というDJとしての在り方

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ShioriyBradshaw

ShioriyBradshawは、ヒップホップ/R&Bをルーツに持ちながら、常に新しいサウンドやカルチャーとの出会いを求め、アンテナのおもむくままに活動することで、さまざまなプレイスタイルを獲得してきた。その結果、現在はクラブだけでなくホテルやラウンジなど多種多様な場でのプレイに対応する、まさに現場叩き上げの“ザ・DJ”だと言えよう。 そんな彼女が、DJを始めてから約14年目にして、渋谷はManhattan Recordsより初のオフィシャル・ミックスCD『Lifestyle』をリリース。そのタイトルが示す通り、心地よいグルーヴとサウンドスケープで、日常のさまざまなシチュエーションに優しく寄り添い、いつもより少し豊かな時間を演出してくれる、いつでも手に取れる場所に置いておきたい1枚となっている。 そして特筆すべきは、今回のインタビューで浮かび上がった、作品のリラックスしたムードのなかに内燃する、“キュレーター”であり“空間を演出するアーティスト”としての想い。そこには、これからのDJが進むべきひとつの答えがあるように思えた。

ShioriyBradshaw

Interview:ShioriyBradshaw

━━まずはDJを始めたきっかけから、教えていただけますか? 中学生の頃から曲を掘ることは好きで、お気に入りの曲を集めてCD-Rに焼いてコンピレーションみたいなものを作ったり、それを校内放送で流したりしていたんですよ。自分の選曲を人に聴いてもらうことは、昔から好きでしたね。それからしばらくして、高校生の時に、クラブカルチャーやDJの存在を知って、私もDJになりたいと思いました。 ━━中学生の頃はどんな音楽を聴いていたのですか? 2000年代前半のヒップホップとR&Bが多かったです。カニエ・ウエスト(Kanye West)、アリシア・キーズ(Alicia Keys)、ニヴェア(Nivea)、Crystal KayとかSOULHEADとか、ほんとにいろいろ聴いてましたね。 ━━その時期だと、エミネム(Eminem)の存在がとても大きかったと思うんですけど、影響は受けなかったんですか。 すごい現象でしたよね。でも、私個人としては、彼のアルバムも聴いたし『8 Mile』(※2002年に公開されたエミネム主演の映画)も観たんですけど、そこまでハマらなくて。あとは、サウス系の人たちもどんどん出てきた時期で、アウトキャスト(Outkast)がグラミー賞を獲ったり。そのあたりの流れは好きでした。 ━━中学生時代にさまざまな音楽を聴き、その後DJやクラブカルチャーの存在を知ることで、また新しい刺激があったと思うんですけど、いかがですか? 90年代のリバイバル期だったのか、私が知り合ったDJの人たちに90年代好きが多かったのか、ニュージャックスウィングや当時のハウスに触れることが多くなりました。私はオンタイムの音楽がほとんどでそこは遡って掘ってはなかったので、すごく新鮮でしたね。 ━━オンタイムの00年代を中心に聴いてきて、クラブが90年代を掘るきっかけになった。カタログの知識が増えることは、DJにとってすごく大切なことですし、近年は本当に90年代の呼び戻しがありましたし、よかったですね。 確かにそうかも。「若いのに今のリバイバルだけじゃなくて、ちゃんと90年代当時の曲も知ってるんだね」って評価されて、オファーをもらったこともありました。

ShioriyBradshaw

━━初めてブースに立った日のことは覚えていますか? はい。何分のセットだったかも何をかけたかも覚えてないんですけど、あれかけたいこれかけたいって、レコードをバッグに詰めて出かけたんです。でも、それ以上の思い出は、特にありません(笑)。 ━━そこから、13年も続けてこられたのは何故だと思いますか? 高校生の時にDJを始めて、神奈川の大学に入って東京でもDJをするやるようになって、すごく楽しかったんですけど、特にDJでどうこうなりたいとは思っていなくて、そのまま普通に就職とかしてOLをしながら、時々DJするのかしないのか、みたいな20代を想像してたんです。でも、大学の卒業が見えてくる4回生になったあたりから、仕事としてDJのオファーをもらえるようになって、だったら別に就職も今しなくてもいいやって思っちゃって。とはいえ、「DJでご飯食べていくぜ」って腹を括ったわけでもなく、気がつけば今みたいな(笑)。 ━━今までは、お金のことなどは関係なく友達同士でワイワイやっていたところに、ギャラの発生するオファーが増えてきたんですね。 それでご飯が食べられるくらいにオファーが殺到したわけではなくて、数は少なかったんですけど、「こういう世界もあるんだ」って思いました。それまでは、本当に大勢いるDJの中の一人って感じだったんで。 ━━その“大勢いるDJ”から、ギャラが発生するDJになった理由は、何だったのでしょう? はっきりと断定はできないんですけど、自分がDJするしないにかかわらず、ただ遊びに行って踊るのが好きだったから、頻繁にクラブに遊びに行っていたことは、結果的に大きかったと思います。そこで知り合った人がまた別の人を紹介してくれて、みたいな感じで、輪が広がっていって、DJをする機会が増えていったんです。 ━━現場で生まれた信頼関係は大きいですよね。 あと、カッコいいDJはたくさんいるし、そのなかでプレイの内容だけで重宝されるようになるのは、なかなか難しいんです。だから、メールのレスポンスを早くするとか、オファーがあったときにすぐに出せるプレスキットを用意するとか、そういった事務的な細かい作業をちゃんとすることが、大切かもしれないです。実際にそれで、人からの見え方とか印象が変わっていったようにも思います。

Asia tour in Bali 2019 – ShioriyBradshaw

━━音楽的なルーツはヒップホップやR&Bにあって、そこからさまざまな経験を経て辿りついた、今のDJとしてのスタイルを言語化すると、どうなりますか? 新しい音楽やムーブメントが好きで、興味の幅はどんどん広がってるので、言葉にするのは難しいんですけど、共通して好きなのは“グルーヴのある音楽”。そういう意味で、ルーツはやっぱりヒップホップとR&Bですね。でも、そればかり聴いていたら、こんなにDJを続けることはなかったと思います。ヒップホップもR&Bもどんどん更新されていますし、現在進行形で起こってるさまざまな音楽を追いかけてるからこそ、昔好きだった曲も新鮮に聞こえることがあるし、DJでいられてるように思います。 ━━先を追うからこそ、過去の活かし方も面白くなってくると思います。 じゃあ、今は具体的に何をかけてるのかとなると、ヒップホップの文脈を感じられるようなDJプレイもしますし、ここまで話してきたイメージとはぜんぜん違う音楽、例えばハードスタイルやガバ、ユーロビートとかもかけますし、やっぱり言葉にするのは難しいですね。 ━━振れ幅がすごいですね。 ですよね。ローファイハウスもやりますし。去年まではヒップホップが流行っていたように思うんですけど、今年は4つ打ちというか。私が遊びに行くのも、だいたいそういう音が鳴ってますね。海外のクラブにもよく行くんですけど、上海でハードスタイルがめちゃくちゃ流行ってるクラブがあって、すごく好きなんです。 ━━となると、今回リリースしたミックスCD『Lifestyle』はどんなモードのShioriyBradshawなのか、がぜん興味が湧きます。 ミックスCDをじっくり聴く状況って、今は少ないような気がするんです。通勤や運転中とか掃除中とか、“ながら聴き”がメインなのかなって。そう思ったときに、手に取ってくれた人の生活に染み込んでいくような、長く聴いてもらえる1枚にしようと思いました。

ShioriyBradshaw

━━セレクトした曲やテンポ感、音の流れなどで意識したことを聞かせてもらえますか? DJをしているときやミックスを作るときは、自分のなかに物語があるんです。それはどんな話なのかと訊かれると、まったく言葉にはできないんですけど。今回、“ながら聴き”がテーマですが、もちろん選曲にはこだわってますし、起承転結をすごく大切にしています。 ━━その、内燃する想いを汲み取って欲しいとは思わないんですか? 「ShioriyBradshawがミックスCD出しました」みたいなテンションではないんですよね。聞いてもらった時に、なんとなく流れと余韻を感じてもらいつつ、「これ誰がやってんの? あ、ShioriyBradshawっていう人なんだ」くらいに思ってもらえたら嬉しいです。 ━━そんなShioriyBradshawさんにとってDJとは? DJは、キュレーターであり、空間を演出するアーティストだと思います。そこに誇りをもってやっているので、“わかる人だけにわかればいい”というスタンスではなく、曲の良さを伝えることと、自分自身の信頼度を高めるための努力は怠らないようにしてます。 ━━DJがもっと広く世に出ていける可能性はあると思いますか? はい。DJが何をやってるのか、世の中にちゃんと知ってもらったほうが、仕事もDJができる場所も増えて楽しいし、間口を広くもってやっていきたいですね。もし私と同じように考えている人たちがいるなら、もっといろんな場所に出られるように、一緒に頑張りたい。でも、私は多くの人を先導する旗手タイプでもないし、「ShioriyBradshawさんがこういう風にやってるし、僕も、私も、やってみよう」みたいになってくれたらいいですね。

ShioriyBradshaw

━━街のさまざまな場所にDJがいる。考えただけでも楽しくなりますし、都心ではそうなってきてる部分もありますよね。 クラブは私にとってすごく大切な場所ですけど、“DJ=クラブ”でもない。これからDJを始める人たちも、もっとフラットな感覚でいてほしいですね。日本にいるとあまりピンとこないかもしれないですけど、ホームパーティーとか。最近だとDJのいるバーやホテルもけっこうありますし。DMC系(DJの技を競う世界規模の大会)のDJとかになると、また活動のベクトルは違うのかもしれないですけど、私たちのような曲をセレクトしてミックスするDJは、“空間を演出するアーティスト”だと認知されたら、できる場所はもっともっとたくさんあると思います。 ━━今後DJをやってみたい場所はありますか? これまでにも、いろんな現場を踏ませてもらって、それぞれにいいところがあって楽しいんですけど……。ニーナ・クラヴィッツ(Nina Kravitz)が京都の二条城でやってたじゃないですか。さすがに世界遺産ではやったことがないですし、それは彼女がロシアという国を代表する存在だからこそできたことだと思うんで、憧れますね。 ━━ほかに、これからの活動の指標となるようなDJはいますか? 私、DJ KRUSHさんに会ったことで、「DJを続けてもいいんだ」って思ったんです。「もう20代後半だし女だし……」と、なんとなくDJを続けられないなと考えていたら、「なんで? やりたいなら続けなよ」って言ってくださった一言で「続けます」って。単純(笑)。KRUSHさんはずっと最前線でやってきた方で、出す作品はどれもカッコいいし、ルーツはヒップホップにあるけどテクノもやられてて、そういう意味でも自由にやっていいんだって、思わせてくれた大きな存在ですね。

Dj Krush - DJ set @ Sónar 2019 (full show)

━━縛られてないし誰も縛らない先輩。偉大ですね。 偉大です。あとはフライング・ロータス(Flying Lotus)ですね。アーティスト/DJとして大好きですし、3Dライブは初めて観たので衝撃的でした。私がいきなりそんなことをやれるわけじゃないんですけど、まずはここまでやってきたことや想いを、ミックスCDという形にしてリリースできたので、次は自分が作曲した曲のリリースしてみたいですし、今までとは違う、新たなステップを踏みたいとは思っています。具体的なことはまだ何も決まってませんけど。

Text by TAISHI IWAMI

ShioriyBradshaw
ShioriyBradshaw 日本人の女性DJ。2006年にターンテーブルを入手し、DJ活動をスタート。東京を拠点に各地方、アジアなどの海外でも活動中。近年では、NIKEやIKEAなどの大手ブランドや、新鋭ブランドのレセプションパーティーやインストアイベントでDJとして出演。Hip Hop, R&Bをベースとしながら様々なジャンルをクロスオーバーさせるプレイが彼女のスタイル。 2016年に自身初のMIX CD『NOVA』をリリース。 2017年よりDJ BAR&LOUNGE WREPで「Palladium Lab」というパーティーをスタート。パーティーを軸に、今後はキュレーション活動も展開予定。 2018年より日本のインターネットテレビインターネットテレビ「AbemaTV」の番組「AbemaMix」に定期的に出演中。 2019年にManhattan RecordsよりMIX CD『Lifestyle』をリリース。

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RELEASE INFORMATION

ShioriyBradshaw

Manhattan Records(R)presents Lifestyle

ShioriyBradshaw 2019.12.06(金) LEXCD19012 ¥1,980 + 税 ジャンル:R&B/エレクトロニック レーベル:Manhattan Recordings/LEXINGTON Co., Ltd CD(Manhattan Records)|デジタル トラックリスト 01. Dead Horse Beats/Thinking Of You 02. Zak Waters/Come To LA 03. Toshiki Hayashi/Tobari – Instrumental 04. Potatohead People/Morning Sun(feat. Nanna.B)[DJ Spinna Galactic Funk Remix] 05. Illa J/Strippers(prod Potatohead People & Kaytranada) 06. Potatohead People/Love Hz 07. Toshiki Hayashi/Da Vinci – Instrumental 08. Dead Horse Beats/Easy Nothing 09. Birthday Boy & Trish/Chance To Go Far 10. Potatohead People/Change of Heart feat. Illa J 11. AstroLogical/Bottom Of My Heart 12. Lefto/Jukesoftheworld 13. Manatee Commune/My Dearest Friend 14. Miles Bonny/So Hard 15. Midas Hutch/The Feels(Jeftuz Remix) 16. Manatee Commune/What We’ve Got ft. Flint Eastwood 17. B. BRAVO/Can’t Keep My Hands Off You feat. Reva Devito(Grandfeather Remix) 18. B. BRAVO/Stay The Night(Mr. Carmack Remix) 19. Anomalie/Hang Glide 20. Kool Customer/Favorite Song(Midas Hutch Remix) 21. Midas Hutch/Out Of Business 詳細はこちら

EVENT INFORMATION

ShioriyBradshaw

PANTHER TIME

OPEN 22:00 中目黒Solfa DIS:¥1,500/DOOR:¥2,000(1ドリンク込)  GENRE:Hiphop、Trap、Techno、House LINE UP: "Lifestyle"RELEASE GUEST DJ ShioriyBradshaw DJ: DaBook DJ KRO (Chilly Source) 329 north daichi Shinsuke LIVE: RDD LIF 詳細はこちら

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78歳のセルジオ・メンデスが語る、決して枯れることのないアイディアとクリエイティヴの源泉

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セルジオ・メンデス

ブラジル音楽の伝道師、セルジオ・メンデスが帰ってきた。大の親日家で愛称は「セルメン」。1966年の世界的ヒット曲“マシュ・ケ・ナダ”で知られ、2000年代にはウィル・アイ・アム(ブラック・アイド・ピーズ)とのコラボを通じて、ヒップホップ世代のリスナーも獲得している。 日本先行リリースされた5年半ぶりのニュー・アルバム『In the Key of Joy』は、超が付くほどポップな作品だ。ブラジル音楽のメロディとリズムが咲き乱れ、ラップやアーバン・サウンドに接近するだけでなく、ラテン・ポップ隆盛の時代とシンクロするようにレゲドンを取り入れたり、あの手この手でセルメン・ワールドをアップデートしている。 オープニングを飾る“サボール・ド・リオ”はSKY-HIのリミックスも話題になっているが、この起用を持ちかけたのも他ならぬセルメンだった。レーベル担当氏は「King Gnuというバンド、なかなかいいな」と話しかけられビックリしたそうだが、若いミュージシャンへのアンテナを常に働かせているらしく、新作でも次代のホープを多く迎えている。例えば、タイトル曲にフィーチャーされたラッパーのバディは、ロバート・グラスパーの最新ミックステープ『Fuck Yo Feelings』にも参加している……と知ったら、アルバムへの印象も少し変わってくるだろう。もうすぐ79歳を迎えるというのに、彼の嗅覚やバイタリティは微塵も衰えていない。 さる12月17日には、SKY-HIと一緒に日本テレビ『スッキリ』に生出演し、SNSトレンド入りも果たしたセルメン。クリエイターならずとも、彼がどうやって創作センスを磨いてきたのかは気になるところだろう。翌日に行ったインタヴューで、アイディアとクリエイティヴの源泉について大いに語ってもらった。

Sérgio Mendes - Sabor Do Rio (SKY-HI Remix)

Interview:セルジオ・メンデス

“日本は何度でも行きたいと思える世界唯一の国”

━━『スッキリ』観ました、すごくよかったです。 ありがとう。早朝だったから少し大変だったけど、私も心から楽しむことができたよ。日本の人気番組でSKY-HIとのパフォーマンスを披露できたのも嬉しいし、あの場で“マシュ・ケ・ナダ”を演奏できたのも光栄だった。 ━━セルジオさんはこれまで何十回も来日していますよね。 日本を初めて訪れたのは1963年のことだ。それからずっと日本が大好きだし、何度でも行きたいと思える世界唯一の国だよ。東京だけでなく大阪、京都、それ以外の地域も心得ている。レストランもよく知ってるし、馴染みの場所も多い。もうすぐ2020年になろうとしているのに、私の音楽を1963年からずっと受け入れてもらえているのは感謝するばかりだ ━━日本にまつわるエピソードで、特に忘れられないものは? たくさんあるよ。日本武道館でセルジオ・メンデス&ブラジル'66として“マシュ・ケ・ナダ”を演奏したときは嬉しかった(1971年)。1970年の大阪万博でのコンサートも感慨深いね。あと、カネボウのCMソング“サマーチャンピオン”を浅野ゆう子さんと録音したらヒットして、沖縄から北海道まで2カ月にわたるキャンペーンを兼ねた全国ツアーを行った。あれも忘れられないね。 ━━セルジオさんは1941年生まれ、来年2月で79歳になりますよね。それなのに今もエネルギッシュに活動しているのは驚くばかりですが、その瑞々しいパワーはどこからやってくるのでしょう? 遺伝かもしれないね。母親は96歳まで生きたんだ。もちろん、健康にも気を遣っているよ。エクササイズもしているし、睡眠もたっぷり摂るようにしている。素晴らしい家族と友人に恵まれたのも大きいだろうし、あとは運がよかったのかな。食生活は……どうだろう。普段は野菜中心、お酒も控えめを心がけているけど、ツアー中はやっぱり食べるのも楽しみでね。日本では特にそうだよ(笑)。だから、何事もバランスが大事なんだと思う。

セルジオ・メンデス

━━それだけお元気なのは、ハッピーな音楽をずっと作ってこられたのも関係あるんですかね。 それはあるだろうね。新しいアルバムのタイトルを『In the Key of Joy』と名付けたくらいだもの。音楽は私にとって祝福であり、人生の喜び(Joy)であり、晴れやかな太陽であり、心をハッピーにさせてくれるものだ。

セルジオ・メンデス

▲アルバムアートワーク

━━セルジオさんの過去作も聴き直してみたんですけど、新しいアルバムが一番ポップな内容に仕上がっている気がしました。 制作に2年かけて、私のキャリアで初めて(共作・提供曲も含めて)すべてオリジナルの新曲を揃えることができた。それがよかったんだと思う。じっくり時間をかけながら、自分らしいメロディやコードを作り上げることができたからね。パーカッションはブラジルで録音して、LAでもレコーディングを行った。出来上がりにはすごく満足しているよ。楽曲はヴァラエティに富んでいるし、カラフルなアートワークもそれを象徴している。このグラフィックは日本人デザイナーの吉永祐介さんが手掛けてくれたんだ。SKY-HIもそうだし、私の音楽と日本が繋がることができたのも嬉しく思っている。 それに、スペイン語詞の曲(“ラ・ノーチェ・エンテーラ”)を収録したのも初めてだ。この曲で歌っているカリ・イ・エル・ダンディーはコロンビア出身の兄弟デュオで、“サンバ・イン・ヘヴン”で歌っているシュガー・ジョアンズは今回が人生初レコーディングだった。彼らのような若手ミュージシャンもいれば、“サボール・ド・リオ”ではクラシック・ラッパー、コモンが参加してくれた。この曲のリミックスでは、SKY-HIという若い日本人ラッパーが関わっている。たくさんの「カラー」が入った、色彩豊かなアルバムになったよ。

Samba In Heaven - セルジオ・メンデス,Sugar Joans
Sabor Do Rio(SKY-HI Remix)- セルジオ・メンデス,SKY-HI

“一番大事なのは「好奇心」”

━━セルジオさんはカバー曲でも多くのヒット曲を生み出してきたわけですが、ここにきて「オール新曲」に挑戦したのはなぜでしょう? 今までやったことのないことに挑戦してみたかったから。今回は意識的にカバーを避けたんだ。 ━━「これまでと違うことをする」というのは、ご自身のキャリアを通じて重要なテーマだと言えますか? イエス。アイディアには事欠かないから、どの時代も違うことをやってきたし、いろんなバラエティを生み出すことができたと思う。私のなかにフォーミュラ(公式)は存在しない。いつだって自分のハートに従うようにしているよ。 ━━Qeticの若い読者は、そういうチャレンジ精神がどうやって育まれたのか気になると思います。 シンプルに表現するなら、一番大事なのは「好奇心」だと思う。私は学ぶことが好きだし、直感に従うようにしている。それに「こうしたらどうなるだろう?」と想像したり、夢見たりしてきたことを形にするのが好きなんだ。私には26歳と32歳の息子がいて、彼らが聴いてる音楽を教えてもらうこともある。26歳のほうはジャパニーズ・ロックンロールと、昔のブラジル音楽が好きみたいだ。古いものが好きで、いつもアナログ・レコードを聴いてるよ。 ━━素敵な趣味ですね。 ああ。自分より若い人でも教わることは多い。いろんなものに目を向けていくのが、フレッシュな感覚を持ち続ける秘訣だろうね。 ━━先ほどコモン(Common)の名前が挙がりましたが、彼にはどんな印象を抱いてます? (流暢な日本語で)渋い。エレガントな人間だ。初めて会ったのは4年前で、友人のジョン・レジェンドが紹介してくれた。それで“サボール・ド・リオ”が出来上がったあと、コモンがぴったりだと思って電話したんだ。彼の参加によって、まったく別の曲のように生まれ変わったよ。ビートやリズムを気に入ってもらえたのも嬉しかった。 ━━セルジオさんとヒップホップといえば、2006年の『タイムレス』は日本でもヒットしましたよね。僕は1986年生まれで、あのアルバムでセルジオさんのことを知ったので、最初はヒップホップの人だと勘違いしました(笑)。 ハハハ(笑)。あれこそ好奇心で始まったようなものだよ。ウィル・アイ・アムが私の大ファンで、ある日、大量のアナログを持参して家にやってきた。それで、どれだけ好きかを熱弁しながら「一緒にやりましょうよ!」と誘ってくれたんだ。

Sérgio Mendes - Timeless (Official Audio)

━━あのコラボも、かなりチャレンジングな試みですよね。 今回のアルバム制作と一緒で、あのときも何かユニークなもの、ダイバーシティのある音楽を作ろうという冒険心に突き動かされたんだ。スタジオには尊敬し合うミュージシャンが集まっていた。インディ・アリー、ジル・スコット、ジョン・レジェンド、ジャスティン・テンィバーレイク……ウィル・アイ・アムはいろんな人を連れてきてくれたよ。素晴らしい経験だった。 ━━それだけのメンバーが集まっても、最終的にセルジオさんらしい音楽になるのも面白いです。 私の場合、どのアルバムにも異なるアドベンチャーがあり、毎回違うペインティングを施している。でも、『タイムレス』のようにヒップホップをやっても、最新作のようにレゲドンをやっても、いつだって必ずブラジル音楽のエッセンスが感じられるはずだ。自分がキーボードを弾いて、曲作りしている以上、どうやっても最終的にセルジオ・メンデスの音楽になる。リスナーはみんな、私のサウンドを理解してくれているよ。 ━━ブラジル音楽の第一人者であるセルジオさんから見て、ヒップホップの魅力は? スポンテイニアスな部分だね。ヒップホップとブラジル音楽のリズムはすごくフィットするんだ。ブラジルでもヒップホップは人気だし、自然な形で結びついている。いまやヒップホップはユニバーサル・ランゲージだし、もちろん私も大好きだよ。

セルジオ・メンデス

━━それで言ったら、60年代にブラジル音楽をユニバーサル・ランゲージにしてきたのがセルジオさんだったわけですよね。どうしてそれが成し遂げられたのでしょう? 自分ではわからないな。とにかく多くの人々に受け入れてもらえた。その幸運は今も続いているよ。 ━━当時からアメリカの音楽やビートルズにも目配せしていましたよね。そういう姿勢も大きかったのでは? たしかに。ジャズ、ビートルズ、アフリカやインドの音楽、日本の音楽……雅楽や尺八にも影響されてきた。インスピレーションを得る上で、オープンマインドでいることは重要なことだ。 ━━最初はクラシック音楽を学んでいたそうですね。 そう、7歳からピアノの勉強をしてきた。その経験は今も役立っているし、クラシック音楽はもちろん好きだよ。ただ、私には規律が多すぎるようにも感じた。だから、その後はジャズに入れ込むようになった。ジャズもスポンテイニアスな音楽だし、インプロヴィゼーション(即興演奏)やサウンドも好きだ。チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、アート・テイタム、ジョー・ザヴィヌル……尊敬しているミュージシャンもたくさんいる。 ━━昔からいろんな音楽と接してきたんですね。 クラシックやジャズ、1950〜60年代だったらビバップ、今だったらヒップホップ。そんなふうに、自分はその都度いろんな音楽に影響されてきた。軸となるのはブラジル音楽だけど、そこに様々なエレメントを加えることで、自分ならではのスタイルを築いてきたんだ。 そのなかでも、とりわけ大切にしてきたのはメロディ。「メロディ至上主義」だと言ってもいいくらいだよ。今回の“サボール・ド・リオ”や“マシュ・ケ・ナダ”のように、一度聴いたら忘れられないようなメロディを持つ曲が好きなんだ。そういう意味では、フランク・シナトラやヘンリー・マンシーニのような、素晴らしいメロディの持ち主と一緒に仕事することができたのはラッキーだった。最近のラジオでかかってる曲もいいんだけど、ループが(ソングライティングの)定型化しているから、またメロディの時代が帰ってくると嬉しいね。

“『In the Key of Joy』は本当にカラフル”

━━ブラジル音楽を一緒に支えてきたアントニオ・カルロス・ジョビンのことは、どのように見ていましたか? ジョビンは偉大なコンポーザーだ。彼によってボサノヴァは誕生したわけだし、私もたくさん仕事してきた。その後、ボサノヴァが世界的ブームになったのは、“イパネマの娘”“クワイエット・ナイツ(コルコバード)”といったジョビンの曲を、スタン・ゲッツやシナトラなどが取り上げて、英語の歌詞を乗せたのが大きかった。彼の曲は洗練されていたから、そうしやすかったというのもあるだろうね。そのなかで、非英語詞にもかかわらず、世界的ヒットになったのが“マシュ・ケ・ナダ”だ。それも1966年と2006年の2回。そこには自信をもっている。 ━━セルジオさんの“マシュ・ケ・ナダ”がどうやって生まれたのか、改めて教えてもらえますか? もともとはジョルジ・ベンが(1963年に)書いた曲で、あるときコパカバーナ地区のナイトクラブで聴かせてくれたんだ。あの誰もが口ずさめるメロディがすべてだね。ブラジル'66とレコーディングしたときも最高の気分だったし、アレンジもサウンドも何もかも上手くいった。それは2006年にウィル・アイ・アムが新しいアレンジを手掛けてくれたときも同様だ。40年後も失われることのないマジックがあったんだと思う。

Mas Que Nada - Sergio Mendes & Brasil'66

━━個人的には、セルジオさんが80年代に手掛けていたラテン・フュージョンも好きなんですよね。今だったらシティ・ポップみたいな感覚で聴けるというか。『In the Key of Joy』の7曲目“ラヴ・ケイム・ビトゥイーン・アス”は、その頃のサウンドに通じるものがありますよね。 そのとおり。ジョー・ピズーロが歌った“Never Gonna Let You Go(愛をもう一度)”は1983年に世界中でヒットして、ビルボード・チャートでもマイケル・ジャクソンの“スリラー”に続く2位になった。だから今回、“ラヴ・ケイム・ビトゥイーン・アス”が出来上がったときも、ジョー・ピズーロに歌ってほしいと頼んだんだ。ちなみに彼の娘、ソフィア・ピズーロの名付け親は私で、さっき紹介したシュガー・ジョアンズというのはソフィア・ピズーロの別名義なんだ。

Love Came Between Us - セルジオ・メンデス,Joe Pizzulo

━━いい話ですね。そういう20代のミュージシャンもいれば、83歳のエルメート・パスコアールも参加していたりと本当に幅広い。 国、世代、性別……実に多様な人たちが集まっている。『In the Key of Joy』は本当にカラフルなんだ。 ━━そんな新作をどんなふうに聴いてほしいですか? それはリスナーに委ねるよ。音楽というのは自由でパーソナルなものだし、それぞれのフェイヴァリットを見つけてほしい。私はそういう多様性が大好きなんだ。 ━━海外では来年2月にリリースされるんですよね? そう。まずは日本でリリースしたかった。実現できて嬉しく思っている。 ━━このあとはツアーに出るんですか? 2020年はそうなるだろうね。今はプランを立てている最中だ。 ━━これまでのキャリアを振り返って、やり残したと思うことはありますか? もちろん。音楽のアドベンチャーはまだまだ続くだろうね。

セルジオ・メンデス

Text by Toshiya Oguma Photo by Kohichi Ogasahara

セルジオ・メンデス
セルジオ・メンデス 1941年2月11日、リオ・デ・ジャネイロ近郊のニテロイ生まれ。 幼少の頃からリオの音楽学校でクラシック・ピアノを学ぶなど、恵まれた環境で音楽の基礎を習得。しかしその後はクラシックの道には進まず、1950年代後半にジャズ、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトの影響を受けて、当時流行していたボサ・ノヴァに転向し、彼らとともに国内外で活躍。 1962年にボサ・リオ・セクステットを結成。1965年には、アメリカに活動の場を移し、ジョビンやジョアンとともに世界的なボサ・ノヴァ・ブームの旗手となる。1966年に発表したセルジオ・メンデス&ブラジル’66名義のアルバム『マシュ・ケ・ナダ』(A&M)のタイトル曲が世界的に大ヒット。以後、多彩な楽曲を洗練されたボサ・ノヴァやお洒落なAOR風にアレンジした、優れたプロデュース・ワークによるヒット作品を連発。 2006年には、ブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムをプロデュースに、R&B/ヒップホップの豪華アーティストをゲストに迎えたアルバム『タイムレス』を発表。つづく2008年の『モーニング・イン・リオ』とともに世代を超えた支持を集め、大ヒットを記録。

公式サイト海外公式サイトTwitterFacebook

RELEASE INFORMATION

セルジオ・メンデス

イン・ザ・キー・オブ・ジョイ

セルジオ・メンデス 2019.11.27 【CD】 UCCO-1216 ¥ 2,750(tax inc.) 【デラックス・エディション 2CD】 UCCO-8033/4 ¥ 3,850(tax inc.) 1. サボール・ド・リオ feat. コモン 2. ボラ・ラ feat. ホジェー&グラシーニャ・レポラーセ 3. ラ・ノーチェ・エンテーラ feat. カリ・イ・エル・ダンディー 4. サンバ・イン・ヘヴン feat. シュガー・ジョアンズ 5. ムガンガ feat. グラシーニャ・レポラーセ 6. イン・ザ・キー・オブ・ジョイ feat. バディ 7. ラヴ・ケイム・ビトゥイーン・アス feat. ジョー・ピズーロ 8. キャッチ・ザ・ウェイヴ feat. シェレイア 9. ロマンス・イン・コパカバーナ 10. ディス・イズ・イット feat. エルメ―ト・パスコアール&グラシーニャ・レポラーセ 11. タイム・ゴーズ・バイ feat. シェレイア 12. タンガラ feat. グラシーニャ・レポラーセ&ギンガ 13. サボール・ド・リオ -SKY-HI Remix- (日本盤ボーナス・トラック) デラックス・エディション Disc 2 - オールタイム・ベスト 1. マシュ・ケ・ナダ 2. おいしい水 feat. ウィル・アイ・アム 3. プリミティーヴォ 4. ラメント feat. マオガニ・カルテット 5. パイス・トロピカル 6. レザ 7. コンソラサォン 8. 君に夢中 9. カエル 10. なつかしき丘 11. 恋のおもかげ 12. コンスタント・レイン 13. ソー・メニ―・スターズ (星屑のボサノヴァ) 14. トンガ 15. 愛をもう一度 16. ファンファーハ (カブア-レ-レ) 詳細はこちら

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THE YELLOW MONKEYのユニークな最新ビデオ「Balloon Ballon」を手がけた新鋭作家HARUが描くカラフルなユーモア

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HARU

THE YELLOW MONKEYの最新ビデオ「Balloon Balloon」が公開された。同曲は、THE YELLOW MONKEYが実に19年振りにリリースした9作目のオリジナルアルバム『9999』の収録曲だ。彼らが今年4月から9月まで開催した大規模全国ツアー<THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2019 -GRATEFUL SPOONFUL->において、シングルカットされていないにも関わらずライブで盛り上がる人気曲となっていたため、映像を作ってみようと制作が決まったという。 若手映像作家HARUが監督を務めた今回の映像は、そのTHE YELLOW MONKEY然とした曲調とは裏腹に、ポップカラフルで、それでいてどこかクスッと笑えるコミカルささえ感じられる内容に。従来のTHE YELLOW MONKEYのイメージを覆すような作品となっている。バンド自体の出演はなく、ショッピングモールを舞台にした女優の長井短が不思議なダンスを踊るという鮮烈な映像表現にも注目しながら、まずは映像を観てみてほしい。

THE YELLOW MONKEY - Balloon Balloon (Inspired Video)

今回がミュージックビデオ初監督となったHARUは、名門ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ(Central Saint Martins)(以下、セントマ)を卒業した、という経歴以外、その素性も明らかになっていない。一体どのような人物で、どんな意図の下でこのMVを制作したのか。HARU自身に話を聞いた。

HARU

Interview:HARU

━━HARUさんは、今回担当したTHE YELLOW MONKEY「Balloon Balloon」のインスパイアード・ビデオが初の音楽映像監督作品となります。そこで、まずは簡単な経歴から教えてください。 日本の大学を卒業した後、思うところがあってロンドンのセントマに入り直して、グラフィックデザインを学びました。2010年に卒業してからはしばらくロンドンでグラフィックデザインやイラストレーションの仕事をしていたのですが、映像の仕事に携わりたく日本に帰国しました。 ━━芸術系の有名大学はイギリス以外にも色々な国にありますが、その中でロンドンのセントマを選んだのはどうしてでしょうか? 母がイギリスに留学した経験があって、相談した際、ブリティッシュ・イングリッシュとアメリカン・イングリッシュなら前者の方が良いんじゃないと言われたこと。あとは、ロンドンのセントマかニューヨークのパーソンズに行くかで悩んでいた時、知人から、ヨーロッパには歴史があり、多くの歴史的芸術作品や建築物と触れ合えるし、セントマはクラシカルだから、基礎からアートやデザインを学びたいならセントマの方が良いのでは、とアドバイスがあったことなどもあり、いろいろと考えた結果、最終的にセントマを選びました。 ━━セントマで学んだことで、今の仕事に生きている感覚というものは何かありますか? 業務的な話にはなりますが、リサーチ力は学んだと思います。自分はプロジェクトを組む時に、かなり入念にリサーチをして、それをレファレンスにサンプルとして落とし込むようにしています。他の美大出身の人と一緒に仕事をしていても、その辺りをかなり念入りにやる方なのかなとは思います。 ━━色彩感覚やデザインといった方面では影響はあると思いますか? セントマはファッション系が強い大学なので、周りにファッション専攻の人たちも多かったんです。そういった影響もあると思いますね。あとは個人的に、プロジェクトに関係のないモノを掘る癖があって、建築、スカルプチャー、ファインアート、プロダクト、石、植物、自分で集めてきたコケなどの自然物からインスピレーションを得ることも多々あります。色味とかコンビネーションに関しては、むしろそういったところからヒントを得ることが多いですね。 ━━セントマで学びロンドンで働いた後、日本に帰国することにした理由は? 当時ロンドンではグラフィック関係の仕事をしていたんですが、映像業界で働きたいと思ってのことでした。ただ、営業の仕方もまったく分かっていなかったので、帰国当時は自分の好きなディレクターさんのところに直接メールを送ったりしていました。そんなことをしているうちに、グラフィックの依頼が来るようになり、フリーランスで一年半ほど仕事をして、その繋がりでご縁のあった会社で働かせていただくことになったんです。そこで5年ほど働いていたんですが、広告・CM媒体の案件が多く、やはりミュージックビデオの仕事をしたいという希望があったため、そちらの方面にアプライするようになりました。 ━━映像業界でも、特にミュージックビデオに強い希望を持ったのは何故でしょうか? すごく単純なんですけど、ミシェル・ゴンドリースパイク・ジョーンズのビデオを観て、こういう世界観を作れるようになりたいと思ったのがきっかけですね。映像でしかできないギミックや動くことの面白さに惹かれたのが一番の理由です。

DAFT PUNK – AROUND THE WORLD (Official Music Video) directed by ミシェル・ゴンドリー

björk - it's oh so quiet directed by スパイク・ジョーンズ

━━今回、その希望が叶って監督を務めることになりました。THE YELLOW MONKEYの映像を担当することになった経緯を教えてください。 もともと、今回お話をいただいた株式会社コエの代表である関和亮さんとは、コエ設立前にミュージックビデオ撮影の見学に行かせて頂いたりと、少しご縁があったんです。そこでコエにアプライしたところ、一緒に働かせていただくこととなりまして。その時期にちょうどTHE YELLOW MONKEYの新しい映像をコエが受けるという話があり、企画を出したところ自分の案が採用され、監督することになりました。 ━━今回はTHE YELLOW MONKEY側から、これまでのTHE YELLOW MONKEYイメージを一新するようなビデオを作りたいという希望があり、HARUさんの案が採用されたそうですね。 自分は広告の仕事に携わっていたので、そこにはマーケティング的な考えもありました。今までにない客層に向けて広告を打ち出し、新しい顧客層を広げるといった方式で、従来のTHE YELLOW MONKEYとは全くイメージの異なるビデオを作ろうと。THE YELLOW MONKEYには、ロックでカッコいい、という確固たるイメージがありますから、全く反対の方向から攻めることで今までにない層にまで響くのではないかと考えたんです。 ━━マーケティング的な思考もあったとは言え、出来上がったビデオを見ると、HARUさんのカラーやアイデアが全面に出ているように思います。 今回バンドの色に合わせなくていいとのことだったので、せっかくいただいたチャンスだし自分の好きなテイストでバンドのイメージに敢えて合わせずやってみようと思いました。ずっとナンセンスなものを作りたい、皆が見てポカンとするようなものを作りたいという思いがあったので、このチャンスに自分のやりたいアイデアを詰め込もうと。 また、個人的にダンスがすごく好きで、中でも本気のダンスというよりはシュールなダンスに惹かれるんです。たぶん、踊るとか歌うという行為は、人間のプリミティヴな表現だから惹かれるんでしょうね。ナンセンスで、シュールで、よく分からないけど何か笑えるような映像表現という意味では、今回の映像には自分がやってみたかったことを詰め込めたと思いますね。

HARU

━━今回の制作にあたって、HARUさんからは3つの企画案を提示されたそうですね。その中から、今の案になった経緯を教えてください。 こちらから提案した企画案①は、不思議な世界観をもった人物たちのゆるいポージング/ダンスで構成されたもの。はマネキンと風船人間がマジシャンの手品を観るというストーリーのもの。がグラフィックと映像ならではのギミックを使ったものでした。その中で、③の案は時間的な制約で制作が難しいという話になり、①と②で悩んだ結果、その折衷案のような形になりました。THE YELLOW MONKEYのメンバーさんが②のマネキンのアイデアを面白いとおっしゃっていたのを聞いたので、そのアイデアを活かしながら、①の企画に登場する男性2人をマネキンにして、三角関係の恋模様みたいな裏ストーリーを出せるようにしようと。

HARU

━━”Balloon Balloon”の歌詞や曲調からは、どのようなインスピレーションを受けましたか? 歌謡曲的な昭和テイストというか、メランコリックなイメージでした。はじめは曲調に寄せた方が良いのかなと思ったんですけど、あまり寄せて欲しくないというオーダーもあったので、曲調に関してはあまり意識せずに作りました。ただ、歌詞が恋模様を描いたような内容だったので、自分の方で三角関係という脚色をして、「燃えたぎる恋で、風船のように爆発してしまう」というような裏テーマは設定していました。 ━━今回の映像では、長井短さんが主演を務めています。長井さんにオファーした理由を教えて下さい。 実は、今回提案した案①に関しては、最初から長井さんを想定して考えていたんです。企画を考えているときに同時にモデルのことも考え始めて、同僚に話したところ、その同僚と長井短さんが同じ高校だという話になったんです。学年も違うしすごく近しい存在というわけではなかったそうなんですが、もしかしたら今回の企画に長井さんが合うのではないか、と写真を見せてくれて。普段、あんまりテレビを見ないので長井さんが有名な方だと知らなかったんですけど、すごく個性的な印象があって、自分がやりたいことに合うなと直感で感じたのがきっかけです。

HARU
HARU

━━実際にお仕事されて、長井さんの印象はどうでしたか? カット数が多すぎて個人的にはあまりしゃべれなかったんですけど、すごく楽しかったです。撮影の合間に、色んな面白いポーズをして、マネージャーさんに写真を撮ってもらっているのを見て、この方はいろんなことが出来るんだなって思いました。撮影が始まってからも、さっきやっていたのと同じポーズできますか?ってお願いしたりして。最初はコレオグラファーの方と相談しながらやっていたんですけど、後々には自由な演技も多くなっていきましたね。 ━━男性のマネキン2体は、片方がカジュアルなファッション、もう一方がキレイ目なファッションを着ていて、対照的な設定がありそうですね。 そうです。実は名前も決めていて、若めの今どき男子はロニー、かっちりしたインテリ風はケンちゃんと呼んでいました。ラストカットをどっちのマネキンと撮るか、こちらでは決めていなかったんですが、長井さんに「どっちと撮りたい?」って聞いたら「ケンちゃん!」って言ってくれたので、最終的にケンちゃんでラストカットになりました。

HARU
HARU

━━今回の映像は、最初と最後が繋がって、ループできるようになっていますね。このようにしたのは何故ですか? 「Balloon Balloon」という曲自体がループというか、リフレインが主になっているので、最初と最後が繋がるようにしました。繰り返し、ループして映像も音楽も楽しんでもらえるといいな、と。ミュージックビデオって、すごいファンであっても最初から最後まで通して繰り返し見ることは少ないような気がするんです。でも、このビデオはカット数が多いから飽きずに、ずっと楽しめるんじゃないかと思います。曲も楽しんでもらいながら、次に何が出てくるか、映像でも楽しんでもらえたら良いですね。 ━━最後に、今回が初監督となりましたが、今後一緒に仕事してみたいアーティストやバンドを教えてください。 THE YELLOW MONKEYもそうだったんですが、世界観がすでに構築されていて、お互いの世界観を出し合って相乗効果を作れそうな人とやってみたいですね。あとは、海外でもビョーク(Björk)は憧れの存在なので、いつか一緒に仕事してみたいです。

HARU

Text by 青山晃大

HARU
HARU Central Saint Martins BA Graphic Design Course 卒業。 ロンドンにてグラフィックデザイナー・イラストレーターとして働いたのち、日本へ帰国。 帰国後は、広告・CM・TV・PV等の企画やデザイン、モーショングラフィックなどの映像制作全般にアートディレクター/ディレクターとして携わる。 企画からブランディング・グラフィックデザイン・イラストレーション・実写映像・モーショングラフィックデザイン・ファブリックデザインなど様々な分野で制作活動を続ける。

HARU
THE YELLOW MONKEY 吉井和哉、菊地英昭、廣瀬洋一、菊地英二のラインナップで1989年12月から活動。 グラムロックをルーツに持つ独自のグラマラスなスタイルで人気を博し、1992年5月メジャーデビュー。 ライブの動員、CD売上ともに90年代の日本の音楽シーンを代表するロックバンドとなるも、2001年1月8日東京ドームでの公演終了後、活動を休止。 その後も休止状態のまま、2004年に解散。 2016年1月8日、再集結を発表。 22万人を動員した全国アリーナツアーを皮切りに、フェスへの参加や全国ホールツアー、15年ぶりの新曲リリースなど精力的に活動し、大晦日にはNHK紅白歌合戦への初出場を果たす。 2017年5月にはベストアルバムの新録盤をリリース。その後、3ヶ月連続配信リリースや再集結の一年間を追ったドキュメンタリー映画「オトトキ」の公開などを経て、12月に17年ぶりとなる東京ドーム公演を開催。2018年11月、約1年ぶりとなる新曲『天道虫』を配信リリース。同日、全シングル・アルバムの全世界配信を開始。 2019年1月、先行配信シングル『I don’t know』リリースを経て、4月17日に19年ぶり9枚目となるオリジナル・アルバム『9999』をリリース。同作を携え、4月27日より全国アリーナツアーを開催。そして、結成30周年を迎える 2019年12月28日のナゴヤドーム公演を皮切りに、キャリア初となるドームツアーの開催が決定している。

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EVENT INFORMATION

THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary DOME TOUR

2019.12.28(土) OPEN 15:00/START 17:00 ナゴヤドーム 2020.02.11(火・祝) OPEN 15:00/START 17:00 京セラドーム大阪 2020.04.04(土) OPEN 16:00/START 18:00 東京ドーム 2020.04.05(日) OPEN 15:00/START 17:00 東京ドーム 指定席:¥9,900(税込) ※6歳以上チケットが必要(但し、6歳未満でも座席が必要な場合はチケット必要) DOME TOUR特設サイト オフィシャルサイト

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音楽とビジネスの両立は可能なのか?経営者たちが結成した異色のバンドBlueHairsが示す可能性

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BlueHairs

BlueHairs(ブルーヘアーズ)というバンドを知っているだろうか? AYANO(Vo.)の透き通った歌声とHattory(Gt.)によるストレートでポジティブな楽曲が特徴的な6人組バンドだ。2017年に発表した“ドスコイLOVE”のMVが100万回以上再生され、赤坂BLITZでのワンマンライブを成功させると、勢いそのままに2018年メジャーデビュー。2019年には岩手県花巻市との共同エンターテインメントプロジェクト『HaNaMaKi-JaM』を発足させるなど、音楽にとどまらない活動を行っている。

BlueHairs – ドスコイLOVE

実はこのバンド、なんと全員が音楽活動の傍でビジネスパーソンとして働いている。しかも経営者である。この一点をとってみても、かなり異色のバンドであることがわかるだろう。多忙な日々のなか、音楽とビジネスの両立を成功させているというわけだ。 BlueHairsのギタリストでありIT会社の社長をつとめるHattoryは、「仕事をしながらでも音楽はできるし、年齢関係なく夢は叶えられる」と語る。では、いかにして彼らは音楽とビジネスを成功させ、なぜ継続できるのだろうか。

BlueHairs

Interview:Hattory(BlueHairs)

何歳になっても夢は叶えられる

━━BlueHairsはメンバーが全員経営者という異色のバンドです。結成のきっかけはどのようなものだったのでしょうか。 全然ドラマチックなものではないんです。企業経営者の会で知り合ったメンバーで、忘年会の出し物としてバンド演奏をすることになったのがきっかけです。それで15年ぶりに楽器を引っ張り出してみたら、昔を思い出して楽しくなってしまって。1回だけでは物足りず、もう少しオフィシャルにやってみようということでバンドを結成しました。 ━━結成当時から少しメンバーが変わっていますよね。 ボーカル、ドラム、キーボードが2代目です。初代ドラムとキーボードは引退しまして、その後ゴッチャン(Key.)とYuto(Dr.)が加入しました。 ━━彼らも経営者なんでしょうか? ゴッチャンはグローバルIT企業の経営陣で、海外子会社では社長も務めています。EROBEさん(コンガ)もIT系の経営者ですね。EROBEさんは他の5人と違っていて、役割は“全部”なんです。元々はギタリストですが、パーカッションや鍵盤など、楽曲毎にバンドにとって足りない音楽があればすべて彼が担当しています。音楽以外にも、バンドが真面目すぎてちょっと笑いが欲しい時はお笑い担当、派手さがほしい時にはダンス担当と、とにかくオールマイティーです。あえてオフィシャルサポートメンバーという新しい立ち位置なので、いつもライブ中に「正メンバーになりた〜い」ってお客さんに訴えかけていますね(笑)。他にもVTuberなど、BlueHairsメンバーの中で一番アクティブに活動しています。

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━━不思議な立ち位置ですよね(笑)。Hattoryさんの音楽的なバックグラウンドはどういうものでしょうか。 僕の一番のルーツは、たぶんフォークソングだと思います。小学生の頃に母親にフォークギターを教わったのが始まりでした。思春期には海外のバンドのコピーなんかもやりましたけど、楽曲のルーツは明らかにフォークで、ああいったメロディーやノスタルジックな何かから僕の曲はうまれています。フォークデュオの紙ふうせんとか、そういう世界観ですね。 ━━バンドのコンセプトは「何歳になっても夢は叶えられる」です。 僕は高校生の頃、結構真面目に音楽をやっていて、当時からオリジナル曲を作成していて、ヤマハのコンテストに出て作詞・作曲賞をもらったりもしていたんです。明確にプロを目指していたわけではなかったかもしれないけど、がむしゃらに音楽をやっていました。BENもずっと音楽やっていて。ゴッチャンやEROBEさんはプロを目指して音楽をやっていたし、Yutoもドラマーとしてツアーを回っていました。だけどやっぱり、音楽って簡単にはいかないですよね。当時の僕らには知識も人脈もなかったし、勝手に頭打ちだと思ってしまったんです。そうしてなんとなく社会人になりました。時が経ち、こうしてまた音楽をやる機会を得るにあたって、今だからこそできることがあるんじゃないかと思い始めたんです。何歳になっても何度でもチャレンジできるし、そういうことを世の中に示せるんじゃないかと。 ━━再チャレンジしたいと思っている人は多いと思います。 そうですよね。僕らがそれを示すことでポジティブなメッセージを受け取ってもらえたら良いなと思ったんです。だからこのコンセプトは、僕ら自身のチャレンジでもありました。 ━━バンド結成時の夢は、もう一度音楽をやってプロになるということですか? そうですね。「プロ」が何を示すのかにもよりますけど、自分の人生の中で音楽活動での結果を求めて一生懸命やっていくということですね。 ━━それは叶ったと思いますが、今の夢は何ですか? 今も変わらないんです。もう少し僕らの認知度があがっていけば、実際に夢を叶えた人たちのエビデンスとして示すことができるし、どんな道を辿って来たかを参考として見せることができる。仕事をしながらでも、年齢も関係なくできるということを、夢ではなく現実として示したいんです。そのためには僕ら自身の存在を大きくしていくことがひとつテーマであるけども、やっぱり伝えたいことは「何歳になっても夢は叶えられる」ですね。

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24時間365日、曲を作れる状態にしている

━━仕事をしながら、という点がやはり凄いと思います。しかも経営者ですから、平均的な社会人よりも忙しいのではないですか。どうやってタイムマネジメントしているのでしょうか。 バンド全体でいうと、平日の昼間はみんな働いていて、会社が終わったあとや土日に集まって練習やライブをしています。とにかく夜と土日ですね。僕の場合は、それプラス作曲が入ってくる。でも作曲はそのスケジュールには入らないんです。 ━━そうですよね。物理的に不可能なのでは……? 作作曲だけするみたいな時間はなかなか取れないので、隙間の時間を使っています。24時間365日、曲を作れる状態にしておいて、タクシーに乗ったり人を待っていたりする全ての隙間時間を使って曲をつくるんです。 ━━それはかなり難しいように思えますが……。 もう少し具体的にいうと、作曲をするにあたっていろいろなきっかけやタネがあるじゃないですか。それをメモしておいて隙間時間に形にする。そうして何曲かストックしておくんです。で、そこからその時々に必要な曲を選んでDTMでデモを作ります。 ━━しかし、普段の仕事と作曲では、使っている脳の筋肉が全然違うと思うんです。頭の切り替えはどうしているんですか? 僕の場合、割と一度に2つ以上の事を考えることができるタイプなのであまり脳を切替える必要がないんです。仕事のテーマを考えている時に音楽やバンドのことを考えることもありますし、その逆もあります。常にマルチタスクで進めたり、考えたりしながら、どれを瞬間瞬間で濃度高くやるか決めているくらいの感覚ですね。あと、僕は専門家みたいに1日中キーボードを触って作曲できるわけではないので、作曲まで至らなくても最低限ストーリーを記憶する努力をしています。誰だって悲しいことや嬉しいことはありますよね。日々の景色で「嫌だな」とか「微笑ましいな」と思ったりする。そういう日常のストーリーで琴線に触れたものや、自分にとって重要だった感情を大切に覚えるようにしているんです。そこにおのずと曲は生まれていくので。

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━━メモしておいて、隙間時間に形にする、とのことですが、具体的にはどんなことをメモしているんですか? 生きていれば嫌なことや悔しいことってたくさんあるじゃないですか。努力してもうまくいかないことだってあるし。そういう傷ついた時に出てくる言葉や何でそう感じたんだろう……みたいな理由を整理してメモすることが多いです。大昔だったら恋愛のテーマが多かったかもしれないですね。最近は、周りに家族が増えていくなかで、いろんな家族のあり方や悩みとかを知って、そういう人たちを元気づけられる音楽ってあるのかな? といった家族のストーリーについてはよくメモを残すようになりました。 ━━人に元気になってほしい、という気持ちが大きなモチベーションですか? 2019年は特にそうでした。ツアーは《HappyBlue 2019》というタイトルにしたんですが、この1、2年は個人的に相当落ち込むことがあって、そういう時にいろんな音楽を聴いてなんとかラクになったり、少しだけ元気を取り戻したりしていたんです。音楽にはそういう力があると思ったし、そういう音楽の聴き方をしている人はきっとたくさんいますよね。特にいまは大変な時代ですし。僕ら大人世代は、プライベートだけじゃなくて仕事関係、社会や家族との付き合い方など、大変なことがたくさんあります。そんな時に僕らの音楽やライブが支えになったらいいな、という想いを込めて2019年は「HAPPY」をテーマにしてきました。 ━━もう少し時間の使い方について聞きたいんですが、普段どれくらい睡眠を取っていますか? 8時間くらいは普通に寝ますし、ちょっと足らないなという時でも6〜7時間くらいは寝ます。睡眠時間を削ることは絶対にないですね。睡眠がいちばん大事です。朝は7時半から8時頃に起きるので特に早起きというわけでもないですね。ただ、夜遅くまでお酒を飲むのはやめました。IT業界の方は夜遅くまで飲む人も多いけど、音楽をやる以上、そういうのからは卒業です。あとテレビも見ないしゲームもやりません。基本、遊ぶ時間があれば寝る、みたいな。やっぱり、昼間は脳を使い続けなくてはいけないですから。仕事もハードで一生懸命やらなくてはいけないので、昼間の時間は絶対的にパーフェクトな状態でいなければいけない。睡眠時間が足りないとボヤっとしてしまうので、しっかり寝た方がよっぽど効率が良いですね。それが正しい時間の使い方だと思っています。

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地方のエッセンスをあらゆる方法で表現していきたい

━━仕事をしながらミュージシャンをやることの利点はありますか? ありすぎて困っちゃうほどあります(笑)。音楽1本でやっている人とはよく比べられるし、音楽1本にした方が良い演奏や良い曲ができると思われがちですけど、必ずしもそうではないと思っているんです。音楽以外のことを一生懸命やっていることはすごく大事で、そのなかで感じたことやインプットしたことがたくさんの音楽的なテーマを与えてくれるからです。音楽業界には、若くて優秀な人が多いです。そういうなかで自分たち年配の人間が仕事もしながら楽曲制作する意味があるとすれば、一般社会で働いている人たちと同じような経験を日々していて、リアルに社会人が感じていることを同じように感じることができる。そういう強みはあると思っています。だから僕はむしろ、他のミュージシャンに比べて得している部分もあると思っているんです。聴いている人たちと同じような経験をリアルタイムで日常的にインプットしている、これは重要な感覚です。仕事をしていることが音楽にすごく役立っている。 ━━その逆もありますか? つまり、音楽をやることで仕事にも役立つということが。 もちろんあります。仕事って、基本的にずっと同じ世界なんです。専門性という意味では、ある年齢以降は成長が止まり、だいたい同じことの繰り返しになりがちです。でも音楽をやることで、自分の知らなかった世界に接して、自分に足りなかったことを学ぶことができる。 例えば、昨年10月に発表した『青音Vol.02』というアルバムでプロデュース頂いた根岸孝旨さんからは制作の過程でより緻密なプロ意識についてたくさん指導を受けました。ツアーをサポート頂いているスタッフ陣からは、一瞬一瞬の表現へのこだわりを沢山学びました。それは以前の自分の延長線上にはなかったものでした。そういったインプットはすべて仕事に活かすことができるし、それによって得た新しい経験や発想からオリジナリティの高い仕事やアウトプットができます。だからこれも、他のビジネスマンと比べて僕は相当得していると思っています。自身のITの仕事でもイノベーションが止まらないのは音楽があるからこそですね。 ━━ということは、いま音楽を始めたことがすごく重要なんですね。最後に、花巻市とコラボしたエンタメ発信プロジェクト『HaNaMaKi-JaM』について聞かせてください。花巻市とBlue Hairsは、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』をモチーフとした“星の涙 月の祈り”のMV制作がきっかけで組み始めたということですが、プロジェクトを継続しようと思ったのはなぜですか? というのも、メンバーに花巻市出身の方はひとりもいないですよね。 このプロジェクトは、地方発信のエンターテイメントを目指すコラボです。エンターテインメントといっても幅広いので、「音楽、映画、イベント」の3本立てでやるという計画でした。第2弾として花巻市に実在する食堂と実話を元に企画した映画『マルカン大食堂の贈り物』が完成したので、1月12日(日)に花巻市で先行上映し、映画と音楽の2本立てのライブを行います。その後は映画祭に出品する準備をしていきます。花巻市だけに止まらず、岩手、東北と大きくしていくのか、東北に限らず他の地域と一緒にやるのもいいかなと思っています。

映画「マルカン大食堂の贈り物」予告編

━━花巻市はモデルケースということですね? そうですね。今回花巻市と一緒に取り組んできたコラボは他の地方都市でも参考に頂けるエッセンスが多々あるのではないかと思っていて。参考にしてもらえるところが多々あると思いますし、機会があれば僕らもまた色々な場所や人々とコラボをして様々な表現にチャレンジしていきたいですね。 ━━「地方都市」でやることにこだわりが強いですか? Hattoryさんは神戸にもよく足を運んでいると聞きましたが。 母校である神戸大学の学園祭でライブをさせていただいたり、それがきっかけで地元のラジオに出演させていただいたりする機会がありました。地方には、東京では感じられないものがたくさんあります。ノスタルジックの原点がたくさん見つかるんです。それは景色かもしれないし、人とのコミュニケーションから感じる温かさかもしれないし、そういう人たちの持つストーリーかもしれない。すごく純然なエネルギーが溢れていて、とっても新鮮なんです。 ━━Hattoryさんにとって、花巻市の魅力は何でしょうか。 花巻市は宮沢賢治さんの出身地で、街全体に文学的な素地が根付いているんです。街のあちこちに宮沢賢治が残したものやモニュメントがたくさんあるし、そういう街で暮らしている人たちは、やっぱり文学への興味や関心を自然と持っていると思います。根っこには凛としたもの、プライドやクリエイティビティを感じます。そういう場所って、地方にたくさんあると思うんです。土地が持っている濃いものが文学やエンターテイメントを産んでいる。住んでいる人にとっては当たり前すぎて意識しないかもしれないけど、僕からすると新鮮で、憧れの対象でもあり、美しいと感じます。

BlueHairs - 星の涙 月の祈り

━━Hattoryさんと同じように仕事をしながら創作活動をしている人、あるいは諦めてしまった人は多いと思います。そういった人たちに何かメッセージをいただけますでしょうか。 2通りあると思っていて、まず、趣味で音楽をやることはすごく豊かなことなので、無理ない範囲でバランスを取りながら長く続けてほしいと思います。何事も長く続けることは難しいですからね。 一方で、いまはそれほど大掛かりな準備をしなくてもいくらでも音楽を発信できる時代になりました。だから、仕事も音楽も両方本気でやるという人も、仕事と音楽をあまりスパッと分けてやらなくてもいいんじゃないかなとも思います。仕事も音楽も、どちらも自分の人生を前に進めるために重要なことなので。ただ、仕事と音楽を両立してやる以上、犠牲にしなければいけないこともたくさんあります。生半可な気持ちではできない。信じられないくらい勉強しなければいけないし、相当な時間を使う必要がある。するとどうしても物理的に溢れてしまうはずなんです。それを突破しなければならない。仕事と音楽を分けるならば、まず仕事の効率を死ぬ気であげる必要がある。たとえば、仕事で8時間かかっていたことを6時間でやり、2時間を音楽に使う。目の前の仕事のスピード感を突き詰めなければいけないと思います。 ━━音楽のために仕事をさらにしっかりやる、ということですね。 仕事をしっかりやって、初めて両立のスタートラインに立てる。そういう厳しさはあると思うし、厳しさの先にボリュームを超えられるものがあると思います。偉そうに聞こえてしまうとよくないんですが、死ぬ気で音楽をやっている人は世の中にたくさんいるので、その人たちに勝たないといけないとなると、同じように、あるいはそれ以上に死ぬ気でやらなければいけないですよね。時間を50%:50%だと思うんじゃなくて、両方120%やる前提でどうすれば出来るか。それを一生懸命突き詰めた先に、道が開けていくのだろうと思っています。

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Text by Sotaro Yamada Photo by Kana Tarumi

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BlueHairs 何歳になっても夢は叶えられる」そのコンセプトを元に集まった、年齢も仕事も異なるメンバーが数々の奇跡を経てBlueHairsを結成。 仕事と音楽を両方本気で頑張る二刀流バンドとして活動し、2017年リリースしたドスコイLOVEが100万再生、2018年1月24日の赤坂BLITZ満杯と、数々の奇跡を実現し2018年3月に「桜唄~scene2~」でソニーミュージックよりメジャーデビュー。 2018年12月には「ガムシャラでGO☆」が映画「港区おじさんTHE MOVIE」の主題歌に選ばられるなど注目のバンドとして期待されている。

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花巻×BlueHairs 映画&コンサート

2020.01.12(日) OPEN 13:30/START 14:00 花巻なはんプラザ COMZホール 前売り券 ¥2,500/当日券 ¥3,000 LINE UP: 1、《柴田啓佑監督作品》主演・内田慈 『マルカン大食堂の贈り物』先行上映会&舞台挨拶 2、《映画主題歌/ふるさと》 『BlueHairsツアーライブ』花巻公演 TICKET: なはんプラザ/マルカンビル1階/ゲストハウスmeinn/大衆食堂じゃんご 詳細はこちら

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「”カワイイ”ってなんだ?」Tomgggが最新EP『Unbalance』でみせた表現の変化

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Tomggg

2000年代末~2010年代初頭に日本にも続々と誕生したネットレーベルの中心的存在、〈Maltine Records〉(以下、マルチネ)などからのリリースで人気を集め、2015年3月には全編を通してカワイイが氾濫するようなCD/配信作品『Butter Sugar Cream』をリリース。2016年に次作『Art Nature』を発表し、その後も様々なアーティストへの楽曲提供やリミックスを行なってきたトラックメイカー、Tomggg。彼が約4年ぶりの最新EP『Unbalance』を完成させた。 この作品では、pinokoや泉まくらといった日本の女性ラッパーに加えて、台湾のLil Ice やAda Shih、マレーシアのAirliftzといったアジア圏の様々なアーティストがラッパー/ボーカリストとして参加。おもちゃ箱をひっくり返したようなキラキラとした音の魅力はそのままに、各ラッパーのフロウに寄り添って空間をたっぷりと取った楽曲に仕上げることで、もともとの個性に「引き算の美学」を加えた、新しい音楽性を作品に閉じ込めている。 彼のこれまでの歩みや、最新EP『Unbalance』の制作風景について、Tomgggに聞いた。

Tomggg

Interview:Tomggg

━━Tomgggさんはもともと国立音大に通っていたと思いますが、そのときにつくっていた音楽は、よりアカデミックなタイプの、今とはまた違うものだったそうですね。 そうですね。当時の自分が特に凝っていたのは「空間音響」でした。分かりやすく言うと、映画館などで使われている5.1chサラウンドなどと一緒で、メロディやリズムの要素だけではなく、「空間における広がり」のようなものを作曲することに興味があったんです。 ━━音が聞こえる方向なども含めて、「空間の中で音をデザインする」ということですね。 そういうことを研究しながら、大学院まで進んだんですけど、修士課程ではお客さんをスピーカーとドラムセット4台で囲んで、パーカッションをつかった攻めた作品をつくったりしていました(笑)。というのも、僕は昔からパーカッションが好きで、もとをたどると、父親のコレクションの中から見つけたキング・クリムゾン(King Crimson)の『太陽と戦慄』の、ジェイミー・ミューア(Jamie Muir)の打楽器がすごく好きだったんです。なので、それがずっと自分の中に残っていて。そういう音楽のアカデミックな側面を突き詰めていたのが大学時代でした。 ━━そして、大学卒業後にそういったアカデミックなものとは違う音楽をつくりはじめて、マルチネのような人たちと繋がることになったと。それまでアカデミックな音楽の研究をしていた人が、ネットレーベルのようなストリート感覚のある人たちと繋がるというのは面白いですね。 僕は昔からポップでひねくれたものが好きだったし、メインストリームのものよりも、そこから少し外れたものが好きだったんです。〈Warp Records〉の作品もすごく好きで、クラブイベントにも行っていたので、それをもっとポップにしたのがマルチネなのかな、と思っていました。当時は日本でもネットレーベルがたくさん出てきた頃で、音楽とジャケットがあればつくったものを簡単に世に出せる方法が生まれていました。「音楽をつくるのが好きな人たちがたくさんいるんだな」「みんな音楽を発表したいんだな」というパワーを感じました。 アカデミックな領域で音楽をつくっていると、「果たしてこれを聴いてくれる人がいるのか」という問題にぶつかるんですよ。在学中は学会のようなものもあって、そこで行なわれていたテクノロジーの研究はもちろん価値があるものだと思うんですけど、一方でその技術でつくられた音楽は、先鋭化しすぎていて「誰も聴いてくれないのでは」と思うようになって。そこで生まれた発想を、もっとポップなものに翻訳してみよう、と思ったのが、大きなきっかけだったと思います。自分がそう思っていたことと、マルチネのような人たちのつくっているものとが、あのタイミングでちょうど合ったというか。当時マルチネからリリースされていた音楽は、ワンアイディアのシンプルな構成が多かったと思うんですけど、僕の場合は複雑性を持ったまま、それをポップなものに落とし込んでみたいと思っていました。 ━━Tomgggさんの曲は、色々な要素を足し算的に詰め込んでいくような雰囲気ですよね。 最初にネットに音源を上げはじめた頃は、もっとテクノ寄りの音だったんですけど、マルチネからリリースされたbo en(ボー・エン)の音楽を聴いたことが、影響として大きかったと思います。そこで「もっと歌やメロディがあってもいいんだな」「もっと素敵な感じでもいいんだな」と思いました。あと、あの頃って、Soundcloudの「like」を見られる機能を使って、「この人がつけているlikeは間違いない」というものが共有されはじめましたよね。そこから音楽的にもどんどん興味が広がっていったし、僕の曲も、ライアン・ヘムズワース(Ryan Hemsworth)のような海外のトラックメイカーがlikeをつけてくれて、一緒に曲をつくったりするようになりました。そういう経験の中で、国を越えられる感覚というか、「境界線なんてないんだな」と感じたというか。Soundcloudの場合は音楽だけで海外の人たちとも繋がれたので、言語も国境も関係ないんだな、ということを実感として感じられたことも大きかったような気がします。

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━━今回の最新EP『Unbalance』にも、日本だけでなく、アジアの様々なアーティストが参加しています。こうしたアジアの音楽に興味をもったきっかけというと? 最初のきっかけは、中国のヒップホップグループ、ハイヤー・ブラザーズ(Higher Brothers)だったと思います。そこから『The Rap of China』(2017年にはじまった中国のラップバトル番組)やCDCのような人たちがやっていることに触れて、「知らない言語のラップって面白いな」「アジアの音楽事情ってどうなんだろう?」と調べるようになって。そうこうしているうちに、ちょうど2019年の3月に、ベトナムのハノイとホーチミンに行く機会もできたりしたので(国際交流基金アジアセンターのメディアアート交流事業《Bordering Practice 2019》)、今回のEPにもその興味が反映されたんだと思います。pinokoさんや泉まくらさんとともに、アジアで活動する3人の国外のアーティストの方にも参加してもらえることになりました。 ━━実際、言語の違いによって、ラップのフロウや歌の節回しは大きく変わってきますよね。 そうですね。言語によってアクセントも違いますし、「言語もサウンドのひとつだな」と思いますね。今回の制作は、まず僕がトラックを送って、そこにラップやボーカルを乗せてもらう形で進めたんですけど、僕は言葉やラップを、「声」というよりは「音のかたち」として捉えている部分があって。音の色や質感のようなもの、たとえば「つやつやしている」とか「コロコロしている」という感覚が、同じように言語にもあるのかな、と思っているんです。今回のEPのリード曲“Misunderstand”も、台湾語のアクセントがすごく立っている感じがマリンバのような音と合うかな、と思ってつくっていった曲でした。 ━━声や歌も音のテクスチャーとして捉えている感覚なんですね。 僕はCorneliusのような言葉の響きにこだわってつくられている音楽にも影響を受けてきたので、歌やラップを、歌詞というよりも音として聴いている部分があるんだと思います。今回はそれぞれのアーティストが入れてくれたラップのテクスチャーに寄り添って、自分のトラックも音のかたちを変えていくような方法で作業を進めていきました。 ━━では、『Unbalance』について詳しく聞かせてください。そもそも、作品をつくりはじめるときに「こんな作品にしたい」という意味で、考えていたことはありましたか? 今回は4曲ともにフィーチャリングという形で制作していて、ラップや、ラップのような歌を入れてもらっていますけど、今は時代的にも、ラップが歌やリズムのエッジにあって、その可能性を開拓してくれている感じがしますよね。そこで今回は、自分の作品にも、その要素を加えてもらいたいと思っていました。1年前頃につくりはじめたんですけど、まずはビートをたくさんつくって、いいものができたらそれをもうちょっと作り込んでいく、という形で進めていきました。

━━最初にできた曲はどのあたりだったんですか? リード曲の“Misunderstand”や、pinokoさんとの“Sweet Salt”だったと思います。この2曲をつくりはじめたときは、まず、曲を短くしようということを決めました。今までの僕の曲は5分ぐらいの長めのものが多くて、自分が伝えたい世界観をつくり上げるにはそれぐらいの時間が必要だと思っていたんですけど、tofubeatsの“RUN”を聴いたときに、2分もない短い曲でも構成や展開、伝えたい内容を表現できることに結構衝撃を受けたんです。それもあって、“Misunderstand”をつくっていたら、自分の曲も2分半ほどになりました。それなら、今回は全部3分以内のものにしてみよう、という気持ちで他の曲をつくりはじめたんです。なので、今回は曲の尺をある程度決めた状態で曲をつくっていきました。 ━━あえて制約というか、ルールを設けてつくってみよう、と。 そうすると、つくっていてもこれまでとはまた違った感覚で面白かったです。音を詰め込んでしまうと聴きにくくなってしまうし、逆に音を減らしすぎてもつくりたいものがつくれなくなってしまう。そんなルールの中で自分にとっての新しい構成を試したのが、“Misunderstand”と“Sweet Salt”でした。この2曲は、楽曲の山になる部分が1回しか出てこないような構造になっていますよね。そういう曲をつくれたのは、自分的にも満足している部分です。 ━━だからなのか、これまでの作品と比べると、Tomgggさんらしいフレーズの出しどころがかなり考えて選ばれているようにも感じました。 今回のようなルールを設けると、印象的なフレーズをピークに持ってくるにしても1~2カ所しか鳴らせないので、鳴らすところでは鳴らして、抜くところでは抜くというふうに、その出しどころを絞っていくことになって。「捨てるところは捨てる」というふうにガンガン切っていったんです。なので、“Misunderstand”でも、盛り上がるところが終わったらすぐに平歌(ひらうた)に行く、という構成になっていて、歌ってくれたAda Shihからすれば大変だったとは思うんですけど、自分の中では「新しい構造の曲ができた」と思いました。

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━━“Misunderstand”と“Sweet Salt”では、ゲストのみなさんとどのようにやりとりして制作を進めていったんですか? かなりシンプルだったのが“Misunderstand”で、この曲に参加してくれた台湾のLil Iceはトップラインも書ける人なので、トラックを送ったら、コーラスも入れて返してくれました。「僕が手を加えるところはほとんどないな」というものが送られてきたので、メロディラインも任せて、僕はそれを編集していった形です。Lil IceやAda Shihは、中国語圏~アジア圏のラッパーをリストアップしていく中で手を挙げてくれた人たちでした。 2人とも台湾でYouTuberとして活動していますけど、同時に音楽も本格的にできる人で、共通の音楽言語があったのもよかったと思います。『The Rap of China』に出ている人たちに声をかけた場合、彼らはゴリゴリのヒップホップカルチャーの人たちなので、音楽をつくる際に話が通じないとこわいな、という気持ちもあったので。Ada Shihは、Lil Iceとは対照的な歌声の人で、フックの後の平歌もスッと出てきてくれるので、曲の中で温度差をつけやすくてすごく助かりました。2人が参加してくれたことで、曲自体がいいものになったと思っています。 ━━歌詞のテーマとしては、Tomgggさんからある程度決まったテーマを投げたんですか? そうですね。今回のEPの曲の歌詞は、どれも『Unbalance』というタイトルに繋がっています。「Unbalance」とはつまり、「様々な狭間で起こるバランス」のことですね。何か物事があれば、そこには必ず色々なバランスが存在します。たとえば僕の場合は、今はフリーで活動していますけど、このEPをつくりはじめたときは、まだ仕事をしながら音楽をつくっていて。ある意味、当時はまだやりたくないことにかける時間の方が多かったので、それがバランスを考えることに繋がったと思います。なので、きっかけは単純に自分のことでした(笑)。 ただ、もちろんそれだけではなくて、このバランスって世の中の色んな場面において生まれるものだと思いますし、今はちょっとネガティブな意味で使いましたけど、偏りがあることは、必ずしも悪いことではないとも思っていて。むしろその偏りによって魅力的な、コケティッシュなものが生まれたりすることって多いと思うんです。 ━━確かにそうですね。全員がニュートラルではなくてそれぞれに偏っているからこそ、人それぞれの個性が生まれる、ということでもあると思うので。 そうですね。そこで今回は、分かりやすく言うと二項対立というか、「過去と現在」「子供と大人」「夢と現実」というような、何かの狭間で揺れ動くことに関するテーマをそれぞれに投げかけて、それをもとに、歌詞を考えてもらいました。

Tomggg
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━━なるほど。“Misunderstand”だと、「過去と現在」がテーマになっていますね。 そうですね。一方でpinokoさんとの“Sweet Salt”では、「子供と大人」というテーマを投げかけてみました。それで歌詞にも、「甘くてしょっぱい」というフレーズや「おとなになれないまま/こどもにも戻れないよ、ママ」というフレーズを入れてくれているんだと思いますし、そこに「夢と現実」というテーマも重ねてくれていると思います。“Sweet Salt”の場合は、トラック自体は最初はもっとシンプルなものだったんですけど、pinokoさんが入れてくれたラップを受けて、さらに音を追加していきました。その結果、僕としてはかなり派手なトラックになったと思っています。この曲は、サビのコーラスも自分でつくったんですけど、レコーディングのときにpinokoさんが、「そこにハモリを入れたい」と言ってくれて。「どう入れるのかな?」と思っていたら、もとのメロディに対して感覚的にハモリを入れてくれてすごく面白かったので、その部分も最終的に残してみました。 ━━pinokoさんだからこそ出てくるものを加えることで、楽曲としても「いいアンバランス」が生まれていく、ということですね。 次につくったのは、Airliftzとの3曲目“Growing”です。この曲は、自分では結構ハチャメチャな曲だと思っていて、トラックはデモの段階で完成形とほぼ同じでした。そこにどんなふうにラップを乗せてくれるのかな、どこに乗せてくれるのかな、と思っていたら、Airliftzがすごくいい感じに乗せてくれて。ただ、最初は全編英語詞だったんです。そこで、僕からマレーシアの言語も加えてほしい、とリクエストしました。そうすることで、日本語でも英語でもない、亜熱帯の国ならではの、ちょっと湿気感を感じるような独特の雰囲気が生まれたと思います。AirliftzはYouTubeに曲を色々上げているんですけど、僕はこの人の声が好きで、曲にも魅力を感じて、「絶対この人とやりたい」と声をかけました。 ━━ちなみに、今回のEPは、はっきりとジャンルに分けることが難しいものばかりになっているように感じます。制作にあたって、特に影響を受けたものはあったんですか? 制作中に聴いていたもので言えば、トラップもそうですし、エレクトロニック・ミュージックもそうですけど……「色んなものを聴いた」としか言えないような感覚です。それが全部混ざっているというか。たとえばトラップの要素を取り入れるにしても、アトランタ風のトラップを僕がやっても仕方ないと思っていましたし、前作でやっていたようなフューチャーベースとどう距離を置こうか、ということも考えていました。僕の場合、「まだ聴いたことのない、新しいものをつくりたい」ということが一番にあって、同時に色んな要素を取り入れたものにしたいと思っているんです。あとは、EPのすべてに言えることではないかもしれないんですけど、僕はジェイペグマフィア(JPEGMAFIA)が好きなんですよ。あの人の音楽って、基本的に「コラージュの音楽」ですよね。僕は作曲畑の人間なので、その視点から色んな要素をくっつけて、コラージュしたものをつくってみようということは考えていたかもしれません。

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━━では4曲目、泉まくらさんとの“Girl”はどうでしょう? 泉まくらさんとは、2014年に禁断の多数決の“ちゅうとはんぱはやめて feat. 泉まくら”でリミックスをやらせてもらったり、その後もご一緒させてもらったりしたんですけど、福岡在住ということもあってなかなか会う機会はなく、これまでめちゃくちゃ面識があるというわけではありませんでした。でも、いつか僕の作品でも一緒にやりたいな、と思っていたので、今回お声がけしました。この曲は、泉まくらさんらしい、淡々としたラップが映えるようにしたかったので、その魅力を際立たせるために、最初は賑やかなタイプのトラックを送ったんですけど、実際にラップを入れてもらったものを聴いて、トラックに変更を加えました。808のたゆたうようなビートにして、まくらさんの声により合うものにしました。どの曲もトラックを一度ぶつけてみて、そこから「この人により合うものにするにはどうすればいいか」ということを考えていきました。 ━━今回のEPをつくっていて、新しく気づいたことはありますか? 僕の場合、基本的に「かわいい音楽」というものに括られがちで、実際にそういうものが好きでもあるんですけど、この間、Hercelotくんと話していたときに、世間一般的に言われる「かわいい」と、僕らが思う「かわいい」にズレがあることに気づいたんですよ。たとえば、僕はkawaii futurebaseも好きですけど、でもそれって自分の思う「かわいい」とはどこか違う感じもしていて。じゃあ、「僕が思う『かわいい』って、何だろう?」という話をして。そこで気づいたのが、「僕は弱いものや小さいものに『かわいい』と思うんじゃないか?」ということでした。 小さなどんぐりでもいいですし、花でもいいんですけど、僕がかわいいと思うものって「小さくて」「見つけられるもの」で、「カワイイはつくれる」の「カワイイ」とは、ちょっと違うんじゃないかな、と。そもそも、自分のルーツにあるエレクトロニカへの興味も、そういうものなんだと思います。あれって単純に音として考えると、(クリック音のような)結構弱い要素でつくられている音楽だと思うんですよ。つまり、自分が惹かれるのはEDM的に「かわいい」という記号を組み合わせて最強の曲をつくる、という発想の「かわいい」ではないんじゃないかな、と気づいたんです。 ━━なるほど、とても面白い話ですね。 そもそも、今回のEPでは、「かわいいから遠ざかるにはどうしたらいいんだろう?」と思っていた部分もありました。でも、結局、スケブリさんがつくってくれた“Misunderstand”のMVにしても、かわいい部分が見え隠れしていて。今回のEPの曲自体も、よく聴いてもらうと、音の中にかわいさが見え隠れするような、くすぐるものがあるんじゃないかな、と思っています。今回は「かわいい」をテーマにしている作品というわけではなかったんですけど、そういうものも見つけられるというか、「かわいいはこれだ!」ではなくて「かわいいもあるかもしれない」というか(笑)。そんな変化があった作品でもあるかもしれません。

Tomggg x Lil Ice x Ada Shih - Misunderstand

━━Tomgggさん自身は、その変化って何で起こったんだと思いますか? ひとつあるのは、自分から目立っていくぞ、ということではなくなってきているんだと思います。以前は、聴いてもらうために過剰なことをしよう、過剰にキラキラさせようと思ったりしていて、それが音にも表れていたと思うんですけど、今は「そうじゃなくてもいいんだな」と思えるようになったというか。もっと、音のよさで惹きつけられる要素を加えられるといいな、と思うようになってきているんです。そういう意味でも、以前のTomgggの音では届かなかったような人にも、今回のEPが届いてくれたらいいな、と思っています。 楽曲提供やリミックスを通じて、曲自体はずっとつくっていましたけど、自分の作品をつくるのは、約4年ぶりのことで。自分の作品は締切がない自分との戦いなので、誰も「これでいいですよ」と言ってくれないんですよね(笑)。でも、今回は5人のラッパー/ボーカリストとの共作という形で、色んな人たちとやらせてもらって、だからこそ作品に加えてもらえた魅力がたくさんあったので、自分の世界が広がったような感覚がありました。今回のEPを通して、「今の自分はこう考えてますよ」ということを伝えられたらいいな、と。 ━━この作品のリリース以降、どんなことに挑戦していきたいと考えていますか? それはやっぱり、ずっと音楽をつくっていきたいな、ということですね。僕は結局、音楽をつくること自体が好きなんですよ。なので、今回の4曲も大切な曲になったし、また新しいことに挑戦したいとも思っています。今回はヒップホップっぽさを全面に出しましたけど、一方でシンガーソングライターにも面白いことをしている人たちがたくさんいますし、エレクトロニック・ミュージックも面白いことになってきていますし、もっとシンプルなハウスのような音楽も、映画やアニメの劇伴もやってみたいと思いますし。やりたいことは本当にまだまだたくさんあるので、これからも色んなことをやっていきたいと思っています。

Tomggg

Text by Jin Sugiyama Photo by Kana Tarumi

Tomggg
Tomggg 1988年、千葉県生まれ。国立音楽大学 大学院 修士課程 作曲専攻修了。劇的な展開・キラキラした音を駆使し、ものすごく楽しくなる楽曲を得意としています。 自身のsoundcloudや、Maltine Records等のネットレーベルにて楽曲を発表を続け、2015年3月には CD /配信で”ButterSugar Cream”をリリース 。2016年5月には CD /配信で”Art Nature” をリリース。2020年1月には4年ぶりの配信EP “Unbalance”をリリース。国外勢とのコラボレーションや、シンガーのプロデュース、広告関係、TV番組の楽曲制作、オーディオビジュアルイベントへの出演などジャンルや国を飛び越えた広がりを見せています。

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Digital E.P. 『Unbalance』

2020.01.10(金) Tomggg 1、Tomggg x Lil Ice x Ada Shih “Misunderstand” 2、Tomggg x Airliftz “Growing” 3、Tomggg x pinoko “Sweet Salt” 4、Tomggg x 泉まくら “Girl” ダウンロード/ストリーミングはこちら

EVENT INFORMATION

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Unbalance -Tomggg New EP “Unblance” Release Party –

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VERDYデザインのオリジナルピンから紐解く、コカ・コーラ社が東京2020オリンピックに込める想い

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コカ・コーラ×オリンピック×VERDY

コカ・コーラ×オリンピック×VERDY

いよいよ開催が目前に迫る2020年の東京オリンピック。この一大イベントに向けて、長年オリンピックのワールドワイドパートナーを務めてきたコカ・コーラ社が、「Girls Don’t Cry」や「Wasted Youth」といった自身のストリートブランドや、国内外のブランド/リテーラーとの仕事を通じて東京のストリートカルチャーのキーパーソンとして知られるグラフィックアーティスト、VERDYとタッグを組んで「コカ・コーラ 東京2020オリジナルピン」を制作した。 コカ・コーラはアムステルダム1928大会以来、現在まで継続してオリンピックにかかわり続けている、企業として最長の歴史を誇るパートナーとして知られている。1964年に行われた1度目の東京1964大会でも、道路標識やガイドマップ、観光案内、日英会話集を提供。また、1992年からは聖火リレーの支援も行い、これまでに参加した聖火リレーの総距離は40万8768km。これは日本から地球の裏側=ブラジルまでの距離(約1万7000km)よりも、地球から月までの距離(約38万km)よりも長い。つまり、今回のコラボレーションは、オリンピックを支え続けてきたコカ・コーラの歴史と、東京のストリートシーンで活躍するグラフィックアーティストによる異色のコラボレーションとなる。

ピントレーディングの歴史と2020年

では、なぜ「ピン」なのか。これにはコカ・コーラがかかわってきたオリンピックでのピントレーディングの歴史が関係している。ピントレーディングとは、1896年のギリシャ1896大会から審判/選手/大会役員などを判別するために導入されたバッジを、出場選手が友好の証として交換したことに由来する、オリンピックの名物イベントのひとつ。1980年代頃からはこのピン交換が一般の来場客の間でも人気になり、大会ごとに多くの観客が参加する、ピンバッジの交換会/交流会として人気を博している。コカ・コーラは1988年のカルガリー1988大会から、ピントレーディング専用スペース「コカ・コーラ ピントレーディングセンター」を提供。世界各地から様々な人々が集い、ピンを通じて交流を深める機会を支えてきた。

コカ・コーラ×オリンピック×VERDY

Photo by official

コカ・コーラ×オリンピック×VERDY

Photo by official

今回のキャンペーンでは、VERDY氏が東京2020オリンピック仕様のオリジナルピンをデザイン。「交換するときに楽しいもの」をテーマにデザインを進め、アルファベットをモチーフにした印象的なデザインのオリジナルピンが完成した。コカ・コーラでは、「『東京2020オリジナルピン』付4本パックキャンペーン」として、東京の一部店舗でこのピンが手に入るキャンペーンを展開。開始後すぐに予定本数を終了して大きな話題となった。

コカ・コーラ×オリンピック×VERDY

▲グラフィックアーティスト・VERDYがデザインを手がけた「東京2020オリジナルピン」

果たしてこのオリジナルピンは、どんな想いで生まれたものだったのだろうか? マーケティングの部署でインターンを経験後、コカ・コーラに入社。2017年からコカ・コーラオリンピック専門チームのマーケティング部署に所属し、オリンピック関連のプロモーションや体験型イベント、パートナーシップの構築を担当している桜木谷薫さんに、ピントレーディングの魅力や、VERDYさんとのピンの制作風景、2020年のオリンピックに向けての想いを聞いた。

コカ・コーラ×オリンピック×VERDY

INTERVIEW:桜木谷薫(コカ・コーラオリンピックチーム)

──桜木谷さんが、コカ・コーラのオリンピックチームとして大切にされているのは、どんなことですか? これはコカ・コーラ社が大事にしていることでもありますが、自分が消費者だったらこういうものがあるといいな、という「お客様目線」を大切にしています。コカ・コーラは90年以上オリンピックとかかわっていますが、2020年の東京オリンピックについても、我々の製品を通して、色々な方にオリンピックの楽しさや、オリンピックにかかわる機会を提供したいと思っています。コカ・コーラ社は一般の方々に向けた聖火ランナーの募集キャンペーンも行ないましたし、2020年も様々なキャンペーンの準備を進めているところです。 ──その施策のひとつが、桜木谷さんが担当されているピントレーディングにまつわる企画なのですね。そもそもピントレーディングとは、どんな魅力があるものなのでしょう? ピントレーディングは、オリンピックの会場で誰もが参加できる、「観客が参加できる一番人気のある非公式競技」とも言われています。年齢も性別も人種も関係なく、様々な方が楽しめるもので、たとえ言葉が通じなくても楽しめますので、多くの方々に「オリンピックに参加する」体験をしていただける方法だと思っています。その「誰もが楽しめる」という部分は、コカ・コーラ社が大切にしていることとも繋がっていることだと思います。 ──なるほど。ピントレーディングなら運動が苦手な方も参加できそうですし、会場に集まった世界各国の方々とのコミュニケーションツールにもなりそうです。 実は1年前に、2020年の東京オリンピックに向けて招き猫や富士山のような日本の要素をデザインしたピンを4パターンつくり、社内向けに配ったのですが、そのときには全国2万5000人ほどの社員に、4つのデザインのうちから2つをランダムに配布しました。そうすると、お互いのピンを見て「あれ、自分のところにそれはないよ?」と盛り上がったりするんですよ。そんなふうに、ピンを交換することで、会話が弾んだり、様々な方々とコミュニケーションを取ったりするきっかけになるのも、ピントレーディングの大きな魅力です。

コカ・コーラ×オリンピック×VERDY

──では、今回、ピンのデザイナーとしてVERDYさんを起用した理由と言いますと? 私たちは、ピンへの関心が高いのは、若い方が多いと考えているんです。最近はファッションでバッグや帽子やデニムジャケットにピンをつけてパーソナライズされる方も多いですから、そうした方々に向けて、ピンを通したオリンピックへの参加を提案したいと思いました。そこで、若者のファッションシーンで人気のある方として、VERDYさんにお声がけをしました。 VERDYさんは柔軟にアイディアを考えていただける方で、ゼロから一緒に色々なアイディアを出していただきました。VERDYさんのデザインはタイポグラフィが特徴的だと思っていたので、私たちとしては、まずはその魅力を生かしていただきたいと思っていました。また、ひとつだけで完結するものではなく、コレクションすることで魅力が増すものにできたら、と考えていました。そこでVERDYさんと相談し、アルファベットをつかうアイディアが出てきました。アルファベットなら、自分のイニシャルに当てはまる方もいらっしゃるでしょうし、親近感があって「もうひとつ集めたい」と思えるものになると考えたんです。

コカ・コーラ×オリンピック×VERDY
コカ・コーラ×オリンピック×VERDY

──なるほど。ピンを手にした方が、そこに自分だけの意味を加えられる、と。 自分のイニシャルでも、何か別の意味を加えていただいてもいいですし、自分が持っているピンのアルファベットと同じイニシャルの方と交換してもいいと思っています。VERDYさん自身も、サンプルを見せたときに「すごく可愛い!」と言ってくださって、とても嬉しかったですね。「今ここでつけていい?」と、非常に喜んでいただいたのが印象的でした。 ──制作にあたって苦労したことはありましたか? VERDYさんのデザインを、ピンとして形にする過程にも様々な試行錯誤がありました。たとえば、イラストのアウトラインの部分を、そのままピンのエッジに合わせるのか、それとも淵にメタル部分を残すのかということも、何度も話し合いながら決定しています。また、弊社でつくっているピンは、厚みがあって高級感が感じられるものにしています。これは「劣化しにくいものをつくりたい」という想いからですね。オリンピックの記念としてピンを持ち帰っていただいて、それを5年後、10年後に見たときに、「そういえば、東京2020オリンピックのときにはこんなことがあったな」と感じていただけたら嬉しいと思っているので、そのためにも、長く持っていられるような、クオリティの高いものにしたいと思いました。 ──思い出を振り返るものにするために、色々な工夫がされていることが伝わってきます。桜木谷さんはこの取り組みを通じて、どんな魅力を体験してもらいたいと思いますか? オリンピックには、競技を会場に観に行ったり、家で中継を見て楽しんだり、もしくは外に出掛けて様々な場所で観戦したり、聖火リレーを観に行ったり、実際に聖火リレーを走ってみたり――と、色々なかかわり方が考えられると思います。そのひとつとして、ピントレーディングを活用していただけたら嬉しいです。モノは時間が経っても残りますし、それを交換することで、ピンが人の手を通して様々な場所にわたっていくのは、とても面白い体験だと思います。ぜひピンをつかって、オリンピックを楽しんでいただけると嬉しいですね。 たとえば、長野オリンピックの際には、45万人ほどの方がコカ・コーラのピントレーディングセンターを利用してくださいました。リオでジャネイロ大会でも、会場ではピンの交換が約5万回ほど行なわれたそうです。そして、ピントレーディングセンターでピンを交換していただくと、「そのピン、何ですか?」「これは、うちの孫がね――」と、様々な方向に話が弾んでいきますし、交換するピンごとに、そのピンだけのストーリーが生まれます。そういった人の繋がりが会場で5万回起きていたというのは、すごいことですよね。

コカ・コーラ×オリンピック×VERDY

──つまり、オリンピックでピンを交換することは、会場に集まった世界各地の方々が、お互いを知ることや、お互いの思い出をシェアすることにも繋がっていくのですね。 そう思っています。ピンコレクターの方々は日本に3万人ほどいらっしゃると言われていますが、そのピンのひとつひとつが、それぞれの物語を持っています。たとえば、今私がつけているものの中にも、実はコカ・コーラの社長がつけていたものが、色々な方の手にわたり、自分のもとにやってきたものがあります。今回VERDYさんにお願いをしたピンは、新しいデザインのレアなピンになっていると思いますし、手に入れた方ごとに、様々な入手方法があり、その方だけの思い出が生まれると思いますので、ぜひ会場のトレーディングセンターに持ってきていただいて、その物語を世界の方々とシェアしてもらえたら嬉しいです。 また、今回のオリンピックで初めてピントレーディングを体験する方もいるでしょうし、会場で「やってみたい!」と思う方もいらっしゃると思うので、私たちの方でそういった方々に向けた企画も準備中です。こちらも楽しみにしていただけると嬉しく思っています。

コカ・コーラ×オリンピック×VERDY

Text by 杉山仁 Photo by Kohichi Ogasahara

日本コカ・コーラ株式会社

チーム コカ・コーラ 東京2020 公式サイトInstagramTwitterfacebookLINE

桜木谷薫 1989年生まれ。2012年に日本コカ・コーラでインターンをした後、入社。ライセンス&マーケティングアセット担当を経て、現在は東京2020オリンピック アセッツ&パートナーシップマネジャーとして、オリンピック関連のマーケティングに従事。

VERDY VK DESIGN WORKS所属のグラフィックアーティスト。パンクロックや原宿カルチャーを自身のルーツに持ち、Wasted Youth、Girls Don't Cryなどのプロジェクトを手掛ける。現在は東京を拠点にし、ストリートシーンを中心に国内外で活躍。 Instagram

チーム コカ・コーラ 東京2020

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渋谷を中心にVISIONやCONACTなどのクラブやバーを経営する村田大造がプロデュースした新店舗 DJ BAR HEARTに迫る

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渋谷を中心に、DJ BAR BRIDGE、CONACT、VISIONなどを経営する (株)グローバル・ハーツの村田大造がプロデュースした新店舗 DJ BAR HEART

渋谷を代表する大規模クラブ「SOUND MUSEUM VISION(以下、VISION)」やクオリティの高いパーティーで知られる「Contact Tokyo(以下、Contact)」を始め、都心で多くのクラブやバーを運営する(株)グローバル・ハーツ。代表の村田大造さんは、約10年前コアなファンに惜しまれつつ閉店した西麻布「Space Lab YELLOW(以下、YELLOW)」や、80年代後半の文化人の巣窟「P.PICASSO」といった伝説のクラブをいくつも手がけ、日本のクラブシーンを数十年にも渡り牽引し続けている重要人物だ。 そんな村田さんが昨年11月、新宿に「DJ Bar Heart(以下、Heart)」をオープン。これまで渋谷エリアを中心に店を展開していた彼が、「東京の入り口」新宿に社名にも込められる“Heart”なる場所を、2020年を目前に誕生させた理由とは。 まだ新築の香りが漂う店内で、硬派なキャリアとは裏腹に柔らかな物腰の村田氏に、たっぷりとお話いただいた。

INTERVIEW:村田大造

――30年近く東京のクラブシーンの渦中にいる村田さんですが、ここ最近のクラブの客層や音楽が、当時と比べてどう変化していると感じますか?2000年代でいうと、若者のクラブ離れとかもあると思いますが。 クラブ離れというか音楽離れかな、どちらかというと。例えばCDやレコードの売り上げが落ちている。お金とか時間の使い方の変化が大きいですよね。やっぱりインターネットの普及で、そこに費やす時間とお金が音楽から変わって行ったので。 ――それでも2010年以降にオープンされたVISIONやContactは若い人たちも中心に盛り上がっていますよね。継続的に、クラブに来て楽しんでいるのはどんな人たちなんでしょう? マーケットで考えると、一般層含めて全体でいうと多分クラブの層は15%とか多くて20%ぐらい、そんなもんなんですよ。それはどういう層かというと、いわゆる“イノベーター”っていう新しいものを作り出すような人たち。企業でいえば100人中2人、2%くらいの人たちと、それを追いかけている、今の時代でいうとインスタグラマーやインフルエンサーが10%〜12%ぐらい。つまり新しいものを作って、それを広める人たちで構成されているのがクラブシーンかなって僕は思っているんですよね。 ――なるほど。確かに業界以外でクラブ行く友達って少ないです(笑)。 我々の世代は第二次ベビーブームで人口も多かったけど、その後少子化を迎えて、僕らの世代から考えると今は多分1/3くらいに減っている。そういった意味で対象となる人の数が減っていますよね。日本の数だけでね。音楽を聴く人も減っているし、若い人の数も減っている。そこにインバウンドってことで海外の人たちを取り込んで、その数を補おうとしているのが今の日本。クラブもまさにそう言う状況です。 ――やはり、ハウスやテクノがかかっているようなクラブには欧米人率が高かったりしますね。 ただインバウンドで海外から来る人たちにしてもやっぱり、全体層からいうとクラブで遊ぶ人がそんなに多いわけじゃないんだよね。でも日本に比べれば、ヨーロッパはテクノやハウスみたいな音楽性のものが多いし、アメリカはHIP-HOP層の方が多かったり。そういった人たちが色んな形で日本に来たとき、世界標準的に見て遊べる場所を提供して行きたいというのがあります。世界標準がどういうものなのかというのを日本の人たちにも知ってもらいたいし、そういうことをやって行くのがうちの会社、グローバル・ハーツがしていくべきことかなと思って続けてきているので。

――日本人ももっと多様な音楽に触れる機会が増えるといいですよね。音に関してはどうでしょう?どんな音楽が求められてきていると感じますか? 90年代はまだインターネットも発達してなくて、情報はすごくアナログで届いていた。例えばDJ呼ぶにも当時はカセットテープでレコーディングしたものを聞いていたし、今ならYouTubeで音と映像を見ながらどんなDJなんだろうって確認もできるけど。そうやって伝え方が変わってきていて、場所とか地域とかあまり関係なく色んな情報が飛び交っているけど、昔はアメリカはアメリカ、イギリスはイギリス、ドイツはドイツそれぞれの国ごとにコミュニティがあって、そこで生まれてきたものが一つずつ国内に入ってきた。それが、同じ国内で違う音楽性のものが混ざり合ったりしながらつながって。例えばハウスビートにレゲエのラガマフィンがのったりとか、そういう人種が混血していくような現象が起きて、新しい音楽が生まれた。それがもっと加速して、色んな文化がミックスしているような状況に音楽の方も向かっている。よりボーダーレスというか国とか世代とか関係なく、そこでみんなが楽しめる音楽が求められている感じはするかな。 ――「世界標準的に遊べる場所を提供したい」とおっしゃっていましたが、これまで麻布や、特に渋谷を中心にお店をオープンしてこられたのにはどういった意図があるのでしょうか? 渋谷を中心にしていったのはいくつかの理由があって、ひとつは元々西麻布の「PICASSO」からスタートして、まだアンダーグラウンドと言われていたものを少しオーバーグラウンド、つまり一般の人たちにも見せたいと思って渋谷に出したお店が「CAVE」なんだけど。CAVEを作ったときには既に「YELLOW」を作る構想があって。とにかくアンダーグラウンドな少数派、14%ぐらいしかないものをできるだけ、そのエッセンスだけでもいいから広く人に伝えていく作業をするのに渋谷に出てきたのが最初のきっかけで。 ――結果、渋谷が東京のカルチャーの発信地としては定着しているし、VISIONやContactも極近距離で運営されていますよね。 お店はやっぱり生き物なので、手間暇かけてあげないと良くはならなくて。自分自身、できるだけ近くで見切れる範囲内で作ってきたっていうのが一番大きな理由かな。大阪も、札幌もなんとかしてあげたいって思っていたんだけど、6年前にオリンピックの開催も決まって色々と東京に集中してくる。まずはその日本の中心都市である東京の、こういった文化とか新しいものが出てくる渋谷をどこまで引き上げられるかが、日本全体のイメージにも関わるし、日本全体のイメージがアジア全体のイメージにも関わってくる。だから分散させず、よりいいものを作っていくのにうちのスタッフや自分自身の能力を集中させたくて、渋谷を選んだっていうのもありますね。 ――そんな中、今回Heartを新宿にオープンされたのはなぜでしょう? 新宿は東京全体を良くしていく上でも地方から来る人の玄関先だし、海外から来る人のハブになっている。ホテルの数も渋谷の1.5倍〜2倍程あるし。だから新宿に海外の人たち、特に中国とか韓国とかアジアの人たちが多いんだけど、そういった友達が来たときに、アートとか音楽にこだわっている人たちが集まる場所が少ないんじゃないかと感じたし、上京してきた若い子にしても、最初から渋谷区や港区には住めないので、新宿区とか中野区とかそういう家賃が安いところから入って来て、ちょっと遊ぼうかなって思ったときに身近にこういう場所があればいいなって。外国人がいて、ゲイの人たちもいて、クリエイティブなことが好きな人たちが集まれる環境があれば、そこから何か生まれるかなと。それがこのHeartを作った理由でもありますね。 ――アットホームというか、一人で来ても気軽に友達ができそうなお店ですよね。イベントについて、平日はレギュラーDJを設置されていますね。 レギュラーDJは、基本は平日の隔週で入っています。2〜3ヶ月やってみて、相談しながらプログラムも変える可能性もあるけれど、基本は今のペースで進んでいきます。レギュラー陣が自分だけでプレイする日もあるし、他のゲストを呼んで、一緒にやる日もあります。あとフロアを真ん中で分けて、DJブースを二箇所にすることもできます。レギュラーイベントをやっている一方で、別のフロアでは誕生日パーティーをすることもできるんです。

――クラブと違って少し早い時間にオープンするし、Barということもあって、ユニークなドリンクメニューがありますね。エントランス1000円で1ドリンク付きなので、ドリンクを頼めば音楽がついてくるみたいな、お得な感じがありますよね。 そうそう。気軽に来てもらえることも狙いです。あと、例えばスピーカーはレイオーディオ製の中でも最上級クラスのものを設置しています。NHKのメインスタジオや世界中のトップクラスのスタジオが使っているもので、2000万くらいします(笑)。みんなでシェアするなら最高のものがいいという、うちのどこのお店も同じ考えでね。 ――1000円でお酒とレイオーディオが享受できるなんてうれしすぎます(笑)!通常音量はどのくらいなんですか? その時々なんですけど、早い時間は抑えめで会話がある程度できるくらい。夜になって人が入ってきたら、人のエネルギーに負けないように、徐々に音量を上げて、クラブ状態になりますね。 ――通常クラブのオープンは23時ころで、盛り上がる時間は深夜2時とか3時だから夕食を終えた後、クラブに行く前に寄って、気持ちを盛り上げていくのにも便利ですね。 そうですね。自分もそうなんだけど、食事が19時とか20時、食べ終わるのが遅くても22時くらいで。だけどその時間にクラブに行っても空いたばっかりで人いないし、いつも困っていて。食事をしてからクラブに行く間の時間を過ごせる場所も必要だったので、渋谷BRIDGEもそうですが、こういったDJ Barスタイルのお店を作ったんですよ。 ――2020年を迎え、オリンピック開催時には、たくさんの人が日本に来ると想像しますが、注目されているナイトタイムエコノミーは日本のクラブやお店にどう影響すると思いますか? もともと日本でナイトタイムエコノミーが注目され始めたのは、オリンピックが決まったときに、「おもてなし」っていう言葉があって。日本はそのとき風営法も変わっていなくて、「12時過ぎたら踊っちゃダメ、騒いじゃダメ、楽しんじゃいけない」と言われているようなものだった。それは日本がやっぱり戦争で負けて、焼け野原から立ち上がっていくには、12時過ぎに飲んで騒いで楽しんでいたらだめで、「明日の仕事のためにさっさと帰って寝なさい」と。そういう歴史的背景もあり、一方で遊び方がまだわからない、慣れていない日本の国民に対して、徐々に徐々に、ということも含めて、そういう法律になっていたんだけど。それも時代錯誤で、海外からゲストが来るのに、「みなさんもう夜12時なんで寝てください、遊び場所はありません」って、それではダメだろうということで風営法を変えて、遊んでいいよ、遊ばせていいよ、ということになったけど、今度は足がない。電車は止まっているし、24時過ぎたら朝までいないといけない。それこそ仕事もできないし、だから交通網を変えたりとか、環境の整備も含めて、やらなきゃいけない。あとは、日本は島国で単一民族なので、どちらかというとアジアのタイとかベトナム人より英語が話せなかったりとか、英語のメニューがなかったり。そういった表示や、コミュニケーションが取れるような環境も整えるべきだし、政府が考えているナイトタイムエコノミーは、これまで死んでいた時間をいかに活用してお金を生み出すことができるのか。その「おもてなし」という部分でいうと、我々のような業態に、少し期待を寄せられている部分もありますね。 ―実際、今村田さんのところでは、それを受けて何か動きをされていますか? 今は実験的なことが多いですね。補助金が出て、例えば<SHIBUYA ENTERTAINMENT FESTIVAL 2019>という渋谷のクラブが集まった回遊型のイベントを開催したりとか。そのときは外国人が何百人と来たので、どういうところに住んでいて、どこで情報を得ているのかなどのレポートを取って。そういったリサーチをするのに、今はお金を使っている感じですね。来年に向けて、それも活かしていこうとは思っています。 ――ナイトタイムエコノミーの取り組みでインバウンドの方はもちろん、日本人の意識も変わって夜遊ぶ人が増えて、もっと活性化するでしょうね。2020年のオリンピックの開催中は、何か特別なことを企画されていたりしますか? みんなで協力し合ってやることやろうよ、という動きにはなっていますね。もしかしたら、来年にもう1つ、箱を開けるかもしれなくて。 ――それは楽しみですね!どのあたりになりそうですか? やるとしたら、渋谷かな。ただ、アンダーグラウンドというよりは、もう少しオーバーグラウンドなイメージかな。今まで、うちはVIPぽいものがついたクラブってやってないんだけど、座れば女の子がついてくるようなVIPじゃなく、ダンスのショーだったりアートだったり、大きなラウンジとクラブが組み合わさったような、箱を1つ作ろうかなと思っています。 ――Heartにこれから遊びに来る方に、楽しみ方を教えてください。 基本は一人で来ても楽しめるように作っているつもりなので、誰が来てもそれぞれ居場所があるはず。“Heart”っていう、名前の由来でもあるんだけど、気持ちのいい人が集まってくれるといいね。そういう人たちが友達を作ったり、何かを持ち帰ってくれるといいかな。音楽を聴いて、お酒を飲んで、楽しんで帰ってください。

Text by Nao Asakura Photo by 前田学

INFOMATION

DJ BAR HEART

東京都新宿区2丁目19-9 B1 DJ BAR HEARTF

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Global Hearts Co.,Ltd

東京都渋谷区道玄坂2-10-12 新大宗ビル4号館9階 TEL: +81 (0)3-6415-6231 FAX: +81 (0)3-6415-6234

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十周年期を超えた平沢進が示唆する未来への手引き

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平沢進

<FUJI ROCK FESITIVAL>(以下フジロック)降臨、そしてバトルス(Battles)のオープニングアクト出演と、平沢進を長年追いかけてきたファンにとって2019年は、嬉しくも驚きのニュースが立て続けに舞い込んできた年だった。これまで所謂「シーン」というものに一切属せず、音源の販売ルートまで独自の方法で切り開いてきたインディペンデント〜オルタナティヴの化身のような彼が、「ロック」の最前線に乗り込みパフォーマンスを行う。それは、これまで平沢進というアーティストを知らなかった人たちにとっても、大きな衝撃だったはずだ。 そんな平沢進+会⼈(EJIN)による<会然TREK 2K20>ツアー、アナウンスされていた東京・大阪の計4公演はすでに完売。4月19日(日)にNHKホールで追加公演を開催することが決定している。会⼈(EJIN)とは、平沢のライブ・パフォーマンスを支えるSSHOとTAZZの2人組。マスクをかぶった彼らの異様な姿を苗場で目撃した人も多いだろう。彼らを従え、テスラコイル、レーザーハープといった独特の楽器を操る平沢の、唯一無二のステージ。昨年ノックアウトされた人も、未見の人も、この絶好の機会を是非ともお見逃しなく。 今回Qeticでは、そんな平沢にメール・インタビューする機会を得ることができた。昨年の振り返りやライブの装置、テクノロジーに関する考察、未来を担う若者へのメッセージなど、示唆に富んだ非常に濃厚な言葉の数々。筆者がCINRAでインタビューをしてからちょうど1年経ち、あのときに話していた「未来」のイメージは今、彼の中でどう変化したのかについても訊いてみた。

INTERVIEW:平沢進

━━まずはフジロックについて伺います。最初は会人のお二方を前に出すつもりで企画書を書いたところから始まったと聞いています。最終的に「平沢進」としてフジロックへ出演されてみて、その光景はどのようなものでしたか? 想像を上回る「歓迎」にある意味拍子抜けしました。80年代のフェスはヘタをすればビールの缶が飛んでくるような緊迫感の中で処刑されるようなものでしたから。 ━━“ジャングルベッド”のあとに演奏していたインスト曲は新作でしょうか。この曲からは、「ロック」の要素をとても強く感じました。これまで平沢さんは、いわゆる「ロックのイディオム」を嫌い、それを避けていたように思います。それが今回、このようなアプローチの楽曲を生み出したのは、フジロックという「ロックフェス」に出演することが影響していたり、大きなモチベーションになっていたりしましたか? 曲名は「牛人(ぎゅうじん)」です。あの曲は非常にシンプルなので聞く人の投影を受けやすいでしょう。ロックが好きならばロックのように聞こえるでしょう。ですが私の意図はそこにはありません。あれはエレキギターのクリーントーンに再度注目した結果出来上がった曲で、私としてはいわゆるロック的なギターサウンドの読点の後に設けた行替えのようなものです。 ━━平沢さんは、2019年を「10周年期」という言葉で表現されています。昨年フジロックへの出演やバトルスのオープニングアクトとして出演を決めたのは、この「10周年期」の節目であったことも影響していますか? 黄金の十年周期は、それ以前の周期の間に置かれた布石を一気に踏み進める時期です。一見動機と行動が直結されているような単純な判断の結果のように見えるものでも、複雑な点の連結が隠れています。私はそれらの要素をドラマチックに見えるようアレンジしているにすぎません。ですから一口に「来るものは拒まず」と表現される選択でも、実は「何故それを選択したのか」を説明するのは簡単ではありません。 ━━フジロックで演奏していた「テスラコイル」(落雷マシーン)は、David Nunezという人物により制作されたプラズマ・スピーカーをカスタマイズしたものだそうですね。他にもレーザーハープや、農業用の道具などを「楽器」として使用する発想はどこから来るのでしょうか。 音楽を形作る道具の意外性が私を鼓舞してきました。かつてはエレキギターやシンセサイザーの外見が、そこから生まれる音楽の意外性と協調していました。音楽が意外性を体現するのが困難な時代にあって、楽器以外の道具にかつて楽器が担った役割を負わせようとする悪あがきを御覧ください。

平沢進

──ちなみに「テスラコイル」や「レーザーハープ」はどういった仕組みなのでしょうか? 「テスラコイル」は放電電圧を変えることによってメロディーを奏で、「レーザーハープ」はセンサーに当たるレーザーを遮ることで音源を鳴らします。 ──平沢さんのルーツやクリエイティビティについてもお聞かせください。幼少期に初めて出会ったのが鍵盤だとおっしゃっていたのを覚えております。楽器に夢中になり音楽を制作し、アーティストになると考えたのはいつ頃でしたか? アーティストになると考えたことはありません。そうならざるを得ないように環境が動いた結果です。子供のころからギターを弾いていましたが、それを職業にするなどとは微塵も考えていませんでした。 ──平沢さんのこれまでの楽曲には、「旅」がキーワードとなっているものが多いと思います。過去にはタイへ行き、そこでインスパイアされた楽曲も多く制作されていますが、「旅」がご自身の大きなテーマになっていたり、楽曲作りに影響を与えたりしていると思いますか? 行為としての旅は私の活動にとって意味を持ちません。私がしばしば扱う概念の中には、流動、循環、変遷、帰還等があり、それらが比喩的に旅の形をとる場合はあります。ですから具体的にどこそこへ出かけて行った旅そのものに影響を受けることはなく、物事の背後に見えたり、あるいは隠されていたりする「変化する原理」のようなものに影響を受けているでしょう。

平沢進

──インターネットの可能性をいち早く見出し、音源の販売方法などを生み出してきた平沢さんですが、現在のテクノロジーの進化についてはどのような見解をお持ちでしょうか。むしろネットが主流となった今は、すでに興味を失っているところが多いですか? テクノロジーの進化そのものは今でも純粋な動機によるものがあると信じています。ですから受け入れるべきものもあるでしょう。ですがそれは、動機の先にあるもの、つまり、人々がテクノロジーを使ってどうしたいかということよりも、テクノロジーを使って「人々にどうあって欲しいか」という意図による気づきにくい圧力にも応用されています。幸いTVが信用を失ったように、インターネットの一部の情報の傾向も信用を失いつつあります。人々はそれほどバカではないというところに希望を託します。 ──では、AI技術の発達に対して期待していることはありますか? 文明を動かす力学の枠組み転換が起こり、人々や集団の善意が信用できる時代になった時、AIは人類を幸福にするという期待を受け入れるでしょう。 ──今後ご自身がアーティストとして「自由」であるために、あるいは「好きなこと」を表現し続けるために必要だと思うものは何でしょうか。 ゲームチェンジです。「させられているゲーム」を次から次へとやめて行き、自分のゲームに置き換えることです。 ──あえてお聞きしますが、平沢さんにとって“アート表現”とはどのようなものでしょうか。 何も無いところに一定の制限を設けることをアートだと感じています。その文脈でいうと“アート表現”とは制限をもって制限を超えようとする試みです。

平沢進

──2018年のCINRAでのインタビューで、今後は時代が大きく変化し「今まで信じられてきた歴史や常識がすべて見直されるような、まるでパンドラの箱が開いてしまうような出来事が起きる」とおっしゃっていました。その大きく変わる未来について、平沢さんはどんなイメージを持っていますか? 世界を動かす力と方法のゲームチェンジが起こり、歴史や世界の仕組みを学びなおす機会が共有され、人々は固有の差異と能力を尊重され、「奪取」や「詐取」より「信頼」によるより効率的な富の共有を学び、あるいはそうすると決意し、善意が文字通り善意のために行使される「あたりまえ」の世界へと向かおうとする意志が共有される世界のイメージです。これは人類史から見ても不可能で子供じみた妄想に思えるでしょうが、「理想のビジョン」に出会った時「子供じみた妄想」と定義するように条件づけられた思考傾向の終わりも意味します。人々の思考のゲームチェンジも必要とするため、長い年月を経て完成する世界ですが、2019年はその入り口だったと感じます。 ──『ブレードランナー』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などの多くの映画をはじめ、様々な芸術娯楽にて設定されていた未来社会に現実が追いつきました。これまで多くの未来的予見を活動のなかでされてきた平沢さんは、50年後、100年後の未来世界がどう変わっていくことを期待していますか? 『ブレードランナー』が描く多くのSFがテーマにしていた高度な管理社会と 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が描くような未来が同時に来ることはありません。どちらも想像可能で実現の可能性には同意できるにも拘わらず共存できない未来です。その矛盾の間にある最も重要なSF娯楽作品をどうか忘れないでください。映画『マトリクス』です。『マトリクス』を「怖い娯楽」ととらえるか現実ととらえるかの分岐点に人々は到着し、タイムラインは後者の方へと舵を切りつつあります。ここで破局的な妨害や恐ろしい引き戻しが無ければ、あるいはそれらの抵抗を克服できれば、100年後には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が存在するでしょう。 ──未来という文脈で、音楽はどのように進化していくと思いますか? 分岐点でどちらに舵を切るかによります。音楽が大量消費材でありつづけるならば製作は簡単にAIに置き換えられ、データベースに存在しない個性に対して人々が「きもちわるい」と反応するような感受性が育てられるでしょう。もう一方の分岐では今からでは想像もつかないタイプの良い音楽が生まれる可能性があります。それでこそ音楽なのですから。

平沢進

──平沢さんが描く未来には、ご自身の「夢」はありますか? 人々が未来に託す「夢」はもう何十年も前に描き終わっています。私自身も過去に描かれた「良い未来」の夢に共感します。ですが今は分岐点にあり、何故それが実現されず、何度も後戻りさせられたり、突破口が見つかる度につぶされるかをめぐってこのまま進むか、その回答につながる分岐を選ぶかの瀬戸際にあります。良い分岐が選択されるのを目撃することがごく近い未来に描かれた私の夢です。 ──日本にはメジャー、インディー問わず若手のアーティストが数多く存在しています。彼らが活動する上での根源的な価値観が、ここ数年で大きく変わってきていますが、世代間で「価値観の継承」をすべきだと平沢さんが思いますか? 継承するのではなく、時代時代に鋭敏な感受性を持ったアーティストが存在することに期待します。 ──平沢さんは、悩める若い世代に対し「好きなことをやるべき」とよくおっしゃっています。誰かの評価を恐れている若者たち、自分の役割を教えてもらえないと前に進めない若者たち、大学を出ないと社会で評価されない若者たち、そんな若者たちが “恐れ”を振り払って前に進むためには、どういう意識を持つべきだと考えますか? 私の若い頃はカルチャーショックが跳躍や脱出の助けをしてくれました。現代は物や刺激が多くしかも均一的で、ある意味重要な感受性が間引きされたように見え、カルチャーショックが起こりにくい時代です。そんな時代に跳躍や脱出の助けになりそうなものは「ミニマリズム」だと感じています。我々は足し算によっておかしな世界とおかしな人間とおかしな価値観とおかしな思考を生み出してしまった結果、不要な不安や恐怖を抱え持つようになりました。それらのものが本当に必要なのかどうかをミニマリズムによる引き算によって考え直すことが脱出や恐怖の消去に役立つと思っています。 ──膨大な情報が凄まじいスピードで、大量に手の平のデヴァイスに入ってくる現在、表現者として今後も永続的かつ濃度のある活動をしていくための心構えや、それを目指す人たちへのアドバイスがあれば教えてください。 あらゆる情報や出来事、あるいは人為的な傾向が自分を包囲していると考えるのではなく、自分のゲームの中にそれらの出来事が位置していると定義しなおすことです。

平沢進

平沢進 東京都出身。 1979年にP-MODEL結成。同年にワーナーブラザーズよりデビュー。テクノ・ポップ/ニュー・ウェイヴの中心的な存在となる。 89年にはソロ・アルバム『時空の水』をリリースし、P-MODELと並行してソロ活動を開始(現在、P-MODELは活動休止中)。 ソロ作品では、より歌に重心を置いた無国籍風サウンドで「過去(神話/民俗的世界)」と「未来(SF/コンピューター的世界)」が「現在」に出会ったかのような、 独自の音楽世界を確立した。 94年より自ら考案した、コンピュータとCGを駆使して観客との相互コミュニケーションにより展開する「インタラクティブ・ライブ」を開催。 99年には日本でいち早くインターネットによる音楽配信を開始するなど、常に時代に先駆けた姿勢で音楽活動を行い、音楽業界内外のさまざまなアーティストたちへも影響を与え続けている。 2002年の(財)デジタルコンテンツ協会主催「デジタルコンテンツグランプリ」では、2000年に開催された“インタラクティブ・ライブ・ショウ2000「賢者のプロペラ」”が<作品表彰の部>の最高賞である「経済産業大臣賞」と「エンターテイメント部門最優秀賞」を受賞。 また、今敏監督のアニメ「千年女優」「妄想代理人」「パプリカ」のサウンドトラック、三浦建太郎作の漫画「ベルセルク」の劇場版・TV版・ゲーム版のサウンドトラックも平沢が担当している。 海外でもその評価は非常に高く、アニメーション映画『パプリカ』の主題歌「白虎野の娘」はアカデミー賞歌曲賞部門のノミネート候補となった。 2009年からはtwitterも開始。 音楽作品のみからでは汲みきれない平沢ならではの独自の世界観が人気を呼んでいる。 現在はソロ「平沢進」と、P-MODEL時代の作風を継承したプロジェクト「核P-MODEL」として主に活動中。 2020年現在、オリジナル・アルバムのみでも、P-MODELで12枚、平沢進で13枚、核P-MODELで3枚の作品を発表している。

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平沢進+会人(EJIN)会然TREK 2K20ツアー

会然TREK 2K20▼04 2020.04.19(日) OPEN17:30/START 18:30 ¥7,150(全席指定・税込) Info.03-3444-6751(SMASH)/03-5720-9999(HOT STUFF PROMOTION)

主催者先行受付:1/28(火)10:00 〜2/4(火) 23:59 主催者先行受付はこちら

2/15(土)下記にて一般発売開始! ぴあ(P:176-195)英語販売あり、eプラス(pre:2/5 12:00 – 11 23:59)、ローソン(L:72528) 詳細はこちら

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橋本薫×奥冨直人対談|カルチャーとの結びつきから広がる新たな音楽の届け方

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昨年5月に〈HIP LAND MUSIC〉がスタートした、デジタルディストリビューションサービス「FRIENDSHIP.」が話題となっている。 「FRIENDSHIP.」はストリーミング時代のアーティストに向けて、従来所属レーベルが所属アーティストに提供してきたプロモーションやサポート、ディストリビューションを統合した新しいアーティスト支援サービス。サブスクリプション(以下、サブスク)登場以降、音源を独自配信するインディペンデントなアーティストが次々と登場する中、レーベルや事務所に所属せず楽曲配信からプロモーション、マネタイズまでを実現するディストリビューターに注目が集まっており、そうした動向に先鞭をつけた「FRIENDSHIP.」は、その存在感を増す一方だ。 前回は「FRIENDSHIP.」でキュレーターリーダーのタイラダイスケと、キュレーターとして参加するThe fin.のYuto Uchinoによる対談を行い、「FRIENDSHIP.」の概要について解説してもらった。今回は、その「FRIENDSHIP.」からTシャツ付きの新音源をリリースしたHelsinki Lambda Club(以下、ヘルシンキ)の橋本薫と、キュレーターに抜擢されたコンセプトショップ『BOY』の奥富こと奥冨直人による対談を敢行。ファッションと音楽の関係性や、ストリーミング〜サブスク以降のアーティスト活動やプロモーション戦略についてなど大いに語り合ってもらった。

Interview:橋本薫(Helsinki Lambda Club)×奥冨直人(BOY)

──昨年配信リリースされたヘルシンキの新曲『Good News Is Bad News』を収録したCD-RにTシャツを付け、ライブ会場限定で販売するそうですが、そもそもこのようなやり方にしたのはどうしてだったのでしょうか。 橋本薫(以下、橋本) 新曲を作ってただ普通にCDをリリースするやり方に、ここ数年で飽きてきたというか。ストリーミング配信が普及してきているこの時代に、昔ながらのやり方をただ漠然と繰り返しているのはどうなんだろう?という気持ちがあったんですよね。ヘルシンキはこれまでにも、500枚限定の福袋シングルをリリースしたり、前回のミニ・アルバム『Tourist』では、着せ替えジャケット仕様にしたり、パッケージに色々こだわってきたので、その流れで今回はTシャツというアイデアが思いついたのがそもそものきっかけでした。 ──しかもTシャツや音源のジャケットデザインを、ダン・ディーコンやエズラ・ファーマンのアートワークも手がけるスペインのイラストレーターCristina Dauraに依頼したそうですね。 橋本 きっかけは、バンドのスタッフが銀杏BOYZのロンドン公演について行った時、ラフ・トレード〈Rough Trade Shop〉に行ったらそこに貼ってあったのがCristinaがイラストを担当したエズラ・ファーマンのポスターで。それがすごく良かったというのを教えてくれて、僕らもInstagramとかで彼女の作品を検索したら単純に一目惚れというか。是非とも僕らのアートワークもやってもらいたいと思い、直接コンタクトを取ったのがきっかけでした。 ──どの辺が気に入ったのですか? 橋本 色使いとかすごく独特だなあと。同じスペインのイラストレーターで、ウィルコ(Wilco)のアルバムなども手掛けているJoan Cornellàにも通じるテイストがありつつ、佐伯俊男さんっぽい雰囲気を感じたんですよね。その無国籍感や、ポップな中に毒がある感じが、僕らのサウンドにもぴったりだなと思ったんです。

──奥冨直人さんは、ヘルシンキのそういった試みに関してはどんなふうに思いますか? 奥冨直人(以下、奥富) 僕はファッションも音楽も両方の影響が強く、例えばアーティストのシルエットまで美学があったり、作品のアートワークがそのバンドの音や今思う事を表すことって多いじゃないですか。そういう意味で、ヘルシンキが自分たちの音源を出すたびにパッケージをアップデートさせていくのって素晴らしいし自然な事で、それを見た人達が各々の受け取った感覚が行動で広がっていけば、きっといいんじゃないかなって思いますね。 ──奥富さんが経営するショップ『BOY』では、「fashion & music」をコンセプトに掲げて古着や雑貨だけでなくCDも販売されているそうですね。 奥富 最初に置いたのは、DAOKOの最初の音源『HYPERGIRL-向こう側の女の子-』(2012年)で、それが予想以上に反応があったんです。まだ古着屋の会社の中で務めていた頃で、この反応を境に考えが柔軟になりました。その後Yogee New Wavesなど置かせてもらえるバンドも増えてきて、今では毎月何タイトルか入荷したものが、大抵は完売するようになっています。 元々好きなものが多いので、お店に置いている商品は全て好きでありながら間口を広く持って、どのように来て下さる方の人生に落とし込めるかを考えていますね。もちろん、お店には洋服だけを目当てに来られる方も、音楽タイトルだけを目当てに来られる方もいらっしゃいますし、そこを無理やり繋げるつもりはないと思っています。例えばスポーツや食は、音楽やファッション同様それぞれの身近にあるので更に可能性のある掛け合わせも出来るのかなと思います。相手方の関心を引き出せる様、押し付けがましくなく発信していけたらいいなと思っていますね。

──ここ数年でストリーミング配信やサブスクが一気に普及しましたけど、そのことはお店にも影響を与えていますか? 奥富 2年くらい前から日本でもサブスクが一気に普及した感覚があって、アーティスト側も「配信限定」という音源が多くなってきましたよね。「時代が変わってきたな」という実感はありました。昨年はそれが決定的になったというか。僕自身、お店の10周年のイベントなどがあってバタバタしていたんですけど、フィジカルを置くことが自然と減ってちょっと悩んでいたんですよね。やはり以前と比べると、CDの売上ペースは落ちてきていたし。ただ、今回ヘルシンキがCD付きのTシャツという形態でリリースしたり、uri gagarnが新曲を限定カセット版でリリースしたり、自分の近しいバンドがユニークな売り方をしていたりどこまでいってもフィジカルが好きなので「また置いてみようかな」という気持ちになりました。 ──なるほど。 奥富 それと並行して、今話したイベントの反響などから色々感じることもあって。今月末に恵比寿LIQUIDROOMと合同で主催するイベント<Song For Future Generation>もそうですが、これからはフィジカルだけでない音楽の伝え方みたいなことを考えていきたいと考えるようになりましたね。 ──お二人は、音楽とファッションの関係性ついてどんなふうに考えていますか? 橋本 やっぱりロック史を見ても、シーンごとにカルチャーとの結びつきみたいなものを感じますよね。セックス・ピストルズ (Sex Pistols)とマルコム・マクラーレン(Malcolm Robert Andrew McLaren) 、ヴィヴィアン・ウェストウッド(Vivienne Westwood)の関係もそうですし、もちろん僕もそういうシーンへの憧れみたいなものはあります。バンドとカルチャーが共鳴しあったとき、その表現により説得力が生まれるというか。そういう意味でも、音楽とファッションは密接な関係にあると思いますね。 奥富 僕は、個人的には90年代オルタナティブ(以下、オルタナ)のファッションがすごく好きですね。言葉では表し辛い、違和感を自然に肯定するみたいなことが、平気で出来るというか。その違和感を堂々と楽しむところがカッコいいなと。

──さて、このたび奥富さんがFRENDSHIP.のキュレーターになった経緯を教えてください。 奥富 先ほどから話しているサブスクの動きが大きいですよね。僕は2017年くらいから利用するようになったんですけど、そのきっかけは野本晶さん(元Spotify Japan)との対談でした。それまでフィジカル優先だった自分の意識がその対談から変わってきて、昨年は自分でも積極的にプレイリストを作るようになっていました。 そんな中で、代表のタイラダイスケさんからFRENDSHIP.の話を聞いて、自分の中のサブスクに対する意識の変化と、アーティストにとってポジティヴな貢献ができそうだなという部分が重なって。しかも、そんなにガチガチじゃないというか(笑)、割と自分の趣味全開で関われそうだし、他のキュレーターの方たちも同じような意識でやってそうだったので、このペースならやっていけるなと思って引き受けました。 ──橋本さんは、今回ヘルシンキの音源をFRENDSHIP.から配信しようと思った一番の理由はなんですか? 橋本 お話を聞いたときに、何か新しいことを日本でやろうとしているなというのを強く感じたからですね。実績がどうこうというよりも、時代の先を行こうというか。チャレンジ精神みたいなところに惹かれて今回ご一緒することにしました。 ──実際ヘルシンキのファンも、リスニングスタイルが変化してきているなと感じますか? 橋本 例えばTwitterなどで検索してみると、最近はサブスクとかで聴いて好きになってくれた人は増えてきている気はしますね。ライブハウスなどに通い詰めて見つけてもらうというよりは、もう少し気軽にアクセスしてもらう機会が増えたというか。ただ、その一方でやっぱりコアなファン層というか、「ちゃんと手に取れるものが欲しい」と思ってくれる人もいるので、そういう人たちに届けられるものも作っていきたいという気持ちはありますね。 なので、より多くの人たちに知ってもらうきっかけ、好きになってもらうきっかけとして配信やプレイリストにも力を入れていきたいですし、それと並行してヘルシンキの世界観をより深く知ってもらうためにフィジカルやアートワーク、Tシャツなど音楽以外のカルチャーを絡めた作品を今後も出していきたいと思っています。

──ところで、日本に限らず音楽やカルチャーを発信している人で、ここ最近何か気になる発信の仕方をしている人はいましたか? 奥富 最近は、東京以外の街にすごく感心があるんですよ。僕は人生の半分くらい渋谷や下北沢周辺で遊んでいたんですけど、もう少しローカルなところで活動している人たちに意識が向かっています。というのも、東京に住んでいて東京以外への街に興味がない人が多い印象で。きっかけがない、というのが一番大きいと思うんですけど、他の街の素敵な部分に触れられる要素を何処かで作りたいと思っていて。 例えば、群馬県を拠点に活動しているBRIZA(Fuji Taito、KENSEI、Lil kaviar、Raffy Ray、 GoAntennaによるコレクティブ)のFuji Taitoさんのライヴを先日初めて観て。 すごくパワーをもらってインタビュー等も読んでみたんですけど、地元への愛が深く東京の友達やアーティストにも呼びこんで街の良さを伝えていて。そういう、レペゼンじゃないですけど地元に対するマインドが素敵だなと思いました。 ──確かに、ここ最近はわざわざ上京せずに地元を拠点として活動しているグループは増えてきている気がしますね。それもネットやSNSの力がかなり大きいと思いますが。 奥富 ちょっと前までは東京にきて音楽をやんないとみてもらえないとか、いろんなそういう蟠りってあったと思うんですけど、BRIZAをはじめそれぞれのクルーがいろんな街で誕生しているという話を結構耳にしていて。みんな地元とも積極的にコミットしつつ、呼ばれればいつでも東京まで出てくるフットワークの軽さもあって。そういう、自分たちの街を閉鎖的な空間にしない希望を持った人たちの感覚を、ちゃんと東京の人たちは受け取り繋いでいった方がいいって思うんですよね。なので、まずは僕自身がそれぞれの街のアーティストたちともっと関わりを持っていきたいと思います。 橋本 やっぱり、一昔前と比べてバンドの活動方法も多様化してきたというか。普通に仕事しながらやっている人もたくさんいるし、「とにかく売れたい」ということを目的とせず、やりたいことをピュアに追求している人が増えた気がします。今の奥富さんの話でいうと、NOT WONKとか今も北海道在住ですよね。僕らヘルシンキも今後、地方のいいバンドだったり、いいカルチャーと関わり合いながら、お互いの文化を交換し合ったり、ときにはミックスしたりしていきたいです。

──奥富さんは、今後FRENDSHIP.のキュレーターとしてどんなアーティストを紹介していきたいと思っていますか? 奥富 ジャンル的にはアンビエントでもハードコアでも何でもいいんですけど、最終的にどこかポップなところがあるアーティストが個人的には好きで。音楽として破綻する一歩手前のギリギリのバランスで成り立っているというか。そこ崩れちゃったら単に不気味で気持ち悪いだけみたいな、その塩梅が絶妙なアーティストは、時代を象徴する存在でもあるなと。 ──なるほど。では、お二人は今後FRENDSHIP.で何かやってみたいとかありますか? 橋本 まだ立ち上がったばかりなので、他のアーティストと相談しながら面白いことがやれたらいいなと思います。さっきも言ったように、FRENDSHIP.に限らず僕がストリーミングやサブスクで求めているのは、より広く届けたいという思いがあって。特に海外に向けての発信の仕方については、もっと強化していきたいと思っています。それも含めて、FRENDSHIP.とは今後も密にコミュニケーションを取っていけたらいいですね。 奥富 僕もさっきの繰り返しになりますが、やっぱりイベントや企画でアーティストやお客さんや街、それぞれと交わえる場をもっていきたいですね。昨年末のFRIENDSHIP.のイベントや、その前のskillkillsやLITEが出たイベントもそうですけど、音のある場に接続する事はこれからもずっと必要になってくるなと思います。そうすれば、FRENDSHIP.のやれることももっと立体的になっていくのかなと。他のキュレーターさんやバンドの皆さんと話し合い、アイデアを出し合いながら、楽しい方向に進んでいきたいです。

Text by Takanori Kuroda Photo by Kana Tarumi

FRENDSHIP. archive

Vol.1 タイラダイスケ(FREE THROW)× Yuto Uchino(The fin.)対談 「FRIENDSHIP.」が目指す新しいアーティストサポートの形とは?

FRIENDSHIP.対談

FRIENDSHIP.とはカルチャーの前線で活躍するキュレーター達が厳選した音楽をデジタル配信する新しいサービス。 世界中から新しい才能を集め、それを世界に届けることが私達のできることです。 リスナーは自分の知らない音楽、心をうたれるアーティストに出会うことができ、アーティストは感度の高いリスナーにいち早く自分の音楽を届けることができます。

詳細はこちら

Helsinki Lambda Club 2013年夏、西千葉でバンド結成。「PAVEMENTだとB面の曲が好き」と豪語するボーカル橋本を中心とした日本のロックバンド。無理やりカテゴライズするならば、ニューオルタナティブといったジャンルに分類される。

TwitterInstagramFacebookApple MusicSportify

奥冨直人 平成元年・埼玉県生まれ。渋谷にあるFASHION&MUSICをコンセプトにしたショップ『BOY』のオーナー。DJ活動も地域・ジャンル問わず精力的に行う。インディーシーンに詳しいことで知られ、TOMMYの愛称で親しまれている。

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RELEASE INFORMATION

Good News Is Bad News

Helsinki Lambda Club 配信&CD-R付きTシャツシングル 2020.2.15 T-shirt+CD-R ※ライブ会場限定発売 1. Good News Is Bad News 2. Debora 3. KIDS

ストリーミングはこちら

EVENT INFORMATION

「Good News Is Bad News」release tour "Good News For You"

一般発売: 福岡・仙台・札幌・金沢・新潟公演 12/21(土) 名古屋・大阪・東京公演 1/25(土) 料金:前売り 3,300円(税込・ドリンク代別途) 2020年 2/15(土)福岡graf 開場 17:30 / 開演 18:00 ※ワンマン 2/23(日)仙台enn2nd 開場 17:30 / 開演 18:00 ゲスト:ナードマグネット 2/29 (土)札幌COLONY 開場 17:30 / 開演 18:00 ゲスト:No Buses 3/7(土)金沢GOLD CREEK 開場 17:30 / 開演 18:00 ゲスト:No Buses 3/8(日)新潟CLUB RIVERST 開場 17:30 / 開演 18:00 ゲスト:No Buses 3/14(土)名古屋APOLLO BASE 開場 17:30 / 開演 18:00 ※ワンマン 3/15(日)梅田Shangri-La 開場 17:30 / 開演 18:00 ※ワンマン 3/20(金祝)渋谷CLUB QUATTRO 開場 17:00 / 開演 18:00 ※ワンマン 詳細はこちら

LIQUIDROOM&BOY presents<Song For Future Generation>

2020.01.29(水) OPEN/START 18:00/19:00 恵比寿LIQUIDROOM ADV ¥1,500|DOOR ¥2,000 LINE UP: dodo 長谷川白紙 君島大空 (独奏) 東郷清丸 Yank! Wez Atlas 詳細はこちら

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インタビュー|GENICが突き進む“エイベックスど真ん中”新世代が模索する新たなグループ像とセルフプロデュース

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GENIC
2019年春からスタートした『a-genic PROJECT』は、オーディションを勝ち抜いた男女12人が、期間限定ユニットとして活動しながら正式メンバーの座を争うサバイバル企画。過酷なレッスンと実践のライヴを経て、同年8月には7人の正式メンバーが決定。GENICというグループ名で始動し、11月に初の音源『SUNGENIC ep』をリリース、12月には初ライヴ『GENIC Premium Showcase 2019』を開催するなど一歩ずつ前に進み始めた。今回は、正式メンバー決定前に行ったインタビューにも登場したプロジェクト統括の河田淳一郎と、GENICのメンバー勢ぞろいのインタビューをお届けする。 【インタビュー】エイベックスのDNAを新世代へーーa-genic PROJECTが追求する可能性と共感の形

サバイバル企画の末に生まれた絆と理想的な“シンメトリー”

GENICと河田淳一郎 エイベックスのDNAを継承する新ダンス&ボーカルグループを育成するべく、ひと夏の期間を掛けて若きメンバーたちの成長を見守り、育てていった『a-genic PROJECT』は、a-nation大阪公演でのラストステージを経てついに7名の正式メンバーが発表された。 河田「オーディションから選考の過程まで見てきて、もちろん最低限のスキルという部分は見ましたが、最終的にはグループとしてのまとまりや1人1人の個性のバランスで選びました。『a-genic PROJECT』ではライヴごとに毎回フォーメーションを変えるなど、メンバーたちにとっては過酷な面もあったと思いますが、それはメンバーの組み合わせや、並んだときのイメージなどを見たかった一面があります。最終的にグループ内でお互いを高め合いながら、絆も生まれていくという形が見えてきました」 結果的に、『a-genic PROJECT』はオーディションで一目見ただけではわからなかったメンバー1人1人の魅力や才能を、ひと夏のレッスンやライヴの過程を通して発見していく。そして、エイベックス、アーティスト、ファンという三者のトライアングルにおいて共感という大きなメリットを生み出した。 河田淳一郎 河田「僕らもみんなと一緒の時間を過ごすことで、良いところをたくさん見つけることができました。あと最終的に7人にしたのは、やはりバランス感。7人で奇数の方が“シンメトリー”になって良いことはわかっていたのですが、『a-genic PROJECT』は8人で試みてみたいことがあった。ライヴのフォーメーションなども大変だったと思いますが、その辺りの適応力を見させてもらった部分もあったんですね」 その模様は、ドキュメンタリーシリーズとして毎週金曜18時にYouTubeチャンネルで公開。メンバーたちの素顔に密着したシリーズは、グループ誕生前としては異例とも言える同年代のファンを生み出すことに成功する。そして、彼らの成長の過程を見守る視聴者は、サバイバル企画と聞いて思い浮かべる蹴落とし合いとは程遠い、メンバーたちのチームを重んじる意識の高さを感じたはずだ。 河田「サバイバル企画だったので、こちらとしてもメンバーたちがもっと『自分が!自分が!』となってギスギスするのかと思っていました。でも、予想に反してチームを大事にする意識がみんな強くて、それはa-genicがいいグループにならないと誰も選ばれないという面もあったと思います。ただしそれだけではない部分で、活動を通して彼らの中に絆のようなものが芽生えていったのは新たな発見でした」 続きはこちら

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DIIVインタビュー|“自己責任”をテーマにした『Deceiver』が完成するまで

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今年4月に、およそ7年ぶりに来日をするDIIV(ダイヴ)。新作『Deceiver』で、従来の深いリバーブがかかったドリーミーなサウンドとは正反対とも言える、ファズの効いたヘヴィな音像を打ち立て、生まれ変わった姿を見せた。今回はバンドとして初めてフロントマンであるザカリー・コール・スミス(Zachary Cole Smith 以下、ザカリー)以外のメンバーも作曲の段階から製作に加わり、濃密にコミュニケーションが取られていたという。 「自己責任」と「欺瞞」がテーマだという今作は、歌詞中でも環境問題や神についての言及があり、今までとは違った手触りを感じさせる。バンドとしてのエッセンスを保持しつつも異なるサウンドで再びシーンの中心に返り咲いた彼ら。アルバムリリース後のツアー真っ最中という多忙なスケジュールにも関わらず、ザカリーは快くビデオインタビューに応じてくれた。

Interview:DIIV

━━2016年にリリースされた『Is The Is Are』は、『Oshin』で確立されたDIIVの代名詞とも言えるドリーミーなリバーブサウンドと、ギターアルペジオのアンサンブルをアップデートさせたような作品でファンからも好評だったと思うのですが、リリース後の反応はどのようなものでしたか? どうだろう……。あまり反応はわからないけど良かったんじゃないかな、覚えてないんだよね(笑)。 ━━制作に関しては、すべて1人で行なっていたのでしょうか? 主にそうだね。 ━━『Is The Is Are』は自分にとってどんな作品ですか? 当時はそこまで大切じゃないと感じていたんだけど、今になって振り返ると、全てのストーリーの一部分なんだなって思うよ。良くも悪くも僕らのカタログのひとつだ。 ━━その後の体調不良によるツアーの中止は重い決断だったかと思います。療養中はどのように音楽に関わっていたのですか? しばらくは音楽を流せない環境だったから、本を読んだりして過ごしていたよ。そのあとアコギを弾けるようになって、iPodも手に入ったから、いろんなものを聴いて、それをギターで弾くっていうのを繰り返した。人に聴かせてあげたりね。音楽の仕組みとかを再認識するきっかけにもなったよ。 ━━なるほど。療養中も音楽を聴いて、曲を弾いて、音楽と密接だったんですね。 そうだね。療養中はプロフェッショナルに音楽をやっていた訳じゃないから、みんなと同じような距離感で、音楽と接していたんじゃないかな。 ━━リハビリを経て、生活に変化はありましたか? もちろん。たぶん日常の全てが変わったよ。 ━━バンドとしても様々な困難を経たと思います。メンバーに対するスタンスなど、どのように変化したのでしょうか。 本質的なところがゆっくりと変化していったよ。些細なことだけど、バンドとして一緒に時間を過ごしたり、音楽を聴いたり、音楽について語り合ったり。そういうことを積み重ねていくと、物事がうまく運んで、コミュニケーションが取りやすくなったんだ。友達としての関係をイチから築きあげないといけなかったからね。共に色々乗り越えてきたから、もともと近い距離にはいたけど、変化を起こすには色々変える必要があったんだ。おかげで、前よりも協力的な姿勢やアプローチができるようになったよ。 ━━かなり根気と時間がかかりそうですが、今は上手くいっているのですか? 順調だよ! 新しいアルバムもリリースして、みんなワクワクしている。 ━━今作では初めて、ベーシストのコリン(Colin Caulfield)が持ち寄ったデモから、制作をスタートしたそうですね。アルバム制作に取り掛かろうと思ったきっかけはなんだったんですか? あまり確かじゃないけど、完成したいくつかの楽曲を並べて眺めていた時に、アルバム制作が始まった気がする。僕らは長い間バラバラに過ごしてたけど、でも全員、その間もずっと音楽を作っていたんだ。だから、それぞれ作ったものを集めて、お互いに演奏して、どんどん改良していった。古い曲もあれば新しい曲もあるし、持ち寄ったものを組み立てたって感じだね。 ━━マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(My Bloody Valentine)やナイン・インチ・ネイルズ(Nine Inch Nailes)のエンジニアであるソニー・ディペリ(Sonny Diperri 以下、ソニー)をプロデューサーに迎えていかがでしたか。 ソニーと一緒にできて光栄だったよ。彼は常に学ぶ精神を忘れない人だ。彼は僕らにとって通訳者みたいなもので、僕らが抽象的に何か要望すると、彼がそれを解釈して専門的に適したことを提案してくれる。このツマミをもっとこうすればとか、このギターを使えばとか。すばらしい協力者だったよ。 ━━サウンドメイクに関して、これまでと変化した面を教えてください。 まず、今までとは違うサウンドにしたいと思ってソニーに相談したんだ。ソニーがこれまで携わった他のアーティストの作品もたくさん聴いたし、デトロイトのポスト・パンク・バンドのProtomartyrとかを聴いて、「この方向性に行きたい」って感じたものをレファレンスとして提案もしたね。 あと、今までの作品は様々なレイヤーをいくつも重ねる手法で、同じギターを2本3本と重ねたりしていたけど、今回はめちゃくちゃいいギターサウンドを、それぞれ各パート1本ずつ録ることに集中して取り組んだんだ。それが、よりラウドでクリアなサウンドの理由だと思う。 ━━前作までとは打って変わり、ヘヴィで乾いた音像の際立つ今作ですが、そのインスピレーションはどこから得られたのでしょうか。 楽曲で語っている内容に合うようにした結果かな。あとは、最近僕らが聴いている音楽の影響もあるね。Deafheavenとツアーを回ったのはとても大きかったし、True Widowみたいな音の重いバンドからも大きな影響を受けているよ。Smashing Pumpkinsや、さらにいえばメタルバンドからも。 ━━ヘヴィでさらに全体を通してダークな印象を持つ『Deceiver』ですが、そのテーマは何ですか? いくつかあるけど、大きなテーマは「自己責任」だ。自分の行動に対する責任だったり、過去に対する責任だったり。あとはアルバムのタイトル通りで、「欺瞞」ももう一つの大きなテーマかも。でも、基本的には回復だったり前に進むことだったり、ものすごく希望に溢れたアルバムだよ。 ━━なるほど。ポジティブなメッセージではあるんですね。 そうだね。ポジティブだよ。どんな問題にも解決策はある。 ━━”Blankenship”の歌詞では、企業による環境破壊や、地球規模での環境の変化に言及しています。日本にも季節外れの巨大な台風が襲来し、甚大な被害を被りました。環境問題についてどう考えていますか? 楽曲内で環境問題について触れようと思った理由は、それも今回のテーマの「自己責任」と結びつくからだ。自分たちが消費しているものや、その影響にもっと注意するべきだと思う。解決策はあるけど、みんなそれぞれが大きな変革を起こさないと解決できない問題だよね。

━━“Acheron”はCodeineなど、スロウコアのバンドを彷彿とさせるダークなトーンを持ったミニマルなサウンドで、お気に入りの曲のひとつです。歌詞中、日本語で《shikata ga nai(仕方がない)》というフレーズがあり、初めてこの曲を聴いた際にとても驚いたのですが、なぜこの言葉を選んだのですか? あの《shikata ga nai》というフレーズはジョン・ハーシーの本『HIROSHIMA』で知ったんだ(「戦争だったのだから仕方がない」という被爆者の発言が紹介されてる)。曲自体は神について言及してるスピリチュアルな内容なんだけど、あの一文は、神を信仰したくても“あんな悲劇を起こす神をどう信仰すればいいんだ”っていうことを歌っている。 ――このアルバムは、自分にとってどんな作品でしょうか。 わからないね。でもメンバー全員、今までの人生でこれほど頑張って何かに取り組んだことがなかったから、これを世にリリースできたことが今とても誇らしいよ。演奏するのも楽しみだ。とにかく、言いたいことは全部アルバムの中にもう詰まってるはずだ。ここ最近、僕がみんなに伝えたいと思っていたことは全部アルバムの中に入れることができたし、それってとてもワクワクすることだよね。

Interview by Kazuma Kobayashi Edit by Kentaro Yoshimura

RELEASE INFORMATION

Deceiver

DIIV 2019.10.04 ¥2,200(+tax) 1.Horsehead 2.Like Before You Were Born 3.Skin Game 4.Between Tides 5.Taker 6.For the Guilty 7.The Spark 8.Lorelei 9.Blankenship 10.Acheron

詳細はこちら

EVENT INFORMATION

DIIV “Deceiver” Tour JAPAN 2020

2020年4月13日(月) OPEN 18:00 / START 19:00 大阪・梅田クラブ・クアトロ ADV ¥7500 / DOOR ¥8000 (各1D代別途) 2020年4月14日(火) OPEN 18:00 / START 19:00 東京・恵比寿LIQUIDROOM ADV ¥7500 / DOOR ¥8000 (各1D代別途) 詳細はこちら

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Get To Know Vol.3 Technique

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Technique(テクニーク)

不定期にいま気になるレコードショップへお邪魔し、店主へ直接はなしを聞きにいく新企画「Get To Know」がスタート。第三回目は東京のTechnique(テクニーク)へ。 90年代、渋谷・宇田川町は、数百軒のレコードショップがひしめき合う“レコ屋のメッカ”だった。その黄金時代から店を構え、テクノ、ハウス、ディスコといったダンスミュージックに特化した専門店として、世界有数のレコードショップと肩を並べるのが“Technique”だ。スターアーティストたちが来日時に必ず立ち寄る名店としても知られる。そんな“Technique”で、DJであり、ディストリビューターも担う現代表の佐藤吉晴さんにインタビューを行った。 新たなレコードムーブメントとなった今だからこそ知るべきレコードショップの真髄がここにはある。

Interview:佐藤 吉春(Technique)

Technique(テクニーク)

──Techniqueはいつオープンしたんですか? 創業は96年ですね。最初は通販という形からスタートして、翌年の97年に最初の店舗が宇田川町に出来ました。現在の場所に移転したのは2000年だったと思います。 ──96年と言えば、まだオンラインがない時代ですよね?? そうですね。だから、電話とかFAXでオーダーを受けていました。当時の宇田川は“世界のレコードが集まる場所”と言われるほど、レコードショップが集結していた、言わばメッカだったんです。当店の創設者の2名はCisco Record(※)の出身なんですが、他にもManhattan Recordsとか、宇田川町近辺だけでレコードショップが何百軒とありました。後に、HMVやタワーレコードも出来て、渋谷に来ればレコードもCDも手に入る黄金時代ですよね。 (※)レコード小売りの最大手であり、国内でアナログレコードショップや販売網を展開していた渋谷・宇田川町のレコードショップ。2007年に閉店。 ──懐かしい時代ですね。当時の宇田川町は特別な雰囲気があったのを今でも覚えています。佐藤さんは現代表ですが、Techniqueで働くことになったきっかけはなんだったんですか? 僕はもともとお客さんとしてよく来ていたんですが、求人募集が出ていたのをきっかけに、働いてみたいと思い応募しました。ちょうどその時、大学4年だったんですが、就職活動も少ししましたが、そのままずっとここで働いてます。2001年からスタッフとして働き出して、6年前ぐらいに創設者から全て引き継いだ形ですね。 ──お店と共にかなり長い歴史がありますね。Techniqueと言えばDJ御用達のレコードショップといったイメージが強いですが、お店の特色や強みを教えてください。 ジャンルはご存知の通り、テクノ、ハウス、ディスコと言ったダンスミュージックが中心です。取り扱いはほぼ100%レコードで、新譜も中古も取り扱ってます。当店では、まずはニーズに応えることに重点に置いていて、お客さんが求めている音に応えれるように心掛けています。あとは、新しい音を提案することも重要だと考えていて、ヨーロッパを始めとする他国の最新情報がリアルタイムで入ってくる環境にあるので、そう言った情報をもとにこれはという音や次に話題になりそうな音があればいち早く提供するように心掛けてます。お客さんの多くがDJなので、例えば、今ベルリンではこういった音やアーティストが人気とか、世界の最先端なシーンにある音を伝えていくことも大切だと思っています。 強みと言えば、日本の他の店や入荷してなかったり、世界的にもあまり取り扱いの少ないレコードだけど、当店には入っている希少価値の高いレコードがあるとか、あとは、スタッフがみんなかなり知識があるので、そう言った意味でもお客さんの要望にすぐに応えることができます。

Technique(テクニーク)
Technique(テクニーク)

──やはりスタッフはかなりの知識がないと働けないですよね? ベルリンのレコードショップも著名DJがスタッフということも多いし、レコードショップで働くのは競争率も激しいし、敷居が高いと言われてます。 当店も全員DJですね。お客さんもDJがほとんどですが、特に、プロとして活躍しているDJの方が多いです。 ──海外のDJが多く来店しているイメージがありますが。 そうですね。来日時に立ち寄ってくれるアーティストは本当に多いですね。世界で股にかけて活躍しているいわゆるトップDJから、レジェンドと言われているベテランDJやアーティストたちがよく来てくれます。国内だと、海外でも活躍しているGonno、瀧見(憲司)、Kabuto、DJ Yogurtさんなどは毎週チェックしに来てくれていまし、若い世代だとLicaxxx,、あと、サカナクションのメンバーの方々とか、D.A.NのメンバーなどDJとしても活躍しているミュージシャンも来てくれます。それに、DJを目指している人や地方の人も多いですよ。最近は、海外からのお客さんがすごく増えていて、半々ぐらいになっているんじゃないでしょうか。特に、最近はアジア諸国が多いですね。 ──人種もジャンルも幅広いですね!どうやってここを知って来るんですか? 当店InstagramやFacebookといったSNSを頻繁に活用していて、ほぼ毎日情報発信しています。そのおかげか、フォロワーが2万人ぐらいいるんですが、その6、7割が海外在住の人なんですよね。インスタでは入荷情報を音付きで発信しているので、そこから試聴可能だし、リンクから購入も出来るようになっているんです。 ──なるほど。やはりSNSでの発信はレコードショップにおいても大事な時代ということでしょうか? レコードショップとして意識しているのは、日本だけではなく、イギリスのJuno Recordsとか海外のショップなんですよね。世界有数のレコードショップと同じかそれ以上の豊富さと質の高い品揃えをすることを常に意識しています。そう言った背景には、日本のDJのレベルが少しでも上がる手助けになりたい思いもあります。正直、海外のレコードショップの基準を意識して品揃えしたり、SNSを駆使して情報を発信しているショップは日本には少ないと思ってます。 Juno Recordshttps://jp.juno.co.uk/

Technique(テクニーク)
Technique(テクニーク)

──私もいくつかヨーロッパのレコードショップをフォローしてますが、毎日すごい情報量ですよね? それが普通なんだと思ってましたが、日本ではそうではないんですね。レコードショップとして、カルチャーやアーティストのスピリットを伝えるために、心がけていることはありますか? 強いて言うとしたら、店のスタイルとして、アーティストに近くなり過ぎないってことですかね。レコードショップとアーティストが密接になってしまうと、どうしてもご贔屓アーティストになってしまうと思うんです。だから、仕入れや音楽の良し悪しにあまり私情を入れないようにフラットに接するように心掛けています。どんなアーティストでも良いものはいいし、ダメなものはダメじゃないですか?それをフラットな視点から見るようにしていますね。 だから、著名アーティストが来ても基本ほっとくスタイルですね。気づかないってこともあるんですが、一般のお客さんと変わらない接客を心掛けてます。会計が終わった最後に記念撮影をして、SNSに投稿させてもらうぐらいはしていますが。だから、逆にスター扱いされずに、誰にも邪魔されずに自由に試聴したり、買い物が出来るということに居心地の良さを感じてもらってるのかもしれません。 ──海外アーティストは有名になればなるほど、スター扱いされてしまう傾向がありますからね、特に日本はそういった傾向があると思ってます。スター扱いされるのが心地良いと感じるアーティストもいるとは思いますが。DJではない私からの意見ですが、レコードショップってちょっと入りにくいイメージがあるんですよね。特に、Techniqueはちょっと敷居が高いなと(笑)。 敷居を上げてるつもりはないんですが(笑)。客観的に見るとそう見えますよねー。でも、レコードショップは入りにくいというイメージは昔からあるとはおもうのですが、気にせず誰でも気軽に来て欲しいと思ってます。 ──そんなレコードショップへ遊びにくる楽しみとはどんなところでしょうか? 未知との遭遇ですかね。例えば、こうゆう音を探してますって言ってくれたら、スタッフが瞬時に出すことができるので、好みの音を手に入れることができるし、それだけでなく、オススメの楽曲やアーティストも知ることができます。新譜だけでなく、中古でも何でも試聴可能なので、何時間いてもらっても良いし、試聴機も制限がないので自由に使ってもらえます。ビールもあるから飲みながら聴いてもらっても良いですし。 ──クラブみたいになっちゃいますね(笑)。 そうですね(笑)。でも、海外の人は基本観光がてら来てるから、ビールを飲みながら試聴する人が多いですよ。あと、著名アーティストと仲良くなれるチャンスがあるかもしれません。クラブだと近づけなくてもレコードショップで隣で試聴していたら話しかけやすいですよね。

Technique(テクニーク)
Technique(テクニーク)

──どんなにスターDJであっても基本的に皆さん、フレンドリーですよね。レコードショップとしては、音楽とどんな風に向き合ってますか? 先ほども伝えた通り、まず、ニーズと提案というのが軸にあります。その提案が次のブームになったりするから、常におもしろいものを提供していくということはものすごく意識していますね。それが、仮に1枚しか売れなかったとしても取り扱い続けたり。あとは、日本のアーティストをサポートできるショップになれたらいいなと思ってますね。有名無名問わずきちんと頑張って活動してる人をサポートしていきたいと思ってます。 ──常に世界にアンテナを張って、それを提供していくことが大事なんですね。不定期でインストアイベントもやられてますが、ああいったことも発信の一つですよね? そうですね。あとは、あれも一種のアーティストサポートになると思っていて、コミュニティーサロン的な意味でも開催しています。タイミングが合えば、来日したアーティストにもやってもらってますし、最近はやりたいと言ってくれるアーティストもいます。ストリーミングで配信することで、地方の人や世界中の人に届くので、アーティストを知ってもらうきっかけになったり、Technique自体を知ってもらえるきっかけになりますよね。そういった発信も大切だと思っています。 ──佐藤さんが音楽に夢中になる時ってどんな瞬間ですか? 僕はクラブですかね。音楽は常に聴いているんですが、夢中になると言えばクラブかな。フロアでもそうだし、自分でプレイしている時もあります。生業である仕事を離れた素の状態で音楽を聴くほうが夢中になれる気がします。あとは、ダンスミュージック以外の全然違うジャンルを家で聴く時とかもありますね。 ──デジタルにはないアナログの魅力はたくさんあると思いますが、改めて、どんなところが魅力だと思いますか? 音質が良いとかアナログ特有の音とかは魅力の一つではあるのですが、なによりもレコードって単純にかっこいいと個人的には思うんですよ。DJがプレイする時のルックス的にもそうだし、レコードでプレイするにはある程度技術も必要なので、レコードをメインに使うDJは基本うまいんですよね。基礎がなってるんです。 あと、これはレコードショップとしての醍醐味ですが、音楽を発掘できる魅力がありますよね。デジタルだと検索しないと出てこないじゃないですか? でも、レコードショップだと入荷してきた中からジャケが気になったから聴いてみて、“こんな音楽があるんだ!”って発見することが出来たり、何気なく聴いてみたレコードがすごい良かったり。知らなかった音との出会いがそこに生まれるんです。“レコードを掘る”ってそうゆうことだと思うんですよね。 ──確かにネット検索では味わえないリアルな体験ですよね。ちなみに、今おすすめのレコードと言えばどれになりますか? スペインのアーティストDo or Dieのニューシングル『Nazca Line』です。Binhが主宰するレーベル〈Time Passages〉からのリリースになりますが、90年代エレクトロニック・ボディ・ミュージックのエッセンスを感じさせる彼ならではの重厚なサウンドになっていて、パワフルでドープなシンセ・サウンドとグルーヴィでエッジの効いたリズムで構成された最高のテクノ・トラックスです。

Technique(テクニーク)

──―今の日本の音楽への空気感で感じていることはありますか? またその上で問題意識など、考えていることはありますか? 日本は良いクラブも良いDJも多くて、クラブミュージックの先進国で成熟してると思うんです。ただ、DJはいっぱいいるけど、楽曲を作るアーティストがヨーロッパとか海外に比べると圧倒的に少ないんですよね。3年前から「エナジー・フラッシュ・ディストリビューション(以下、EFD)」というディストリビューションの事業を始めたんですが、日本でレコードを作りたいとか、リリースしたいというアーティストがいたら、レコードのプレスサポートや海外への流通のサポートを行っています。ベルリンと東京でやっていて、少しずつ増えてはきたけど、それにしてもまだまだ少ないと思ってます。その反面ベルリンでは良いレーベルがどんどん増えていっているんですよね。それが、東京になるとまず、レーベルを立ち上げる人がいないし、行動を起こそうとする人さえいないのが現状なんです。日本で作っても、世界に流通しないと意味がないし、面倒な部分を全部担うために「EFD」があるんですけどね……。 DJは言ってしまったらスキルをつければある程度は誰にでも出来るし、回せるクラブもいっぱいあるけど、作品をリリースするアーティストが本当にいないんです。もう少し増えたらもっと日本のシーンはおもしろくなるし、海外進出も夢ではなくなると思うんです。海外の売れているアーティストはだいたい自分のレーベルを持ってるし、リリースをしているじゃないですか。クラブやレコードショップもレーベルを持っているのが普通だけど、日本はそれがないですよね。 ──確かにないですね。海外ではレーベルやディストリビューション機能がないとこの方が少ない印象ですが、日本はなぜなんでしょう? レーベルを運営することが大変だからでしょうか? 日本はレーベルの数が圧倒的に少ないですよね。海外とのやり取りは日本の常識とは違う部分も多いし、語学のハードルもあるから当然大変になってきます。そのあたりも一因ではあるともうのですが、その前に行動を起こそうとする人が少ないのが現状だと思います。 ──うーん、月曜日から金曜日はきっちり会社勤めで、金、土の週末にDJをやってますという人が多いからでしょうか? それだと、忙しくて時間もないし、とてもレーベルを立ち上げようとは思わないですよね。 日本のそういった環境にも原因はありますよね。海外でも活躍している日本人アーティストはみんな海外でリリースしているし、レーベルも所属しているし、そういうアーティストが増えてくれることを願ってます。レコードショップに関しても、世界的に見て、やはりディストリビューター兼レコードショップというスタイルのところが主流になってきてますね。

Technique(テクニーク)
Technique(テクニーク)

──そうなんですね。佐藤さんが常にチェックしている海外のディストリビューター兼レコードショップはどこですか? ロンドンのPhonica Records、パリのYoyaku、バルセロナのSubwax、オンラインのみですがJuno Records、ベルリンのdecksとかでしょうか。 Phonica Recordshttps://www.phonicarecords.com/ Yoyakuhttps://www.yoyaku.io/ Subwaxhttp://subwaxbcn.com/ deckshttps://www.decks.de/decks/ ──やはり名店揃いですし、情報発信もきちんとしてますよね。PhonicaとYoyakuは同企画でも取材に行きたいと思っているショップです。最後になりますが、あなたにとっての音楽ってどんな存在ですか? これよく聞かれるんですけど、答えがないですよね。良くも悪くも人生を狂わせてくれた尽きない趣味でしょうか。いつまでたっても探求し続けるゴールがない趣味かな。生業ですけど、趣味の一つが仕事になってるので、”出会ってしまったもの”ですかね。 ──本日はありがとうございました!!

久々訪れたTechniqueはパキっとした空気が流れ、そこに立つスタッフはもちろんのこと、オープンと同時に入って来るお客さんの佇まいさえも良い緊張感が溢れていた。東京の渋谷でありながら、海外のどこかにあるレコードショップのような空気感のある場所。日本を長らく離れていると変化の早い東京について行けず、違和感を覚えることが多い。しかし、ここだけは90年代の宇田川町の面影を残しながら、世界の“今”を感じることができるのだ。エイフェックス・ツイン(Aphex Twin)のロゴが重なったことでも話題となったあのオレンジの看板の先にある“未知との遭遇”を是非とも体感して欲しい。

Technique(テクニーク)

Text by Kana Miyazawa Photo by You Ishii

SHOP INFOMATION

Technique

〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町33-14 久保ビル 2F

Get To Know

FLAKE RECORDSAlffo Records

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サバイブする高岩遼が纏う時間と受け継がれる憧れ【スピードマスター プロフェッショナル 東京2020 リミテッド エディションズ】

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高岩遼、節目の30歳。必然的なオメガとの邂逅

OMEGA

SANABAGUN. THE THROTTLEという2つのバンドのフロントマンであり、生粋のジャズ・ボーカリストである高岩遼。近年は俳優としての一面も見せるなど、縦横無尽に東京をサバイブするこの男も今年、2020年に節目の30歳を迎える。そして時代と年齢が高岩遼に追いつきつつあるこのタイミングで、彼が必然的に出会ったマスターピース・OMEGA(オメガ)。 本記事では、「スピードマスター プロフェッショナル 東京2020 リミテッド エディションズ」と高岩遼によるフォトセッションを実施。また、オメガの歴史やその伝統を振り返りつつ、高岩遼における時計という存在、そして時間への概念などについてのインタビューも行った。高岩遼とオメガ、両者の邂逅を映し出した写真と彼が語る言葉はオメガが持つストーリー性のある魅力とリンクし、なおかつその根底にある浪漫に気付かせてくれるだろう。

最も正確な時計、オメガという名のマスターピース

OMEGA
(左から) 「オメガ 1957 トリロジー” シーマスター300 マスター クロノメーター 60周年リミテッド エディション」 「オメガ 1957 トリロジー” レイルマスター マスター クロノメーター 60周年リミテッド エディション」 「オメガ 1957 トリロジー” スピードマスター 60周年リミテッド エディション」 1957年に誕生したプロフェッショナルダイバーズの原点「シーマスター300」、計時時計の「スピードマスター」、耐磁時計の「レイルマスター」の60周年を記念して発表された復刻モデル。

遡ること1848年、OMEGA(オメガ)は若き時計職人のルイ・ブランがスイスの小さな村、ラ・ショー・ド・フォンに工房を構えたことから始まった。自身の持ちうる最高の力で、“最も正確な時計”を生み出すことに情熱を傾けたブラン。その精神は息子のルイ=ポール&セザールに継承され、高精度のマスターピースを生み出す一流ブランドへと飛躍していった。

OMEGA

時計の正確さと精密さにおいて、オメガは他のブランドと一線を画する。それを実証する事実として、オメガはこれまで人類が成功したすべての月面着陸を含む数多くのNASAのミッションに同行していること、そしてスポーツ界においては1932年以降、単一ブランドとして最多の“オリンピック”の“オフィシャルタイムキーパー”を担っていることは、もっと広く知られてもいい偉業だ。

「時間とは高岩遼。1分1秒、高岩遼であり続けたい」

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「そろそろ時計はしなきゃなと思ってたんですよ。ステージではめちゃくちゃ動くし、壊れそうなのでしなかったけど、最近は身に付けるようになってきた。俺も今年30だし、さらにカッコつけてもいいんじゃないかなと。それに同世代の中でも、男の美学に関しては掘ってきた方なので。こういうお話を今回いただいて、いよいよそのときが来たのかなと思ってます」 これまで時計を身に付けることは多くなかったと語る高岩遼だが、時計自体に対する憧れ、そして興味は人一倍あったという。ただまず彼が惹かれたのは、意外にも時計のギミック。

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「スピードマスター プロフェッショナル 東京2020 リミテッド エディションズ」18Kセドナゴールド&ステンレススティール  価格:858,000円(消費税込)
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「俺は単車も車も好きなので、エンジンの構造とか職人の技術が詰まったギミックを発見するとグッとくる。時計に関してもそういう職人気質を感じるものは好きだし、憧れますよね」

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同時に時計という存在は、高岩遼にとって映画の世界のスターとともに記憶に刻まれた。 「例えば1930年代のイタリアを舞台にしたマフィア映画を見ると、登場人物たちはほぼ時計とピンキーリングを身に付けている。あとはフランク・シナトラとかもそう。映画や好きなミュージシャンを見ると、そういうところに自然と目がいっちゃいますよね、カッケエって」

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最新ボンド ウォッチ「シーマスター ダイバー300M 007 エディション」 1,089,000円(税込価格)2020年2月発売予定
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ダニエル・クレイグ by Greg Williams @gregwilliamsphotography

映画という点で言えば、オメガとは切っても切れない作品がある、それは『007』。1995年以来、ジェームズ・ボンドは映画の中で常にオメガのシーマスターを身に付けてきた。 「オメガは『007』のイメージ。男の身だしなみはボンドから学ぶ一環で、時計はいつも気になってました。確か『ゴールデンアイ』(1995)からですよね。ピアーズ・ブロスナンのときのボンド。俺は車も好きなので、アストン・マーチンのボンド・カーも印象に残ってます」

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「オメガのデ・ヴィル、あれもクラシックなモデルでいいですよね」と、オメガ通な一面も垣間見せる高岩遼。オメガを身に付けた粋なスターやヒーローたちを見てきただけに、今回のモデルに関しても、自分なりのオメガを身に付けたファッションをイメージできていた。 「オメガを身に付けるのでビシッとしようかなと。逆に革ジャンやB-BOYの格好でも合うとは思いますけどね。ただシチュエーションは狙わず、こういう時計を普段の生活で付けてたらカッコイイ。これはサイズ感や重さもちょうど良いし、付けていて……高まるっすね」

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かつて高岩遼が上京し、銀座のキャバレーでジャズ・ボーカリストとして歌い始めたハタチ頃。「テッカテカの黒の細いスーツ。銀座6丁目あたり。センチュリーの隣に立って『時間まだか』『運転手どこ行った』みたいなのをやってましたよ」と語る彼も、いよいよ30代に突入し、男として次のステージへ。そんな高岩遼にとって時間とは? 「時間とは高岩遼。1分1秒、高岩遼であり続けたい。毎秒が高岩遼、そういう時間が多ければ多いほどいい。逆に僕が時間を支配したいと思いますけどね。それと僕の中に何人かいる感覚なので、いろいろな活動していてもそれぞれが全然違う時間なんですよ。でも最終的に俺みたいな。そういう意味では、誰よりもたくさんの時間を経験している自負はあります」

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話を聞いていくうちに、高岩遼とオメガ、両者に共通しているものは“浪漫”だと気付く。

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「時計には男の浪漫がある。それはいい家に住みたいとか、いい車に乗りたいとかと同じでステータスの一つとして。僕はやっぱストリートではありたいので、こういうリッチな時計をしてハイブランドのスラックス履いてるのにスケボーやっちゃうとか、そういう遊びを30代はやりたい。余裕のある、ただガチガチのイケてる男になりたいです。だからこれからも落ち着きたくはないですよ。常に『あいつどこいんの今?』みたいな感じ、良くないっすか?」

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高岩遼の言葉を聞いていると、時計は“憧れ”から手にすることが正当な動機であるように感じる。そして携帯電話を当然に持ち歩くこの時代、時計は単に時間を知るためだけの道具ではなく、自らを輝かせるための嗜好品に姿を変えているのだろう。そしてその輝きが回り回って別の人間の憧れとなる。かつて高岩遼がシナトラやボンドの身に付ける時計に憧れたように。

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「例えば『10分後もうタクシーだろ?』『高岩さん出ます!』みたいな、早くそのクラスになりたい。そういうときにさりげなく時計を見たりして。それがオメガだったら良いよね」 ステージで躍動する高岩遼、ストリートでチルする高岩遼。次にどこかで彼に出会ったとき、その腕にはもしかしたらオメガのマスターピースが光り輝いているかもしれない。

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オメガの歴史を称える限定モデルでカウントダウン

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「スピードマスター プロフェッショナル 東京2020 リミテッド エディションズ」 (各 2,020本/日本限定発売)

象徴的なオリンピックシンボルカラーにインスピレーションを得た5種類のモデルはリミテッド エディションならではのスペシャルな仕上がりに。開催国の日本のみ、各2,020本限定で発売。オメガにおけるアイコンであり、“ムーンウォッチ”としても名高いスピードマスター プロフェッショナルをベースに、オリンピックモチーフを随所に施したスペシャル仕様だ。単一ブランドとして最多のオフィシャルタイムキーパーを務めてきたオメガの歴史にふさわしい、コレクターにとっては夢のようなウォッチとなっている。

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「シーマスター アクアテラ 東京2020 リミテッド エディション」 (世界限定 2,020本)

また、2019年にさらに2本の限定モデル「シーマスター アクアテラ 東京2020 リミテッド エディション」「シーマスター プラネットオーシャン 東京2020 リミテッド エディション」をこちらは世界限定2,020 本でリリース。鮮やかなブルーとスポーティな印象が映える前者と、開催年とJAPANをモチーフにした演出が随所に施された後者。どちらも開幕までのカウントダウンが始まった今、さらに気持ちを高めてくれるタイムピースとなっている。

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「シーマスター プラネットオーシャン 東京2020 リミテッド エディション」 (世界限定 2,020本)

オメガの歴史を称えるようなこれらのモデルは、コレクターはもちろん、オメガというブランドが築き上げてきたストーリー、そしてどのコレクションにも語るべきポイントがあるプロダクトとしての奥深さに、男心をくすぐられた若者やカルチャー好きにこそ身に付けてほしい。

OMEGA オフィシャルサイト

高岩遼

OMEGA

1990年8月27日生まれ、岩手県宮古市出身。平成生まれのヒップホップ・チームSANABAGUN.(サナバガン)、ニュー・サムライ・ロックンロールバンドTHE THROTTLE(ザ・スロットル)のフロントマン。2つのバンドと並行して13人のミュージシャン/アーティストがストリートを舞台にパフォーマンスを行う表現者集団SWINGERZ(スウィンガーズ)の座長としても活動。2013年から2016年12月までの約3年の間にSANABAGUN.、THE THROTTLE、SWINGERZのプロジェクトで行った路上ライブの回数は4000回を超える。2018年2月、New York Times紙発行のモード&ライフスタイル誌『THE NEW YORK TIMES STYLE MAGAZINE』のなかで「Tokyo’s Rising Musicians」(今、アツい東京のミュージシャン)として紹介される等、音楽やファッションの両面において国外からの注目を集めている。日本人離れした太く光沢のある歌声と、路上ライブで磨いたライブパフォーマンスで観衆を魅了する。2018年10月17日、総勢20名以上のミュージシャンを従えてRed Bull Music Studios Tokyoでレコーディングされたソロ名義での待望のデビューアルバム『10』がユニバーサルミュージックよりリリース。このアルバムにて『NISSAN PRESENTS JAZZ JAPAN AWARD 2018』ニュー・スター部門受賞。2019年1月、独立事務所『株式会社オフィス高岩』を設立、代表取締役を務める。同年、俳優活動を開始。2020年2月、本人が主演を務める谷健二監督作品『渋谷シャドウ』が全国公開予定。また''Cheeze''名義で自身の好きを詰め込んだアパレル兼レーシングクラブ『NSRC』を立ち上げるなど、活動は多岐多様にわたる。口癖は「いけるっしょ」。

オフィシャルサイトTwitterInstagram

EVENT INFORMATION

水曜日のスロットル2020Supported by BLAST JAMS!! #2 ''THE THROTTLE'' vs '.999999999''

2月26日(水) 下北沢 GARAGE Open/Start 20:00 詳細はこちら

SANABAGUN. TOUR BALLADS BEYOND

2020年3月7日 (土)名古屋ReNY OPEN 17:15 / START 18:00 2020年3月8日 (日)大阪 BIGCAT OPEN 17:15 / START 18:00 2020年3月12日 (木) 東京 Zepp DiverCity TOKYO OPEN 18:15 / START 19:00 詳細はこちら

photo by 横山マサト interview&text by ラスカル(NaNo.works) 取材協力:GINZA ROOTS TOKYO

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FAKY・Hinaのチェキさんぽ。おいものチップスを食べに川越をぶらり旅

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ゲストを迎え、チェキとともに“ゆかりの街”を歩く連載シリーズ「チェキさんぽ」。第42弾は、5人組ガールズ・ユニオンFAKY(フェイキー)のメンバーであり、大人気の恋愛リアリティーショー番組『月とオオカミちゃんには騙されない(以下、オオカミちゃん)』への出演で注目度急上昇中のHinaさんが登場です。今回訪れたのは、「小江戸」の愛称で親しまれる人気観光名所の川越エリア。普段のクールなアーティストイメージからは少し意外な風情あふれる街並みを「“チェキ” instax mini 90 ネオクラシック(以下、mini90)」と一緒におさんぽしながら切り取ります

Hinaのチェキさんぽ “歩いているだけでも楽しい”

「川越には、『小江戸おさつ庵』のおいものチップスを食べに来ました(笑)!上京してから観光っていう観光をしたことがなくて、一回メンバーとどこか遊びに行こう!って話しながらInstagramでいろいろ調べているときに川越のおいもチップスが出てきたんです。そこからずっと食べたいなって思っていたのですが、なかなか来られなくて。今日やっと2年越しに来られてうれしいです! レトロなものも実はけっこう好きです!川越は、ふだんなかなか見かけないようなものがたくさんあって、歩いているだけでも楽しいですね。」

「ちょうど1年前の2018年に現在活動しているFAKYっていうグループに加入したのですが、そこからの1年間はとにかくついていくのに必死でした。そこから『オオカミちゃん』に出演させていただくことが決まって、一気に環境が変わりました。グループで活動をしていると一人で仕事をすることがあまりなかったし、初めてのレギュラー番組ということで最初は不安だったのですが、メンバーが支えてくれているのもあって、今は本当に自分の素の部分を出す場所とグループを表現していく場所、2つを同時進行でがんばっているからすごく大変だけど、すごく新鮮です。」

川越氷川神社

「うしろに鳥居を入れて自撮りしようとしたんですけど、鳥居が大き過ぎてちょっとしか写らなかったので、鳥居だけ撮影しました。この写真は好き。天気が良くて、空がすごくきれい。」

「境内の椿の花を撮ろうと思ったら、寄り過ぎてお花が写ってなかったんですけど、光がすごくいい感じになってくれて。ふだんもお花を見つけたらけっこう撮っちゃいます。」

「人の気とかをわりと信じるタイプなので、この“人形流し”は出来てすごくうれしかったです。なんとなく気持ちがスッキリするし、身体が軽くなった気がする!」

「魚の形のかわいいおみくじ、大吉でした! 大吉なんて久しぶりなのですごくうれしいです。」

「こんなにたくさん絵馬がかかっているのを初めて見ました。今もし自分で絵馬を書くなら、いっぱいいろんなお仕事が出来ますようにってお願いしようかな。」

「こういうのって真面目にやると照れちゃいますよね。ライブで地方とかに行くと空港に顔ハメのパネルがあるんですけど、あれはよくメンバーと撮ったりしています。」 ……Hinaさんのチェキさんぽはまだまだ続く! 「Cheki Press」でチェック!

Cheki Pressで続きを読む!

Hina(FAKY) 1997年2月19日生まれ。京都府出身。「avex GIRL’S VOCAL AUDITION」で約6000人の中から決勝に進出し、小室哲哉さんプロデュースのガールズグループに抜てきされデビューするも、2018年に惜しまれつつ解散。その後、ブランクを経て「FAKY」のメンバーに抜てきされる。ファッション誌やファッションイベントへの出演経験もあり、モデルとしての活躍も期待される。ストレートの黒髪ロングと抜群なスタイルでティーンから支持を集めている。

詳細はこちら

Text by Misaki Nonaka Photo by Kohichi Ogasahara

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音楽に救われたかつての自分が聴きたかった音楽を──キム・サウォルが歌詞にこだわる理由

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キム・サウォル

音楽に救われたかつての自分が聴きたかった音楽を──キム・サウォルが歌詞にこだわる理由

韓国のフォーク系女性シンガー・ソングライターといえば、イ・ランをまず思い起こすかもしれないが、もう一人、ぜひ注目してほしいアーティストがいる。それがキム・サウォルだ。 2014年に男性シンガー・ソングライターのキム・ヘウォンとのデュオでデビューし、初作『비밀(秘密)』が2015年の『韓国大衆音楽賞』で新人賞と最優秀フォーク音楽賞をダブル受賞。その後ソロとなり、2015年にアルバム『Suzanne』を発表すると、こちらも翌年の「韓国大衆音楽賞」で最優秀フォークアルバム賞を、続く2018年作『Romance』は最優秀フォークアルバム賞・最優秀フォーク楽曲賞を獲得するなど、どの作品も高い評価を得ている。 そんなキム・サウォルが、来る3月に東京で初めての来日公演を行うことが決定した。3月6日に阿佐ヶ谷Rojiにて弾き語りソロ・ライブ、7日はTime Out Café & Dinerにてキーボードのヒジンとのデュオでパフォーマンスする。それに先駆けて、このたび本人にインタビューを敢行。歌詞に多大なこだわりのある彼女の曲作りについて、また日本公演に向けての意気込みを語ってもらった。

【MV】김사월(Kim Sawol) - 누군가에게(Someone)/Official Music Video

キム・サウォル

内面の強さを言葉にしていながらも漂う孤独感に憧れがあった

──サウォルさん楽曲は、歌詞に共感を覚えるリスナーが多いようですね。たとえ韓国語がわからなくても、聴いていると景色が見えてくるのが特徴だと思います。曲作りにおいて、歌詞とトラックをどう関連させて考えていますか? 私は先に歌詞を書いているので、歌詞に合わせて曲を考えています。曲をアレンジするにあたって、音楽的に広げる余地のあったとしても、歌詞にあるメッセージと合わなければ抑制します。 例えば、より悲しい曲調にすることができる場合でも、「悲しい曲だけど、悲しく歌う曲じゃないな」と思ったらそうしません。 つまり、楽曲をアレンジするときは歌詞からエネルギーをもらうこと意識しています。 ──アルバムでは、一つのコンセプトに基づいてストーリーを編んでいるんですよね。2015年のソロ・デビュー作『Suzanne』は「スーザン」という人物を主人公にしています。 『Suzanne』は、ジェーン・バーキンや森田童子など自分の内面を見せるようなフォークに影響を受けて作った作品です。 スーザンとは、私が幼いときに作り上げた人物。私の幼いときや未熟だった青少年期の自分を整理しつつ、アルバム中で成熟した姿を形成したかったんです。私の未熟な時代を慰めたかったアルバムですね。

【MV】김사월(Kim Sawol)- 접속(Signal)/Official Music Video

──つまり、自分の過去の姿をスーザンに投影させているというイメージ? そうだと今では思っています。ただ、作品に私の若い頃の情景が入っていたとしても、捉え方によっては他人とも捉えられるんじゃないでしょうか。 誰にでも未熟な時期はあるし、思春期の思い出や誤解ばかりの恋の思い出もあるはず。でも、ちょっと成熟した今だから言える「それでも大丈夫だよ」というメッセージを伝えたかったんです。 ──先ほど、ジェーン・バーキンや森田童子の作品に影響を受けたとおっしゃっていましたが、『Suzanne』はフランソワーズ・アルディ『La Question(私の詩集)』からも着想を得ていると聞きました。楽曲の雰囲気など、共通する部分は多くあるなと思います。 そうです! 大好きなアルバムなんです。特に、アレンジにおいてインスピレーションを受けました。主にギターでリズムを作って、そこにストリングスのセクションを乗せていくところですね。 フランソワーズ・アルディはボーカルが繊細で、歌詞にも孤独が滲んでいます。そこには自身の内面が表れていて、それをストリングスで隠しているような感じを参考にしました。 ──儚さのある歌唱もサウォルさんに通じますね。 声が細くて柔らかいシンガーが、内面の強さを言葉にしていながらも漂う孤独感みたいなものに憧れがありました。森田童子もフランソワーズ・アルディも、自身の孤独についての話をしていますが、声はクラシカルで美しい。このような作品に出会って、私もこういう表現をしたいと思うようになったんです。

キム・サウォル

「世の中にどんなメッセージを音楽としてアウトプットしたいか」が原動力

──2作目の『Romance』(2018)は、アコースティックなフォーク作品だった前作『Suzanne』から変わって、エレクトリックなバンド・サウンドも取り入れた明るい雰囲気も加わりましたね。音楽的な幅が広がっているのが印象的でした。 『Suzanne』はフォークをベースに制作したのですが、『Romance』はフォークから出発しつつも、さまざまなアレンジをしてみたかったんです。聴きやすいバンド・サウンドも、このアルバムで表現したかった、「悲しくも鋭くもある中にロマンスがある」というコンセプトに合うんじゃないかと思ってチャレンジしました。 ──歌詞は「自分を愛することのできない2人が出会ったら、どんなストーリーが広がるか」をテーマに、その2人を主人公にしたお話が展開されていますね。 愛に関する曲がたくさんできたときがあって、その”愛の時代”が終わったときにこの曲たちをどうまとめるかを考えていたときに、タイトル曲の“Romance”ができました。 この曲の中に、「私を愛するより先に、自分を愛したほうがいいってあなたが言ったじゃない。でも、あなたもそれができないじゃない」という歌詞があって、それがまさに「自分のことを愛することができない2人のロマンス」というアルバムのコンセプトのベースになっています。 自分のことを愛することができない2人のことを慰めたい気持ちを込めて作りました。

【MV】김사월(Kim Sawol) - 로맨스(Romance) - Official Music Video

──前作『Suzanne』とつながる部分もありますか? 『Suzanne』の最後の曲“Bedside”は、自身を愛することができないスーザンが、人を愛するとどうなるのか、というお話なので、ちょっと関連があるかもしれませんね。

【MV】Kim Sawol(김사월) - Bedside(머리맡)

──サウォルさんの世界観は、曲単体というよりもアルバムで伝えるのが合っていると思いますか? そうかもしれません。アルバムのどの曲から聴いても、あるいは1曲だけ聴いても、「これじゃ意味がわからない!」というのはないと思います。 でも、「自分が今、この世の中にどんなメッセージを音楽としてアウトプットしたいのか?」が、私のアルバムを作るエンジンになっているんです。そのほうが、リスナーにより“私がなぜアルバムを出したいのか”を理解してもらえる気がして。なので、アルバムで世界観を作ることに興味がありますね。

文字から伝わる感情にこだわりがある

──そのように、サウォルさんが音楽を介して自分のメッセージを伝えたいと思うようになったきっかけは何だったのですか? 昔から音楽を聴くことが大好きで、中でも“音楽の中の世界”を理解することが好きでした。それによって自由を感じたり、自分の辛い現実から逃避したりすることができたんです。 こうして音楽の中では自分の感情を全部表現してもいいということがわかったときに、じゃあ自分も曲作ってみようとなりました。 私が若い頃は、自分が話したいことを遠まわしに表現したりして、直球で何かを言うことができない性格だったんです。そこで、日記のように歌詞を書いて自分の話をすることが気持ち良かった。 ──音楽はたくさん聴いてきたと思うのですが、中でも影響を受けたアーティストはいますか? うーん……たくさんいるのですが……この間ミュージシャン同士の飲み会で「一番影響を受けたアーティストを挙げてみて」と話していたときに私が挙げたのは、エイミー・ワインハウスと椎名林檎でした。あとは、エアロスミスやセルジュ・ゲンスブールはよく聴いていましたね。

キム・サウォル

──ゲンスブールの名前が挙がりましたが、『Suzanne』を制作するにあたってはジェーン・バーキンやフランソワーズ・アルディの影響が大きかったとおっしゃっていて、やはり今のサウォルさんを語るのに、70年代のフレンチ・ポップは鍵になっているのかなと思いました。 大学時代は私が辛かった時期で、その頃よく聴いていたのがセルジュ・ゲンスブールをはじめとするフレンチ・ポップ。特に、ジェーン・バーキンが参加したセルジュ・ゲンスブール『Histoire de Melody Nelson』というアルバムが好きでした。 これは、中年男性がメロディ・ネルソンという少女と出会って愛し合い、その後別れを迎える様子が描かれているのですが、そういったコンセプチュアルな作品の作り方にはすごく影響を受けたと思います。 ──リスナーとしても、聴く音楽の歌詞は重要なんですね。 歌詞は重要です。私は人生でずっとカタルシスを追いかけていて(笑)、何にしても刺激的なものが好きなのですが、特に文章で伝わる刺激的な感情が好きなんです。 韓国にはかつて、“インターネット小説”という一般人が書いた小説があって、その中でも刺激的だったり、すごく悲しかったりなど、強い感情が表れているものを好んで読んでいました。それくらい、文字から伝わる感情にはこだわりがありますね。 ──ここまでお話を聞いてきて思うのが、ゲンスブールなどを聴いていた、いわばサウォルさんのモラトリアム期にご自身が聴きたかった音楽を、今みずから作っているような感じではないですか? あー……いまさらですが、そういう風にかつての自分に感じてもらえる音楽を作ってきたのかもしれません。そのように言ってくださってありがとうございます。 ──では、今度の来日公演のお話を聞かせてください。今回が初めての日本でのパフォーマンスということですが、日本でライブをしたいと思ったきっかけは? 椎名林檎さんのせいです……(笑)。半分冗談ですが、半分は本当で、私の世代は日本の音楽にたくさん影響を受けているんです。つまり、自分が影響を受けた音楽の本場で公演をするということですし、自身の成長を感じられるんじゃないかと思って。なので、とても楽しみです。 東京へ行ったらレコートショップへ行ってドキドキしたり、(東京事変“群青日和”の歌詞に出てくる)新宿の伊勢丹に行って気分良くなったり(笑)、そういうことを日本で体験したいです。

김사월(Kim Sawol)- 마이 러브(MY LOVE) with 박희진(Park Heejin):신촌전자 라이브 Sinchon Electronics Live

──椎名林檎のほかに、よく聴いていた日本のアーティストは? aikoさんや坂本龍一さん……あとは青葉市子さんも大好きです! 青葉市子さんのライブを韓国で見て、そのとき恋に落ちました(照笑)。いつか必ず日本でライブを見たいです。 あと、イ・ランさんのプロデュースも手掛けている角銅真実さんが韓国でライブを行ったとき、ゲストとして私を呼んでくれて。そのときに角銅さんとお話したら、スピリチュアルな感じが合うなと思って、気になっています。 ──現行のアーティストもいろいろ聴いているんですね! 最後に、このインタビューを読んでくれている方にメッセージをお願いします。 テレビの番宣のように軽い感じで「(来日公演を)見にきてください」と言うことはできないのですが、自分がこのように海外でライブをすることがどれだけラッキーなのか、どれだけ幸せなことなのかを感じています。 言語は繋がらなくても音楽では繋がることができると思いますので、音楽的な対話をとても楽しみにしています!

キム・サウォル

インタビュー/構成:加藤直子 通訳:キム・デジョン

KIM SAWOL(キム・サウォル) 2014年、フォークデュオ『KIM SAWOL X KIM HAEWON』としてデビュー。以来、独創的な楽曲を発表し続けている韓国のSSW。 喪失と希望を繰り返すKIM SAWOLの文学的な歌詞は、個人の経験から出発しつつリスナーの共感を引き出す力を持っている。 TwitterInstagramYouTubeDiscography

『SUZANNE』(2015) 1stソロアルバム『スーザン』は、彼女自身が人生において立ち向かってきた時間を、スーザンという架空の人物に落とし込んで作られた作品。 幼い頃の自責、切ない恋、思春期の反抗心が込められており、アルバム最後の曲“BEDSIDE, 머리맡”でスーザンからKIM SAWOLへと目覚めていくこのコンセプトのもと作られた作品は、全11曲すべてをKIM SAWOL本人が作詞・作曲を担当。 2016年には第13回韓国大衆音楽賞にて『最優秀フォークアルバム賞』を受賞した。 『スーザン』は、森田童子やジェーン・バーキンなどの、「実存の危うさ」という伝統の上でより豊かに理解することができる。透明な音色に歌詞の絶望感が鋭く織り込まれたKIM SAWOLの音楽には、1970-80年代を思わせるフォークコンセプトや夢幻的な退廃美がこもっている。

キム・サウォル

『SUZANNE』(2015)

『Romance』(2018) 2ndフルアルバム『ロマンス』では、ユニークな音楽方法論を織り込み、囁くようなボーカル・抑制されたフレンチ・フォークのスタイルを通じて、愛という感情が人間に与える意味、そのすれ違いや傷が生む悲しみを解き明かす作品だ。 『ロマンス』によって、KIM SAWOLは2019年 第16回韓国大衆音楽賞で『最優秀フォークアルバム賞』、『最優秀フォーク楽曲賞』のダブル受賞を記録した。 「自分を愛することができない二人が出会ったら、どんなストーリが広がるか?」というテーマで始まった12曲のストーリーテリングアルバム『ロマンス』は、恋をして体と心を分かち合い結局は別れてしまう、人類が数限りなく語ってきた愛の物語である。 その意味において、『ロマンス』はラブソングブックでもあり、「スーザン」と呼ばれた人物が愛に関して考えてきた具体的で内密な感情の嵐でもある。 個人の愛という藪の中を全身で立ち向かって進んで行く物語『ロマンス』は、不安な現在を生きる今の世代に共感と労りを伝えている。

キム・サウォル

『Romance』(2018)

KIM SAWOL LIVE in TOKYO

キム・サウォル

2020.03.06(金) OPEN 20:00/CLOSE 23:00 ENTRANCE ¥1,000(+1drink order) at cafe&bar Roji

《artist》 Kim Sawol(acoustic)

Roji

2020.03.07(土) OPEN 18:00/CLOSE 22:00 ENTRANCE ¥2,000(+2drink) at Time Out Cafe&Diner

《artist》 Kim Sawol(with piano) mei ehara

《DJ》 MINODA(Slowmotion/MSJ)

Time Out Cafe & Diner

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真鍋大度が語る、音楽がもたらす創造の世界

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『Always Listening』がお届けするインタビューシリーズ。「超越」をテーマとして、このキーワードに紐づく人物にフォーカス。創造、表現、探求、感性、そして、なにかに没頭したからこそ感じることができる超越的体験について語っていただく。 第1回目に登場するのは、真鍋大度氏(Rhizomatiks/Rhizomatiks Researchディレクター)。 Perfumeのライブ演出における技術面でのサポートや<リオ2016大会閉会式東京2020フラッグハンドオーバーセレモニー>の演出サポートなど、革新的なビジュアルを次々と世界に向けて発表してきた。また、真鍋氏は幼少期より音楽に触れる機会が多く、現在はアーティストとしてDJや楽曲制作も行っている。映像から音楽表現まで、真鍋氏のクリエイティビティを掻き立てるもの、そのなかに在る“超越”とはなにか?
Perfume x Technology presents Reframe NHK Hall photo by Yosuke Kamiyama
Daito Manabe + Satoshi Horii “phaenomena” at Sónar Istanbul ©️photo by Digilogue

Interview Daito Manabe

━━真鍋さんは映像演出をはじめとして幅広い分野でお仕事をされていますが、“自分の核となるものは音楽と数学”だとよくお話をされていますよね。音楽は真鍋さんにとって特別なものですか? 僕の家は祖父がオーディオマニアで、父親がミュージシャン、母親がシンセサイザーの音色制作の仕事をしていたので、音楽は常に身近にありました。ただ、小さい頃はそれがイヤな時期もあって、小学生の時に父親にMiles Davisを聴かされていましたが、正直よく分からないなあと思っていましたね(笑)。ピアノを習わされていて人前で演奏するのもイヤでしたし、どちらかというと音楽にはコンプレックスを持っていました。 ━━その真鍋少年が音楽にのめり込むようになったきっかけは何でしたか? 中学に入ってから、たまたま家でケーブルテレビが見られるようになったんです。そこでやっていたのがMTVの『YO! MTV Raps』という音楽番組で、それがきっかけでヒップホップやハウスとか、90年代頭に流行っていた海外の音楽にハマっていきました。当時だと、Public Enemy、Pete Rock &C.L.Smooth、Lord Finesse、Gang Starr、A Tribe Called Questなど、東海岸のヒップホップを特に好んで聴いていましたね。 ━━その頃はまさにMTV全盛の時代ですね。 そうですね。MTVにはすごく影響を受けました。ミュージック・ビデオも面白かったですし、中高生の頃はその影響で音楽にどっぷりはまっていました。渋谷のタワーレコードに通って、いらなくなった宣伝パネルを店員さんからもらって家に飾ったりしていました。 ━━音楽を始めたのも同時期ですか? 高校に入ってDJを始めました。トラックの作り方の勉強やビートの打ち込み、サンプリングをするうちに、ヒップホップの元ネタを探すようになり、そこからジャズを聴きはじめました。この頃から、家にあった両親が持っているレコードの価値に気づいたんです。 ━━両親がミュージシャンで楽器に触れる機会が多かったにも関わらず、真鍋さん自身が選んだのはDJで、好きなジャンルがヒップホップだったというのは面白いですね。 うちは父親がかなりファンキーで、中学の頃に趣味でギターを始めたらプロ目線の指導をし始めたり、「DJをやるなら大学を辞めてニューヨークに行って来い」と言いだしたりするようなタイプの人でした。そういう父親に対する音楽のコンプレックスがあって、ドラムを叩けなくてもドラムマシーンさえあればビートが作れる、楽器ができなくてもサンプリングをすれば音楽が作れる。それを網羅できるのがヒップホップで、僕のなかでより魅力を感じたのだと思います。 ━━学生時代から音楽活動をスタートして、大学卒業後も音楽をメインに仕事をしていくというプランはなかったのですか? 結局、音楽活動はだんだんと行き詰まってきてしまって。何しろ才能がなくて、PeteRockやDJ Premierに憧れてモノマネをしていただけでしたから(笑)。何事もモノマネだけでは限界がありました。同じ時期に大学で学んでいた数学も非常に抽象的なものばかりでしんどいなと思いはじめ、何か数学に対して面白いことはないかなと探していたときに、一冊の本に出会ったんです。それがIannis Xenakisの『音楽と建築』という本です。著者は現代音楽家であり建築家でもある人で、その本は代数学と確率論を使ってメロディのパターンや音像を作るという内容でした。音楽と建築を数学的な手法で作るという内容に興味を持って、それまでただのヒップホップDJだったのが、少しずつ今仕事にしているような分野に進みはじめました。 続きはこちら

Text & interview by Akihiro Aoyama Photo by Akinori Ito

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トロント・インディーシーンのキーマン、サンドロ・ペリの哲学とは?

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音楽を作るということは自分の想像力に動きをだし、もう少し「リアル」にするということーーサンドロ・ペリ

カナダ/トロントのインディーシーンの最重要人物、サンドロ・ペリ(Sandro Perri)が新作『Soft Landing』を携え、2017年以来となる来日公演を果たす。今回は単独公演に加え、これまで共演経験のあるROTH BART BARRONやKUDANZも出演する山形での「肘折国際音楽祭2020」にも出演することが決定しており、日本のバンド、アーティスト経由で彼の音楽に触れたリスナーにとってはそのセンスや音楽性に通底する何かを楽しめる機会でもある。 サンドロ・ペリ(以下、サンドロ)を一言でどんな音楽家なのか説明するのはむずかしい。トロントを拠点にシンガーソングライター、作曲家、プロデューサーとして活動する彼は、ソロと並行して音楽性ごとにPolmo Polpo、Glissandro 70、Off Worldなど名義を使い分けている。それでいて、サンプリングをベースにしたエレクトロニックサウンドなテイストの本人名義の作品タイトルが『Plays Polmo Poplo』(2006年)であったりするために、リスナーはどことなく「サンドロの作るサウンドや世界観」に信頼を寄せてきた。彼の個人名と作品が結びついたのは2011年リリースの『Impossible Spaces』からだろう。 その後、長尺のタイトルチューンを1曲目に配したアルバム『In Another Life』を2018年に、さらにコンスタントに翌年には『Soft Landing』をリリース。一つのテーマの中で徐々に移ろいを見せる展開は、それがエレクトロニックなサウンドでも、生楽器でもいわゆるポップソングの構造を持たないし、特定のジャンルへの拘泥はない。にもかかわらず、難解さはなく、しっかりと連綿と続いてきたミュージックヒストリーへの愛情が窺えるのだ。 ミックス・エンジニアとしてTurntable Filmsの『Small Town Talk』を手掛けたり、ROTH BART BARRONがトロントでライブを行った際には共演のみならず、ライブPAを行うなど、日本のバンド/ミュージシャンにもファンが多いサンドロ。今回の来日を前に、改めてマジカルな彼のサウンドを紐解くため、ルーツとなっている音楽やコンスタントなリリースの理由などをメールインタビューで問いかけてみた。

interview:サンドロ・ペリ

――今更ながらの質問なのですが、あなたにとって音楽的にもっとも重要なルーツになっている音楽家、アルバム、曲とその理由を教えてください。 答えるのが難しい質問だけど……ここ50年間の中から僕が大好きなレコードをピックアップしてみたよ。
70年代 Gil E Jorge / Gilberto Gil & Jorge Benjor 素晴らしいレコード。 たまたま自然に出会った2人のベテランがお互いの曲を自由に演奏しながら歌っているんだ。ジョルジ・ベンはこのアルバムをリリースするにはあまりにもワイルドすぎると思っていたそうだけど、最終的にリリースすることに賛成してくれてありがたい。
80年代 Peter Zummo / Zummo With An X とても深いサウンドだね。美しい構成とメンバー同士のシナジーにはとても刺激されるよ。何度も聴いているけど、いつも僕を別世界へ連れて行ってくれる。
90年代 Sonny Sharrock / Ask the Ages 僕の“人生を変えた”レコードの中の一枚だね。僕の音楽に対する姿勢を変えくれた。これは“ジャズ”カルテットなんだけどギターがロックのレコードのように重なっているんだ。献身と不敬がお互いに調和しているんだ。ビル・ラズウェルによるバンド構成と演出は天才的だよ。ソニー・シャーロックは僕の“ギターヒーロ“だね。
2000年代 Sparks / Lil Beethoven スパークスは大好きだね。2人とも素晴らしいソングライターだし、とても面白いよ。このレコードは彼らの天邪鬼な性格の中にある純粋な部分が出てきた作品。このレコードには不快で、大げさな “Pro Tools”的な感覚があって、その偉大さがさらに衝撃的なんだ。このレコードは一般ウケはしないかもしれないね!
2010年代 ASA-CHANG&巡礼 / まほう ASA-CHANG&巡礼(以下、ASA-CHANG)の中だったら『花』が一番好きなアルバムだと思っていたんだけど、このレコードはレベルを超えていったね。ASA-CHANGは僕の音楽のヒーローの中の1人だよ。このアルバムを50年後に聞いても先を行っている音楽だ、と感じると思うな。歌詞の翻訳が欲しいよ!
――それらの音楽は今のあなたの音楽にどのような形で生きているのでしょうか。 これらのレコードがどのように僕の音楽に反映しているかわからないな。 僕は好きなアーティストの精神や音楽から学ぶようにしているんだ。これらの音楽をただ聴きながら日々を過ごしているだけで僕の人生をとても良いものにしてくれる。僕が音楽を作る時のゴールは、常に頭の中に浮かんだサウンドを見つけることだけなんだ。 ――前作『In Another Life』がソロ名義では7年ぶりだったことに比べ、新作『Soft Landing』は1年という早いスパンでのリリースとなりました。アイデアや曲がすでに前作の時点で溢れていたのでしょうか。 アイデアは常にあったよ。ただ、スケジュール的に個人的なレコーディングができなかったんだ。2016年に1ヶ月間スタジオを借りて両方のレコードを一緒に制作したんだ。選ぶ曲がたくさんあったんだけど、数年間かけてゆっくり削っていったんだ。 『Soft Landing』に収録されている曲は実は『In Another Life』に入っている曲より古いんだ。 ――『In Another Life』は「終わりなきソングライティングへの実験」をテーマに掲げていましたが、それは例えばタイトルチューンの『In Another Life』が24分の長尺でありつつ、「長い」と感じさせない曲作りを意味していますか?それともまた違った意味でしょうか。 リスナーによって時間の認識が違うというのは面白いことだと思う。「無限」という言葉は、始まり、中間、終わり、といった「弧」がないため、再生時間が長くても曲の性質が変わらないことを意味するんだ。曲の一編、一編がそのように感じるように設計されている。また、誰もがそこに歌詞を書くことができて、それでも曲の性質が変わらないから「無限」なんだ。 ――日本のファンだけでないと思うのですが、あなたの近作をみんな「永遠に聴いていられる」と言います。あなた自身には作曲やアレンジの段階でそういう意図はありますか? 今までもらった言葉の中でも最高の褒め言葉だね。僕の曲制作の意図は音を作るということだけなんだ。そうしたら、僕にも聞こえるからね。滅多にないことだけど、うまく仕上がった長い曲は好きだよ! 他の人に僕の音楽を聴いてもらえることはとても光栄だし、何回も聴きたいって思ってくれることは嬉しいことだよ。 ――新作『Soft Landing』の1曲目“Time”も16分の長尺ですが、前作とは違い、シンセやエレクトロニックな要素は減ったと思われます。むしろトロピカリズモや南米のニュアンスも感じる生音のアンサンブルですが、この変化はどのようにして起こったのでしょうか。 僕にとってそんなに大きな変化ではないよ。どんなサウンドでも聞こえたら使うよ。エレクトロニックなサウンドは純粋さがあるし、アコースティックは人工的に聞こえることもある。ただサウンドや状況によって違うだけ。作曲をしている時の僕の責任はどんな音でも頭の中にあるモノを見つけることだよ。 Sandro Perri | "Time (You Got Me)" Edit
――“God Blessed The Fool”におけるスウィートなソウルの要素はあなたのルーツにあるものですか?この曲のミックスやエンジニアリングにおける留意点は? そうだね、スウィートソウルは大好きだよ。アラン・トゥーサン、スキップ・ジェームス、ジミー・スコットなど……ずっと挙げていられるよ。この曲をミックスするのは難しくて、完全に満足したわけではなかったんだけど、制作を終わらせたよ。 Sandro Perri | "God Blessed The Fool"
――ラストのタイトルチューン“Soft Landing”でのアーバンなギターサウンドと温かいオルガン・サウンド、パーカッションの融合とこのゆったりしたテンポで表現したかったこととは? 僕は常に重力のない無重力の感覚をさがしているんだ。この曲ではそんな気持ちを表現したかった。 Sandro Perri | "Soft Landing"
――新作は世界のどこかにありそうでない場所をイメージさせるアルバムだと感じました。あなたにとってはこの新作は架空の場所の創造なのか、具体的な音楽要素をミックスする実験だったのか、もしくは前作に続き「終わりなきソングライティングの実験」だったのでしょうか。 『質問の中で上げてくれた』3つの解釈は曲が作り終わってから思いついたことなんだ。最初の意図はとにかく頭の中にある音楽を形にすることだった。どんな物で、どんな試みになるかは曲を作り始めるまでわからないこともある。時には終わるまでわからないこともあるし、何ヶ月か何年か経ってから、別の理解を深めていくこともある。何を、何故といった考えは曲制作とは別のことなんだ。別の言い方をすると、音楽を作るということは自分の想像力に動きをだし、もう少し「リアル」にするということなんだ。 ――あなたの音楽は未知の世界であるにもかかわらず、安堵と好奇心を満たしてくれるのですが、そこには時代性は関係しているのでしょうか。 安堵と好奇心は良い組み合わせだね! 音楽を楽しみ、好奇心を抱くと言うことはその音楽を「信頼」する必要があるしね。音楽を作る時に意識的に時代を反映させようとは思っていない。どんな音楽を作ったとしてもその時代のサウンドになると思っているからね。70年前の機材とテープマシンを使ってドゥーワップレコードを作ることはできるかもしれないけど、結局自分が生きている時代の経験を反映させたものになると思う。 ――ところでトロントの音楽シーンは2010年代にどのような変遷を遂げたと思いますか? (トロントの音楽シーンは)常に変わっている。トロントはカナダで1番大きな都市で多種で違うスタイルを持った多くのミュージシャンがいるよ。2010年で起こっていたことは、現在では消え様々な関心を持つ違う世代に入れ替わっていく。僕はトロントの音楽シーンの2%くらいしか知らないよ。多分もっと少ないかな! ――トロントのインディーシーンで注目のアーティストは?あなたがプロデュースしたIsla Craigの魅力、他にもThomas Gillなども今聴いておいた方が良い? Thomas Gillは素晴らしいミュージシャンだよ。彼は世界中のあらゆる曲を覚えてあたかもヨーヨーをしているみたいに演奏できるんだ。もし、彼のことが好きなのであれば“Bernice”というバンドを聴いてみるべきだね。僕はIsla Craigをプロデュースしたわけじゃなくて、何年か前に彼女のレコードをミックスしたことがあるだけ。彼女の声はとてもユニークだよ。 ――日本の30代ぐらいのアーティストにあなたの作るサウンドに絶大な信頼を寄せている人たちが多いのですが(Turntable Films井上さんやROTH BART BARONの三船さん)、彼らの音楽にサンドロさんが感じるものとは? 両バンドとも好きだよ。以前Turntable Filmsのアルバムをミックスしたことがあるから彼らをよく知っているしね。(井上)洋介のギター演奏は大好きだよ。 ――井上さんも三船さんもサンドロさんは自分の感覚で必要のない音はバッサリ切るし、エフェクトもガンガンにかけてくる、それも彼のセンスを信用しているのでむしろ良くなるとインタビューで読んだことがあります。ミックスにおける哲学はありますか? 彼らがそう言ってくれてることはありがたいことだね! 僕の哲学は歌の「スピリット」を見つけ出すことなんだ。それが時にモノを取り除くということを意味することもあるし、特定の音の特徴を得るために編集や処理を行うという意味になることもある。時には何もしないということがベストな時もある。ミキシングを説明するのは実はとても難しいことなんだ。サーフィンみたいに常に次の波を急いで追いかけているようなものかな。 ――前回2017年の初来日公演で印象に残っていることは?また各地で共演したキセル、渚にて、ASA-CHANG&巡礼についての印象やエピソードはありますか? 3バンドともとても素晴らしかったよ。キセルは知らなかったんだけど、(彼らの音楽には)感動したし、彼らと話していて楽しかった。ASA-CHANG&巡礼は20年間くらいずっとファンなんだ。彼らが一緒にライブをやってくれると知った時の興奮は説明できないほどだよ。初めてレストランでASA-CHANGに会った時はスーパースターに会ったみたいでとっても緊張したよ。名古屋(のライブ)でサウンドチェックが始まった最初の10秒から開いた口が塞がらなくなったよ。彼らの音楽を聴いている時はずっと子供みたいになっていた。本当に最高な音楽だよ! ASA-CHANGは今生きている偉大な作曲家の中の1人だと思う。 渚にては知っていたんだけど、そんなに詳しくは知らなかったんだ。彼らと出会い、実際の演奏を聞けたのはとても良い経験になったよ。彼らとは2回ライブで共演したから、少し話すことができたしね。彼らの音楽がもたらしてくれる感覚が大好きなんだ。彼らのレコードは全部買ったよ。シンジ(柴山伸二)が教えてくれた頭士奈生樹の“III”というアルバムにも恋に落ちてしまったよ。 ――今回は約3年ぶりの来日で、どんなメンバーでのライブになりますか?(前回と同じトリオ編成でしょうか)。またセットリストは新作が中心になるでしょうか。 今回は新しいバンドと一緒に演奏するよ。セットリストの何曲かは前回と同じ曲で、新しい曲もいくつか披露するつもりさ。バンドメンバーは、ドラムにブレイク・ハワード、ベースにジョシュ・コール、そしてキーボードにトーマス・ハマートンの3人で出演する予定だよ。 ――今回は地方のフェスティバルである<肘折国際音楽祭>にも出演されます。出演することになった経緯とは? 僕の日本人のプロモーターが全てアレンジしてくれているんだ。彼の提案には全て二つ返事で「YES」だよ! 肘折には一度も行ったことがないから楽しみにしているよ。 ――この音楽祭にはROTH BART BARONらが出演しますが、気になっているバンド、ミュージシャンはいますか? ROTH BART BARON にまた会えるのを楽しみにしているよ。トロントで一緒に演奏したんだけどとっても楽しい夜だったしね。KUDANZとも前回東京で一緒に演奏していて、Phewに会えるのも楽しみにしているよ。他のアーティストはまだ知らないからサプライズになるね。 ――最後に日本のファンに向けて、メッセージをお願いします。 僕はライブに来てくれる人たちとの出会いが大好きなんだ。日本のオーディエンスのライブでの聞き方には感謝しているよ。恥ずかしからずに、ぜひショーの後声を掛けに来てください!

Text&Interview by Yuka Ishizumi

INFORMATION

<SANDRO PERRI JAPAN TOUR 2020>

2020年3月5日(木) Shibuya WWW 開場19:30 / 開演20:00 ¥4,800(税込) 020年3月7日(土) 肘折国際音楽祭 2020 山形県最上郡大蔵村 肘折温泉 肘折いでゆ館 ゆきんこホール 開場12:00 / 開演12:30 【出演】 Dr.A.SEVEN KUDANZ(band set) Sandro Perri(Canada) 寺尾紗穂 betcover!!(弾き語り) ROTH BART BARON 詳細はこちら

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