英ブリストルで結成され、14年にデビュー作『Dismantle And Rebuild』を発表すると、その後ステレオフォニックスのツアーに参加。16年に2作目『Part Time Spies』を発表して、<FUJI ROCK FESTIVAL’17>(以下、フジロック)への出演のため初来日した5人組、ザ・ラモナ・フラワーズ(The Ramona Flowers)。来日直前には、ニューEP『MAGNIFY』に日本盤ボーナストラックを追加した国内盤もリリースされた。
The Ramona Flowers - Skies Turn Gold
新曲“If You Remember”“Take Me Apart”“Numb Drunk”の3曲に、過去曲、日本人アーティストによるリミックス、ライブ音源をコンパイルしたこの作品は、インディ・ロックやニュー・ウェイヴ、エレクトロまでを取り入れた音楽性や、グラム・ロックやUK耽美派、もしくはニュー・ロマンティックを思わせる英国特有のメロディを持つ彼らの最新形と過去とがまとめられたまさにバンドの入門編と言える内容。
アメリカ南部に息づくブルース、カントリー、ソウル、ジャズ……。それらルーツ音楽の土着的な伝統は、オールマン・ブラザーズ・バンドやレーナード・スキナードといったバンドの台頭によって60年代から70年代にロックと邂逅し、今現在まで連綿と続くサザン・ロックの豊かな歴史を形作ってきた。その系譜の正統後継者と言うべき、若きギター・ヒーロー。それがマーカス・キングだ。
いまだ21歳という驚異的な若さのマーカス・キング率いるマーカス・キング・バンドは、2014年に自主リリースしたデビュー・アルバム『ソウル・インサイト』が話題を呼び、オールマン・ブラザーズ・バンドのウォーレン・ヘインズとデレク・トラックスに見初められることに。ウォーレン・ヘインズのプロデュースの下、デレク・トラックスもゲストとして参加した最新作『マーカス・キング・バンド登場!』は、米ビルボードのブルース・アルバム・チャートで2位を記録するなど、サザン・ロック・シーンに彗星のごとく現れた神童として、アメリカを中心に注目を集めている。
初来日となった<FUJI ROCK FESTIVAL ‘17>では、金曜深夜のCRYSTAL PALACE TENTと土曜のFIELD OF HEAVENで二度のパフォーマンスを成功させ、ライブ・バンドとしての実力を見せつけたマーカス・キング・バンド。
今回のインタビューの席には、パーマネント・メンバーであるジャック・ライアン(ds)、スティーブン・キャンベル(b)、ジャスティン・ジョンソン(tp, tb)、マット・ジェニングス(org, key)、ディーン・ミッチェル(sax)の5人も同席。物心がつく前から楽器と音楽に囲まれて生活してきたという幼少期からバンドの結成を経て、最新作『マーカス・キング・バンド登場!』をリリースするまで、マーカス・キングのこれまでの経歴を中心に話を聞いた。
Interview:マーカス・キング・バンド
——今回はマーカス・キング・バンドにとって初めての来日となりますが、まずは日本の印象を聞かせてください。マーカス 美しいところだね。まるで俺達の地元みたいだよ、湿気もすごいし(笑)。
スティーブン 俺達の地元もセミがよく鳴いてるから、本当にサウスカロライナに似てると思うよ。日本の文化もとても興味深くて、五感を刺激されてるような気がする。
——あなた方は<FUJI ROCK FESTIVAL ‘17>に出演されたばかりです。あなた方の出番は金曜深夜のCRYSTAL PALACE TENTと土曜のFIELD OF HEAVENでしたが、日本で二度パフォーマンスしてみて、いかがでしたか?マット 金曜の深夜と、土曜の昼間の出演だったから、実質一日に二回ステージをやったようなものだったんだよ。どちらも、とにかくオーディエンスが素晴らしかったね。
マーカス 俺が聞いた話だと、金曜深夜に演奏した会場のテントはオランダ製で、建てるのに6日、解体するのに2日くらいかけて、いろんな国のフェスを回っているらしいんだ。そんなテントで演奏できるなんて、とても名誉なことだと思ったよ。
マット 次の日のステージは、お客さんの向こう側に山が見えて、小雨が降って霧がかっていたんだけど、その雰囲気もマジカルな感じがして良かったな。
THE MARCUS KING BAND - "Rita is Gone" (Live at JITV HQ in Los Angeles, CA) ——マーカスは幼少の頃からお父さんとお祖父さんの影響で、ギターを弾き始めたそうですね。最初にギターに触れたのは何歳くらいの頃でしたか?マーカス 3歳の時だね。俺の祖父はフィドル奏者だったし、大叔父や大叔母はゴスペルを歌っていたりして、音楽は常に生活の一部だった。3歳で初めてギターを手に取った時、すごい解放感が感じられたのを覚えているよ。その当時は自覚もなかったんだけど、後から振り返ってみると、自分にとってギターは感情を吐き出すための純粋なツールだった。幼心に、これが自分に最もふさわしい楽器なんだってことだけは分かっていた気がする。
——どういう風に楽器を教わったのですか? マーカス もちろん実践的な弾き方を教わったこともあるけれど、自然と身についていったという方が正しいだろうね。昔から家に楽器がたくさんあって、ハイハイをしている頃から気づいたら自分から楽器を触りにいくような子供だったらしいんだ。小さい時はドラムを演奏するのが好きで、親はギタリストよりもドラマーになるんじゃないかと思ってたみたい。
――それからギターへと興味が移っていったきっかけは何でしたか?マーカス 俺達のドラマー、ジャック・ライアンと出会ったからだね。バンドの中でも、彼との付き合いが一番長いんだけど、彼と会って一緒にプレイするようになってから俺はギターの方にフォーカスするようになったんだ。
——幼い頃から、家族のバンドと一緒にステージに上がっていたそうですが、何歳ごろからステージに参加していましたか?マーカス 8歳の時が初めてのステージだった。演奏したのは“オレンジ・ブロッサム・スペシャル”っていうブルーグラスの曲で、4つのコードしかない曲なんだ。だから、当時から演奏の合間にアドリブを入れたりしてた。その他には、叔父さんやお祖父さんと一緒に、“アメイジング・グレイス”をやったりもしたね。
——あなた方の生まれ故郷であるサウスカロライナ州グリーンヴィルという街の音楽シーンについて教えてください。そこには、どういうローカル・シーンが根付いているのでしょうか?ジャスティン 小さくて、閉鎖的だね。凄腕のミュージシャンやソングライターは沢山いるんだけど、演奏できる会場が少ないんだ。
ジャック 支えてくれるお客さんは沢山いるんだけど、みんな顔見知りみたいなものだから緊張感に欠ける部分もある。今日見に行けなかったとしても、また来週・再来週があるからいいや、みたいな感じで。だから、本気で音楽をやろうと思ったら、グリーンヴィルの外に出ていかないといけないんだよ。
マーカス グリーンヴィルに、堅い絆を持ったコミュニティがあるのは間違いないよ。じゃあ、そのグリーンヴィルから君たちはどうやって出たの? って聞かれることが多いんだけど、言ってしまえば、ただ離れたっていうだけなんだ。最初の数年は金にはならないかもしれない。でも、強い思いを持って離れるのは大事なことで、そうしなければずっと狭い檻の中に閉じ込められてしまう。そうは言っても、俺はグリーンヴィルを愛しているんだけどね!
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2017年8月26日(土)、Not in service氏が渋谷のあるコインロッカーに預けたはずの仕事鞄とリュックは消えていた。好きな街、渋谷で嫌な思いをしたくない為、これ以上犠牲者を出さない為にも、Not in service氏はtwitterに「渋谷のヤバイロッカー」の情報をポスト。そのツイートは瞬く間に広まっていった。
そんな彼にQetic編集部は緊急メールインタビューを行なった。
Not in service 1984年生まれ。
早稲田大学二文学部卒。
中学生時代から演劇部に所属。
2006年に早稲田にて個人プロジェクト「Not in service」を開始。
以降早稲田、東京各所を中心とした場所で年2回程公演。就職後、2012年にエンターテイメントに力点を置いた社会人劇団「定時残業Z」を結成。両方の脚本・演出を手掛ける。
大学卒業間近にDJ活動を開始。ビートマニア、90年代アニメ/ゲーム、初期ニコ動ムーブメント、club snoozer、maltine recordsといった音楽に影響を受け、都内でイベントを企画。
2014年より開始した、「KING OF POP」は、2015年1月盛況の後に終了。
「ポップミュージックをサイエンスする」というコンセプトで継続して行われている。
平日に恵比寿baticaで行われていた田中宗一郎と西村道男による「二人会」にもラウンジでレギュラー参加していたり、tomadが渋家にて企画するイベントにも何回か参加。
いい年こいた遊び人。
10/7(土)デイタイム
12/1(金)オールナイト
いずれもいつもお世話になってる恵比寿BATICAという場所でDJしたりイベントを打たせてもらいます。
その時には新しいPCでDJができるようになっているので、是非とも来てください(笑)。
あと来年の8月くらいを目指して自分の劇団の公演をやりたいですね。
それも今オフィスソフトの全くない新PCで企画書と脚本を書く予定です。
king of popnot in service定時残業Z
イギリス北部のウェストヨークシャーで結成されたジャーマン3兄弟によるスリー・ピース・バンド、ザ・クリブスが、通算7作目となる最新作『24-7 Rock Star Shit』を完成させた。
彼らのかねてからの憧れの人物だったスティーヴ・アルビニをプロデューサーに迎えたこのアルバムは、たとえるなら彼ら流のパンク・ロック・レコード。クリブス印のポップなメロディを随所に忍ばせつつも、全編にはいつになく荒々しくむき出しのギター・サウンドが広がっている。
つまり本作は、超低予算で制作された04年のデビュー作『The Cribs』から13年の間に人気バンドとなった彼らが、もう一度自分たちのルーツを見つめ、商業的な成功を気にすることなく、伸び伸びと好きなことを追究した作品なのだ。
とはいえ本作は、ジョニー・マーをメンバーに迎えて自身最大のヒットを記録した09年の『Ignore the Ignorant』と同様、キャリア最高位となる全英チャートの8位を記録している。本作に込められた思いや制作中のエピソードを、3人にメール・インタビューで聞いた。
Interview:ザ・クリブス
——何でも、今作のもとになった楽曲のうち4曲は元カーズのリック・オケイセックを迎えた前作『For All My Sisters』と同時期に制作が進められ、一時はそれらをダブル・アルバムとしてリリースする構想があったそうですね?ゲイリー いつの間にか、話が少し事実とは違ってきているみたいだね……。僕らがスティーヴ・アルビニと4曲を作ったのは2011年12月のことで、ちょうど『In The Belly Of The Brazen Bull』をレコーディングしていた時期だったんだ。で、そのうちの1曲“Chi-Town”はアルバムに収録されることになって、残りの曲は後のために取っておいた。
僕らはスティーヴと仕事ができたことが本当に嬉しくて、「将来、彼と一緒にフル・アルバムを完成させたい。」と思ったんだよ。だから、ダブル・アルバムを作ると構想したことは一度もなかった。でも、BBCのインタビューで「2枚のレコードを同時進行で制作してる」っていう話をしたものだから、そこからダブル・アルバムっていう誤解が生まれたんだと思う。
——なるほど、そうだったんですか。前作『For All My Sisters』はポップな楽曲が詰まった作品だったのに対して、今回の『24-7 Rock Star Shit』にはあなたたちのパンク・バンドとしての魅力が詰まった作品になっていますね。ゲイリー 確かに、『For All My Sisters』はバンドのポップな側面に焦点を当てたアルバムだったね。一方で今作は、曲作りもレコーディングも短期間で終わらせた。それぞれの曲を覚えるのがやっとな期間で、それが柔軟で自由な感じを生むのに必要だと思ったんだ。商業的な成功を目指さないレコードを作ることで得られる解放感が、僕たちにとっては心地よかったんだ。
The Cribs - Summer of Chances——そもそもあなたたちは、デビュー当時からポップなメロディだけではなく、たとえば〈SSTレコード〉のようなUSパンク/ハードコア的な感覚も持ち合わせていたバンドだったと思います。パンク/ハードコアにのめり込んだきっかけはどんなものだったんですか?ゲイリー パンク・ロックが僕たちの原点であることは、いつまでも変わらない。僕たちはイングランド北部の小さな町で暮らす鬱屈した少年だった。そして、(プレイヤーに)電源を入れて大音量で曲を流して叫びながら、ただエネルギーを発散させていた。そういった音楽を手に入れられるコミュニティーの存在もまた、僕たちにとってはとても大事なものだった。
ファン向けの雑誌が好きでよく読んでいたし、〈キル・ロック・スターズ〉や〈サブ・ポップ〉の「シングルズ・クラブ」(レーベルから直接アーティストのシングルが届くサービス)やメーリング・リストにも登録していた――。そうすることで、外の世界や趣味が合うと思える人々と繋がっているような気持ちになれたんだ。現代からすればおかしな話に聞こえるかもしれないけど、インターネットが普及する以前のパンク・キッズにとって、それは本当に大事なことだった。もちろん、その一方で、僕たちはポップミュージックも大好きだったよ。80年代のポップミュージックはすごく甘ったるくてよくできていたから、印象的なフレーズが頭の中にしっかりと刻まれた。だから、90年半ばに10代になった僕たちが激しいパンク・ロックをやるようになっても、美しいメロディに対する愛着はつねに持っていたんだ。ラモーンズを愛してやまない理由もそこだと思う。3人とも子供の頃からビートルズやクイーンが好きで、同時にたくさんのガールズグループも好きだったんだよ。
——では、パンク/ハードコアの中でも大切なアーティストや作品があれば、その作品との思い出も合わせて教えてもらえると嬉しいです。また、そうした音楽のどんなところに惹かれたんでしょう?(アティテュードなど、音楽的なことでなくても構いません)。ゲイリー ハギー・ベアは、昔も今も一番好きなバンドだね。「環境に適応できない者たちが強い絆で結ばれたときに、どういうサウンドが奏でられるか?」ということを完璧に体現している。彼女たちは他にはない理想を共有し、男性が支配する当時の特異な音楽シーン(ブリット・ポップじゃなくてブリット・プープ=まぬけ、だね!)に束縛されてなるものかという決意を持って、ミュージシャンの才能に対する旧来の意見や、「いい」「正しい」と認められているものごとに背を向けていた。
結果として、彼女たちの音楽は実験的で、荒々しく、とんでもなく重厚で、当時のイギリスでは他の何よりも遙かにエキサイティングだった。彼らの決断と、高潔さ、そして自分たちの手で作り上げる手法は、僕に多大な影響をもたらしたよ。
——では、音楽以外であなたたちがパンクを感じるものや瞬間というと?ロス パンク・ロックとは、何らかの活動というよりは、むしろ心の持ちようなんじゃないかな。たとえば、手首を怪我しながら、アルバム1枚のレコーディングでドラムをすべて叩いてみせるのは、ほとんどの人がパンク・ロック的だと思うだろう。これはまさに、4枚目のアルバムのレコーディング中に僕が経験したことだよ(笑)。それから、昔ゲイリーがツアー中に敗血症(細菌やウィルスが血液中に入り、臓器不全などの全身症状を起こす病気)になって入院しなくてはいけなくなったことがある。そのとき彼は、医者の指示に逆らって病院を抜け出して、ツアーをやり遂げた。これだってパンク・ロックだと考える人もいるだろう。ライアンだって、手を怪我したのにそれでもライブを最後まで続けたことがあるんだ。
ライアン うん、僕もロスと同じ意見だね。自分からパンク・ロックだと主張するのはなかなか気恥ずかしいもので、パンクというのは「心のあり方」だし、狙ってできるものじゃない。それでも興味深いと思ってもらえるようなちょっとした逸話があるとすれば、セックス・ピストルズの『Never Mind The Bollocks(勝手にしやがれ!!)』の30周年記念ライブで、サポート・バンドに僕たちが唯一選ばれたことや、ジョニー・サンダースのマネージャーから、かつて彼がステージ上で来ていた古いシャツを贈られたことが挙げられる。そのとき、「イギリスでこのシャツを受け取るにふさわしいのは、きみたちだけだ」と言ってもらえたんだ! これってかなりすごいことだよね……!
——今回はスティーヴ・アルビニのスタジオに滞在して制作が進められました。彼がかかわった作品の中で好きなものは? また、一緒に作業を進めていく中で、彼にどんな魅力を感じましたか?ライアン スティーヴとの仕事は本当に最高だったし、僕たちのようなバンドにとってはまさにこれ以上ない選択だった。作業はすごく簡潔で、本当に楽しみながらやれたんだ。若い頃から、僕たちはスティーヴ・アルビニが手がけたレコードのサウンドがとても気に入っていたから、彼と一緒にやってみたいとずっと思っていた。子供の頃、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』を初めて耳にしたとき、あのアルバムの音響はこれまで聴いてきた中で最高のものだと思ったよ。
今回のレコーディングは、基本的にはリハーサルでやるのと同じように全員で準備をして、それからスティーヴがマイクをセッティングした。そしてすべてを生演奏の形でレコーディングするっていう感じで、とにかくあっという間だったんだ。別のトラックを重ねたりはしなかったし、スティーヴはすぐに彼のサウンドを作り上げるから、スタジオでの休憩時間もほとんどなかった。こういうやり方だと、自分たちのエネルギーを強く保ったまま思い通りのレコーディングができるから、すごくよかったね。全員がスタジオに居合わせていることも、多くの楽曲を生み出す上で有効的だった。
スティーヴとは本当に仲良くやれたよ。彼はとても愉快で気の利いた人物で、一緒に熱中できることがたくさんあるし、共通の友人も何人かいる。すばらしい体験だった。
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——ではここからはプレイリストに。まずは有村さんの選曲ポイントを教えて下さい。有村 移動中に外をぼんやりと眺めながら、気持ちをここではないどこかへと飛ばす際に聴く曲たちです。
——パワーポップバンドの印象が強い彼らですが、この曲はいささか牧歌性漂う楽曲ですね。有村 フォークやカントリー調の曲です。僕は彼らのこういった面が好きで。結成直後、まだ車で全国を回っていた頃に、みんなでよく聴いてました。移動中の車窓から流れる景色を見ながら、“移動しているんだなぁ……”とか、“旅をしているんだなぁ……”と、しみじみとした気持ちになれます。
The Lemonheads – “The Outdoor Type”——ザ・キュアーの中でも女々しさ成分が少なく(笑)、逆に明るさを感じる曲です。有村 彼らの曲の中でも、わりとこの先に楽しいことが待っていることを予感させるような珍しいタイプの楽曲ですよね。ツアーやライブ先で楽しいことが待っている、それを信じさせ、明るい気持ちにさせてくれた曲でした。
ザ・キュアー – “Friday I’m In Love”——ソウルフルや汗を感じる曲が選ばれていたのも意外でした。有村 今回ツアータイトルに関連している曲なので(笑)。元々は子供の頃、桑田佳祐さんのソロのカバーで知りました。ツアー移動中に雨が降ったりした際にふと聴きたくなる曲でもあります。
Creedence Clearwater Revival – “Have You Ever Seen the Rain”
ヤマハ主催『Music Revolution』でのグランプリ・オーディエンス賞のダブル受賞をきっかけに2014年にメジャーデビューした、シンガーソングライター吉澤嘉代子。
<ROCK IN JAPAN .FES>など国内の大型フェスヘ出演や全国ホールツアーを行うなど精力的に活動する一方で、私立恵比寿中学や、松本隆との共作によりシンガークミコへ楽曲提供も行っている。
最近では、バカリズムが「原作」「脚本」「主演」を務めた『架空OL日記』の主題歌として“月曜日戦争”を書き下ろし、話題に。そして、来たる10月4日(水)にはMETAFIVEのゴンドウトモヒコが表題曲をプロデュースした2ndシングル『残ってる』のリリースが決定している。
今回はそんな吉澤嘉代子に『残ってる』についてはもちろん、好きなスポーツやこの秋でやりたいこと等、様々な15の質問に答えてもらった。最後にはQeticのマスコットキャラクター「あいつ」のイラストも描いてもらったので、ぜひそちらもチェックしてみて欲しい。
自転車に乗っていたら、目の前に酔っぱらったカップルがおり、通り過ぎようとすると、彼女の方が私によろけてきてぶつかりそうになってドキッとしました。「危ないですよ!」と文句のひとつも言いたかったですが、小さな声で「おっと」としか言えませんでした。彼女は彼氏に「気をつけなって言ったでしょう?」と優しく諌められていて、なんか切なかったです。
吉澤嘉代子「残ってる」MUSIC VIDEO
作家、イラスレーター、現代アーティスト、そしてラジオパーソナリティーと、様々な分野で活躍するD[diː]の個展<D[di:] solo exhibition 2017/Crystallized Points of View>が「hpgrp GALLERY TOKYO」にて開催されている。
昨年11月に開催された個展<The DOOR 自分回帰/THE LETTER from the future, past, somewhere>に続く本展は、D[diː]考案の、さまざまな版画の技法を駆使し、その上に多用な素材を用いてペインティングを施す“ハーモニックペイント”で描かれた作品や、油絵の具とテンペラ絵の具を使用した作品等、D[diː]が生み出した新しい作品群が展示されている。
今回、個展に込められた思いをはじめ、作品を作り続けることで一番大切にしていることや、自分の作品を通して伝えたいこと等、作家人生20年を迎えた彼女のパーソナリティに迫るメールインタビューを行った。